26


 意思を持って寄せられた鼻先が首筋をくすぐる感覚が情けないほど身体に残っている。ふと思い出す度に、よく分からない痺れとともに背筋がぞくりと震えるのだ。
 誤魔化すように首筋に手を当て、小さくため息をつく。

エースはあんな香りを纏って帰ってくるようなことをしていたわけで。
私が何日経っても忘れられないあのハグ以上のことを、おそらく私の知らない人と。


「…………ずるいよなぁ」


 私ばかりが、乱される。


***


 これだけ人数がいれば毎日誰かの誕生日だから飲むし、海王類を仕留めた日も肉のボーナスデーだから飲むし、月夜が綺麗でも飲む。なんだか今日は眠りたくないの、と隆々の筋肉を可憐にくねらせながら酒樽を抱えて食堂を出て行く一団を見たこともあった。もちろん食糧庫を漁られたサッチさんはブチギレていたけど、そのあと「マジで寝つけねェようにしてやらァ」と秘蔵のボトルを持って楽しそうに追いかけて行っていた。
 船上生活においてお酒がもつ娯楽的な重要性と真水よりも遥かに長く保存が利くという食糧的な重要性を差し引いたって、ここの人はみな一様にお酒が好きだ。人によって量はまちまちでもしょっちゅう飲んでいる。なんといっても、船の主が一番の酒好きなのだけど。

 エースも例に漏れず。彼がお酒を嗜む姿は、私だって何度も見たことがあった。
 でも。

「いやー思いのほかキマったな」
「くく、愉快で結構じゃねェか」
「エースって記憶飛ぶタイプ?」
「どうだろうねい」
「明日になりゃ分かるだろ! ダハハ!!」
「ばっかやろぉ、こんなの酔ったうちに入んねえーよ!!」

 酔っ払いほど酔ってないと主張するという話は都市伝説ではないらしい。
 右から順に、サッチさんイゾウさんハルタさんマルコさんラクヨウさんがゲラゲラと笑い、その真ん中でオヤジさんが「だらしねェなエース」とさらに笑う。
 当のエースはだらしねェの一言が聞き捨てならず、なにおうと眉間に皺を寄せてあまり鋭くない眼光でオヤジさんを見上げた。

「な、なに飲ませたんですか?」
「グラララララ」

 こんなに一目で"酔っている"と判るエースの姿を見るのは初めてだった。



 病み上がりということもあり、今回私が上陸を控えたこの島は酒造で栄える島だったらしい。
 島の長は連日トラブルも起こさず景気よく飲み明かした白ひげ海賊団を上客と認め、今年一番の出来の地酒を始めとする大量の酒を手土産としてオヤジさんに持たせたのだという。
 そんなわけで日も高い内からこの船は、ずーーーっと大宴会状態である。
 お酒が飲めない私も、ナースのお姉様方の計らいでシロップのソーダ割りを作ってもらって飲み会気分を味わっていた。普段はウォッカやテキーラで割るらしいけど、そんなに強いお酒は一生飲める気がしない。物足りなくない? と気を遣って度々声をかけられたが、私はこのちょっと大人なフレーバージュースで大満足だった。

 昼過ぎに別の宴会の輪で見つけたエースの様子もいつも通りだった。それがいつの間にこうなったのか。
 もうじき日付が変わるという頃、そろそろ部屋に引き上げようかと立ち上がった私を見つけたサッチさんに「ナマエちゃんこっちこっちー‼︎」と楽しげに手招きされた。オヤジさんの定位置でもある甲板の一角に近づいてみた結果、この酔いどれエースとご対面と相なったわけだ。
 エースはとろんと眠そうな目で、まだ飲めるもっと出せとラクヨウさんに絡んではあしらわれている。ムキになっているかと思えば次の瞬間には上機嫌に笑いながら豪快にマルコさんの肩を叩いていたり。
 転がる酒瓶や空き皿をひょいひょいと避けてサッチさんが私の隣へやって来る。

「ぷぷぷ、見事に出来上がってんだろ、エースのやつ」
「いつも以上に楽しそうで何より……なんですかね……?」
「おれらもエースもスゲー楽しいぜー! あっはっはー!」

 今日はサッチさんもずいぶんお酒が入っているらしい。
 サッチさんには神聖な職場であるキッチンには素面で立つという信条があり、普段はいつ調理のリクエストが入るか分からない船上ではお酒を控えていると言っていたのを覚えている。

