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「やっぱり今日、練習あるって」

睨めっこしてた画面に表示された文字を見て、私は顔を上げた。お母さんが「えー?」と困ったような表情を浮かべて私を見る。

「ほんとに?こんな雪なのに?」
「うん、ほら」

携帯の画面を見せたら、ますます困惑した顔になった。

「…松原くんって優しそうに見えて意外と厳しいのねぇ」
「優しいけどドSだよ」

私がそう言えば、お母さんは苦笑い。そんな私たちの会話を眺めながらコーヒーを啜っていたお父さんが徐に口を開く。

「北海道の学校なんか雪上ノックが普通だぞ」
「らしいね」
「雪の上でノックなんかしてたらボール見えないじゃない」
「だから練習になるんじゃないか」

お父さんのウンチクにお母さんは「凄いわねぇ」と感心しきりだ。多分お父さんはお母さんのこういうところが可愛いんだろうなって思うようになったのは最近のこと。いつまでも仲睦まじいのはいいことだろうけど、年頃の娘の前で恥ずかしくないのかな、とも思う。それをつい先日実家に帰ってきた鳴ちゃんに言ったら「きっと爺ちゃん婆ちゃんになってもこのまんまだよ」と相変わらずの辛口だった。それでさっき来たメールを思い出す。

「稲実も練習あるみたいだよ」

ーー『今日は室内でウェイト中心メニューだからわりと早く終わると思う。夕方以降、満の都合で電話して』
画面に並ぶ文字をお母さんに見せれば、途端に笑顔になった。

「電話するの?」
「うん、話したいんだって」
「そうよねぇ」
「つい四日前まで一緒にいたのにね」
「一緒にいたって言っても2日間だけじゃない。それじゃ鳴には足りないのよ。今までの穴埋めをしたいの」

その言葉に返す言葉が見つからなくて、私は誤魔化すように頬を掻いて、それから手元の牛乳に口をつけた。綺麗になったお皿をシンクに下げて、洗面所で身支度を整える。眼鏡からコンタクトに変えて、約一ヶ月。まだまだ慣れないけど、それでも屈んだりすることが多い部活中に眼鏡がずり落ちてこないのはとっても楽だった。もっと早くコンタクトにすれば良かったなって、今だから思う。

「車で送ってこうか?」
「いいよ、車だと危ないでしょ。電車の方が確実だから。ありがとう、お父さん」
「気をつけるんだぞ」
「うん」
「今日ぐらい早く帰ってきてね、御馳走用意しておくから」
「うん」

コートを着込んで、靴を履いて、両親に見送られて家を出ようとしたその時。玄関の扉が外から開いた。姿を見せたのは優紀ちゃんだ。一昨日、彼氏の家に戻ったばっかりなのにどうやらもう戻ってきたらしい。手にはたくさんの紙袋。相変わらずお化粧ばっちり、髪の毛のセットもばっちり。だけどそんな頭の上には小さな雪の結晶がちらほら。優紀ちゃんは私の姿を見て、驚いた様に目を見開く。

「えっ、ちょっと、部活なの!?」
「うん、そうだよ」
「雪降ってるし積もってるじゃん!」
「雪降ってても部活だよ」
「せっかく満に色々着てもらおうと思って洋服たくさん持ってきたのに!」

紙袋の中にはどうやら洋服が詰まっているらしい。相変わらず優紀ちゃんは私を着せ替え人形にするのが好きだ。時間があるならいつだって付き合おうと思ってるけど、申し訳ないけど今日いまからは難しい。

「帰ってきてからでもいい…?」
「勿論!」

だから譲歩案を出せば、優紀ちゃんはすぐさま笑顔になった。私の身体をぎゅっと抱きしめる。私はくすぐったさに目を細めた。しばらくそうしていたけど、のんびりもしてられない。

「いってきます…!」
「気をつけてな」
「いってらっしゃい」

改めて出発だ。降りしきる雪の中に一歩踏み出す。

「満!お誕生日おめでとう!」

背中に掛けられた優紀ちゃんの声が私の足取りを軽くする。ありがとう。いってきます。今年のお誕生日も野球部と過ごせる。嬉しいな。そんな言葉を口ずさみながら、私は転ばないように、だけど足早に、駅に向かって歩いていくのだった。






「満、おはよう」
「南朋くん、おはよう」

なんとか鵜久森高校に辿り着いた時には降り止んでいた雪。ちょうど校門で南朋くんと鉢合わせした。送迎の南朋君のお母さんに挨拶して、それからふたりで部室棟を目指す。

「積もったね」
「昨日の夜から降ってたからね」
「雪ってなんだかワクワクしない?」
「そう?」

雪の日に生まれたからだろうか。そんなことを考えていた私に南朋くんは「満って時々すごく子供っぽいよね」と笑う。むっと唇を尖らせれば、「そういうところだよ」って言葉が続いた。

「でも俺はそういう満が好きだな。表情が豊かになったね。嬉しいなぁ」
「……南朋くんってやっぱり直球…」
「だってちゃんと言葉にしないと満には伝わらないだろう?」

赤く染まる頬は、寒さのせいだけじゃないだろう。私は誤魔化すように手袋をした掌を擦り合わせた。南朋君はやっぱりそんな私を見て笑ってる。

「おーーッス!!!!」
「あ、梅ちゃん」

後ろから猛ダッシュしてきたのは梅ちゃんだ。勢いよく私の肩に梅ちゃんの腕が回る。彼が吐いた息が白くなって目の前の宙を漂う。それを目で追っていると、梅ちゃんの大きな掌が私の頭を撫でまわした。

