32



「え!!!???? ナマエちゃんたち春祭りのダンス知らないの!!!!????」


 玄関までお出迎えにきてくれた子供たちに手を引かれつつ、明日はついに春祭りだね〜なんて和やかに話をしていたのに、どんなダンスするの? と軽い気持ちで尋ねたら、天地がひっくり返ったような驚愕の表情で固まったあと、鼓膜を劈くほどの声で飛び出したのが上記の台詞です。およそ10歳前後の女の子の声帯から出る音量じゃなくて心底驚いた。

「う、うん」
「やばいよ、今からでもいいから覚えた方がいいぜ!」
「私たちが教えてあげるから!!!」
「先生ェー! 今日の授業は休み! ダンスの練習しよ!!」
「そんなに…?」
「「「そんなに!!」」」

 声を揃えて詰め寄られ、その真剣さと熱気に気圧される。廊下を通りがかったシスターと目が合うと、彼女も頬に手を添えて「踊れた方がいいと思うわ」と微笑んだ。

「そんな難しいダンスなのかよ」
「えー、難しくはないよ! こうね、足をトントンって出すステップを何個か繰り返して、あとはひたすらくるくる回るの!」
「楽しいんだよ〜目回るけど! キャハハ」

 エースの周りで子供たちがこうだよこうだよ、と島に伝わる春祭りのダンスを実演する。彼らは簡単そうにやってのけるが、意外とそのステップとやらが複雑に思えるのは私だけだろうか。

「春祭りはこの島の一番大きな祭なので、祭の期間は島中が浮かれるんです。だから踊ってない人が目に入れば、すぐに手を引かれて強制参加させられます」
「なるほどねェ。踊れないとは言わせねェってわけか」

 春祭りを教えてくれたレストランのおじさんも確か"踊り明かして春の訪れを祝う"と言っていた。踊り明かすという言葉は比喩ではないらしい。
 先生はフム、と息をついた。今日に限っては座ってオベンキョーなんて到底無理そうな子供たちがキラキラと目を輝かせて先生の言葉を待つ。

「……仕方ないですね。今日はダンスの授業にしましょう。講師は皆さんです、しっかり2人にダンスを教えてあげてくださいね」

 黄色い歓声があがる。もともと授業をするのは春祭りの前日である今日までの約束だ。授業終了の前倒しは、ここ数日、勉強を頑張ってきた子供たちへのご褒美のようなものだろう。最後くらい息抜きして楽しく終わろうという子供の心に寄り添った先生の計らいである。
 先生の横に駆け寄ったウィル君が彼のコートの裾をちょいちょいと引っ張った。

「ナマエとエースだけじゃなくて、先生も練習するんだぜ」
「……おやまあ」

 隙あらば書庫に篭りたがる先生の習性をすっかり心得たウィル君がにっと笑った。初日のツンケンぶりとは見違えて、2人はずいぶん仲良しになっていた。




 子供たちによるダンスの練習はハードだった。午前中をまるごと使って5種類ほどあるステップを叩き込まれた。大人になるにつれて身につく「ま、こんなもんでいいでしょ」という怠惰な寛容さがない分、彼・彼女らはスパルタだった。しゃがみこんでじっと足元をチェックされ、間違えたら一からやりなおしというステップの試験が良い例だ。子供って残酷。
 エースもあれこれと子供たちの指導を受けていたが、無尽蔵な体力が精神的余裕を生むのか終始楽しげだった。終いには勝手にアレンジを加えて違う遊びに発展していた。ちなみに、インドア派で汗を掻くことを嫌う先生は一発で合格し、早々に子供たちに混ざって先生役を勝ち取っていた。
 そんなこんなで昼食。

「ダンス、なめてました……」
「あらあら。でもあれは子供用のダンスステップだから、大人のは少し違うんですよ」
「え!?」
「嘘です」

 ウフフ、とシスターは千切ったパンを口に放り込んだ。こうしてからかわれるくらい彼女とも打ち解けられたのは嬉しいことである。最初は恐縮しきりでペコペコ頭を下げられてばかりだったから。
 お昼を食べたら今度はクルクルダンスもやるよ、と午後の課題はすでに言い渡されている。すこぶる無邪気な表情と声で。しっかり食べなければ、と私は皿に盛られたミートボールを噛み締めるのだった。

 午後のクルクルダンスはその名の通り、音楽に合わせてステップを踏みながら、手を繋いで輪になって踊るダンスだった。数人で大きな輪を作ったり、するりと手を解いて2人ペアになったり。単純に回りすぎて三半規管をやられるし、遠心力ですっ転びそうになるけど、踊ってるうちに楽しくなってアハアハ笑った。
 ステップさえ覚えていれば、適当に合わせて踊れる。なんなら多少ステップを間違えたり飛ばしたりしても、勢いで踊れる。楽しんだ者勝ち、といった風だった。これで踊り明かすのだから、さぞ祭は楽しいのだろう。
 ダンスの輪から抜けて、火照った身体を冷ましていると、いつの間にか孤児院に来ていたロニーさんが「ずいぶん踊ってましたね」と笑いかけた。