「エース、たくさん飲んでもいつも平気そうなのに」
「まァな〜」

 いいかいナマエちゃん、とサッチさんが私の肩を抱く。ぴっと人差し指を立てて芝居がかった真剣な声色で続ける。
 サッチさんがこんなに近いのも珍しいし、それに対してエースの注意が飛んでこないのも珍しい。お酒の力ってすごい。

「酒にはなァ、合う合わないがある。特定の系統だけめちゃくちゃ酔っ払うってことがあんだ」
「チャンポンって言って色んな種類をごちゃ混ぜで飲むと悪酔することもある」
「え、ええと…じゃ…じゃあエースは……」

 合わないお酒をチャンポンした、と?
 首をかしげる仕草に台詞の続きを託して、サッチさんと途中から加わったハルタさんを見やった。

「いや、エースはオールラウンダーだしチャンポンにも滅法強い」
「……え?」
「そんなエースをなんとか潰してみたくなってさー」
「わあ最低」
「なに、ナマエも言うようになったじゃん?」
「私、お酒は飲みません、絶対飲みませんからね」

 ちぇっ、と唇を尖らせたハルタさんが持ち上げた酒瓶をすごすごと下ろす。
 こちとら未成年だぞ。

「おれの酒を少し分けてやったらこの様さ」

 頭上からオヤジさんのひどく愉快そうな声がグラグラと降ってきた。
 シロナガスクジラの心臓は軽自動車くらいあると聞く。この巨体が言う"少し"が果たしてどれくらいの量を指すのか、些か疑問だ。

「オヤジの酒は格別に旨かったですからね…エースが飲みすぎるのも仕方ないですよ」
「サッチ、テメェも散々飲んでただろうが」
「あれ、バレてました?」
「代わりに今日は良い酒が入ったからな。大目に見てやらァ」

 にひひ、とサッチさんが歯を見せて悪戯っ子のように笑った。
 親と子。血よりも強い交わりを感じるのは気のせいじゃないだろう。

「あーーー!! ナマエ!!!!」
「わっ……!?」
「夜更かししてっとまた風邪引くぞ!!」

 エースは私の姿に気づくなり、突然大きな声をあげた。

「声がでけェ」
「耳がいてェだろい」
「いでっ」

 イゾウさんとマルコさんにぽこぽこと続けて頭を小突かれてエースが大袈裟によろめく。

「殴ることねェよなァ、あ〜よちよち、可哀想になァ〜」
「うっせ、馬鹿にしてんのが丸分かりだぞ!!」

 撫でようと伸ばした手をエースに払い退けられ、いよいよラクヨウさんは腹を抱えて目尻に涙を溜めた。
 末弟いじり、ここに極まれり。そう頭の片隅で思ったとき、ふとハルタさんがこちらに視線を向けた。

「ナマエ、もう寝る?」
「そのつもりでしたけど……」
「なら丁度いいや」

 今度はハルタさんが突然大きな声でエースを呼ぶ。ラクヨウさんとじゃれていたエースが必然的にこちらを向いた。

「ナマエ、もう寝るっていうから部屋まで送ってやりなよ」
「えっ?」

なんだその申し入れ。
ハルタさん、さすがに私もいい加減迷わずに一人で部屋まで帰れますけど……。

「……分かった」

 眠たげな眼をぱちぱちと二、三度瞬かせたエースは聞き分けよくラクヨウさんからぱっと離れた。そして、先程のサッチさんとは違って、時たま空き瓶を蹴飛ばす豪快な足取りでエースがずんずんと歩いてくる。
 私は飄々と酒瓶を傾けるハルタさんに慌てて耳打ちをした。

「え、ちょ、どういうことですかハルタさん?」
「悪いけどナマエ、エースを自室まで連れてってやって」
「はい?」
「これ以上の飲酒はもう身体に毒だからここが潮時」

 ……なるほど。エースはすでにかなり眠そうだし、静かなところに行けば自然と寝落ちしそうだ。好奇心で潰したけど、いい頃合いでブレーキをかけてくれる所はやはり良い兄貴分たちだな。
 ふむふむと納得したのも束の間、ハルタさんは「それに」と口角を少し上げた。

「これからもっと良い酒が出てくるのに、あのウワバミに飲ますのは勿体ない」
「そ。夜はこれからだからな」

 むふふとちょっと気色悪い声を漏らしてサッチさんもにんまり笑った。
 こっちが本音か。ワルイ大人たちを半目で眺めながらそう思い至ったときにはもう目の前にエースがいた。

