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「ええっ!!?? ナマエちゃんたち春祭りのダンス知らないの!!??」


 春祭りまであと1日。
 玄関までお出迎えにきてくれた子供たちに手を引かれつつ、明日はついに春祭りだね〜なんて和やかに話をしていたのに、どんなダンスをするの? と軽い気持ちで尋ねたら、天地がひっくり返ったような驚愕の表情で固まったあと、鼓膜を劈くほどの声で飛び出したのが上記の台詞である。およそ10歳前後の女の子の声帯から出る音量ではなく、ナマエは両肩をビクッとあげて固まった。

「う、うん」
「まずいよ、今からでもいいから覚えた方がいいぜ!」
「私たちが教えてあげるから!!!」
「先生ェー! 今日の授業は休み! ダンスの練習しよ!!」
「そんなに…?」
「「「そんなに!!」」」

 ナマエは声を揃えて詰め寄られ、その真剣さと熱気にまた気圧される。廊下を通りがかったシスターと目が合うと、彼女も頬に手を添えて「踊れた方がいいと思うわ」と微笑んだ。

「そんなに難しいダンスなのかよ」
「えー、難しくはないよ! こうね、足をトントンって出すステップを何個か繰り返して、あとはひたすらくるくる回るの!」
「楽しいんだよ〜目回るけど! キャハハ」

 エースの周りで子供たちがこうだよこうだよ、と島に伝わる春祭りのダンスを実演する。彼らは簡単そうにやってのけるが、意外とそのステップとやらがナマエには複雑に思われた。

「春祭りはこの島の一番大きなお祭りなので、お祭りの期間は島中が浮かれるんです。だから踊ってない人が目に入れば、すぐに手を引かれて強制参加させられます」
「なるほどねェ。踊れないとは言わせねェってわけか」

 春祭りを教えてくれたレストランの店主も“踊り明かして春の訪れを祝う”と言っていた。踊り明かすという言葉は比喩ではないらしい。
 ミハールはフム、と息をついた。今日に限っては座ってオベンキョーなんて到底無理そうな子供たちがキラキラと目を輝かせて彼の言葉を待つ。

「……仕方ないですね。今日はダンスの授業にしましょう。講師は皆さんです、しっかり2人にダンスを教えてあげてくださいね」

 ワッ! と黄色い歓声があがる。
 もともと授業をするのは春祭りの前日である今日までの約束だ。授業終了の前倒しは、ここ数日、勉強を頑張ってきた子供たちへのご褒美のようなものだ。最後くらい息抜きして楽しく終わろうという子供の心に寄り添ったミハールの計らいである。
 ミハールのもとへ駆け寄ったウィルが彼のコートの裾をちょいちょいと引っ張った。

「ナマエとエースだけじゃなくて、先生も練習するんだぜ」
「……おやまあ」

 隙あらば書庫に篭りたがるミハールの習性をすっかり心得たウィルがニッと笑った。初日のツンケンぶりとは見違えて、2人はずいぶん仲良しになっていた。



 子供たちによるダンスの練習はハードだった。
 午前中をまるごと使って、エースたちは5種類ほどあるステップを叩き込まれた。子供には大人になるにつれて身につく「ま、こんなもんでいいでしょ」という怠惰な寛容さがない分、指導はスパルタだった。しゃがみこんでじっと足元をチェックされ、間違えたら一からやり直しというステップの試験が良い例だ。
 エースもあれこれと子供たちの指導を受けていたが、無尽蔵な体力が精神的余裕を生むのか彼は終始楽しげだった。終いには勝手にアレンジを加えて違う遊びに発展していた。ちなみに、インドア派で汗をかくことを嫌うミハールは一発で合格し、早々に子供たちに混ざって先生役を勝ち取っていた。
 平々凡々な身体能力のナマエは子供たちの指導にヒイヒイ言いながらも、ひとつずつダンスを習得していった。
 そして、あっという間に昼食。

