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なんでこんなにムカムカするんだ。

 マルコに言い渡された報告書をやっつけ仕事で片付け、おれはいつもより遅い時間に食堂へ向かっていた。
 腹が減った。頭ん中で思考がまとまらずもやもやしてんのも慣れない書類仕事のせいだ。きっとそうに違いねェ。

「サッチ!肉大盛りで!!」
「はーい」

 食堂の扉を開けるとともに厨房に言いつけた言葉には野郎の声とは似ても似つかない高くて柔らかい声が返ってきた。
 料理を受け取るカウンターから厨房を覗くと、先ほどサッチに連れていかれたナマエが皿に肉を盛っているところだった。律儀にもおれのシャツを着たまま。

「スープいる?」
「お、おう」

 ナマエが慣れた手つきでスープやサラダ、パンなどを用意する様子をぼーっと目で追う。ありがたいことに量はおれに合わせて全部山盛りだ。
 改めて見渡せば食堂は人も疎ら、厨房にはコックを兼ねる4番隊のやつらは既に引き上げてナマエ一人だった。
 胸がそわっと疼く。

「ナマエ、メシはもう食ったのか?」
「ううん、これから食べるところ。一緒に食べていい?」
「! もちろんだ!!」

 期待通りの展開に自分の機嫌がころりと良くなるのが分かった。
 適当な席に料理を運んでナマエを待つ。これが他のやつなら先に食べ始めてるところだが今日は待つ。いただきますを一緒にしたい。
 エプロンを外したナマエの手にはオムライスが乗っかった皿があった。サッチが自分用に作っておいてくれたものだと顔を綻ばせつつナマエはおれの向かいの席に着く。

「それだけで足りるのか?」
「エースが食べ過ぎなんだよ?」
「そうか……?まァいいや」

 いただきます、と二人で手を合わせた。
 頭を使うと腹が減る。今日はメシの美味さが格別だ。目の前のナマエも美味そうにオムライスを食べていて、それも美味さが引き立つ一因だった。
 ナマエが思い出したように、そうだ、と食べる手を止めた。

「ねぇねぇ、エースって弟か妹いる?」
「あァいるぞ、弟がな」
「やっぱり!なんか面倒見いいなーと思ってたんだよねぇ」
「ルフィってんだ。まァーサルみてェにうるせェやつだが悪いやつじゃねェ。血は繋がってねェがおれの大事な弟だ」
「ルフィ君いくつ?」
「おれの3つ下だから17だな」
「17? じゃあ私のひとつ上だ」

 そう笑うナマエの顔をへェ……と頬杖をついてまじまじと眺めてみる。

「なんかルフィと似てる気がすんなァ」

弱いくせに無茶するところ。
目を離すとすぐにどっか行っちまうところ。
屈託なくおれに笑顔を向けてくれるところ。

 そりゃルフィに比べればナマエの方が何十倍もしっかりしてるけど、似てると言えば似てる気がしてきた。
 一緒にコルボ山を駆け回り、海岸で船出を見送ってくれた弟の姿が瞼の裏に浮かび、ふっと口許に笑みが漏れた。

「お前16だったんだな」
「そうだよ。ということはエースさんは20歳?本当にタメ口でいいんですか?」
「今さらむず痒いからやめろ」

 私ももう慣れないからやだ、とナマエはいたずらっぽく笑った。
 なにかとナマエのことが気になるのは、こいつがルフィと似てるからだ。すっきりとそう結論付けようとした時、航海士チームのクルーがもじもじとナマエに声をかけた。

「あのさ、ナマエ、海図の読み方覚えたいって言ってただろ?午後、おれ時間あるし、その、教えようか?」
「え?いいんですか?」

 ぽりぽりと頬を掻いて宣うそいつの顔にはでかでかと"下心"と書かれていた。それに気付いてない様子のナマエは呑気にやったーだの、マルコさんからの仕事が終わってからでも良いですかだのと抜かしている。


どこかにいったはずのムカムカがぶり返してきた。
どうにもこうにも面白くねェ。


「ナマエ、おれもナマエに用事があったんだ。ひとつ頼まれちゃくれねェか?」
「え?珍しいね、いいけど……」
「そういうわけだ。悪ィが、おにーさんのお勉強会はまた今度にしてくれる?」

 ムカムカを笑顔の面の下に隠し、努めて愛想よくにこりと航海士のクルーを見上げると、もももちろんですよエース隊長、と顔を引きつらせて逃げていった。不思議そうにそいつを見送るナマエにバレないようおれはふんと鼻を鳴らす。根性のねェ野郎だな。

「それでエースの用事って?」
「……あー」

 あんなの出任せだ。用事らしい用事なんて特に…………あ、思い付いた。

「おれとゆっくりメシ食え」
「え」
「そんだけ」

 にっと笑うとナマエはあからさまに不服の表情を浮かべた。そんなの仕事じゃない、と。
 おれは食べかけのパンを一口もしゃりとかじる。

「ンな顔すんなって、いいだろ?独りで食うのもなかなか寂しいもんだしよ」
「そりゃそうかもしれないけど……」
「そう深く考えんなって。な、ナマエ?」
「お前はもっと頭使えよい」
「いでっ!!」

