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「野郎共!!本日は終日快晴の予定につき、一斉洗濯を行う!!さっさと起きろォーー!!!!」


 今日の洗濯係は15番隊だっただろうか……朝イチでフォッサのむさ苦しい声が船内放送用の電伝虫を通して谺した。
 丸窓から差し込む光が薄く開いた瞳に容赦なく突き刺さる。快晴だかなんだか知らねェがおれはまだ眠い。布団をかぶり直し、再び微睡みの中に落ちようとしたその時。バタンと容赦なく扉が開け放たれた。

「はいおはよー起きてー。シーツ洗うよー」
「おはよう…………ん……!!?なっ……ナマエ……!?」

 ずかずかと躊躇なく入り込んできたのはナマエだった。驚くおれをよそにぺいっと布団を剥ぎ取る。辛うじておれの口から零れたなんで、という言葉を聞いてナマエはあっけらかんと答えた。

「今日は15番隊の雑用係なの。だから朝寝坊してるクルーの部屋へ強制的にシーツの回収に伺ってるとこ」

 ほら、と指差した廊下には既に何枚かシーツが丸めて放り出されていた。
 規則正しいという言葉からは程遠い、自由なタイムスケジュールで各々が暮らす海賊船では、朝寝坊と言われても今が何時かピンとこない。自分の隊に掃除や洗濯の当番が回ってくれば別だが、朝は腹が減って目が覚めるまで好きなだけ寝るのがおれのスタイルだ。
 まだ上手く回っていない頭をぐしゃぐしゃと掻きながら、ナマエに追い出されるがままベッドから降りる。

「寝足りなければハンモックか甲板でってフォッサさん言ってたよ」
「おー……」
「別の洗濯物があれば一緒に持っていくけど」

 ナマエはそう声を掛けながら手際よくシーツを回収する。ぱたぱたと動き回るナマエを見て、じんわりと彼女がこの船に乗ると決めてくれたことを実感する。
 昨日からモビーディック号は次の島へ向けて青海を進んでいた。出航の時、清々しい顔で船に乗っているナマエの姿を見た連中にでかした!!と散々肩を叩かれたことを思い出す。みんなナマエのこと好きだよな。
 腕一杯にシーツを抱えて次の部屋へ向かおうとするナマエを微笑ましく見送りかけて、はっとする。

「まっ、待て!!!」
「なに?洗濯物まだある?」
「ちげェ!……お前、一人で部屋回ってんのか?」
「え、うん……」

 それが?とでも言う目で訝しげにおれを見つめるナマエ。
 まじかよ……頭がいてェ……。

「寝ぼけた野郎の部屋に女1人で入んな!」
「ちゃんとノックしてるもん」
「おれん時、してなかっただろ」
「したよ、寝坊助」

 ナマエはむっと唇を突き出し不満を表明する。
 こいつは他意なくこういう仕草をしているんだろうが、サッチに言わせりゃおそらくこれは"男心をくすぐる可愛い仕草"ってやつだ。おれの心もよくわかんねェところがくすぐったい。
 雑念を振り払うようにわざとらしくため息をついて、あのなァ、と小言を続ける。

「パンツ一丁で寝てるような奴もいるんだぞ?」
「いや、出会ったその日から上裸のエースに言われても……」
「…………ごほん、あー、あとあれだ、部屋が汚ェ奴もいるし」
「人の部屋の整理整頓にケチつける気ないよ」
「……おれもこんなこたァ考えたくねェが、寝ぼけてベッドに引きずり込まれたらどうすんだ?」
「大きい声で叫ぶ」

 今度は自然とため息が漏れた。

 なんて危機感のないお嬢さんだこと。
 野郎の部屋の汚さがただ整理整頓されてないだけだと思ってやがる。長い船旅、溜まるもんをどこで抜くかなんて、広そうで狭い船内、案外限られてるもんだ。その為のオカズだとか処理済みのナニカとか、そういう生々しいところまで考え及んではいないらしい。
 挙げ句、襲われそうになったら声をあげればどうにかなると?