「ダンス、なめてました……」
「あらあら。でもあれは子供用のダンスステップだから、大人のは少し違うんですよ」
「え!?」
「嘘です」

 ウフフ、とシスターは千切ったパンを口に放り込んだ。こうしてからかわれるくらい彼女とも打ち解けられたのは嬉しいことである。最初は恐縮しきりでペコペコ頭を下げられてばかりだったから。
 お昼を食べたら今度はクルクルダンスもやるよ、と午後の課題はすでに言い渡されている。すこぶる無邪気な表情と声で。しっかり食べなければ、とナマエは皿に盛られたミートボールを噛み締めるのだった。

 午後のクルクルダンスはその名の通り、音楽に合わせてステップを踏みながら、手を繋いで輪になって踊るダンスだった。数人で大きな輪を作ったり、するりと手を解いて2人ペアになったり。単純に回りすぎて三半規管をやられるし、遠心力ですっ転びそうになるけど、踊ってるうちに楽しくなってナマエはアハアハ笑った。
 ステップさえ覚えていれば、適当に合わせて踊れる。もっと言えば、多少ステップを間違えたり飛ばしたりしても、勢いで踊れる。楽しんだ者勝ち、といった風だった。これで踊り明かすのだから、さぞ祭りは楽しいのだろう。
 ナマエがダンスの輪から抜けて、火照った体を冷ましていると、いつの間にか孤児院に来ていたロニーが「ずいぶん踊ってましたね」と彼女に笑いかけた。

「明日お祭りなのにダンス知らないって言ったら、みんな教えてくれて! ロニーさんも踊れるんですか?」
「ええ、生まれも育ちもここですから」
「あ、そっか、そうですよね、へへ」

 興奮して当たり前すぎる質問をした彼女に、ロニーはばかにせず優しく微笑むだけだった。

「休憩がてら、少しお話しませんか」
「ええ、私でよければ」

 ナマエは歩き出したロニーの後ろについていった。他愛もない話をしながらたどり着いたのは、以前子供たちが教えてくれた見晴らしのいいあの場所だった。その時はモビー・ディック号の船尾が少し見えていたが、今はすっかり見えなくなっている。ちゃんと船を移動してくれたらしく、ナマエはひっそり胸を撫で下ろす。

「それで、本題なんですが」
「はい?」

 海から吹く風に少し髪を乱したロニーが振り返る。その顔つきは穏やかだけれど真剣で、改まって何を言われるのかとナマエはドキッとした。

「ナマエさん、この島に残りませんか?」
「……え?」

 突拍子もない誘いだった。でも、ロニーの揺るがない眼差しが冗談や思いつきではないかという推測を打ち消す。


「海賊船は、あなたにふさわしい場所とは思えない」


 海賊船。ロニーははっきりと、そう言った。
 ナマエは足元に向かって体中の血が下りていくのを感じた。

私たちが海賊であることが本当にバレているのか、ただ鎌をかけられているだけなのか。バレているとしたらいつから? もしかしてもう海軍に通報されてる? 私の返答次第でこの島での平和な滞在が打ち切られるのでは。……

 バクバクと心臓が鳴る。彼女は必死に頭を働かせていたが、この沈黙が海賊船の人間であることの何よりの証明になっていることには気づけなかった。
 しかし、予想に反してロニーはあわあわと話し始めた。

「あの、ナマエさん、尋問したいわけではないんです。実を言えば、シスターもあなたたちが海賊であることは気づいています」
「えっ……!?」
「まさか火拳のエースがあんなに気さくで優しい人とは知りませんでしたが……」

 ロニーは少し俯き、首筋を掻いて小さく笑った。

「……シスターから外れの海岸に海賊船が停まってると連絡を受けて、慌てて隣島から帰ってきたんです。しかも四皇の旗で肝を冷やしましたが、島は平和そのものでした。停泊してても大人しくしているなら、下手に海軍に知らせず、このまま争いもなくそっと出航させた方が良いかもしれないと思いました」
「……」
「ここでナマエさんたちを見て、無闇に人を傷つけない海賊もいるのだと知りました。……でも、海賊です。お世辞にも褒められた道とは思えません」