「行くぞ」
「よろしく頼んだぜー」

 サッチさんのその言葉はエースに向けられたのか、私に向けられたのか。どちらだろうかと悩む間もなく、エースは私の腕を引いた。



 エースを自室まで送り届けてくれと言われたものの、エースもまた自分を女部屋へ送り届けることを使命としているなら、端から目的地が違う。どうやって誘導したものか……という心配は杞憂で終わった。
 エースが進んでいる廊下は明らかに女部屋へ続くものではなかった。
 他愛もないことを話しながら廊下を行く。ほとんどのクルーたちが甲板に出払っているせいで、船内は静かだった。2人分の足音といつもよりふにゃふにゃしたエースの声が廊下に響く。
 とある一室に入ってパタンと扉を閉めたところで、エースが「あれ、」と声を漏らした。

「…………間違えた」
「そうですねえ」

 窓からの月明かりに照らされただけの部屋は薄暗かったが、確かに見覚えのあるエースの部屋だった。どう見ても女部屋ではない。
 無意識のうちに自分の部屋へ帰ってきてしまったらしい。廊下を歩きながらそれが分かった時点で、私としては好都合なので黙ってついてきたのだった。
 間違えたと言いながらも別段焦って部屋を出る様子もなく、エースはベッドを素通りして荷物が乱雑に置かれたスペースに近づいていく。
 一応送り届けたし、私はもう御役御免でいいかな。2人きりの空間に首筋の熱がぶり返す気配がして、そわそわと扉を気にしていると、キュポンと栓が開く音がした。

「……おーい、エースさん? それはお水なんだよね?」
「んー、あー、水……これは…水、うん、水だな」

 言い淀んだということは違うんだな。はぁ、と小さくため息をついてエースへ歩み寄る。

「お酒なんでしょ」
「ほぼ水だって。飲んでみりゃ分かる」

 どうだと言わんばかりに差し出された瓶に掌をかざして丁重にお断りする。

「お酒は飲みません」
「なんで。嫌い?」
「未成年だもん」
「あー、なんか最初の宴のときもそんなこと言ってたなァ……」

 そう言いながら自然に一口煽ろうとする手にストップをかけた。不服そうに唇を尖らせても駄目。

「ナマエのその、みせーねんっつーのはいつ終わんだよ?」
「二十歳になったら解禁」
「はァ〜? じゃあおれはあと4年もナマエと酒飲めねェの?」
「……まあ、そういうことになるね」

 あまりにもエースが残念そうに肩を落とすからなんだか私が悪いことをしてしまった気分になる。
 いつもより素直で子どもっぽくて、可愛い、気がする。絆されそうになる自分を律するためにわざと咳払いをした。

「みせーねん終わったら、一緒に飲もうぜ」
「4年も先だよ」
「あっという間さ、たぶん」

――明日帰るとも分からない身でも?
 喉まで出かかった言葉はこの場にそぐわない気がして引っ込めた。無謀な約束だって呼び方を変えるなら希望だ。
 瓶のお酒を諦めたエースはぼすんとベッドに座り込んだ。ぼんやりと突っ立ている私に向けて、エースがぽんぽんと自分の隣を叩く。
 おそらくハルタさんから課せられた使命はもう忘れているんだろうな。眠気が来るまでもう少し付き合ってあげるとしようか。
 誘われるがままエースの隣に腰掛ける。その途端、こめかみを弾かれた。

「いっっっ……たぁ……!!⁇?」

 は? なに? なにされた?
 痛むこめかみを抑えてばっと振り返れば、衝撃を放った手を隠すこともなくエースはゆるく笑っていた。困ったように少しだけ眉根を寄せて。

「ばーか」
「な、なに、いきなりデコピンしといてその言い草はなくない!?」
「男のベッドにのこのこ座りにくる奴があるか」
「エースが隣来いってやったんじゃん……!!」

 あははじゃないよ、なにこの人……!!
 むっと睨んでいると、一頻り笑ったエースがゆっくりとこちらに視線を向けた。お酒のせいもあって伏せ気味な目元にはアンニュイな色っぽさがあった。なんだかとてもアダルトなものを見てしまった気がして慌てて目を逸らす。
 腰をあげて大人しく部屋を出ようかとも思ったが、送ると言い出すのが目に見えたのでもぞもぞと座り直すに留まった。

「……別に手出す気もないくせに」

 先日の香水の件で胸に渦巻くなにかがあったことは認めよう。そんな私のせめてもの憎まれ口はエースの変なスイッチを静かに、でも確実に押したようだった。

「へえ」
「え……あ、うわ、お、重た……っ、きゃぁ!」

 もたれるように触れたエースの熱はそのままずるずると体重を預け、ついには支え切れなかった私ごとにベッドに雪崩れ込んだ。真っ白になった頭と引き換えに、背後にある熱だけが確かな存在感を主張していた。

