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 エースとナマエがめでたくそういう春の間柄になったことは、船のほぼ全員に知れ渡っていた。
 エースは勢いで暴露したあの場にいた誰かが、というかサッチが言いふらしたんだとばかり思っていたが、試しに発信源を問い詰めてみたハルタに「おまえ、馬鹿なの?」と口をあんぐりされた。

「堂々と女と朝帰りしておいてなに言ってんの?」

 と。単純明快である。言われたエースは、そりゃそーだなとポンと手を叩いて気持ちよく納得したのだった。

「泣かすなよ」

 話を聞いたオヤジは口の端をニィと上げて、旨そうに盃を煽るだけだった。



 さて、件の女はと言うと。
 端的にいえば、帰って早々クロエに取られた。

「丸くおさまったみたいね」

 猫がしっぽを絡めるようにクロエはナマエの首に後ろから優しく両腕を回して、勝利の女神みたいに微笑んだ。初めのうちはクロエの色香にあてられて目を回していた彼女もずいぶん太々しくなった。皮下脂肪の少ないクロエの細い腕に自ら手を添え、うふうふ笑って僅かに頭を預けてさえいる。
 仲良きことは麗しきこと、と分かっちゃいるが、これはつい昨日エースが選んで結ばれた女。同性同士の戯れといえど、この蚊帳の外の空気は面白くない。

「ンン゛ッ、えー、ゴホン」
「あらだめよ、この子はうちのです」
「ばか言え、こっちンだ」
「あ、ごめんねエース。私、しばらくクロエさんちの子だ」
「は?」
「今日から5日間、ナマエは医療班に専属なの」
「は、……はァ??」

 ねーっと2人は顔を傾けて見合わせる。クロエは、ス…と目を細めて勝ち誇った笑みを浮かべた。

「エース隊長、海賊は早い者勝ちで強い者勝ちですよ」

 約束を取り付けた順とエースとの力の優位性。この船の女は四皇に相応しく賢く強い。どちらの基準においてもナマエを勝ち取ったのはクロエだったのである。10センチヒールのニーハイブーツで華麗にナマエをエスコートして去る背中を、敗者は指をくわえて見送るしかない。
 控えめに振り返り、名残惜しさに眉を下げた笑みでこっそり手を振るナマエの姿は、「ハイ分かりました」では納得できないくらい未練が募る可愛さであり、転がり出そうになる咎めの言葉を「でもしゃーねェか」と呑み込めるくらい万物を無力化できる可愛さであった。

 思い立って交わしてみたキスの感触も悪くなかった。思い出しただけで極上の酒を呑んだあとみたいにふわふわと気持ちよくなれる。浄土の金の音色が聞こえるようだ。雪が解けたら春になるというのは本当らしい。
 こんな調子で浮かれているから、エースはサッチに言い渡されていたコンロ5日間コースからも逃げずにいられた。五徳を王冠みたいに被って轟々と燃えながら、キッチンに地べたに三角座りをして鼻歌を歌えた。中華鍋の底が頭上の五徳とぶつかってガチンガチン派手な音を立てている。
 中華は火力が命なんだとか。知らんけど。

「んで、朝帰りのご感想は?」
「下衆野郎め」
「ワハハ、海賊にそれ言うのか?」
「一応言う」
「あっそ」

 鼻紙を捨てるようなぞんざいさでスルーして、エースのそばに座り込んだラクヨウが胡座の膝の上に肘をついて「それでそれで」と身を乗り出す。邪魔だどけとサッチが鼻紙を除けるように鬱陶しそうにラクヨウの尻を蹴る。

「なにもおれは好奇心で聞いてるんじゃねェんだぜ、エース。おれはな、心配してんだ」
「嘘つけ。好奇心9割9分の目でなにを言ってやがる」
「だってお前よォ、あんな絶好のチャンスにおてて繋いだだけなんて聞かされちゃァ……その、なんだ。おれァ心配になるぜ、アー、お前の…、機能が……」
「ブッッ、なになになにその面白そうな話。サッチお兄さんにも聞かせろや」

 ラクヨウは柄の悪い丸い目を斜め上にちろちろ逸らしつつ、言いづらそうにしながらも堂々暴露した。言いづらいなら言わなきゃいいのに全部言いやがった。おかげで好奇心を濁流のように溢れさせたサッチがゲラゲラ寄ってくる。
 この船にいるのは、嫉妬の種にしかならない惚気話に興味はなくても、下半身の機能不全疑惑というオモシロ話にはしっかり食いつく下衆ばかりなのだ。エースはそんな下衆どもを焼かんと力を込めたが、勝手に火力変えるなと怒られてしまった。