 風が吹く。視界の端でスノードロップの清らかな白が揺れた。

「ナマエさん、なぜあなたは海賊船にいるんですか? あなたのような優しい、“普通”の方が、どうして」
「……」
「あなたにはあなたなりの事情があるのかもしれない。でも、もし良かったら考えてほしいんです。ここに、この島に残ることを」

 ロニーはじっと彼女の瞳を見つめた。それから丁寧に頭を下げて、孤児院へ戻っていった。
 ナマエはその場を動けずにいた。告げられた内容を整理して呑み込むことに時間を要したからだ。
 投げかけられた誘いへの答えは迷うまでもなく決まっている。ナマエは船を降りる気はない。
 でも、それを伝えるだけでは、なにか足りない気がした。


***


「あ。クロエさん、今日はよそに泊まるので、ホテルには戻りません」
『キャーッ! えっ、なにっ、どういうこと!? 男!?』
「いえ、宿泊先はここ数日お世話になってる孤児院です」
『キャーーッ!! ちょっと聞いて、ナマエ、ナマエがよそでお泊まりだって!』
『えっ!!?? ひとりで!? アンタ大丈夫なのソレ!?』
「大丈夫ですよ。エースもいますし」
『キャーーーッ!!! エース隊長と一緒に外泊!? えっ??』
「先生もいます」
『えっ、やばいやばいやばい、盛り上がってきたわ』
『ナマエ今日は帰らないって!!』
『お酒あけてッッ』
『キャーッ、キャーッ』
「…………」

 興奮のあまり、ナースのお姉様方は話が通じなくなってしまったので、ナマエは諦めて電伝虫を切った。ドッと疲れて振り返ると、エースとミハールが慰めるように彼女の肩や背中を叩いた。

 今日が最後なんて嫌だ3人とも帰らないでの涙の合唱がキマり、エースたちは今晩は孤児院に泊まることになったのだ。
 無情にもさっさとお暇しようとしていたミハールの首根っこはエースが捕まえた。枕が違うと寝れないんですという白々しい嘘は、タオルを重ねれば調整できませんか……!? というシスターの純粋な気配りで無効化された。

「寝巻き、サイズ合いますか?」
「はい、何から何までお借りしてしまってすみません」
「いえいえ、むしろ無理言って泊まらせてしまってごめんなさいね」
「いえいえいえ、私も楽しんでますから」

 体を捻って、ふくらはぎ辺りでふわりと揺れるネグリジェの裾を楽しむ。ナマエはシスターの部屋、エースとミハールは子供部屋で眠ることになった。枕投げでもやっていたのか、子供部屋が静かになるまでやや時間がかかった。
 ナマエとシスターは寝支度を整え、おやすみなさいの言葉を交わしてベッドに横になる。
 ナマエは昼間、ロニーに言われたことを思い返していた。


 ナマエたちが海賊であることをシスターは知っている。知った上で、こうして招いてくれた。ロニーが感じていたように、これはシスターもナマエたちを無害な海賊だと信用してくれているということ——……こうして信用することだって、海賊に島を荒らされた過去を思えば、相当勇気のいることだっただろう。
 ナマエは“海賊”の恐ろしさをうまく想像できない。なにせ初めて出会った“海賊”がエースで、この白ひげ海賊団だったのだから。ナマエは暴力と略奪を生業にする“海賊”を目の当たりにしたことがないのだ。
 ロジャーという人は恐ろしい海賊だったのかしら。ウィルはもちろんだが、エースですらロジャーを嫌っていた。同業者からもそう言われるということは、やはり………いや、知らないだけかもしれない。島で暮らす人たちが白ひげ海賊団のみんなを知らないように、ナマエもロジャーという人を知らないだけで、実はオヤジたちみたいに気のいい海賊だったのかもしれない。


