14
エースは原因不明の異様な苛立ちに苛まれていた。
彼はマルコに言い渡された仕事を終わらせて食堂へ向かって歩いている最中なのだが、その歩き方だけで不機嫌が分かる。
この苛立ちの原因は空腹か、慣れない書類仕事か、いやどちらもか。もはやムカムカすることにムカムカする、という救いようのないループに片足を突っ込みつつあった。
触らぬ神に祟りなし。どうりで誰一人として彼に「お、今からメシ?」「一緒にくおーぜ」「エースおつかれ」と声をかけないわけである。
そうして黒いオーラを纏いながらたどりついた食堂。
「サッチ! 肉大盛りで!!」
「はーい」
「ん……!?」
エースは食堂の扉を開けるとともに厨房に昼食のリクエストを言いつけた。が、返ってきた声は、野郎の声とは似ても似つかない高くて柔らかい声だった。
料理を受け取るカウンターから厨房を覗くと、先ほどサッチに連れていかれたナマエが皿に肉を盛っているところだった。律儀にも彼のシャツを着たまま。捲り上げてやった袖は少しずり落ちていた。
「スープいる?」
「お、おう」
ナマエが慣れた手つきでスープやサラダ、パンなどを用意する様子をぼーっと目で追う。ありがたいことに量はエースに合わせて全部山盛りだ。
改めて見渡せば食堂は人も疎ら。厨房には後片付け要員の4番隊が数名、奥でチャカチャカ皿を洗っているくらいであった。
エースは「へー……」とにわかに胸がそわそわと浮き立つ。
「ナマエ、メシはもう食ったのか?」
「ううん、これから食べるところ。一緒に食べていい?」
「! もちろんだ!!」
期待通りの展開にエースは自覚できるほど自分の機嫌がころりと良くなるのが分かった。
適当な席に料理を運んでナマエを待つ。これが他のクルーなら先に食べ始めているところだが今日は待つ。いただきますを一緒にしたい。
エプロンを外して仕事を上がったナマエは、オムライスが乗った皿を手にエースの向かいの席に着く。
「ふふん。サッチさんが作ってくれたの。いいでしょ」
「それだけで足りるのか?」
「エースが食べ過ぎなんだよ」
「そうか……? まァいいや」
いただきます、と二人で手を合わせた。
エースは早速大きな口で一口。酷使した脳みそに肉のうまさが染み渡る。エースは両目をきゅー…っと閉じて珍しく食事のありがたみを噛み締めた。いつもはあっという間に食べてしまうくせに、今日ばかりはゆっくりだった。すぐに食べ終えてしまってはつまらない気がするから。
とはいえ、彼の一口は相変わらずドット画のパックマンのように快活に巨大で、ナマエから見ればじゅうぶん早いペースだった。医務室でのしかめ面が嘘のようにエースが幸せそうに食べているので、「よかったね」という気持ちで彼女もニコニコもぐもぐオムライスを食べた。
ナマエが思い出したように、そうだ、と食べる手を止めた。
「ねぇねぇ、エースって弟か妹いる?」
「あァいるぞ、弟がな」
「やっぱり! なんか面倒見いいなーと思ってたんだよねぇ」
「ルフィってんだ。サルみてェにうるせェやつだが悪いやつじゃねェ。血は繋がってねェが、おれの大事な弟だ」
「ルフィ君いくつ?」
「おれの3つ下だから17だな」
「17? じゃあ私のひとつ上だ」
そう笑うナマエの顔をへェ……と頬杖をついてまじまじと眺め、「なんかルフィと似てる気がすんなァ」とエースは胸の内でひとつ思う。
弱いくせに無茶するところ。目を離すとすぐにどっか行ってしまうところ。屈託なく笑顔を向けてくれるところ。……
そりゃルフィに比べればナマエの方が何十倍もしっかりしてるけれど、似てると言えば似てる気がしてきた。
一緒にコルボ山を駆け回り、海岸で船出を見送ってくれた弟の姿が瞼の裏に浮かび、エースはふっと笑みをこぼした。
「お前16だったんだな」
「そうだよ。ということはエースさんは20歳? 本当にタメ口でいいんですか?」
「よせよ今さら! むず痒いったらねェ」