「手出したら説得力あるか?」
「ひ、」

 耳に掛かった吐息に馬鹿みたいに身体が強張る。頭がクラクラするのはきっとより一層近くなったアルコールの匂いのせいだと思い込むことにした。
 ここで黙ってエースのペースに流されるくらいなら、と。ぎゅっと目を閉じて私はやけっぱちのように言葉を吐いた。

「エースはこういうの慣れててもっ、私には通用しないからね!絶対、絶ッッ対流されたりしないからね!!」
「こういうの、って……?」

 素のトーンで返してくれるなよ。

「わ、ワンナイトラブ、…的な……」

 一夜限りとか行きずりとか、色々表現はあったけど、カタカナならちょっとは爽やかでスタイリッシュになるかなと思って回らない頭をなんとか稼働させてこの言葉を選んだ。残念ながら十分恥ずかしかった。
 ごにょごにょと尻すぼみになっても静かな室内ではいとも容易く拾えたらしい。てっきり余裕綽々でからかいの言葉が続くと思っていた私の予想を裏切り、エースはがばりと身を起こした。
 びっくりしてエースを振り返ると、異議ありと言わんばかりの険しい顔をしていた。思わず呆けてその顔を見つめる。

「あの夜は隣で飲んでた女の香水がうつっただけでエロいことは一切してねェ」
「……は、はい?」
「抱いて帰ってきたと思ってんなら、大間違いだぞ」

 それだけ言うとエースは不貞寝でもするように再び身体をベッドに横たえた。
 いや、そこの位置に戻られると私がどうしたらいいか分からないんだけど……などと言える勢いは失せてしまったので甘んじて背後の熱を受け入れる。

「そう、でしたか……すっかり勘違いしてました……アハハ…」

 乾いた笑いに返答はなかった。拗ねてしまったのかと心配になるくらい押し黙ってしまった彼になんと声をかけようか悩み始めたとき、たぶん、と口が開かれた。

「もうそういうのはしねェし、できねェ」
「……ああ、そう」

 できねェ、ってなんでだろう。疑問はありつつも、我ながらずいぶんあっさりとした返事をしたなと思う。しかし、私はエースのそういった行為を咎められる立場でもないのだから当たり前といえば当たり前だ。
 それでも、私の胸につかえた何かがなくなっていくのを感じていた。
 沈黙が続き、おそらく私にもエースにも睡魔が忍び寄っていた。一定のリズムの呼吸と、触れるか触れないかの距離にあっても肌が拾うお互いの熱は心地良かった。

「風邪引いてた時さあ」
「へ? か、風邪? こないだの?」
「ん」

 こくりと頷いたエースのおでこが頸にこつんとぶつかった。跳ねそうになった身体をなんとか堪えて、脈絡なく始まった会話になんとか合わせる。
 
「こう、出したじゃん」

 お腹の上からだらりとエースの片腕が回る。さすがにこれには身体をびくりと揺らしてしまったが、エースは気にも留めていないようだ。
 どうやらエースがお見舞いに来てくれたときのことを話しているらしい。

「ナマエはさ、おれと、手、繋ぎたかったのか?」

 ひ、ひえ。
 こうも淡々と掘り返されると決まりが悪い。手を繋ぎたかったのは確かだが、はっきりとそう答えるには羞恥心が大きくてすぐに返事が出てこない。
 これ以上沈黙を引っ張っても言い出しづらくなるだけだと観念して「そうだよ」と返そうと半音出かけたところでエースの言葉が被さった。


「おれもいま、繋ぎてェんだけど」


 独り言のような小さな声だった。
 これだけ近くにいるのに、私に対して言ったものかも分からない。暗い海に落とすような。そんな寂しげな声だった。

 身体に回されたエースの手にそっと自分の手を重ね、ぎゅうと握った。
 あなたの言葉に私は応えたいのだと。口に出したら安っぽくなってしまいそうなそんな気持ちが、全部、丸ごと、エースに伝わってほしいと思った。

 エースの腕が私の身体を抱き寄せた。僅かに開いていた隙間もなくなり、ダイレクトにエースの呼吸が、鼓動が、熱が伝わる。安心したように深く息をついたエースがもぞもぞと肩口に顔を埋め、今一度繋いだ手をしっかりと握り直した。

「――おれには穴がある。ずっと埋まらない、埋め方が分からない。……でも仕方ねェんだ」

 そう零したのを最後に、エースからは規則正しい寝息が聞こえ始めた。
 埋まらない穴ってなんのことなんだろう。気になる言葉を残されたけど、それについて考え込むだけの集中力を保てる状況じゃなかった。
 なぜなら身も心もすでに沸騰直前だからだ。心臓が出そうという表現はこういうときに使うのだと身をもって知った。それでもこの手だけは重ねたまま朝を迎えようと思っていた。
 ふぅーーーと深呼吸して、どっかに引っ込んでいた思考力を呼び戻す。エースは寝てしまった。この腕は外れそうにない。

 ……ああ、もう!

