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その瞬間、私はやっぱり思い知らされた。
私たちははんぶんこ。
神様が魂を分けた双子。
お腹の中で手を取り合って、懸命に、懸命に生きて、そして生まれてきたんだって。

痛い、痛い、痛い。
心が痛いよ、鳴ちゃん。
辛い、悲しい、悔しい。そんな片割れの感情が、胸に流れ込んでくる。

"それ"を目の当たりにしたら、きっとどうしようもなく嬉しいだろうなってそう思ってた。思ってたのに、現実は全然違った。浅い呼吸を繰り返して、崩れ落ちそうな膝を叱咤してなんとか立ち続ける。応援団の人たちや父母会、高校野球ファンのおじさんたちが盛り上がる声。その全てが遠い。優紀ちゃんが私になにか言ってる。でもなにも聞こえない。聞こえないよ、優紀ちゃん。

「…っ、鳴、ちゃん…」

鳴ちゃん。
泣かないで。お願い、泣かないでよ。

ーー目標を達成して満足した?

私が私に囁く。私はそれを聞いて違う違うと駄々っ子のように懸命に首を振る。こんな気持ちになりたいわけじゃなかった。
ただ、ただ私は…!
思いは声にならない。喉に張り付いて、出てこない。梅ちゃんが、二塁で「怒羅亜亜!!!」って叫んでる。その姿が、霞んでよく見えない。
嬉しい、悔しい、誇らしい、情けない、自分の感情と片割れの感情が、ごちゃ混ぜになって、もう自分でも訳がわからなかった。

会場全体を包み込んだ大歓声の渦の中、誰かの小さな小さな悲鳴が聞こえたのはーーきっと私の耳にだけ。




「あの感触だけは一生忘れねぇだろうな!右中間にスーッてよぉ」

梅ちゃんの嬉しそうな声が聞こえてきて、私は足を止めた。試合の興奮が未だに醒めないんだろう。高校に戻って早々、梅ちゃんはトーナメント表に線を引いた。ご丁寧に『ざまーみろ、コノヤロー』の文字と一緒に。梅ちゃんがペンを走らせている最中はみんな笑顔だった。それを見て、私も一生懸命笑ってみたけれど。それでも上手く喜べていた自信はない。なんて我儘で自分勝手なマネージャーだろう。本当に自分に嫌気が差す。そうして私はくるりと踵を返した。部室から自然と遠ざかる足。夕暮れのグラウンドに立って、空を見上げた。一番星が、うっすらと光り輝き存在を主張している。

「鳴ちゃん」

空を見上げて、呟く。目を閉じた。瞼の裏にありありと思い浮かぶのはーー呆然と右中間を見つめる、鳴ちゃんの姿。選手交代を告げるアナウンス。ベンチに戻っていく姿。球場の周囲で項垂れる稲実の女の子たち。「凄いじゃない!」って赤い眼をしながら賛辞の言葉を贈ってくれたお母さん。言葉もなく暗い顔をしてバスに乗り込む稲実の野球部員たち。その中には勿論、俊樹くんや白河くんの姿もあって…胸が軋んだ。そして優紀ちゃんが私の名前を呼んで、その視線の先を辿るとーーそこにはやっぱり鳴ちゃんがいて。眼があった気がした。綺麗な綺麗な青い眼が、私の姿を一瞬だけ捉えーーそうしてすぐにその繋がりは消えて……、声が、響く。私の頭に、声が響いた。

満足した?
ねぇ、満足したの?
貴方の価値は証明されたよ。
お母さんにだって凄いって言われたよ。
憎くてたまらなかった存在をギャフンと言わせたんだよ。
ねぇ、満足したの?

「ッ、うるさい、うるさい、うるさい…!!!」

問いかける自分自身の声を聴きたくなくて、耳を塞ぐ。

満足なんてしてない!
するわけない!!
私はなんにもしてない!!!
ちっともちっとも凄くない!!!
本当は、私は、本当は……ッ!!!!

声にならない叫びを、喉の奥から懸命に引っ張り出そうとしたその時だった。

「満…」
「…南朋くん…」

私はいつも貴方に見つけてもらってばかりだ。振り返って、ふにゃりと頬を持ち上げて笑う。でもやっぱり上手くその表情をつくれている自信はまったくなかった。

「今日は一緒に帰ろう」

そう言って、南朋くんは私の隣まで車椅子を進めて、そして私の手をギュッと握りしめた。その温かさに、私はやっぱり子供みたいに泣くことしか出来なくてーーそうして自分の愚かさを思い知るのだ。




「満は強くなったよ。だけどきっとそれだけじゃ駄目なんだろうね」

南朋くんが私の弱りきった心に優しく語りかける。最寄り駅まではゆっくり歩いても十五分程で到着してしまった。私と南朋くんの家は反対方向だ。これでさよならかと思ったけれど、南朋くんは「少し話そうか」と言って私をホームベンチに座るように促した。特に異論を唱えずそれに頷いて、腰を下ろす。
南朋くんの掌が、私の髪にソッと触れた。