「ナマエさん、眠れないですか?」
「えっ、あ、シスター起きてたんですか?」

 天井の木目を見ながら巡らせていた取り留めもない思考を遮ったのはシスターの声だった。

「ええ……春祭りの前日だからかしら。わくわくして眠れないなんて、子供みたいだわ」

 笑われちゃうわね、と恥ずかしげに笑みをこぼしたシスターがゆっくりと上体を起こす。ナマエも同じように体を立てた。そして、どちらからともなく雑談が始まる。
 その内くるかも知れない眠気を追い払わないように、部屋の灯りはベッドランプのオレンジひとつだった。

「ナマエさんはどちらの海のご出身なんですか?」
「えー…と、東、の海…です」

 出身地という定番ながらナマエには最も答えにくい質問を初手で出される。前に航海士チームの方に習った世界地図を脳裏に浮かべながら、彼女はなんとか取り繕った。
 ぱちぱちと瞬いたシスターは笑った。

「嘘ですよね」
「なっ……なんでそう思うんですか…?」
「東の海は海賊王が生まれた海です。同郷で海賊王を知らないなんて、有り得ないですもん」
「うっ…………ご名答、です」

 海賊王が東の海出身とは知らず、ナマエは一発目からボロを出してしまった。
 参ったな、と目を泳がせてちらりとシスターの顔を見ると、彼女は急かす様子もなくとても穏やかな顔でナマエの言葉を待っていた。なぜだかナマエは抱きしめられたようにホッとして、肩の力を抜いた。

「……信じなくてもいいので、聞いて、くれますか?」

 シスターは優しく頷く。抱えた秘密を素直に打ち明けさせる空気が彼女にはあった。
 自分が本当はこの世界の人間ではないこと。ある日突然こちらの世界にきたこと。そこでエースたちに出会って旅をするようになったこと。
 シスターはこの突拍子もない彼女の話を口を挟まずに最後まで聴いてくれた。聞き終えた彼女は瞠目しつつほう、と息をつく。

「ナマエさんはよその世界の方だったんですね」
「信じます……?」
「時に神様は不思議なことをなさいますから」

 こんな話を疑わないでいられるのは、職業柄なのか、シスターの性格なのか、この世界ではこれくらいメチャクチャでも道理が通るのか、どれに由来するものなのか、ナマエには分からなかった。

「この世界に来る前に、なにか願い事をしましたか?」
「願い事なんてそんなの…………あ」

 ナマエはあの朧月夜の帰り道を記憶の中でなぞって、はたと行き着く。

「どっか行っちゃいたい、とか、言った気がする、なあ…………」

 ぽろりと零した言葉は確かそれ。次の一歩を踏み出したらそれはそれは青い海だった。
 まさか、それが原因だったの?

「じゃあ、神様はナマエさんのお願い事を叶えてくれたということですね」
「そんな、」
「そうでないとすれば、ここにきて何かを成し遂げさせたいのでしょう」
「何かって……なに……」
「さあ」

 あれだけ真摯に耳を傾けてくれたシスターはどこへやら。
 恨めしくなるほど彼女は聖書の一説をなぞるような穏やかな声で回答を放り投げた。そして。


「それが何なのかは、あなた自身で見つけないと」


 善き導き手らしく微笑んだ。
 難しいことを言う……とナマエが子供っぽくまごまご指をいじると、シスターは昼間に見せるような飾らない素朴な笑みをアハと浮かべた。

「シスターは聞き上手ですね。たくさん喋ってしまいました……」
「そうかもしれないですね。懺悔や告解なんかで島の皆さんのお話を聞く機会も多いので」
「……もう一つ聞いても良いですか…?」
「なんでしょう」

 口を開いて、閉じて、一呼吸置いて、また口を開いた。

「正義と悪の境目は、何を以て決まるのでしょう」

 なぜ海賊と知っていて泊めてくれたんですか、という台詞と迷ったが……あまりにストレートすぎるからやめた。
 シスターはぱちりぱちりと瞬く。頬に手を添え、今度はひどく人間くさく笑った。


「情、ですかね」