「あはは。私ももう慣れないからやだ」
ナマエのそのいたずらっぽい笑顔を見て、エースは「ははん」と確信めいて思う。
なにかとナマエのことが気になるのは、彼女が弟と似てるからだ。分かってしまえばなんてことはない、単純な話だったわけだ。なるほど。なるほどね。
そうすっきりと結論付けようとした時、航海士チームのクルーがもじもじとナマエに声をかけた。
「あ。あのさ、ナマエ、海図の読み方覚えたいって言ってただろ? 午後、おれ時間あるし、その、教えようか?」
「え? いいんですか?」
「! うん……」
ぽりぽりと頬を掻いて頷いたクルーの顔にはでかでかと“下心”と書かれていた。ナマエはそれに一切気づかず、「やったー」「助かります」「マルコさんからの仕事が終わってからでも良いですか」と呑気にぽやぽや喋っている。
その光景を前に、エースはパチパチ瞬き……ほとんど止まりそうな緩慢な動きで咀嚼する。
いつもあちこちに呼ばれて忙しい彼女をようやく捕まえたところだというのに。またこいつはどこかに行く気か。……そもそも、おれとメシ食ってるとこだぜ。
「ナマエ。おれもナマエに用事があったんだ。ひとつ頼まれちゃくれねェか?」
「え? 珍しいね、いいけど……」
「そういうわけだ。悪ィが、海図のお勉強会はまた今度にしてくれる?」
エースはニコーッと努めて愛想よく、やさしく声をかけた。それは腹の底で怒っている人間しかやらない類の、完璧すぎる姿だった。言外に、断ったらどうなってもしらねェぞと言っているようなものである。
航海士のクルーはこの無言の圧にあっさり屈し、引き攣った顔でガクガク頷いて逃げていった。
不思議そうにその背中を見送るナマエにバレないようエースはふんと鼻を鳴らす。根性のねェ野郎だな、と。
「それでエースの用事って?」
「……あー」
あんなのは出任せだ。用事らしい用事なんて特に…………あ、思い付いた。
「おれとゆっくりメシ食え」
「え」
「そんだけ」
にっと笑うとナマエはあからさまに不服の表情を浮かべた。そんなの仕事じゃない、と言いたげだったし、実際に言う直前であった。
エースは食べかけのパンを一口かじり、言われる前にさらに言い募る。
「ンな顔すんなって、いいだろ? 独りで食うのもなかなか寂しいもんだしよ」
「そりゃそうかもしれないけど……」
「そう深く考えんなよ。な、ナマエ?」
「お前はもっと頭使えよい」
「いでっ!!」
突然脳天に落とされた衝撃に、エースは不機嫌に振り返った。そこには額に青筋を立てて彼よりも不機嫌そうなマルコがいた。その拳はいまだ覇気を纏っており、いつでも二発目を放てる状態であった。
エースは頭をさすりながら厚切りの肉を口へ放り込み、「なんだ?」と首をかしげる。マルコにこめかみに青筋をもう一本増やして彼に睨みつけた。
「エース! 報告書やり直しだよい!!」
「えーーー!! なんでだよ! あれでも一生懸命書いたんだぞ!?」
「駄目なもんは駄目だよい!! ナマエ、悪ィがこのバカの手伝い頼むぞ!」
「ふふふ。はーい」
ナマエは可笑しそうに笑って、オムライスをぱくりと頬張る。
「本当に用事ができたねエース」
「いやーまったくの予想外だ」
「はー……予想通りの出来栄えでおれはがっかりだったよい……」
「マルコさんもお疲れさまです。ご飯盛りましょうか?」
「いや、自分でやるからいいよい……」
「そうですか……」
「医務室、そのまま開けてある。おれは自分の部屋にいるから終わったら持ってこいよい」
「……」
「お前に言ってんだエース。いいな?」
「わーったよ……」
マルコはタールのようにドス黒い睨みを利かせた。こりゃばっくれられそうにない。参ったなァ……とスープをすすり、エースは大人しく頷いておく。
マルコは額に手を当てて首を振り、大きなため息とともにのろのろと厨房へ。そして、彼はパンを2、3個とコーヒーだけ携えて食堂を後にした。
