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「ナマエ、このワンピース可愛いわ!買いよ!!」
「もう少し動きやすい服が希望ですクロエさん……」
「可愛いとモチベーションあがるでしょ!?別に動くのにだって差し支えないし!」
「あ、こっちのパンツいいですねー」
「んもう!!」
お尻が見えそうな際どい丈のワンピースを手にしたまま、渋々私の後ろを追うクロエさん。
「エース隊長もパンツだけじゃ色気ないと思いません?」
「パンツ?下着なら十分エロいだろ」
「……論外でしたねエース隊長は」
「はァ?」
クロエさんに見放されたエースが首をひねる。寄りかかっていたお店の入り口の柱から背を離してこちらへやってきた。あー!パンツってそっちな!!などと言いながら。もう恥ずかしい、黙ってて。
どれどれ、と私の手元からチョイスした服を取って品定めする。顎に手を添えてフム、と息をついた。
「なーもう少し色っぽいのにしろよ。布が多い」
「は、はあ!?エースまでなに言ってんの、ばか!」
この男はなにを欲望にまみれた発言をぬけぬけと。エースのテンガロンハットの顎紐飾りをぐいっと思いっきり下に引っ張ってやった。
モビーディック号が上陸した島は観光地として栄える美しい島だった。バカンスという言葉を聞いて真っ先に思い浮かべるような白い砂浜と透き通った遠浅な海。降り注ぐ常夏の日射しはついこないだまで肌寒い海域にいたことを忘れさせる。
そんな島でエース・クロエさん・私の3人は絶賛お買い物中なのである。
上陸前、クロエさんに次の島での予定を聞かれ、エースの助言を受けて私の服を調達することを話したら目を輝かせた彼女に一緒に島を回りましょう!!と手を取られたのだ。さらに、島へ降りようと甲板に出たところでエースも加わった。エースは最初からついてくる気だったようで、当然のようにそんじゃ行くかー、と交ざったのだった。
観光地というだけあって、流行りの服とコスメのショップもあれば気軽に入れる軽食屋や屋台も多い。行き交う人々の明るい喧騒はそれだけで私を浮き足立たせた。
服を見立ててくれると言うクロエさんを信じて手近な服屋に入ったら冒頭のような展開になった、というわけだ。
結局、黙々と自分好み且つ実用的な服を見繕っている。
「ね〜ナマエ、試着でいいから着てみてよ〜これが女の子の買い物の醍醐味じゃない、ね?お願いよナマエ?」
「もー……」
クロエさんが甘えるように私の腕に絡まってくる。
船の上では常にお仕事モードで凛々しい頼れるお姉様だが、陸では完全にオフ。世の男性はこういうギャップに弱いんだろうな…………綺麗にカールした睫毛に縁取られた大きな瞳に見つめられたら、女の私でも心がぐらついた。ぐらついたが最後、それは陥落と同義だった。
クロエさんの手にあったワンピースを渋々受け取ると、クロエさんはぱぁっと顔を明るくさせて、これもこれも!!と何着も私に押し付ける。
「着たら声かけてね!」
シャッと試着室のカーテンを閉められた。
手元に残った洋服たち。女の子の買い物の醍醐味、そう言われたら普段着ない服を着てみるのも楽しいかもなー、なんて。ふと目が合った鏡の中の自分はちゃんと楽しそうな顔をしていて、思わず笑ってしまった。
服と靴とコスメと、良さそうな店を見つけるたびに私とクロエさんは"醍醐味"を堪能していた。軍資金は私が雑用で稼いだお駄賃なので使うのにも心は痛まない。海賊船で貯金というのもおかしいので財布の紐は緩い。
エースは荷物持ちとして大人しくついてきていたが、案の定女の子の買い物にはあまり興味がないらしく、近くの店で買った串肉やらフルーツやらを食べながら店の表にいることがほとんどだった。どんなに待たされても適当に暇を潰して文句ひとつ言わないのはアッパレだと思う。
「いや……バスト2カップあがるのはさすがに魔法ですよクロエさん……」
「ふふふ、寄せ方にコツがあるのよナマエ」
「御指南くださいませ……!」
「よかろう〜!…………あら?」
「ん?……エース?」
ランジェリーショップから出てきた私たちの目には、向かいのカフェのテラス席に腰かけて二人組の美人なお姉さんと談笑するエースの姿が。
「おねーさんたち地元の人?それとも観光?」
「観光!」
「へェ、そりゃいいね。おれもそんなとこだ」
「荷物持ちさせられてるの?かわいそー」
「一緒に回りましょうよ」
「んー、そうだなァ」
そんな会話が聞こえてきた。満更でもないエースの声色。
なんですかこれ、ナンパ?