 いいやいいや。このまま寝よう。どうせエースは朝まで起きないだろう。窮屈な靴を脱ぎ捨て、床についていた脚もベッドに乗せ、私は目を閉じた。


***


 夜が明けた。
 円窓から差し込む朝日で私は目を覚ました。窓の外はまだぼんやりと薄暗い。一度寝返りを打ったのか、私のお腹に乗っかっていたエースの重たい腕は大の字になって私とは反対側に投げ出されていた。覚醒しきらない頭で、すやすやと眠る鼻筋の通った綺麗な横顔を眺める。
 悪い夢は見てなさそうだ。良かった。
 明け方で肌寒かったことと、ちょうどいい近さに腕があったこと。寝ぼけた人間が再び寝入るために身体を擦り寄せる条件としては十分だった。



 次に目を覚ましたとき、エースはすでに起きていた。というかエースに起こされた。

「んぅ……おはよう…………」
「お、おはよう……お、お前、なんで……っ」

 あわあわと目に見えて慌てるエースは珍しかった。なんだかこの状況には覚えがある。

「えーと、"なんで一緒に寝てるのか"、って?」

 体勢を肘枕に変えて、余裕たっぷりな笑みで、含みをもたせて、確かこんな感じ。
 雷に打たれたように固まるエースに堪らず吹き出した。

「あっははは!!」
「おまっ……! 笑い事じゃねェぞ!! おれ、まさか、酒の勢いで……!?」
「覚えてないの?」
「〜〜っ、朧げ……!!」

 文字通り頭を抱えてエースは低く唸った。笑いを納めるタイミングがない私はずっとヒーヒー言っている。そんな私をエースは何とも言えない苦い表情でじっと見つめていた。からかいすぎも良くないなと思い、ネタばらしをしてあげる。

「何にもなかったよ、ほんとに。手繋いで寝ただけ」
「手…繋いで…………寝た、だけ…………」
「うん」

 後ろから抱き締められたことは伏せておいた。
 ぽかんとした後、エースは胸を撫で下ろしたのも束の間で今度は「あ"ーーー〜〜……っ」と謎めかしく別の唸り声をあげていた。よく分からないけど忙しい人だ。

「頭いてェ……」
「二日酔い?」
「……いろいろ」
「? お大事に」

 こんな風にエースより優位に立てたのは初めてかもしれない。うしし、とほくそ笑みながらベッドの縁に腰掛けて靴に足を通す。立ち上がって朝食に誘えば、「……行く」と返事があった。


「よーーぉ! 昨日はマジでべろべろだったな、エー…ス……」
「げ」

 エースの部屋を出たちょうどそのタイミング。廊下で鉢合わせたラクヨウさんの元気な挨拶は、私の姿を見た途端に威勢をなくした。エースがあからさまに顔を顰めたのも同時だった。

「エーーース! お前っ、ちょっとこっち来い!!」
「うぉっ、待てよ、酒残ってんだからあんま揺らすな……!!」

 ガッと肩を組まれたエースがずるずると引きずられていく。

「エースお前ついに……!」
「ついにじゃねェよばか」
「送り狼か? えェ? 隅におけねェーな!? 4番隊に頼んでもう一丁宴開こうぜ!!!!」
「うるせェ!!」

 会話はよく聞こえないが、エースがラクヨウさんの頭を勢いよくべシンと叩いた。そして、白熱した小声の密談に戻る。

「……手繋いで、寝た、だけだ……疾しいことはしてねェ………」
「…………は?」
「何も言うな」
「う、嘘だろ、女と密室で一夜を共にして、お、お前、手……手しか、繋いでないのか……?」
「何も言うなっつってんだろ」
「エースお前……」
「何も…言うな……!!」

 エース…、と労るようにラクヨウさんが肩を叩いて話は終わったようだ。深酒を注意していたんだろうか。

「早く行きましょうよー。朝ごはんなくなっちゃう」
「おう、今行く……」

 これからご飯だというのにエースの足取りは重くて、二日酔いは怖いなと思った。