「…俺たちが勝って嬉しかった?」
「…ッ、もちろん…!!!嬉しかったよ…!!」
「ならよかった。……だけど、すごく悲しんでるね…?」

その言葉に、息が詰まった。
語尾こそ疑問系だったけれど、彼の言葉は確信的だったし……それに私はその言葉の通り、悲しんでた。指摘された事実に目を伏せる。恥ずかしくて、情けなくて、南朋くんの顔が見れなかった。

「……マネージャー、失格、だよね……ごめん……」
「…いや。まあ、…そうか、こうなっちゃうんだなって、ちょっと驚いたっていうか……なんだろうな。俺も上手く言えない」

ごめんね、と。南朋くんの苦笑混じりの声を聞きながら、私は膝の上で拳をギュッと握りしめた。南朋くんの掌が、私の頭から、今度は手に移る。優しく、包み込むように。

「でも、これで理解ったよ。満の本当の望み。本当の幸」
「……私の、望み…幸?」
「うん」

南朋くんは頷いて、そして私の眼鏡をゆっくりと外した。さっきまでクリアに見えていた視界が歪んで、南朋くんの顔すらぼんやりとしたただの色の塊になる。目を細めて見ても、彼が一体どんな顔をしてるのかよくわからなかった。

「きっと満は自分を認められたうえで、成宮鳴の傍に居たかったんだろうね」

泣きすぎて腫れた目蓋に、南朋くんの指先がそっと触れる。行為も声も、その全てが優しい。そうして南朋くんはやっぱり私に語りかける。

「辛かったね。苦しかったね。俺には君の怒りがわかるよ。わかるようになったよ。鵜久森に来てくれてありがとう。もう一度俺と出会ってくれてありがとう。……だけどね、きっと満には俺たちだけじゃ駄目なんだろうね。それは当然のことだよ。俺たちは友達で仲間だけど……でも、家族じゃない。ずっと一緒にいられるわけじゃない。まあ…世の中には、自分を守るためにどうしてもそうするしかなくて、家族と縁を切る人もいるけれど……でもきっと満はそれを望んでないよね。あの瞬間、弟の傍に居てあげられなかったことをいま凄く後悔してるだろ」

南朋くんはただ淡々と言葉を紡いだ。

「満は自分が頑張ってるって認められないことに怒っていただけで、成宮鳴のことは嫌いじゃない。むしろこれだけ悲しむってことは、…すごく好きなんだよ。弟として、家族として。少なくとも俺はそう思うよ」


ーーどうか神さま。私の心をごらん下さい。

大好きな一説が頭を過る。
…ああ、そうだ。そうだよ。私は、きっと私の意思で、鳴ちゃんの隣に立ちたかったのだ。南朋くんの言葉を聞いて、ようやくようやく理解する。神様の指差しで用意された場所だって思いたくなかった。そういう運命だって思いたくなかった。私は成宮鳴の双子の姉である前にひとりの人間で、ひとりの成宮満で、そのうえで、鳴ちゃんと手を取りあって生きていきたかった。あの子の尾っぽデネブじゃなくて……α1星とα2星のように、私の意思で隣り合いたかったのだ。

「落ち着いたらふたりで話すといいよ。今の満ならきっと話ができる。自分の考えを、思いを、話せるよ。大丈夫、大丈夫だよ」

私は小さく、うん、と頷いた。電車が何本も何本も通り過ぎて行って、いろんな人が私たちを横目に足早な様子で改札へと向かったり、電車に乗り込んだりしている。私たちは一体どんな風に思われてるんだろう。そんな考えが頭に過り、ようやく自分が冷静になったことを理解する。

「明日は青道戦だからね。今日は早く寝るんだよ。みんな満の応援に力を貰ったから、頑張れたんだ。だから、満、明日も笑って」

試合前にそう言ったように、南朋くんはまたその言葉を私に贈る。私はゆっくりと頬を持ち上げてみた。きっとそれはとてつもなく下手くそだったんだろう。南朋くんが私の顔を見て笑ったのが理解る。ちょっと唇を尖らせた。そんな私に、やっぱり南朋くんは笑う。そして彼はしみじみと言った様子で言葉を続けた。

「満にもスタートラインに立ってもらわないと、ね。いい加減俺も焦ったくなっちゃう」

それはとても抽象的で、意味がよくわからず思わず首を傾げた。

「スタートライン…?」
「そう。その時が来たらちゃんと伝えるよ。もしかしたら俺の気持ちを聞いて、満はたくさん悩むかもしれないけど、それでも俺は泣かせないから。約束する。だから安心して」

南朋くんの力強い言葉に、私は……よくわからないけれど、頬を染めていた。俺の気持ちって…もしかして…そういうことなんだろうか。でも自意識過剰すぎないか。青くなったり赤くなったり…まったく、私の心は忙しい。そんな私に向かって、南朋くんはやっぱり慈悲深くフフッと笑うのだった。