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神様はいつだって不公平で、私はあの子の尾っぽ。
だけど、だけどね。
最初からそうだったわけじゃ、ないんだよ。



「めいちゃんとみつるちゃんって、ぜんぜんにてないね」

幼稚園の時。
同じゾウ組さんのハナコちゃんが私に向かってそう言った。私はその言葉を耳にした途端、なんだかとっても悲しくなって右手に持っていたクレヨンをギュッと握りしめたのを覚えている。じわじわと目頭に集まる涙。粒になったそれがポロポロと頬を伝った瞬間。

「そんなことない!」

鳴ちゃんの大きな声が、教室に響いた。私もハナコちゃんも、勿論みんなもびっくり。特にハナコちゃんは、まさか鳴ちゃんがそんな風に否定すると思っていなかったのか、それとも大きな声に驚いてしまっただけなのか…とにかく誰よりも誰よりもたくさん泣いていたように思う。
よくある子供同士のいざこざ、言葉の応酬。
そして別に暴力を振るったというわけでもないので、先生は「みんなビックリしちゃうから大きな声で叫ばないでね」と鳴ちゃんを言い聞かせるに留まった。
そんな風に注意された鳴ちゃんが、納得していないというような表情で唇を尖らせて小さく頷いたその姿。私の脳裏には今もそれが焼き付いている。

「めいとみつるは、『はんぶんこ』なんだから」

その日の夜。おんなじ布団で眠る鳴ちゃんは私の耳元で、そう言った。私が小さくうんと頷けば、繋いでいた手にギュッと力が入る。

「…めいちゃんは、みつると『はんぶんこ』でいやじゃない…?」
「なんで?」
「……だって、みつるたち『ふたご』なのに、ぜんぜんにてないから…」

それはもうずっとずっと、それこそ物心つく前から言われ続けていた言葉だった。鳴ちゃんとお姉ちゃんの優紀ちゃんは、お父さん似のーーー日に当たるとキラキラ光る綺麗な金色の髪をしてるのに、私だけお母さんによく似た黒髪。髪質も全然違う。パッと見ただけではきっと姉弟かどうかも判断がつかない。…それぐらい、私たちは似てなかったから。

「でも、『め』だけはおんなじでしょ」
「…うん」

鳴ちゃんは、そう言って私の顔をジッと覗き込んだ。掛け布団に潜って、こそこそと言葉を交わす私たち。暗闇の中で、青い瞳が私を見つめている。…それは。それだけは、鳴ちゃんが言うように確かに私も持っているものだ。

「やっぱり、みつるはめいの『はんぶんこ』なんだよ。だからさ、ずっといっしょだよ。やくそく」

そう言って目を細めて笑う鳴ちゃんは、やっぱり可愛くて。
大好きな弟で、大好きな片割れで、大好きな『はんぶんこ』。
その時は確かに、そう思ったの。

そんな風に約束を交わした、大事な大事な『はんぶんこ』だったけど。
私と手を繋ぐばかりだった鳴ちゃんの手が、白いボールを握るようになってから、私の存在は鳴ちゃんのオマケに変わってしまった。
ーーーずっといっしょだよ、やくそく。
そう言ったのは鳴ちゃんなのに、ね。
先に私から手を離したのも、鳴ちゃんだ。



『じぶんの生まれた日のことを
           しらべてみよう』

小学校二年生の時、「せいかつ」の授業でそんな宿題が出た。
鳴ちゃんとはクラスが違ったけれど、同じタイミングで出された宿題だったから「お母さんに話を聞こうね」って話しながらふたりで手を繋いで帰ったあの日。
家族五人で夕飯を食べた後、引っ張り出してきたアルバムを捲りながら、お母さんは私たちにゆっくりと『その日』のことを教えてくれた。

1月5日。
その日は、珍しく東京に雪が降ったのだという。病室の窓から降り注ぐそれを見て綺麗だなと思ったって、お母さんは言った。
予定通り帝王切開での分娩。
最初に私が取りあげられて、次に鳴ちゃん。
…鳴ちゃんは、私よりも随分小さくて産まれたから暫く保育器に入ってたらしい。所謂、未熟児。一週間でお母さんと私が病院を退院しても、鳴ちゃんは暫く入院していたのだという。

「だからお母さんもお父さんも鳴が元気に育ってくれて嬉しいの」
「へー」
「勿論、満も」
「…うん」

おまけのように付け足された自分の名前。お母さんはそんなつもりなんてなかっただろうけれど、両親の一番は鳴ちゃんだって。そう言われたような気がして、その時私の小さな心臓が軋んだのを覚えている。

「鳴と満は半分こなのよ。だってそういう風に生まれてきたんだから」
「じゃあ満が俺のぶんまでおっきく生まれたってこと?」
「そういうわけじゃないけど」
「お姉ちゃんが大きく生まれてもなぁ」

鳴ちゃんの何気ない疑問を否定するように口を開いたお母さん。そしてその言葉に続くように、苦笑いを浮かべたお父さん。ーーー今、思えば。これが私の人生で初めて触れた『悪意』だったように思う。勿論、無意識のそれ。多分、今この言葉をお父さんに問いただしてもきっと本人は忘れているだろうし、「そんなつもりはなかった」っていうだろう。結局そんなものなんだ。だけど、この『悪意』が私の柔やか心臓に今でも突き刺さっている事実は、変わりない。
そんな、胸の痛みと同時に。