「明日お祭りなのにダンス知らないって言ったら、みんな教えてくれて! ロニーさんも踊れるんですか?」
「ええ、生まれも育ちもここですから」
「あ、そっか、そうですよね、へへ」

 興奮して当たり前すぎる質問をしたのに、ロニーさんはばかにせず優しく微笑むだけだった。

「休憩がてら、少しお話しませんか」
「ええ、私でよければ」

 歩き出したロニーさんの後ろについていく。他愛もない話をしながらたどり着いたのは、以前子供たちが教えてくれた見晴らしのいいあの場所だった。その時はモビーディック号の船尾が少し見えていたけど、今はすっかり見えなくなっている。ちゃんと移動してくれたらしく、ひっそり胸を撫で下ろす。

「それで、本題なんですが」
「はい?」

 海から吹く風に少し髪を乱したロニーさんが振り返る。その顔つきは穏やかだけれど真剣で、改まって何を言われるのかと思った。

「ナマエさん、この島に残りませんか?」
「……え?」

 突拍子もない誘いだった。でも、ロニーさんの揺るがない眼差しが冗談や思いつきではないかという推測を打ち消す。


「海賊船は、あなたにふさわしい場所とは思えない」


海賊船。この人はいま、海賊船と言った?


私たちが海賊であることが本当にバレているのか、ただ鎌をかけられているだけなのか。バレているとしたらいつから? もしかしてもう海軍に通報されてる? 私の返答次第でこの島での平和な滞在が打ち切られるのでは。

 脳から血の気が引くような心地を味わいながら、バクバクと心臓が鳴る。この沈黙が海賊船の人間であることの何よりの証明になっていることにも気付かなかった。

「あの、ナマエさん、尋問したいわけではないんです。実を言えば、シスターもあなたたちが海賊であることは気付いています」
「えっ……!?」
「火拳のエースがあんなに気さくで優しい人とは知りませんでしたが」

 私の固まり様を見兼ねたのか、ロニーさんはあわあわと喋り、最後は首筋を掻いて小さく笑った。

「シスターから外れの海岸に海賊船が停まってると連絡を受けて、慌てて隣島から帰ってきたんです。四皇の旗で肝を冷やしましたが、島は平和そのものでした。停泊してても大人しくしているなら、下手に海軍に知らせずこのまま争いもなくそっと出航させた方が良いかもしれないと思いました」

 やはりこの孤児院からモビーディック号は見えていて、気付かれてしまっていたらしい。なんと返したらいいか分からず、私は黙ってロニーさんの話に耳を傾ける。

「ここで先生やエースさんを見て、無闇に人を傷つけない海賊もいるのだと知りました。……でも、海賊です。お世辞にも褒められた道とは思えません」

 風が吹く。視界の端でスノードロップの清らかな白が揺れた。

「ナマエさん、なぜあなたは海賊船にいるんですか? あなたのような優しい、"普通の"方が、どうして」
「……」
「あなたにはあなたなりの事情があるのかもしれない。でも、もし良かったら考えてほしいんです。ここに、この島に残ることを」

 ロニーさんはじっと私の瞳を見つめた。それから丁寧に頭を下げて、孤児院の方へ戻っていった。
 私はその場を動けずにいた。告げられた内容を整理して呑み込むことに時間を要したからだ。
 投げかけられた誘いへの答えは迷うまでもなく決まっている。私は船を降りる気はない。
 でも、それを伝えるだけでは足りない気がした。


***


 今日が最後なんて嫌だ3人とも帰らないでの涙の合唱がキマり、今晩は孤児院にお泊まりすることになった。
 そそくさと無情にもお暇しようとしていた先生の首根っこはエースが捕まえた。枕が違うと寝れないんですという白々しい嘘は、タオルを重ねれば調整できませんか……!? というシスターの純粋な気配りで無効化された。
 ナースのお姉様たちへ電伝虫で今日はよそでお世話になるから帰らない旨を伝えると、電伝虫の向こうが沸きたった。慌てて宿泊先は街で知り合った孤児院だと話したけれど、エースも泊まると分かると訳が分からないほど盛り上がってしまったので、そっと通話を切るしかなかった。先生もいるって言ったのに。

「寝巻き、サイズ合いますか?」
「はい、何から何までお借りしてしまってすみません」
「いえいえ、むしろ無理言って泊まらせてしまってごめんなさいね」
「いえいえいえ、私も楽しんでますから」

 身体を捻って、ふくらはぎ辺りでふわりと揺れるネグリジェの裾を楽しむ。私はシスターの部屋、エースと先生は子供部屋で眠ることになった。枕投げでもやっていたのか、子供部屋が静かになるまでやや時間がかかった。
 寝支度を整え、おやすみなさいの言葉を交わしてベッドに横になる。昼間、ロニーさんに言われたことを反芻する。


