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 この大きな扉の前に立つのは3度目だ。

 ゆっくり息を吐いて呼吸を整える。ついていこうかというエースの申し出は断った。私のことはちゃんと私の口から話さなければいけない。そこの筋を通せないなら、私はこの船に居る資格がない。
 ノックをして船長室に入ると、一昨日対峙したばかりの船長さんが私を見下ろした。

「ようやく帰ったか」
「……っ、」

 船長さんはそう言ってにぃ、と笑った。船を降りると言った私を迎えるような物言いに私は思わず言葉を詰まらせる。
 泣くな、私はここに自分の言葉で話しにきたのだ。拳を握り、己を奮い立たせて口を開いた。

「船長さん……!すごく、情けないお話なんですが……っ、もう一度私をこの船に乗せてもらえませんか……!?」

 お願いします!!と勢いよく頭を下げ、私はその体勢のまま思いの丈を吐き出した。

「一昨日あんな挨拶をしておきながら、都合のいいことを言っているのは承知の上です!!でも私……っ、皆さんとまだ、旅をしたいと、一緒にいたいと……思ってしまったんです……!!これまで暖かな寝床とご飯をいただいたお礼もっ、この船の役に立てることなら何でもやりますから、だから……っ、」
「――女に頭下げさせる趣味はねェ……顔あげろ、ナマエ」

 恐る恐る顔を上げると、船長さんと再び目が合った。
 琥珀色の瞳が私を捉える。

「おれァもう乗船許可は出したはずだ。どこにケツ据えるかなんざ、てめェで決めることだろうが」
「船長さん……」


「てめェの人生の舵はてめェで取れアホンダラァ」


 その言葉は私のお腹の底に心地よく響いた。

「この広い海でナマエがこの船を帰る場所に選ぶなら、おれたちゃ喜んでナマエを迎えよう。役に立つに越したこたァねェが、んなこたァどうでもいいのさ。――自分の家に帰るのにぐだぐだ理由を並べる奴がどこにいんだ?」

 優しく目を細めて与えられた言葉に視界が滲んだ。
 私が異世界から来たと聞いたときも、確かこの人はどうでもいいと言った。この人は最初から私に付随する情報や能力を度外視して、私という人間を率直に見て、家族として迎えてくれた。
 その器の大きさをまざまざと思い知り、ついに堪えきれずに溢れた涙は私の足元にいくつも染みを作って床板に吸い込まれていった。

「うっ……せんちょ……お、オヤジさんん……ぐず、うぅ…ありがとう……っ、大好きぃ…………!!」
「グララララ、娘にそう言われるのも悪くねェな!」
「ひっぐ、……んん、今日からまたよろしくお願いします!!」

 顔面を涙と鼻水で顔面をべしょべしょに濡らした私に、早く顔洗ってこい、とオヤジさんは一笑した。
 船長室を出てすぐの廊下にいたエースは私に気付くと凭れていた壁から背を離し、ひでェ顔、と笑った。慌てて出来る限りの涙と鼻水を隠し、小走りでエースのもとに向かう。
 この人にもちゃんとお礼を言いたい。

「――色々ありがとう、エース」
「大したことしてねェさ」
「まだあの手紙持ってる?」
「ん?あァ、これか……」

 エースがポケットから昨日私が食堂に残した手紙を取り出す。

「燃やして」
「りょーかい」

 にっと笑ったエースの手の中で手紙は跡形もなく燃え去った。ところでよ、とエースがわくわくした様子で尋ねてくる。

「おれたちのオヤジはどうよ」
「……もう最っ高、惚れるかと思った」
「だよな!」

 二人でくしゃっと顔を綻ばせ、我が父を讃えた。
 天国のお父さんは複雑な心境かもしれないけど、年齢的にはほぼおじいちゃんに近いから許してほしいな。



かくして私には再び"家族"と呼べる存在ができた。
自ら選んだこの道に、いつか後悔する日がくるかもしれない。積み重ねた分だけ別れの時は辛いのかもしれない。
だがそれも愛して拾っていこうと思う。

自由に生きるとは、きっとそういうことなんだろう。



 甲板は陽射しに溢れ、カモメたちがくーくーと上空を旋回する光景は長閑そのものだった。
 甲板では出港に備えて物資を船に積み込むクルーたちが忙しなく働いていた。その中に隊員たちと大量の木箱を船に運んでいるサッチさんを見つけ、サッチさーん!!と手を振ってみる。サッチさんは私の声に顔をあげ、大きく振り返してくれた。

「何か手伝いますよ!」
「重てェ荷物ばっかだから手伝わせてェのはそっちのおにーさんの方だな」
「げ」
「げ、じゃねェよ働けエース」

 ちぇっ、と唇を尖らせ肩をぐるりと回したエースが渋々作業に加わる。隣に立つサッチさんが私を見下ろした。

「だいぶすっきりした顔になったな」
「……はい!」

 にかっと笑ったサッチさんへ私は元気に返事をした。泣き腫らしたと一目で分かる目元だと思うが、昨日より良い顔をしている自負はあった。胸のつかえが取れて吸い込む潮風が新鮮に感じる。
 サッチさんはそれ以上は詮索してこない。きっと私の考えてたことなどお見通しだったんだろう。承知の上でこうして待ってくれていた。
 作業に加わったエースはクルーたちにあれもこれもと運搬を頼まれて動き回っている。それくらい自分で運べ!とどやす声もたまに聞こえるけど。