「お父さん、それってちょっと満に対してシツレーじゃない?」

怒りを孕んだ声を、私は覚えている。それはソファーに座って一緒に話を聞いていた優紀ちゃんの言葉。優紀ちゃんは怖い顔をしてお父さんを睨んだ。
その時、優紀ちゃんは中学一年生。所謂『思春期』でーーー元々の性格もあるだろうけれど、お父さんお母さんによく『クチゴタエ』してた。だけどうちの両親は(色々悩んではいただろうけれど)ふたり揃ってほのぼのした人たちだったから、糠に釘というか…。まあとにかくその時も、お父さんは「そうかなぁ」とお姉ちゃんの言葉に苦笑いで済ませてた。優紀ちゃんはそれを見てさらに怒ってソファーから立ち上がり、リビングを出ていく。ドスドスと階段を登っていく音。

「姉ちゃん、怖っ」

その音を聞いた、鳴ちゃんの呆れたような声。
私はその言葉に、思わず手にしていたプリントをギュッと握りしめた。たった数年しか経っていないのに。鳴ちゃんはもう「そんなことない」って叫んでくれないんだなって思うと、とても悲しかった。



「満、気にしなくていいからね」

宿題の聞き取りが終わって、自分の部屋に戻った私。しばらくしてから、優紀ちゃんが部屋に入ってきて、そう言った。

「…うん、大丈夫」
「あの人達、鳴に甘すぎるんだよ」
「……うん」

優紀ちゃんは今でもそうだけど、小さい時から私に優しかったように思う。女の子同士だからだろうか。それともお父さんに『選ばれなかった』もの同士だからだろうか。正解はわからない。…でも、鳴ちゃんが野球を始めてから、入れ替わるようにして優紀ちゃんが野球を辞めたのは事実だ。それからはずっと短かった髪を伸ばして、可愛い服をたくさん着てる。

「私は満のこと大好きだよ」

優紀ちゃんが、私の頭を撫でた。その途端、堪えていた涙が頬を伝う。
自分でもよくわからないけど、とにかく悲しかった。

私と鳴ちゃんはお母さんがそう言うように確かに『はんぶんこ』だ。それはずっとずっと変わらない事実。でも、やっぱり違う。私は私で、鳴ちゃんは鳴ちゃんだ。私と鳴ちゃんは、違う。そんな風に気づいた夜。
ーーーだけどやっぱりそれでも。
『はんぶんこ』なのは変わりないから、私の痛みに気付いているはずなのに。
気付いているはずなのに、鳴ちゃんが傍に来てくれることはなかった。



「成宮さんって鳴くんと双子ってほんと?」
「え、それマジなの?」
「信じられない。野暮ったすぎでしょ」

中学一年生の時。
私はまた『悪意』に触れた。今度は、意識的なそれ。
放課後の教室。橙色に染まった場の片隅で、顔を寄せ合ってクスクス笑う同級生達。私はその言葉を聞いた瞬間。気づけば廊下の隅で、肩にかけていたスクールバッグの紐をギュッと握りしめていた。
ーーー痛い、痛い。心が痛い。
分厚い眼鏡越しの瞳が、涙でいっぱいになる。
本の読みすぎで視力を悪くして、数年前から眼鏡なしでは生活することが難しくなってしまった私。もう、片割れと同じ『め』でもなくなってしまった私。
いつから、と明確な年月では言い表せないけれど。でも、散々遭遇してきた『悪意』の積み重ねによって私の心が粉々に壊れて、そしてやる気がもがれて、傷ついたのは紛れもない事実。

やっぱり鳴ちゃんは、この時も傍にいてくれなかった。
大丈夫だよって私の手を握ってくれなかった。

私と鳴ちゃんの身体は別々で、考えてることも、好きなことも別々で。
そういう違いがどんどん育っていって、私たちの間の距離は離れていって。
随分と遠くなってしまったから、彼の左手は私の右手を握ってくれない。
彼の手は、白球を掴むことを選んだ。

だから、もう、私も鳴ちゃんの手を握れない。



「…鳴ちゃん…」

夏の午後の日差しが差し込む、ひとりぼっちのリビング。
目の前のテレビに映る光景から、私は視線を外すことが出来なかった。一瞬の間に、脳裏に駆け巡った過去の出来事。『悪意』の積み重ね。その全部が、とても苦しい。心が悲鳴を上げている。それが理解る。
ーーーだけど。そんな私以上に、私の『はんぶんこ』の心が泣いてる。
突き抜けるような、空の青。照りつける太陽。茶色い土。白いユニフォーム。
煌めく金色の髪。私の『はんぶんこ』。
貴方が選んだ道でしょって。
私よりも野球を選んだんでしょって。
そう切り捨てるのは簡単なのに、それが出来ない。だって画面越しに泣き崩れるその姿はーーー、どれだけ否定しても、やっぱり大好きな弟で、大好きな片割れで、大好きな『はんぶんこ』。

稲城実業高校、甲子園三回戦敗退。
私はその事実をソファーの上で膝を抱えながら、ぐちゃぐちゃな心で受け止めることしか出来なかった。