なんか、ものすごく、……面白くない光景だ。
気付いたときには、椅子の背もたれに肘を掛けたエースの背後に憮然とした顔で立っていた。お姉さんたちのあら?という声でようやくエースが見上げる形で振り返る。
私はエースの足元に置かれたショップバッグを全て持ち上げた。
「そのおにーさん、差し上げますよ」
「え、おい、」
「あとはどうぞお好きに」
返事も待たず、踵を返す。クロエさんがおろおろと私とエースを見比べているのは分かっていたが、私の足は止まらなかった。
「やべェ、怒らせちまった」
「もう!何してるのよエース隊長!!」
「おねーさんたち悪いね、今日はこの辺で。またどこかで会ったらメシでも」
「貴方みたいなかっこいい人なら大歓迎よ」
「じゃあね〜」
私の足なら簡単に捕まえられると思っていたのか、エースはマイペースに立ち上がる。
「早くナマエを追いかけなきゃ、」
「で、どっちだ?」
「え?」
観光地の人混みは私の行方を隠すには最適すぎた。
***
またやってしまった。
見知らぬ町で感情に任せて単独行動をするのはこれで2度目だ。しかも前回はチンピラに絡まれて痛い目を見ている。
自分の学習力のなさに頭を抱えた。でも今度は人気のないところには行かない。買い物も大体終わってるんだからこのまま船に戻ってもいい。こういう時に帰れる場所があるのは有り難いなと改めて思った。
放射状に伸びる通りの中心には街のシンボルとも言える大きな噴水があった。どうどうと噴き出す水をベンチに座ってぼんやりと眺めていると、見知らぬ男が私の隣にどっかりと座った。そして頼んでもいないのにペラペラと馴れ馴れしく喋りだす。
「お姉さんはひとりでお買い物?」
「…………」
「ずいぶんとたくさん買ったねー。家どの辺?持ってってあげよっか?」
「…………」
「それともこのままおれとデートする?」
「…………」
観光地ってこういうのが湧きやすいのかしら。イライラしながらも固く目を瞑ってやり過ごすことにする。
すると反対隣にも誰かがどっかりと腰を掛けた。ベンチの背もたれがぎしっと鳴った。
「そうだぜ、せっかく美味そうなメシ屋がたくさんあるんだ。デートっつーのも悪かねェだろ?」
「…………」
「あ?誰だてめェ……」
「おにーさんもンなこえー面すんなよ、楽しくいこうぜ楽しくよォ」
「…………」
「この島にゃ名物料理が多くてさ、あっちで売ってたトロピカルジュースは格別だったぜ」
「男に用はねェんだよ、失せろ」
「…………」
「つれねェこと言うなって。なんなら奢ってやろうか?」
奢る。
思わず吹き出しそうになるのを堪えて瞼にぐっと力を入れた。
自分の上をいく馴れ馴れしい態度に嫌気がさしたのか、性急に事を進めようとした最初の男が乱暴に私の肩を抱いて引き寄せる。
「このそばかす野郎はあんたの連れなわけ?」
さすがにまずい、と思って目を開けた。
「違うんだったらおれとイイコトしよーぜ」
男の生ぬるい吐息が首筋を撫でて気持ち悪くて仕方なかった。
「イイコト?そいつァ、」
おれも交ぜてほしいもんだ。
ジュゥッと焼ける匂いがして、私の肩に回された腕が慌ただしく解かれる。炎が燻る袖を必死に叩きながらナンパ男がみっともなく逃げていった。
オレンジ色のテンガロンハットを目深に被った犯人が私の隣で、あーあ行っちまったな、とその背を視線で追いながら白々しく宣う。
「で、おれとデートする?」
「……ここのトロピカルジュース、そんなに美味しいの?」
「あァ!」
人差し指で押し上げた帽子のつばから人懐っこい笑みを覗かせ、エースは再び荷物をさらっていった。
広場を横切るようにエースが歩き出すので大人しくついていく。
「エース、助けてくれてありがとう。……あと、また一人で飛び出してごめんなさい……」
「ちゃんと反省してんのか、エライエライ。お前見るからにカモだったし、気ィつけな」
「え、」
「若い女が一人で、ワタシ金持ってますって言わんばかりに買い物袋下げてんだ。そりゃそうだろ」
「……すみませんでした…………」
ド正論……。
返す言葉もなく肩を落とすと、くつくつとエースが笑った。
「クロエさんは?」