 私たちが海賊であることをシスターは知っている。知った上で、こうして招いてくれた。ロニーさんが感じていたように、これはシスターも私たちを無害な海賊だと信用してくれているということ――……こうして信用することだって、海賊に島を荒らされた過去を思えば、相当勇気のいることだったんじゃないだろうか。
 私は"海賊"の恐ろしさを想像することしかできない。なにせ初めて出会った"海賊"がエースで、この白ひげ海賊団だったんだから。暴力と略奪を生業にする"海賊"を目の当たりにしたことがないのだ。
 ロジャーという人は恐ろしい海賊だったのかな。ウィル君はもちろんだけど、エースですらロジャーを嫌っていたようだった。同業者からもそう言われるということは、やっぱり………いや、知らないだけかもしれない。島で暮らす人たちが白ひげ海賊団のみんなを知らないように、私もロジャーという人を知らないだけで、実はオヤジさんたちみたいに気のいい海賊だったのかもしれない。


「ナマエさん、眠れないですか?」
「えっ、あ、シスター起きてたんですか?」

 天井の木目を見ながら巡らせていた取り留めもない思考を遮ったのはシスターの声だった。

「ええ……春祭りの前日だからかしら。わくわくして眠れないなんて、子供みたいだわ」

 笑われちゃうわね、と恥ずかしげに笑みをこぼしたシスターがゆっくりと上体を起こす。私も同じように身体を立てた。そして、どちらからともなく雑談が始まる。
 その内くるかも知れない眠気を追い払わないように、部屋の灯りはベッドランプのオレンジひとつだった。

「ナマエさんはどちらの海のご出身なんですか?」
「えー…と、東、の海…です」

 定番ながら今の私には一番答えにくい質問だった。前に航海士チームの方に習った世界地図を脳裏に浮かべながらなんとか取り繕う。
 ぱちぱちと瞬いたシスターは何故かふふ、と笑った。

「嘘ですよね」
「なっ……なんでそう思うんですか…?」
「東の海は海賊王が生まれた海です。同郷で海賊王を知らないなんて、有り得ないですもん」
「う"……ご名答、です」

 そうだったのか。変なところでボロを出してしまった。
 参ったな、と目を泳がせてちらりとシスターの顔を見ると、急かす様子もなくとても穏やかな顔で私の答えを待っていた。

「……信じなくてもいいので、聞いて、くれますか?」

 シスターは優しく頷く。抱えた秘密を素直に打ち明けさせる空気が彼女にはあった。
 自分が本当はこの世界の人間ではないこと。ある日突然こちらの世界にきたこと。そこでエースたちに出会って旅をするようになったこと。
 シスターはこの突拍子もない話が終わるまで口を挟まずに聴いてくれた。聞き終えた彼女は瞠目しつつほう、と息をつく。

「ナマエさんはよその世界の方だったんですね」
「信じます……?」
「時に神様は不思議なことをなさいますから」

 こんな話を疑わないでいられるのは、職業柄なのか、シスターの性格なのか、この世界ではこれくらいメチャクチャでも道理が通るのか、どれに由来するものなんだろう。

「この世界に来る前に、なにか願い事をしましたか?」
「願い事なんてそんなの…………あ」

 あの朧月夜の帰り道を記憶の中でなぞって、はたと行き着く。

「どっか行っちゃいたい、とか、言った気がする、なあ……」

 ぽろりと零した言葉は確かそれ。次の一歩を踏み出したらそれはそれは青い海だった。
 え、それ? それが原因だったの?

「じゃあ、神様はナマエさんのお願い事を叶えてくれたということですね」
「そんな、」
「そうでないとすれば、ここにきて何かを成し遂げさせたいのでしょう」
「何かって……なに……」
「さあ」

 あれだけ真摯に耳を傾けてくれたシスターはどこへ。恨めしくなるほど彼女は聖書の一説をなぞるような穏やかな声で回答を放り投げた。そして。


「それが何なのかは、あなた自身で見つけないと」


 善き導き手らしく微笑んだ。
 難しいことを言う…と子供っぽくまごまご指をいじると、シスターは昼間に見せるような飾らない素朴な笑みをアハと浮かべた。

「シスターは聞き上手ですね。たくさん喋ってしまいました」
「そうかもしれないですね。懺悔や告解なんかで島の皆さんのお話を聞く機会も多いので」
「……もう一つ聞いても良いですか…?」
「なんでしょう」

 口を開いて、閉じて、一呼吸置いて、また口を開いた。

「正義と悪の境目は、何を以て決まるのでしょう」

 なぜ海賊と知っていて泊めてくれたんですか、という台詞と迷った。あまりにストレートすぎるからやめた。
 シスターはぱちりぱちりと瞬く。頬に手を添え、今度はひどく人間くさく笑った。


「情、ですかね」