「別に話すこたァなにもねェ」

 エースはそっぽを向いて素っ気なく答えた。
 本当にない。部屋は別だったし。朝帰りイベントにおいて最も華やかに盛り上がり、ドラマチックに事が進むはずの深夜帯には、本当になにもなかったのだ。マァ、かろうじてキスはした。何もないまま終わるのがあまりにも惜しくて。燦々と日の照る健全な朝に、寝転がれもしない不安定な小舟の上で。……
 エースは尻をもぞと動かして、三角に折り曲げた脚を今一度抱える。

「なにもねェって、エース、まさかまた……」
「待てよ、おれその前の話から聞きてェんですけど? おてて繋いでってなに? どんな面白いことがあったワケ?」
「……」

 ラクヨウはサーッと顔を青くする。サッチはわくわくとラクヨウの太ももをつま先でつついて時系列順の解説を求める。エースはそれを見てウンザリする。
 ウンザリしたから、正直に話してやった。

「……マ、頑張ったぜ」
「オッ!?」
「可愛かったし」
「オオッ!??」
「柔らかかった」
「オオオーーッッ!!!??」
「ッカーーーー!! ただの惚気かーーーーい!! 解散!!!!」

 警笛のようなサッチの一声で、ラクヨウの背中や調理台の影に隠れていたクルーたちや野菜の皮むきをしながら盗み聞きをしていた4番隊コックたちは一気に興味を失い、ノロノロと散っていく。

 襲わないように、頑張った。
 エースのビブルカードは肌身離さず持ち歩いているという彼女は、可愛かった。
 合わさった桜色の唇は、柔らかかった。

 嘘はついてない。我ながら紳士だなァと思う。けれど、虚しく待てを強いられている惨めな犬のそれとは違う。
 やさしくしたいのだ。心の芯から。目を伏せて彼女を想えば胸がじんと温まる。
 サッチはエースから中華鍋を下ろして、大皿3枚にチャーハンを盛った。それを見て、エースは足を胡座の形に崩した。首を前に傾けて脚の上に五徳をすべり落とす。

「なー、炒飯できたしもう終わりでいいか?」
「半日も経ってねェよばか」
「座りっぱなしで尻いてェんだけど」
「休憩くらいはやるよ。おれ優しいから」
「じゃあ3日にしてくれ」
「女持ちは5日間タダ働きって国際法で定められてンの知らねェ?」

 サッチはエースを一切見ずに中華鍋に残った炒飯を皿に掻き落としながらデタラメな法を吹聴する。

「おれの自由はどこにいったんだ?」
「焼豚と一緒に刻んで炒飯に入れた」

 サッチはあっさりと答えて皿をカウンターへ運んだ。



 エースが桃色のやわい思い出を反芻することで凌げたのも2日目の夜までで、3日目の朝には「会いたい」「会いてェー…」「は? 会いたい」と馬鹿の一つ覚えのような欲が喉まで出掛かっていた。
 厨房にいるお陰で、エースは日に3回は必ずナマエの姿を見られた。が、飯時の厨房はまさしく戦場で、とても抜け出して声を掛けに行ける状況ではなかった。忙しいのは彼女も同じようで、ほとんど医務室に篭りきりらしく、ナマエから会いにくることも廊下ですれ違うことも残念ながらなかった。
 時間を見つけて医務室を訪ねても「忙しいから後にして」とナースに門前払いを食らい、ならばと寝る前に女部屋を訪ねても「ナマエちゃんもう寝てるわよ……あ、夜這い?」とあらぬ疑いを向けられ、ちょっと本気で夜這ってやろうかと思ったけれどなんとか堪え。
 その間エースの自由は、出汁を取られていたり炭酸で割って飲まれていたり圧力鍋でほろっと箸で切れるくらい柔らかくされていたり、跡形もなく美味しく蹂躙されていたので温情の類は一切なかった。
 でも、自由と引き換えに生み出された一流の料理たちは気が遠くなるほど美味くて、飯時を過ぎて人がまばらになった食堂でエースは取り置いてもらった料理を毎回綺麗に平らげた。食事の間、向かいの席で自分のレシピノートを鼻歌混じりにたぐるサッチを恨めしく思いながらも「やっぱりコックはすげェや」と密かに感服したのだった。

