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十月に入って、校内の雰囲気は来月の初めにある文化祭に向けてなんだかソワソワし始めた。
クラス展示の準備に、全学年対抗合唱コンクールに向けての練習。
学校全体が、なんだか忙しない。そんな日々が秋の空気とともに訪れた。

一年生は例年飲食関係の出店が出来ない。
高校生の文化祭といえばなんとなく飲食という大雑把なイメージを抱いていたのでちょっとがっかりした。そういうのは三年生の先輩たちのものらしい。そんな制約がある関係で、私たち1年5組は、担任の太井先生の一声によって『縁日風』のクラス展示になった。ヨーヨーとか的あてとか。高校生にもなってちょっと子供っぽい。どうやらそれは私だけじゃなくてクラスのみんなが思っていることらしい。なんだか準備に身が入っていない雰囲気を感じるのだ。だけどそれを払拭したのは、ーーやっぱり、(いろいろな意味で)一際声の大きな梅宮君だった。

「決まったもんはしょうがねぇだろ!客が唸るような『祭り』にしてやろうぜ!」

梅宮君のその言葉に、クラスメイトたちは頷いた。それでなんとかモチベーションを保っている。

彼はなんとも不思議な魅力があった。人を魅了する。太陽みたいな人だなって思うのだ。
…胸に抱くそんな感想は、彼の姿は、やっぱり鳴ちゃんを連想させた。
初めて梅宮くんの姿を認識した入学式の日に感じた劣情。
彼は、私の弟と同様に、選ばれる側の人間だ。そう直感が告げていたのだろう。今ならあの時の焦燥感も嫌悪感も本当の意味で理解できる。ーーそれは、梅宮君が鳴ちゃんと似ているけれど『違う』って実感できるようになったからなんだろうか。


「成宮さん、そっちの準備どう?足りないものとかある?」
「あっ大丈夫…」
「良かった。もしあったらすぐに言って」

クラスのとりまとめ役の学級委員長の言葉に私は、うん、と頷く。

二学期になって梅宮くんの隣の席になってからというもの、なんとなくクラスメイトとの距離も縮まったように思うのだ。話しかけられることが増えた。それは梅宮くんの周りにいつも人が集まってくるからだろうか。ずっと本の世界に閉じこもっていた私を、外の世界に連れ出した梅宮くん。ちょっと強引で、だけど無理強いはしない。私が放っておいて欲しい時は、声を掛けてこない。そういう気遣いができる優しい人だって気づいたのは、秋以降、言葉を交わすようになってから。

そんな梅宮くんには、意外な特技があった。



「合唱コンクールの練習は順調?」

松原くんが向かいに座る私の顔をジッと覗き込んで、それから相変わらず穏やかな笑みを浮かべながら小首を傾げた。私は手元の教科書をパタリと閉じて、うん、と頷く。

「順調だよ」
「それなら良かった。梅宮が珍しく緊張してたからね」
「…意外」
「アイツは結構ナーバスだよ」

松原くんが手に持ったシャーペンをくるくるっと回しながら笑う。
梅宮くんが、ナーバス。
やっぱり意外だ。そんなことを考えながら、ノートにペンを走らせた。


鵜久森高校野球部は十月の頭に秋大敗退。自然と松原くんと図書館で顔を合わせることが多くなったのはそのあたりの事情もあるんだろう。彼は冬のオフシーズンに向けて色々と勉強しているようだった。冬は試合ができない分、身体を作り込む時期なのだという。
オフ前にありったけ組んだらしい練習試合をこなしながら、文化祭の準備、そして中間テスト。なんとも忙しいそうだ。

良かったら一緒にテスト勉強しない?と声を掛けられるぐらいには、私と松原くんはずいぶん仲良くなっていた。
波長が合うとでも言うんだろうか。彼が纏う優しい雰囲気を前にすると、緊張せずに済んだ。ただ私のままで立っていられる。彼がそれを受けて入れてくれるって、そう感じるから。


テスト期間に突入して部活動は原則禁止。放課後の教室には私たちと同じように机に齧り付いて教科書と睨めっこしてる生徒たちがちらほら。松原くんが在籍する1組にお邪魔したのは、これが初めてだった。教室のつくりこそ5組と一緒なのに、雰囲気が違うのは掲示物だったりそこにいる生徒たちが違うからだろうか。私たちのクラスはよく言えば和気藹々、悪く言えば少し騒がしいという感じだけど、1組は落ち着いた雰囲気を纏っていた。統率がとれているような感じだ。それはなんだか松原くんのまわりの空気感に似ていた。

「松原くんが、指揮者なんでしょ?」

相変わらず勉強の合間の話題は合唱コンクールの話。

「うん。別に音楽は得意でもなんでもないんだけどね。指名されちゃったから」
「人徳、だと思うな」
「そう?」

松原くんは人にちゃんと指示が出来る人だ。学級委員こそ務めていないけど、きっと普段からクラスの立ち位置もそんな感じなんだろうなって思う。

「梅宮の方が人徳あるよ。それに音楽の才能もある」

松原くんがそう言うように、梅宮くんには確かに音楽の才能があった。彼はとっても意外なことにーーピアノが弾けたのだ。そして誰もやりたがらなかった5組の伴奏者を務めることになった。