「この木箱は全部食糧なんですか?」
「あァそうさ!1600人分の胃袋を満たそうと思ったら毎回これくらいになっちまう」
「へぇ……こんなに用意してもエースが食糧調達に出なきゃいけなくなることもあるんですね……」
「こないだのはまたイレギュラーだな」
「……イレギュラー?」

 首を傾げてサッチさんを見上げると、おれたちにはナワバリにしてる島があんだけどよ、と説明しはじめた。ナワバリとはあれだ、オヤジさんの名で守られた島々。エースが話してた。

「こないだ寄ったナワバリの島が近海の海賊にこっぴどく荒らされたらしくって、当分の食糧と医療品を分けてったんだ。その海賊にはおれらできっっっちりお礼させてもらったけどな」
「お、おぉ……」

 なんというか、任侠映画の世界みたいだ。
 任侠、オヤジさんに似合う言葉だなぁ……。器の大きさとそれに見合う強さと人望。オヤジさんには敬服するばかりである。

「うちで自由に船を離れて一人旅できんのは、ストライカーが使えるエースと不死鳥になって飛んで行けるマルコだけだから、それぞれ食糧と医療品のお使いを臨時で頼んだってわけよ」
「なるほど……」
「ま、エースがこんな可愛い子連れて帰ってくるとは思わなかったけどな!」
「サッチ!お前ちゃっかりサボってんじゃねーぞ!!」
「うわバレた」

 ご立腹で木箱を燃やさんとするエースに悪ィ悪ィ、と気だるい足取りでサッチさんも作業に戻った。
 力仕事では私が役に立てることはなさそうなので、他所を当たろうかと思案した時、ナマエちゃん!!と呼ばれた。

「好きな飯なにー!?」
「え……っと、オムライス!!」

 わかったー!!とサッチさんが両腕で大きく丸を作る。
 年相応かそれ以上の観察眼や懐の広さを見せたかと思えば、少年のように無邪気に笑ったりする。歳の離れた兄がいたらこんな感じなのかもしれない。

「ねェナマエ。いま手空いてるかしら?」
「あ、クロエさん!空いてます、何かやることありますか?」
「医療品リストのチェックをしてほしいの。お願いできるかしら」
「もちろん!」

 ありがとう、と綺麗に微笑んだナースのクロエさんに後ろにくっついて私は船内へ引き返した。ぺらりと渡されたリストに歩きながら目を通す。雑用中に聞いた薬品がいくつかと聞いたことのないものがたくさん。まだまだ覚えることは多いようだ。

「ここに残ることに決めたのね」
「え?」
「憑き物が落ちたような顔してるもの」

 クロエさんにもバレていた。そんなに酷い顔をしていたんだなと今さら自覚して苦笑が漏れる。またよろしくお願いします、と私は言葉を添えた。

「自分としてはさらっと去ろうと思ってたんですが……駄目でした」
「エース隊長が毎日アタックしてたもんね」
「……はい」

 飽きもせず、めげもせず、懲りもせず。エースは毎日私のもとへ来てくれた。思い出されるそのしつこさに私の目は自然に細くなる。

「実はね、私たちもナマエにこの船に残ってって言おうとしたことがあったのよ」
「私たち……って、医療班の皆さんですか?」

 クロエさんは首を横に振って、皆よ、と答えた。

「マルコ隊長やサッチ隊長もだけど、とにかくみーんな」
「え……でも誰も……」
「そんなこと言ってこなかった、でしょ?あれね、エース隊長が止めてたのよ。おれがナマエに話すからって聞かなくて」

 独占欲が強くて参っちゃうわ、とクロエさんは肩を竦めて笑った。初めて聞く話に私はいまいち要領を掴めず、ぱちぱちと瞬きを繰り返す。

「ナマエを一番気に入ってるのはエース隊長よ」
「それは、エースが私のこと恩人とか大袈裟に思ってるからで……」
「ふふ、それだけかしら〜?」
「ほ、他になにかあります……?」

 含みのある笑みを浮かべて私を振り返り、クロエさんはほーんと可愛いわねと楽しそうだ。
 そんなことを話している内に医務室の扉が見えてきた。

「あのね、エース隊長はナマエが可愛いから構いたくて仕方ないのよ」
「……へ?」

 クロエさんは茶目っ気たっぷりでウィンクをとばし、さっさと医務室の扉を開けて中へ入ってしまった。
 私はからかわれてるのか……?
 リストを握って廊下で固まってると、中から早くーとクロエさんの声がした。我に返って医務室に入ると、そこには買い込んだ医療品の山。

「さ!出港までにリストと照らし合わせてどんどん仕舞っていくわよ!」
「は、はい!!」

 クロエさんの凛々しい号令で既に作業を始めていたナースに混じれば、さっきのクロエさんの発言を考える暇もなくなった。