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" この船には居たくないのか? "
" 本当に次の島で降りたいのか? "
" おれたちの船に乗れよ、仲間になろう "
あの日のエースの言葉が頭の中で谺する。
甲板の階段に腰かけて、4番隊の雑用の一環である野菜の皮剥きを黙々とこなす。
エースが2度目の食糧調達から帰って来てから早数日、どこにも所属する気はない代わりに、呼ばれたところには必ず行くと約束をして雑用係争奪戦は小康状態を迎えている。隙あらば自分たちの所属に引き込もうと目を光らせているのは変わりないけど。
「お、いた!」
「……エース…」
「船に乗る気になったか?」
「なーりーまーせーん」
「折れねェやつだなー」
エースは何十回目とも分からぬ質問を私に投げ掛け、私の隣に陣取った。最近顔を合わせた時の第一声は全てこれ。もはや挨拶のようにすら思えてきた。
「次の島、4日後には着くってよ」
「4日後……」
思わず止めかけた手を無理矢理動かす。
あと4日で白ひげ海賊団のみんなともお別れ。見た目こそ厳つい荒くれ者だけど、気心のいい人ばかりだったな。
「……」
「寂しいならこのまま……」
「サッチさーん!皮剥き終わりましたー!!」
エースが全てを言い終わる前に野菜かごを持ち上げてキッチンへ足を向ける。
嫌な逃げ方をしているのは分かっている。でも、そうでもしないと私の心は揺らいでしまう。
私は次の島で船を降りるんだ。
4日なんてあっという間で、エースは毎日私の心変わりを待っていた。
島が見えたぞ!!という誰かの声で久しぶりの上陸に船は沸き立つ。
船長さんには、昨日のうちに船を降りることと短い間だがお世話になったお礼を伝えてきた。一人で対峙するとさすがに緊張したが、船長さんは話を聞き終えると静かにそうか、とだけ言って追及することはなかった。
全てをありのまま受け入れてくれる、どこまでも海のように大きな人だと思った。
「宴まで開いてくれたのに申し訳ないなぁ……」
きっとみんなゴネてくれるから、お別れの挨拶は手紙にした。誰もいない食堂のテーブルに、なるべく簡潔に記した手紙をそっと残す。
元より私の持ち物などない。雑用係のお駄賃としてもらった幾ばくかのお金を携え、陸に高揚するクルーに紛れて一人で船を出た。
はずだった。
「……なんでついてくるの」
「か弱いお嬢さんを見知らぬ土地で一人にすんのも危ないと思いまして」
街をずんずんと歩く私の斜め後ろでエースがニシシ、と笑う。ついてこないでと言ったところで聞くような人ではないことは既に知れている。これから住む場所や仕事を探さないといけないのにやりにくい……。
「はぁ……それならボディガードお願いしま……」
「なァメシ食おうぜメシ!腹減ったー」
通りを漂う食べ物の香りを嗅ぎ付けたエースがマイペースに宣う。私はぴたりと足を止め、不機嫌なオーラを隠さずぐるんと振り返る。
「……もう!私はこれから忙しいの!ご飯なら一人でどーぞ!!」
「なァナマエ?いま島は上陸した白ひげのクルーだらけなんだぜ?そんな中で堂々と島に居着く準備なんかしてたら、お前を引き込みたくて仕方ねェ連中が黙ってないぞ?その辺ちゃァんと考えてんのか?あいつらナマエを縄でくくってでも出航するぜ?」
「うっ………」
「だったらおれと一緒に行動して出航まで他の奴らの目を欺くのが得策かと思うんですが、いかがです?」
エースは海賊らしい悪い顔で口角を上げた。
私より状況を予想して動いてるエースに返す言葉がない。私を船に引き留めたいのか、このまま定住を応援したいのか。エースの意図が分からなくなって、むむ、と思わず唇が尖る。
「す、好きにすれば!あと敬語すっごく似合わない!!」
「ひっでェなァ」
私が怒っても怖くないと言わんばかりにケラケラと笑うエースを恨めしく睨んだ。
「そもそも私、ちゃんと手紙残してきたし……」
「これのことか?」
「あっ!?なんでエースが持ってんの!?」
エースがポケットを探って取り出したそれは、まさしく私が食堂に置いてきたお別れの手紙だった。
奪い返そうとエースの手に飛びつけば、ひょいと腕を上げられ手紙は私の手の届かぬ高さへ。跳ねればその分だけ掲げられる手紙。
「返っ、してっ、よっ!!」
「だめだ。こいつはおれが預かっとく」
「滅茶苦茶だよ!!」
「結構でゴザイマスー」
違和感たっぷりの敬語で私をするりとかわし、エースはレストランを探してすたすたと歩いていく。手紙を質に取られ、私も仕方なくエースの後をついていった。
……意地悪だ、エースはすごく意地悪だ。
事前に航海士さんに聞いた話によればこの島での滞在予定は約1日半。必要物資の補給がメインの寄港なので長居はしないと言っていた。
ご飯を食べ、船への勧誘がやめばエースとはいつもの雑談ばかりになった。物資の準備が整えば当然エースたちは出航する。胸に募る確かな寂しさを悟られないよう他愛もないことを話しながらエースと街を見て回り、日も暮れかけた頃、宿屋に向かった。
「1泊お願いします」
「はい、2名様ですとご料金は……」
「この人は別の部屋で」
「えーなんだよ、冷てェこと言うなよナマエ」
「冷たくもなんともない。男女別室、当たり前でしょ」