「確かに梅宮くんの弾くピアノって、すごく綺麗な音なんだよね…」

音楽に造詣があるわけではないのでそんな言葉でしか言い表せないけれど、力強さも繊細さも兼ね備えた彼の奏でる音は聞いていてとても心地が良かった。

「うん、そうだね」

松原くんはついっと宙を見ながら、何度か頷く。その仕草はなにか思い出しているようだった。松原くんの男の子にしては少し大きな瞳がスッと細められて、それから何度か瞬き。それをこっそり盗み見ていたら、自然と言葉が漏れていた。

「松原くんと、梅宮くんは、おんなじ中学校だったの?」

知り合って半年近く経つのに今更の質問かもしれない。でも松原くんは笑いも呆れもしなかった。ただ「違うよ」と事実を述べた。

「リトルで一緒だったんだ。足立ロケッツっていうチーム」
「ふふっなんだか可愛い名前のチームだね」
「そう?」

私が笑えば松原くんも笑う。それがやっぱり心地良かった。

(松原くんも野球やってたんだなぁ…)

ふたりの気心知れたやりとりを目にすることや、それぞれの口から語られるそれぞれの話を聞くことが増えて、その関係はきっと鵜久森以前からあったんだろうなぁって思っていたけどまさかリトルが一緒だとは思わなかった。車椅子の松原くんが野球をしている姿が思い浮かばなかったからだと思う。

「野球部の同級生は、だいたい足立ロケッツ出身なんだよ」
「…そうなの?」
「うん、俺が…」
「南朋ー!!」

突然大きな声が一組の教室に響いた。それに続いてバタバタという足音。姿を現したのは、やっぱり梅宮くんだった。突然の乱入者にも関わらず教室に残っていた一組の人たちは「梅!」「梅宮くんだ」と口にする。彼はここでも人気者だ。

「梅宮、伴奏の練習終わった?」
「おぅ」

流石に疲れたぜ、と梅宮くんは流れるように私と松原くんの間に椅子を持ってきてそこに腰を下ろした。

「お前ら真面目だよなァ」
「梅宮も勉強していけば?赤点は駄目だよ」
「わーってるって」

梅宮くんが机に頬杖をついて顔を顰めた。私はふたりの会話を聞きながら、くすり、と笑う。時折こうして三人で時間を共にすることが増えた。松原くんと一緒にいると梅宮君がやってくる。梅宮くんは随分と松原くんのことを気に掛けているようだった。最近気づいたのは、彼が教室にいない時間は、一組を訪れている時だってこと。それは多分車椅子で移動が大変な松原くんへの配慮なんだろう。

ふたりは全然違うタイプなのに、随分と仲が良い。野球部も松原くんと梅宮くんを中心に纏ってるって近藤くんが言ってた。
不思議なふたりだなぁって思う。まるで映画や小説の中に出てくるバディみたいだなって。シャーロックホームズとワトソンとか、ウッディとバスとか、ラッシュアワーとか…あとは、ターナーとフーチとか。最後のは犬が相棒だけど…。
そこまで考えてなんだかひとりでおかしくなって思わずふふっと笑みが漏れた。

「どうしたの?」
「ううん、思い出し笑い」

松原くんが首を傾げて尋ねるから、私はなんでもないよと言うように首を振った。自分でも不思議だけど、ふたりといるとどんどん自分の知らない自分が現れるような気がする。

「よく笑うようになったよなァ」

梅宮くんがしみじみと言うものだから、少し照れた。

「さっきも足立ロケッツの名前で笑ってたんだよ、成宮さん」
「笑いの沸点低すぎだろ!」
「あとは梅宮の弾くピアノが凄く綺麗な音だってさ」

そんな松原くんの言葉に、今度は梅宮くんが照れる番だった。

「別にフツーだろ」
「……そんなことない。綺麗だよ」
「……ありがとな」
「…ううん。……でも、ほんとに意外だったなぁ…どっちかっていうと松原くんがピアノ弾けそうなのに」

こうしてちょっと意地の悪いような本音を曝け出せるほどには、私も梅宮くんと松原くんに心を許していた。それに対してふたりはなにも咎めない。松原くんは「残念ながらピアノは全然弾けないよ」と首を振り、梅宮くんは相変わらず照れているのか少し唇を尖らせて私を見た。それでもなにか文句を言うわけではない。そして徐に、彼の意外にも細く長い指が松原くんを指す。

「南朋の方が意外な特技もってんぞ」
「特技?」
「あれ、特技って言えないだろ」
「特技だろ。俺には無理だな」

ふたりの会話は要領を得ない。

「松原くんの特技ってなに?」

だから思わず聞いていた。
私の問いにふたりは少し顔を見合わせて、それから自然と同じタイミングで口を開く。

「「林檎を素手で潰せる」」

その事実に思わず口をポカンと開けてしまったのは、言うまでもない。