▼ ▲ ▼



夏休み登校日に起こったちょっとしたアクシデントは、そのあと特に後を引くことはなかった。教室に戻って私が頭を下げたら逆に「謝ることじゃないよ!大丈夫?」とすごく心配されてしまったものだから、私はまたポロリと涙を溢したのは今思い出しても恥ずかしい限りだ。…改めて、鵜久森の生徒たちはその校風からかすごく思いやりに溢れているって、思い知らされた。
まあ、南朋くんが「あんな状態になっちゃう満にサイン頼もうとか思ってる人はいないよね?」と満面の笑みでみんなに問うたのも騒ぎが長引かなかった理由のひとつではあるんだろうけれど。

そんなふうに2年1組に箝口令が敷かれ、成宮鳴と成宮満が双子っていう事実は話題にならなかったのだけれどーー野球部の車椅子のマネージャーの子とリーゼントの男の子がひとりの女の子を取り合って三角関係らしいよって話は……しばらく校内でもちきりだった。まああれだけ人目の多い廊下で騒ぎを起こしたんだから、当然だ。その件に関しては三人で黙秘を貫いている。だって否定したところで更に盛り上がってしまうだろうし……第一やっぱり私たちの間にあるのは友情だった。他人がとやかく言ったところでそれは変わらない。

そんな風に暑い暑い夏が終わって9月になり、そしてまた新学期が始まった。

9月4日に秋季大会のブロック予選の抽選会があった。鵜久森高校は順当に勝ち上がり、本大会進出を決定。

ーー野球を楽しもう。

改めてそんなポジティブな目標を設定したチームの雰囲気は、とても明るい。私も少しずつ笑顔になることが増えた…らしい。勿論それは私自身が自覚していることじゃなくて、野球部とかクラスメイトとか優紀ちゃんとか…お母さんから言われたこと。その度に、私は何度も「部活が楽しいの」って繰り返す。だって本当に楽しかった。

そして迎えた9月27日。
今日は本大会の抽選日だ。


「あれ」
「あ」
「最近よく会うな」
「うん」

掛けられた声に顔を上げれば、一也くんだった。思ったよりも抽選会場に早く到着してしまって手持ち無沙汰だった私は知り合いに遭遇して、ほんの少しばかり緊張の糸を緩める。彼は最近よく会うと言ったけれど、前回会ったのは夏大の開会式。二ヶ月前の話だ。それでも、中三の夏以降ほとんど顔を合わせてなかったことを考えると、まあ確かに一也くんの言っていることは的を得ていた。

「満がくじ引き?」
「うん。うち、顧問が監督兼務で……すごいおじいちゃん先生だから…ここまで来るのに足腰が心配で。だから私が代わりに来たの。みんな練習あるし」
「ふーん」

一也くんは流れるような動作で私の隣に座った。…ここに彼が来たってことは、主将なんだろうか。知り合いとはいえ連絡を取る間柄じゃない。それに失礼かもしれないけど、一也くんが主将っていうのはなんとなく意外だった。

「相変わらず鳴と喧嘩中?」
「……鳴ちゃんが一也くんに話したの?」
「いや、別にそんな話はしてねぇけど。中三からぱったり試合観に来なくなっただろ」
「……うん」
「だからなんとなくそうなのかなと思ってた」

結局私たちの間にある共通の話題といえば、鳴ちゃんのことなのだ。とはいえ、一也くんがそう言ったように私たち姉弟は喧嘩中で、なんとなく私から鳴ちゃんのことを話す気にもならない。ふっと会話が途切れてどうしようかなと考えているうちに、助け舟のように定刻通り抽選会が始まったので、私は一也くんに気づかれないように小さく息を吐いた。

どこと当たってもやることはひとつ。勝つだけだから満が引いておいで、と南朋くんの暖かい言葉を受けてここに来たわけだけれど、やっぱり緊張する。抽選の列に並びながら、私はずっと考えていた。これって結構重大な役目だと思うんだけど、…それを任されるってことは信頼されてるってことなんだろうな、なんて。

私の片割れはこの夏、甲子園準優勝校の投手の称号を得た。それは残念ながら彼が望んでたものじゃないけど、十分凄いものだったいうのはわかっている。
8月22日のスポーツ誌一面には、鳴ちゃんの泣き顔が載った。それを見て梅ちゃんは私に「やっぱ泣き顔似てんな」と言ったものだから南朋くんにやんわり怒られていたのを思い出して苦笑い。似てないってずっと言われ続けてきた私たちの共通点が泣き顔って、やっぱり神様は意地悪だ。