「あの、申し訳ございません、本日あとツイン1室しか空いてなくて……」
いかがなさいますか?とフロントの男性は困り眉で私とエースの顔色を伺う。カウンターに肘を乗せて身を乗り出したエースが「じゃあ仕方ねェしその部屋で」とにっかり笑うもんだから契約が成立してしまった。
ちょっと待てと文句を垂れる私をよそにエースはあれよあれよという間に手続きを進め、最後にフロントの男性がごゆっくりお過ごしくださいませという言葉とともに頭を下げた。
エースはちゃりちゃりと手の中で部屋の鍵を弄ぶ。
「野宿とどっちがいい?」
「……サイテー」
「わはは」
ムカついたのでエースの肩掛け鞄をばふっと叩いた。
部屋は眠ることを第一とした簡素な作りだった。エースは鞄をベッドに放って早速くつろぎ始めた。
「この後は酒場にでも行くかなァ。船のやつらもいるだろうし夕飯がてらどうだ?」
「私お酒飲めないしいいよ。さっき買ってきたパン食べるから」
「つか何やってんだナマエ」
「ここから先には入ってこないでくださいライン作ってる」
2台のベッドの中間に椅子をひとつ置く。恋人でもない男女が同じ部屋に泊まるのだ。ラインというには雑すぎるが無いよりはマシだろう。
エースはふーんと一言、ベッドから腰を上げて境界線となる椅子にどかりと座った。言ったそばから境界線を犯すようなことをする……。私の咎めるような視線を察したエースがまだライン越えてないぜ、と屁理屈をこねる。
「入ってこないでくださいラインねェ……」
エースは独りごちるように薄く笑い、その黒い瞳が私をとらえる。私の心を推し量るようにじっと見つめられ、居心地の悪さをやや感じながらも目を逸らせなかった。
エースの目は呼吸をするのも憚られるほどの真剣さを孕んでいた。
「……ま、おれは外で食ってくるからちゃんと戸締まりしとけよな」
テンガロンハットを目深にかぶり直し、エースは部屋を出た。エースの温度が消えた部屋は静けさが満ち、寒々しく感じた。
ふと目に入ったのは、机の上に残された部屋の鍵……持たずに出たらしい。
「……このまま締め出すことも出来ちゃうじゃん」
なんだか力が抜けてため息が出た。
戸締まりしとけというエースの言い付けを守って、シャワーの間だけは施錠することにした。
***
寝支度を整えベッドに入ったが明日からのことを考えていたらまったく寝付けなかった。日付が変わる少し前、エースが帰ってきたのはそんな頃だった。私が寝てると思ったのか、エースは真っ直ぐシャワーに向かった。浴室の扉の向こうから聞こえる水音、人の気配がする空間に情けなくも胸が和らぐのが分かった。
程なくして、石鹸の香りをまとったエースが出てきたのでベッドの中からおかえり、と声を掛ければエースの肩がびくりと揺れる。
「起きてたのか」
「うん、なんだか寝れなくて」
「戸締まりしろって言っただろ」
「鍵持たずに出たくせに、締め出されたかった?」
あー……と歯切れの悪い返事が聞こえてきてつい笑ってしまった。各々のベッドに入り、明かりが落ちた部屋でぽつぽつと喋る。
「明日の昼過ぎにモビーは出航する。ナマエもこいよ」
「……最後まで誘ってくれてありがとう。でも、やっぱり、私ここで降りるよ」
「……どうしてそんなに独りになりたがるんだ」
「……」
その言葉に唇を噛んだ。
声が震えないよう、細く息を吐く。
「――エース言ってたでしょ。白ひげ海賊団は仲間であり"家族"だ、って。お父さんもお母さんもおばあちゃんもみんな居なくなって、独りになった私に、また家族だなんて響き……胸が、苦しい」
胸の前でぎゅうと掛け布団を握る。
潰れそうな感覚から逃れるように寝返りを打ってエースに背を向けた。
「ましてや突然こっちきたんだから突然元の世界に帰ることだって十分にありえるしさ、だから……この温度に慣れてしまうのが怖いんだよ……家族を失うのはもうたくさん……それなら、最初から、独りの方がいい」
ベッドがぎしりと軋む。掛け布団から顔を出して音の方を見上げると怒ったような、かと思えば泣きそうな、複雑な顔をしたエースがいた。
境界線代わりの椅子を躊躇いなくすり抜け、私のすぐそばに、彼は居た。
「独りの方がいいって顔には見えねェな」
親指の腹で私の涙を拭う。
「こんな風に泣くくらいなら、おれたちと一緒にいることを選べよ」
くいのないよう自由に。
エースの真っ直ぐな目が彼の言葉を脳裏に蘇らせる。
「もう一度聞く。
あの船に居たくないのか?
本当にこの島で降りたいのか?
ナマエ、お前はどうしたいんだ?」
どうしたいかなんて、そんなの。
拭われた目元から再び大粒の涙が零れるのが分かった。
「――……みんなと……、一緒に、いたい……っ」
涙も感情も堰を切ったように溢れた。
堪えきれない嗚咽が部屋に響く。エースの手があやすように私の頭を撫でれば、私はいよいよ子供のように泣き出した。
たとえ離れる未来が待っていたとしても、あの温かな輪の中に少しでも長く居たいと願わずにはいられない。
一度その存在を認めてしまえば、尤もらしく並べた理由たちも敵わないほどの純粋で強烈な想いだった。
白ひげ海賊団のみんなと一緒にいたい。
また海に連れていってほしい。
「――明日、一緒にモビーへ帰ろう」
「う、ん……っ」
大きく頷いて、その夜は気が済むまで泣いた。