 兎にも角にも。
 この5日間、エースはちっともナマエに会えていない。

 コンロ最終日の厨房、抱きかかえた寸胴鍋を弱火でじっくり熱しながら、彼は壁に掛けられた時計を睨んでいた。
 あと2分。正確にはあと1分48秒で日付が変わる。2本の針がテッペンを指した時、エースはようやくお役御免と相成るのだ。
 サッチが呑気に厨房に入って来る。この男、いつもなら火の番をしなくてはならないが、人間コンロなら問題なしと今の今までビスタだかラクヨウだかナミュールだかとポーカーをしていたわけだ。たまに現れてあくを取ったり、お湯を継ぎ足したりはしていたが。

「どう? 煮込んでる〜?」
「煮込んだわ4時間と59分!!」
「ハハ、うるさ」

 サッチは片耳を抑え、おたまでゆっくり掻き回して鍋の具合を見る。納得のいく出来栄えらしく、ルンルンとボウルやこし器の準備をしだした。

「!!!! これ、ここ置いとくぜ!!!」

 秒針と長針がピタリと重なるのを見て、エースは寸胴鍋をドンッとコンロへ下ろした。
 呼び止めるサッチはもちろんガン無視、一目散に風呂場へ駆ける。彼は浴び続けた油やソース、皮膚の下にまで染み込んでいそうなあらゆる料理の匂いを落としたかったのだ。洗い残しがないよう気をつけつつもカラスでもやらないような早さでシャワーを終え、濡れた髪を炎に潜らせながら今度は廊下を走る。
 目的地近くで大股歩きくらいのスピードに落とし、雑に乾かした髪を適当に整える。
 扉の前で軽く咳払いをして控えめにノックした。

 ナースに夜這いかと笑われてもいい。もうほとんどそんな気分だし。
さすがに寝てるだろうか。
 寝てたら、マァ仕方ない、明日の朝出直して——……

 程なくして、女部屋の扉が開く。

「遅くにすまん、ええと、……あれ?」

 おずおずと顔を出したのは、ナマエだった。
 彼女も少し驚いた様子でハッと短く息を吸い、下唇を小さく口の中にしまう。サンタさんがほんとに来た! みたいな顔でちょっとマヌケだった。エースも同じくらいマヌケな顔だった。
 拍子抜けしてこめかみをポリポリ掻く。

「……コンバンワ。ちょっとお時間いいデスカ」
「ふふ、はい」

 ナマエは嬉しそうに小さな声で返事をして、そっと後ろ手に扉を閉める。部屋の中からはキャーッと賭博特有の勝者と敗者の賑やかな声が聞こえた。コンロ業務終了とともにエースが駆け込んでくるか否かで賭けをしていた女部屋では、そこそこ大きな金が動いていた。
 予想外ではあったがすんなりナマエを連れ出せた。エースは口の端がにやけるのを抑え、ナース向けに用意していた言い訳や口上を急いで頭の隅へ片付けて歩き出す。ナマエも少し落ち着かなそうにニコニコ照れ照れと身じろぎながらも隣に並んでくれた。ちろちろと見上げるくせに、目が合えば恥じらうように睫毛を伏せる姿はじれったいほど可愛らしい。
 会えずに過ごした5日間を埋めるように、二人の会話は途切れることなく続く。

「汚いとこですが」
「あはは」
「適当にその辺座ってくれ」
「はーい」

 エースの部屋につき、椅子代わりにベッドを勧めれば、彼女は素直に従った。彼がベッドサイドのランプに指先から弾いた火種をひとつ放り込むと、部屋はぼんやりと明るくなる。エースは机の椅子を引いて横向きに腰掛け、頬杖でナマエに話の続きを促す。また身振り手振りを交えながらナマエが楽しげに話し始める。
 日付も超えた夜更け、二人きりの部屋でベッドに座った想い人。シチュエーションだけは完璧なのだが、肝心の当人が、如何とも。
 これは誘われているわけでも試されているわけでもなく、ナマエは単に話に夢中なのだ。今宵そういう展開になっても誰も何も責めない間柄になったということが頭からすっぽ抜けている。それがありありと分かる。下心を抱くことすら恥ずかしくなるくらい、ぺかぺかの陽だまりみたいな顔には「あえてうれしい」と丸っこい文字で書かれている。
 その顔を見てエースは心の中で唸る。