 安直な発想に少しだけ腹が立った。
 無言でナマエの腕をつかみ、そのままシーツを剥がれて露になったベッドマットへ引き倒す。あっさりベッドマットに沈んだナマエはおれに組み敷かれて呆然とおれを眺めている。

「な、に……」
「引きずり込まれたぞ」
「へ、」
「なんだっけ?でかい声を出すんだっけ?」
「エー……っ、」

 片手でナマエの片腕をベッドへ縫い付け、空いてる方の手でナマエの口を塞ぐと、誰の耳にも届かないであろうくぐもった声しか聞こえなくなった。あえて拘束しなかったナマエの腕がおれの肩や胸を押し返したり、口を塞ぐ手をどけようとしたり奮闘していたが、結果は目に見えていた。
 おれが相手だからまだ声を出す気になれたんだろうが、きっとこれが他の男なら声も出せないくらいビビってしまうんだろう。

「――分かったか?」
「〜っはぁ……!!」

 すっとナマエから身体を離し、ベッドから離れた机に寄りかかる。ナマエは身体を起こして肩で息をしながらおれをじっと見つめている。
 怖がらせすぎただろうか。でもこれから男所帯の船で暮らすのだ。少しくらい自分の無防備さを自覚してもらわないと困る。

「洗濯物の回収、おれも手伝う。次の部屋行くぞ」
「え……あ、うん……」

 ナマエが落としたシーツを拾い上げ、余った手はポケットに突っ込む。おれが部屋を出ていこうとするとナマエも慌てて追いかけてきた。



「お、いつから15番隊になったんだ?」
「おはよう、ただの雑用だ」

「えっ!?隊長!?今日、2番隊も洗濯係でしたっけ!?」
「個人的な手伝いだから安心しろ、おはよう」

「おいおい、そんなにナマエちゃんといつでも一緒がいいのかよエースゥ!!」
「……」
「ちょっ、シーツ燃やさないでったら!!」
「けっ、オハヨ」


 行く先々で余計な一言を言われたが、なんとか洗濯物は回収した。山盛りになった洗濯物かごを甲板に運んで軽く手をはたく。水を張ったたらいを囲む15番隊の面子も見えるし、おれの手伝いはもういいだろう。腹の虫が限界だと哀しく鳴いている。

「あー腹減った、おれメシ食ってくる」
「あっ……エース!待って!」

 そう言って、ポケットに両手を突っ込んでナマエへ背を向けるとナマエが慌てた様子でおれを呼び止めた。
 おれの顔をぐっと見たあと、視線をおれの腰辺りに落とす。そしてポケットに納まっていたおれの両手を引っ張り出し、おれよりもずっと華奢な手でぎゅっと握った。

「エースの手、別に怖くないから……仕舞わなくていいよ」
「――……」
「手伝ってくれてありがとう!助かった!」

 ぱっと手を離し、回収終わりましたー!とナマエは雑用へ戻っていった。ナマエの温もりに包まれていた両手を見つめてみる。
 怖くない。ナマエがそう言ったおれの両手はやはり武骨だ。握ったり開いたりしてその感触を確かめる。
 ナマエは柔らかくて細くて小さかったな。
 …………。

「め、メシ食おう」

 三大欲求のひとつを満たすべく、おれは食堂へ向かった。


***


 4番隊の飯をたらふく食って腹の虫とは和解した。
 クルーたちと雑談をしたのち甲板に出れば、そこはシーツがずらりと干された壮観な景色に変わっていた。青い空を背景に風が吹く度に白い波のようにうねるシーツ。夕方には潮と太陽の香りをふんだんに孕んだ海上洗濯独特の衣類たちになる。おれはそれが結構好きだったりする。
 いつ見ても気持ちがすっと晴れるようなシーツの群れを散歩がてら掻き分け進む。まだ乾ききっていないひんやりと湿ったシーツを暖簾のように腕で押してくぐると、甲板の端でまだ干す作業をしているナマエを見つけた。
 15番隊向けにピンと高く張られたロープにいちいち踏み台を昇降しながらせっせとシーツを引っかけては広げている小さな背中。
 ナマエ、と声を掛けたがバタバタとはためくシーツの音に掻き消されたのか、おれの声は届いてないようだ。そのまま近付いてみると、ナマエは物思いに耽るようなぼんやりとした目をしていた。