「誕生日だな!!!めでてぇなぁ!!!」
「うん、ありがとう。覚えててくれたんだね」
「…梅宮……サプライズするって話じゃなかった?」
「あっ!!!!」

まるでコントのようなやりとりに思わず私は噴き出してしまった。それでこそ梅ちゃんって感じだけど、南朋くんは随分呆れた様子だ。サプライズ…してくれるつもりだったんだ。それだけで嬉しいな。思わず頬が緩んだ。きっとだらしない顔してるに違いない。それでもやっぱり自然と笑みが浮かんで消えない。

「梅ちゃん!!!なんでバラすんだよ!!!せっかく部室飾り付けしたのに!!!」
「梅宮ー!!!」

梅ちゃんの大きい声はどうやら部室棟まで聞こえていたらしい。野球部の部室からアーリーと康太くんが顔を出して叫ぶ。私はもうおかしくておかしくて、声を上げて笑ってしまった。それを見て梅ちゃんと南朋くんが顔を見合わせる。

「満が幸せそうで良かったよ。まあ…誰かさんのせいでサプライズじゃなくなっちゃったけど、色々準備したから楽しみにしてて」
「…うん…!」

ウインクした南朋くんに大きく頷けば、あっという間に気を取り直した梅ちゃんが「早く行こうぜ!」と私の背中と、南朋くんの車椅子を押す。その掌の暖かさを感じながら、私たちはみんなが居るであろう部室を目指して、走り出すのだった。





「それでね、みんなが用意してくれたケーキを食べて、プレゼントも貰ったんだよ」
『…っていうか、あのリーゼント、マジで馬鹿だね』

電話越しの呆れた声に、私はむーっと頬を膨らませた。まあでも否定は出来ない。だけどそこが可愛いんだよ。そう言いたかったけど、多分それを言ったら今度は向こうが拗ねるだろう。片割れのことは私が一番よくわかってる。

『プレゼント、何貰ったの?』
「色々。エプロンとか、私が好きな本とか。あとはハンドクリームとか…みんなでデパートに買いに行ったんだって。可愛いよねぇ」
『ふーん』
「鳴ちゃんは?いっぱいお祝いしてもらった?プレゼントは?」
『寮母さんがアイスケーキ用意してくれて晩飯の後食べた。プレゼントはまあプロテインとか?……ってか、男同士で普通は誕生日祝ったりしないから!』
「…えー、そうなの…?」
『そうなの!…しかもさぁ、カルロの奴なんて、俺にはなんもないのに満へのプレゼントはちゃっかり用意してるし…』
「俊樹くんが?嬉しいなぁ」
『…腐るもんじゃないから今度帰った時に渡す』
「うん、ありがとう、鳴ちゃん」

俊樹くんは昔から女の子に優しかった。そしてその例に漏れず私にも凄く優しかった。気遣いが出来る人だ。背も高いし、運動神経も抜群できっと稲実でもモテモテに違いない。なんてことを考えてたら、『満はさぁ』と鳴ちゃんの声が耳に届いた。

『気付いてないだけでモテるんだからそろそろ自覚した方がいいよ』
「モ…?!モテないよ!!」
『……そう?優紀姉ちゃんからあのマネージャーとリーゼントのどっちとも『良い仲』って聞いたけど?』
「普通に友達だから…!!!」

優紀ちゃん余計なことを…と頭を抱えた。完全に否定出来ない気持ちが滲み出ていたのか、鳴ちゃんは私の言葉を信じていないらしい。多分…というか、絶対、電話越しに唇を尖らせてるに違いない。だってその姿が目に浮かぶのだ。

『どうせだったら一也にしてよ』
「?!…一也くん、別に私のこと、好きじゃないでしょ…!っていうか、それ、絶対、鳴ちゃんが一也くんと一緒に、いたいだけじゃん…っ!」
『ははっ、バレた?』
「…わかるよ…!鳴ちゃんの、ことだもん…っ!!」

私の言葉に、鳴ちゃんは『…そうだよね』としみじみ。その声を聞いて私の胸には言葉にならない感情が流れ込んでくるものだから目を細めた。そして、腰掛けていたベッドから立ち上がり、ちょっと部屋をウロウロ歩いて…それから鳴ちゃんの部屋とを隔てる壁にソッと手を合わせる。

「鳴ちゃん」
『…なに?』
「お誕生日、おめでとう」
『満もね。おめでとう』
「うん、ありがとう」
『来年は…、顔見て直接言うから。ケーキもさ、満が作ってよ』
「……うん、つくるよ。約束」
『約束』

大晦日と元旦の二日間、優紀ちゃんが呆れるぐらいべったりとふたりで過ごしたのに、やっぱり声を聞くと私も会いたくて堪らなくなってしまうから、困る。

閉じた目蓋の裏に思い描く鳴ちゃんの姿。可愛くて生意気で、チヤホヤされるのが好きで、怒るとちょっとだけその目が怖くて、野球の神様に愛された男の子。私の大事な弟。
私の大事な『はんぶんこ』。

ーーどうか神さま。私の心をごらん下さい。

私はついに本当のさいわいを見つけました。それは愛しい半身の幸福で、そして私自身の幸福です。どちらか片方だけでは駄目で、きっとそんな私たちはいつまで経っても『はんぶんこ』なんでしょうね。だけど、それでいいんです。

それで、私は幸せなんです。


この世に片割れと共に生を受けて、十七年目の1月5日。東京には雪が降った。それは夜には降り止んで、薄らとした雲が浮かぶ冬の夜空。そしてそこには私たちのこれからの人生を祝福するようにーー無数の星が、輝いていた。

片割れのデネブ


【デネブ・アルゲディ(Deneb Algedi)】アラビア語で「ヤギの尾」を意味する言葉に由来。やぎ座で最も明るい恒星。