「……あのよ、ひとつ提案なんだが」
「?」
「やっぱ、どこかに所属を決めないか?」
「え?」
「あー、ナースんとこでもいいし航海士チームでもいいし」
「……」
「もちろん2番隊でも。ナマエの好きなとこでよ」

 大本命を最後にさり気なく言い添え、下心オールインの大博打。
 会えない時間はお互い寂しかったようだし、勝ち目はある。ナマエが当たり前に自分のそばにくる明日を望んで何が悪いのか。船中をほぼ日替わりでフラフラされては見つけにくくて敵わんと、エースは前々から思っていたところだ。
 彼はなるべく何でもない風を装って、できるだけ涼しい顔で格好つけて、なんとなく爪の先なんかをいじったりして、彼女の返事を待つ。
 腹の中では固唾を飲みながら。

「それね……私も、ちょっと考えてたんだ」

 キタ!!!

 親指で人差し指の付け根を意味もなくさすり、ほんのり頬を染めたナマエがえへへと言う。
 思わずごくりと喉仏が上下した。

「もちろん色んなとこでお手伝いするのも楽しいんだよ。みんな優しくしてくれるし、全然知らないことを覚えるのも面白いし」
「だろうな、見てりゃ分かる」
「でも、その……、あー、う、やっぱり……」
「やっぱりいいやはナシだぜ? ここまで話したんだ、どこの所属がいいのか言うだけ言ってみろよ」
「ん〜……」

 ナマエは小さく困って、目を泳がせつつ歯切れの悪いうわ言を繰り返す。
 
「で、でも……」
「ん?」
「し…下心……も、混じってる……と言いますか…………」

 下心!!!!!

 これはもう勝ち確定だ。
 間違いなくナマエはエースの求める答えを言おうとしている! むしろここは多少強引にでもすっきり言わせてやるのが男の甲斐性である。
 怒られないかしら、笑われないかしら、という不安と羞恥が混ざった瞳がおろおろとしている。エースは安心させるように微笑みかけ、気長に言葉の続きを待つ。
 震える眼差しだんだんとエースから逸れなくなった。幾許か緊張を孕んだ吐息が数回繰り返されて「あのね、」と意を決した小さな声が漏れた。

「えと、ね…………4番隊……」
「よんッ?」
「うん……」
「え?……、よ、よン? よん??」

 ああ言っちゃった! とばかりにナマエは頬を両手で挟んでワッと照れ出す。おかげで、顔を引き攣らせ、眉間に深く皺を寄せたエースの顔などとても見ちゃいない。

「お、おま、4……4ってあれだぞ、サッチんとこだぞ!?」
「? うん」
「し……下心ってどういうことだよ……」
「あっ……それは……」

 事によってはエースはあの男をカリカリのフランスパンにしてやらねばならぬ。のっぴきならない事態だ。
 暫しの沈黙。それから。

「……食事の度に、エース、食堂に来るでしょ」
「……? おう」
「1日3回、堂々とエースに会える……それもお仕事しながら……」
「…………」
「…………」
「……お、」
「お?」
「おれに会いてェなら素直に2番隊に入りゃいいだろーが!!!」

 恥も外聞も吹っ飛んで、前のめりでツッコむ。

「えっ、や、やだ、無理心臓足りない」
「心臓なんざ1つありゃ十分だ!」
「それに……!」

 まだなんかあんのかよ!

「それに……そんなにしょっちゅう会ってたら、付き合ってるってバレちゃう……」

 頬に手を添えたままもじもじ言う。
 エースは体を支える気力もなくなって、机にぐでっと上体を崩す。肘の内側におでこをくっつけて「はぁーー……」と溜息をついた。ジーザス、このお花畑チャンをなんとかしてくれ。

「もうバレてんだよ、ほぼ全員に……」
「え! な、なんで……!?」
「朝帰りしたろうが……」
「え、え〜…やましい事してないのに……」

 キスはやましくねーんだ。フン。あとでしてやろ。
 エースは顔の向きをずらし、腕をそのまま枕にして「で?」と尋ねる。

「バレてるのを踏まえて、ナマエはどこに行きてーの」
「4番隊……」
「あンでだよ……」

 一縷の希望も絶たれた。
 ナマエは居住まいを正し、すごく真面目な顔で、ちゃんと説明し始めた。

「食事の準備って何かしら人手が要るし、食材の下準備とかお皿洗いとか…体力に見劣りする私でも役に立てることが他よりあるなって思うこと多くて……それに、料理のお手伝いなら船のみんなに毎日貢献できるから嬉しい」
「おれとも合法的に会えるもんな、日に3回」
「う゛」