「あー、クロエはナマエ見つけたら、あとは任せたって買い物だか観光だかに戻っちまったよ」
「そっか……」
あとで会ったら謝らないとだな。
あと、もうひとつ、気になること。
「…………で、さっきのお姉さんたちは?」
「あ?」
「カフェの、二人組の……」
歯切れが悪くなる。エースが歩調を緩めて私の横に並ぶ。ゴニョゴニョと喋る私の顔を覗き込むようにエースが身を屈めてきたので、つい目を逸らしてしまった。
エースがにんまりと笑う。
「拗ねてんのか?」
「っ、拗ねてないし!」
「あっはっは、怒んなって」
「私の荷物持ちより美人なお姉さんと遊んでる方がエースさんも楽しいかと思いまして!!」
「なに言ってんだ。おれはナマエといる方が楽しいぞ」
「うっ……」
ストレートな物言いに言葉が詰まる。唇を尖らせて可愛いげもなく、あっそ……とぼやくとエースはさらに笑った。
「ナマエの買い物に付き合ったんだから、こっからはおれに付き合えよ」
「ご飯屋さん巡り?」
「デートって言えって!」
エースは豪快に笑いながら、半ば私に覆い被さるように肩を組んできた。
途端、私の全身がぶわっと熱くなる。
確かこの辺だったんだよなァ、とジュース屋を探してキョロキョロしているエースの腕の中で私は俯く。
「……エースは、」
「ん?」
「こういうスキンシップ、慣れてるかもっ、しれないけどっ!」
「お、おォ?」
「私はっ!違うからっ!!」
エースは、最初に泊まった宿では平然と同じベッドで寝るし、私が口をつけた樽ジョッキも飲み干すし、説教を兼ねたものだとしても簡単に女をベッドに押し倒したりするし、初対面の美人とも臆せずいい雰囲気になれる。
口から出る言葉に合わせてぐいぐいとエースの身体を力任せに押し返せば、思いの外エースの身体はあっさり離れた。さほど体力は使ってないはずなのに、私の呼吸は荒く乱れたままだ。立ち止まった我々を避けて通りを行く人波が自然に割れる。
しばしきょとんと私の顔を見つめたエースは、軽く笑ってテンガロンハットをかぶり直した。
「あー、くっつきすぎたことは悪い、謝るよ」
「…………うん」
「でもナマエ!お前ちゃんと怒れるんだな!!」
「……はい?」
エースは子どもの成長を喜ぶかのようににこにこと笑った。拍子抜けする私にその喜びを伝えようと身振り手振りで説明を続ける。
「なんかこう、ナマエってお人好しだし、どっか抜けてるだろ?」
「そんな風に思ってたの!?」
「いやァ、なかなか嫌だって言えないタイプっつーか流されやすいっつーか、とにかくおれは心配だったわけだ」
「別にそんなこと……」
「だからナマエが何かにちゃんと怒るのが、ちょっと言い方は変だが嬉しくてよォ!」
「……私、エースにはわりと怒ってる気がするんだけど?」
じとっと睨むと、エースはぴたりと止まった。そして、ん〜……と、記憶を辿るように視線を斜め上に泳がせる。
「そう言えば、そうだな……」
腕を組んで、はて?といった顔で首を傾げる。
……呆れた。私はすたすたと歩みを再開する。
「確かにおればっか怒られてる気がする!なんでだよ!!?」
「エースだけが私に怒られるようなことをやってるってことでしょ!」
「そうかァ?」
「食い逃げとか!急にくっついてきたりとか!」
「おれが美人な姉ちゃんと話すのもナマエにとって腹立つことなのか?」
「そうだよ!!」
勢いで飛び出した言葉にはっと口を覆う。時すでに遅し、今日一番でにやついたエースがそこにいた。
「やっぱ拗ねてたんだな?ウンウン、可愛いとこあんじゃねーか」
「違う!」
「違わねェだろ、いま自分ではっきりそう言った」
「違うったら!!」
何がどう違うのか自分でもうまく説明ができないので、まったく説得力のない"違う"を連呼するに終始する。エースはケラケラと楽しそうに笑っていた。
不毛な言い合いはジュース屋まで続いたが、店オススメのトロピカルジュースのあまりの美味しさにその話題はどこかへ行ってしまった。そのあともブラブラと島を回り、島の名物料理はほぼエースの胃袋に吸い込まれた。
目いっぱい笑ったり怒ったり、エースといると色んな感情が引っ張りだされる、そんな気がした1日だった。