「干すのはおれがやる」
「わっ!?エース……もう、びっくりした……いいの?今朝も手伝ってもらったのに」
「お前ちっせェから干すの大変だろ?」
「……そーです、ワタクシちっせェから干すの大変なんデス」
「くく、怒んなよ」

 謎のカタコトでじとりと睨みながらおれにシーツを大人しく渡し、ナマエは踏み台をひょいと降りた。ほぼ揃っていた目線の高さがまた頭ひとつ分ほどズレる。

「なんか考え事か?」
「んー……」
「あ、言いたくねェなら別に……」
「うちのシーツもそろそろ干さなきゃなーって」
「は?」
「久しぶりに料理以外の家事らしい家事やったら思い出しちゃった」

 元の世界のこと。ナマエはおれを見上げ、困ったように眉を下げて笑った。それから指折りなにかを数えだす。

「えーと、こっちに来て2週間くらい、かな?……夢から覚めるみたいに朝起きたら戻ってたりするかもって思ってたけど、そうはならないみたいだね」
「……そういや、ナマエはどうやってこっちに来たんだ?」
「うーん……バイト帰りに階段踏み外したと思ったら、なんか……海だった……」
「こりゃまた唐突だな」

 ほんとだよね、とまるで他人事みたいに言う。ナマエから次のシーツを受け取り、ばさりと広げた。

「どっかから勢いよく落ちたらはずみで戻れるかな……」
「……危ねェからやめとけ」
「だよねぇ。あーーバイト、無断で休んでることになるからクビになってるかも……そもそも学校はどうなるんだろうなー……」

 天を仰いでナマエはぽつぽつと心配事を吐き出す。口調は重くないが視線はやはりここではない場所に想いを馳せてぼんやりしていた。
 バイトとか学校とか、おれには馴染みのない単語ばかりだがおそらくそれらはナマエの"元の世界の"日常だ。
 おれが知らない、いつかナマエが帰っていく世界の。

 ……ふと思い出す。

「……ずっと気になってたことがあんだけどよ」
「ん?なに?」
「…………ビームって本当にあんの?」

 宴の日、聞きそびれた質問を真面目にすれば、ナマエは一拍置いて盛大に噴き出した。何度も笑いを納めようとするものの納まるどころか反動でよりツボにハマっていく。ナマエがあまりに笑うから、なんだか逆におれの方が恥ずかしい。

「そ、そんな笑うことねーだろ!おれだってナマエの世界の面白話聞きてェと思ってたんだ!」
「あはは、わかっ……わかった、うん……ふふっ、話す、話すから……あははは、だめ笑う、とまんない!あはは!」
「だっておめェ、いっつもどっかの雑用行っちまってゆっくり話す機会もねェし……!!」

 そうだ、思えばナマエは日中は船内を忙しなく動き回っていて、夜は男子禁制の女部屋に戻ってしまう。メシのときだってなんだかんだ4番隊の雑用で給仕をやって、食べるタイミングがズレるのだ。
 つーか、これは単純にナマエを働かせすぎなんじゃないのか?

「うんうん、じゃあ今日にしよう、今日はゆっくりエースとお話しよう」
「…………お前もう今日は雑用係ばっくれちまえよ」
「今日は一日15番隊の洗濯係だから、洗濯物干し終わったら乾くまで好きなことしてて良いって」
「うっし、さっさと終わらすぞ」

 ナマエの腕から残りのシーツを奪って黙々と仕事を片付けた。
 空になった洗濯物かごとともに船縁に背を預けて並んで座る。一面に並んだシーツが柔らかな壁となり、おれたちがいる甲板の一角だけが隔離されたように感じた。

 今日は新たな雑用を頼もうとしてくる奴はおれが断ってやる。ナマエがゴネてもこれは隊長命令だ。
 職権濫用上等、おれは心にそう決めた。