 突然脳天に落とされた衝撃。不機嫌に振り返れば額に青筋を立てておれよりも不機嫌そうなマルコがいた。今日はやたらとマルコに殴られる日だな。こんなことで覇気を無駄遣いすんなっつーの……。
 頭をさすりながら厚切りの肉を口へ放り込み、なんだ?と首をかしげると、マルコはびしりとおれに言い放った。

「エース!報告書やり直しだよい!!」
「えーーー!!!なんでだよ!あれでも一生懸命書いたんだぞ!?」
「駄目なもんは駄目だよい!!ナマエ、悪ィが手伝ってやってくれ」
「ふひひ、良いですよ」

 ナマエは可笑しそうに笑って、オムライスをぱくりと頬張る。

「本当に用事ができたねエース」
「いやーまったくの予想外だ」
「予想通りの出来栄えでおれはがっかりだったよい……」
「マルコさんもお疲れさまです。ご飯盛りましょうか?」
「いや、自分でやるからいいよい……」

 マルコは額に手を当てて首を振り、大きなため息とともに厨房側へのろのろと歩き出した。

「医務室、そのまま開けてある。おれは自分の部屋にいるから終わったら持ってこいよい」

 いいな?、と最後に睨みを利かせた。こりゃばっくれられそうにない。参ったなァ……とスープをすすり、大人しく頷いておく。
 結局マルコはパンを2、3個とコーヒーだけ携えて食堂を後にした。

「なんか悪いな、ゆっくりさせようと思ったのに」
「いいよ、エースの話面白いから。私も午後からマルコさんのとこの書類整理再開する予定だったし、一緒に片付けるよ」

 スープに入っていた肉団子を咀嚼ながら、先ほど結論に至りかけた疑問が沸々と脳裏に蘇ってくる。


 どこか弟に似てるナマエが気になるのは"庇護欲"、というやつなんだろうか。ということはナマエは妹のようなものか?そんなの居たことがないのでよく分からない。でも居たらこんな感じなのかもしれない。四六時中目を光らせて世話を焼いてやらなきゃいけない相手だとは思わないが、頭の片隅では確かにアンテナを張っている。どこにいるんだろうとか、何してんだろうとか、顔が見てェなとか、思い浮かぶのはどうでもいいことばかりだ。あれ、ルフィにこんなこと思ったっけ?妹っつーのはやっぱり弟とは違うもんなのか?いやいや、待てよ、そもそもナマエは恩人だったはず。受けた恩は返す、仁義というやつだ。だからナマエに迷惑をかけるやつは許さねェし変なちょっかいを出すやつがいたら燃やしてやると約束した。どうやらナマエは男に対する免疫や危機感がないようで危なっかしいったらない。おれが押し倒した日だってあの有り様だし、少しくらいおれが気にしてやんねーとナマエみたいなぽやぽやしたお人好しはあっという間に食われちまう。ナマエのお人好しは何でもかんでもイエスと言ってしまうところにもある。自分のことは二の次にして、言われた仕事は全部引き受けちまうし、周りもあわよくば引き込もうとうちのうちのと所属を主張したがってナマエもそれについて笑うだけで何も言わない。その点もおれが見てないと危なっかしいところだ。おれのシャツを無理に着せたままにサッチのところに送り出したのも、ナマエのバックにはおれがついてんだぞって分からせるためというか……ていうか、おれのシャツを着てるとナマエの身体が小さいっつーのが際立つ。ぶかぶか。ナースたちみたいな所謂メリハリのついた身体じゃねェけど、シャツから覗く細い腕や首筋は確かに女のそれだよなァ……頭撫でられたのはさすがにびっくりしたが、悪い気はしなかった…………なに考えてんだおれは。あーーもうわけわかんねェ、一旦整理しよう。ナマエは恩人で、ルフィと似た妹のような存在かもしれなくて、だからおれがナマエを気にかけるのはそういう"庇護欲"ってやつで、変な男が寄ってこないようにすんのもそのひとつで、それで、ええと、

……えーと?


「エース?」
「うぉァ!!??」

 急に視界に割り込んできたナマエに驚いてベンチからひっくり返りかける。その拍子に肉団子の欠片が気管に入って派手にむせた。

「うわ、なに大丈夫!?」
「ゲホッ、なんっ……!?…びっくりした……ゲホッ」
「急に黙りこんで返事しなくなったから……」
「あ……あァ、なんでもねェ」

 水で流し込み、なんとか事なきを得る。ナマエが心配そうにこちらを覗き込むので適当に誤魔化した。
 気付けばナマエの皿はすでに空になっていた。いけねェ、さっさと食べて報告書を片付けなきゃなんねェんだった。
 頭をボリボリ掻いて、残った肉を一気に頬張る。いまだにおれを訝しげに見つめるナマエと視線が絡んだ。


庇護欲……、なのか?

…………。


 考え込んでも分からないことをだらだら考えるのはやめだ。
 午後はナマエと報告書を片付ける、それだけだ。