「青道高校、17番」

先に抽選の列に並んだ一也くんの声がマイク越しに会場に広がって、そして響めきが起こった。17番…って、対戦相手は帝東じゃないか。一也くんクジ運悪いんだな、と他人事のように(実際他人事だ)そんなことを考えているうちに目の前には四角い箱。抽選箱。私は改めて、背筋を伸ばしてそれと向かい合う。息を吐いて、それからずいっと箱の中に手を突っ込んだ。取り出したくじ、そこに書かれている番号を読み上げる。

「鵜久森高校、15番」

席に戻りながら、頭の中で自分の言葉がいつまでも反響していた。15番。頭を抱えたくなった。……13番は稲実だ。同じブロック。初戦を勝ち抜いたら、稲実戦。鳴ちゃん。どうしよう。どうしたらいい。

ーーいつかあの成宮鳴に見せてやろうぜ、俺たちの野球、満の凄さをよぉ!

だってまさかこんなに早く、あの梅ちゃんの言葉が現実になるなんて思わなかった。頭をぐるぐると駆け巡る陰鬱な考えと、それと比例するかのような激しい動悸。席に座って、左胸あたりを抑える。

「お互いクジ運ねぇな」

隣の一也くんはその言葉とは正反対に楽しそうだ。

「…青道の初戦は、帝東…?」
「おー」

つまり、二回戦で稲実に勝ったとして……三回戦は帝東か青道と戦うことになるのだ。頭を抱えたくなった。本当に私はクジ運がない。

「まあ、勝つよ。こっちも稲実に夏の借りを返したいし」

その言葉に私は顔を上げて一也くんを見た。彼はただ真っ直ぐ前を見て、会場前方のトーナメント表を見つめている。私のことなんか見てなかった。私の、私たちのことなんて、見てなかった。だから私は、思わず、震える唇を開いていた。

「私たちが勝つよ」
「…あ」

私の言葉に一也君はようやく私の顔を見る。そして気づいたらしい。鵜久森は稲実に負けるって彼がそう思っていることが言葉に表れていたことを。だから私は言ったのだ。

「一也くん、二回戦、私たちが勝つから。三回戦で会おうね」

言ってやった。心の中で小さくガッツポーズする。別に一也くんのことは嫌いじゃないけど、さっきの言葉は聞き捨てならなかった。確かにみんなあのトーナメント表をみたら、全員が全員、三回戦は稲実と青道か帝東が戦うと思うだろう。それが普通だ。私だって今の今まで自分のクジ運に落ち込んでた。
だけど…鵜久森のみんなの姿が思い浮かんだのだ。みんななら勝てる。絶対勝つ。今まで感じたことのない熱い思いが胸の内に流れ込んでくる感覚。指先が痺れる。まだ胸がドキドキしていた。それを整えるように、何度か深呼吸を繰り返す。

「…なんか、満変わったな」
「え?」
「いいんじゃねぇの。俺は今の満の方が好きだよ」

一也くんは私の顔をジッと見つめてそう言った。

「…あり、がとう…?」

格好いい男の子から好きって言葉が出るだけで破壊力は抜群だ。私は赤くなった頬を誤魔化すように俯いて、小さく小さく呟いた。一也くんはそんな私を見て、ははって笑うばかりだった。




「満、クジ運なさすぎだろ!」

というわけで無事に抽選を終えて鵜久森高校に戻ってきたのだけれど、抽選結果をみんなに伝えたら盛大に笑われた。それはもう、盛大に。梅ちゃんなんかゲラゲラと腹を抱えて笑っている。私は唇を尖らせた。

「そんなに笑わないでよ…!」
「稲実に、帝東に、青道……見事に死のブロックだなぁ」

南朋くんも流石に私のクジ運に笑うしかないらしい。口元を抑えている。

「神様はどうしたってお前と弟を引き合わせたいんだろ。腹括れよ、満」
「……うん」

梅ちゃんはそう言って、私の肩を抱いた。もしかしたら中には不安に感じている子もいるかもしれないけれど、みんなだいたい笑顔で梅ちゃんの言葉に頷いている。そうだ。腹を括るしかない。決まってしまったものは仕方がない。

「……どこと当たってもやることはひとつで…勝つだけ」

そんな風に自分に言い聞かせるように呟けば、やっぱり梅ちゃんたちは「当たり前だろ!」って力強い言葉と共に、笑うのだ。