「なんか悪いな、ゆっくりさせようと思ったのに」
「いいよ、エースの話面白いから。私も午後からマルコさんのとこの書類整理再開する予定だったし、一緒に片付けるよ」
嫌な顔ひとつ見せず、ナマエはオムライスへ戻った。
スープに入っていた肉団子を咀嚼ながら、エースの脳裏には先ほど結論に至りかけた疑問が沸々と蘇ってきていた。
どこか弟に似てるナマエが気になるのは“庇護欲”、というやつなんだろうか。ということはナマエは妹のようなものか? そんなもの、居たことがないのでよく分からない。でも居たらこんな感じなのかもしれない。四六時中目を光らせて世話を焼いてやらなきゃいけない相手だとは思わないが、頭の片隅では確かにアンテナを張っている。どこにいるんだろうとか、何してんだろうとか、顔が見てェなとか、思い浮かぶのはどうでもいいことばかりだ。あれ、ルフィにこんなこと思ったっけ? 妹っつーのはやっぱり弟とは違うもんなのか? いやいや、待てよ、そもそもナマエは恩人だったはず。受けた恩は返す、仁義というやつだ。だからナマエに迷惑をかけるやつは許さねェし変なちょっかいを出すやつがいたら燃やしてやると約束した。どうやらナマエは男に対する免疫や危機感がないようで危なっかしいったらない。おれが押し倒した日だってあの有り様だし、少しくらいおれが気にしてやんねーとナマエみたいなぽやぽやしたお人好しはあっという間に食われちまう。ナマエはお人好しだから何でもかんでもイエスと言ってしまう。自分のことは二の次にして、言われた仕事は全部引き受けちまうし、周りもあわよくば引き込もうとうちのうちのと所属を主張したがってナマエもそれについて笑うだけで何も言わない。その点もおれが見てないと危なっかしいところだ。おれのシャツを無理に着せたままにサッチのところに送り出したのも、ナマエのバックにはおれがついてんだぞって分からせるためというか……こいつ、おれのシャツを着てると体の小ささがいやに際立つ。ぶかぶか。ナースたちみたいな所謂メリハリのついた体じゃねェけど、シャツから見える細い腕や首筋は確かに女のそれだよなァ……頭撫でられたのはさすがにびっくりしたが、悪い気はしなかった…………なに考えてんだおれは。あーーもうわけわかんねェ、一旦整理しよう。ナマエは恩人で、ルフィと似た妹のような存在かもしれなくて、だからおれがナマエを気にかけるのはそういう“庇護欲”ってやつで、変な男が寄ってこないようにすんのもそのひとつで、それで、ええと、
……えーと?
「エース?」
「うぉァ!!??」
突然エースの視界にヒラヒラと白い手が揺れた。驚いて椅子からひっくり返りかけ、その拍子に肉団子の欠片が気管に入って彼は派手にむせた。
「うわ、なに大丈夫!?」
「ゲホッ、なんっ……!? …びっくりした……ゲホッ」
「急に黙りこんで返事しなくなったから……」
「あ……あァ、なんでもねェ」
水で流し込み、なんとか事なきを得る。ナマエが心配そうにこちらを覗き込むのでエースは適当に誤魔化した。
気付けば彼女の皿はすでに空になっている。思いの外、長いことぼーっとしていたらしい。
エースは頭を掻いて、先ほどの醜態を誤魔化すように残った肉を一気に頬張る。次の皿に手を伸ばそうと顔をあげると、いまだに訝しげに見つめるナマエとパチ! と目が合った。そして、ジ…と黙って思わず見つめて……エースはゆっくりとわずかに首を傾ける。
庇護欲……、なのか?
…………。
なぜだかエースに釣られてナマエも少し首をかしげた。若い男女が見つめ合ってときめきもせずにただ首をかしげあっている光景は、なんともマヌケだった。
先に正気に戻ったのはエースの方だった。考え込んでも分からないことをだらだら考えるのはやめだ。さっさとメシ食って、午後はナマエと報告書を片付ける。彼はそう頭を切り替えて残った料理をぺろりと平らげた。