 エースはぐでぐでの体勢のままそれを聞き、フと鼻から笑みを漏らして少しいじめる。分かりやすく後ろめたそうにするから、もっといじめたくなる。
 おれだって期待を仄めかされて持ち上げられて、盛大に負かされたのだ。これくらい許されるだろう。エースはそんな身勝手な免罪符を掲げることにした。

「24時間あっても3回ぽっち。それもおれから食堂に会いに行く」

 のそりと椅子から立ち上がり、悲しげな声色をつくって肩を竦める。歩み寄ってくるエースをナマエのくりくりの目が追う。
 彼が無遠慮にナマエの横に腰を下ろすと、彼女はこれまた分かりやすく肩をすぼめた。何を言われるんだろうと胸の内側でハラハラしている顔だ。
 期待に応えて、とびきりの声で言う。

「ナマエからは会いにきてくれないのか?」
「え、」
「おればっかりが足繁く通うなんてあんまりだぜ」
「それは……」
「寂しくて涙が出ちまう」
「その……」

 膝の上でこんがらがってたナマエの手を取り、手の甲にピト…と唇をくっつけて切なげに眉根を寄せる。
 酒の席で聞いたクロエの必殺技である。オヤジを除く老若男女に効くらしい。こんなものを老若男女に試すなという話だしオヤジに試すなという話だが。
 効果は抜群でナマエの目は白黒、顔はゆでだこ、口は陸に放り出された魚のごとく。それがかわゆくて面白くて、この手のことに一生耐性つかないでほしいなとエースは思った。
 飽きないなーと唇をくっつけたままいると、ナマエは床をじっと見て息を整えた。

「エース……」
「ん?」
「早とちりだよ、なにもそれ以外会う気ないなんて、言ってないじゃん」

 ム、と少し口を曲げて睨まれる。反撃か? と思いつつ、エースは首を傾げて拗ねた演技を続ける。

「私だって、エースに会いたいと思ってるんだよ」
「おう」
「……」
「………、?」
「…たくさん会いに行っても、ウザがらない?」
「ブッ……」
「笑わないでよ……」
「ん…っ、ふ、あはははは」
「こういうことの普通がよく分かんないんだってば」
「ふはは」

 本人は至って真面目らしい。まったく、何の心配してるんだか。
 演技がすっかり剥がれた笑い声が出る。丸めた背をいい加減叩かれ、エースは人差し指の背で目尻を拭って可愛い女に向き直った。

「いくらでも会いに来いよ」
「——……うん」

 噛み締めるように笑ったナマエの前髪をそっとよけて、エースはおでこにキスをする。つかまえたままの手にキュと一瞬力がこもった。それでも逃げないのを許諾と捉え、こめかみ、目尻、頬、口の端、…とゆるやかにキスを落としていく。
 唇の触れる場所が下るたび、伏せられた睫毛が繊細に震えるのを薄目で見て、童貞みたいにドキドキした。空いていた手をナマエの耳の後ろからうなじにかけて添えれば、彼女はおずおずと唇を差し出すように顔を僅かに上げた。
 押し当てるだけの短いキスをする。角度を少しずつ変え、見えない印をつけるみたく、何度も。

「ん、は」
「はは、息しろよ」
「いつ……」

 小さな鼻をむぎゅと軽く摘んで、これだよと笑ってやる。
 ナマエは小休止とばかりにのぼせた顔でエースの胸におでこを押しつけて静かになった。上がっていた息が整っていくのが細い肩の上下で分かる。
 座った体勢のまま寄りかかる体を支えるのが億劫になり、後ろに枕を手繰り寄せてずるずると上体を倒した。おでこをくっつけたままのナマエもリクライニングチェアの要領で一緒に体が傾く。
 エースはキスができないかわりに、頭の丸みにそって流れる髪に指を通してしばらく遊ぶ。

「キスって気持ちいいんだね……」

 やがて、押しつける場所をおでこから頬に変えたナマエがぽーっとした声音で呟いた。余韻から抜けられていないような緩慢な動きで納まりのいい場所をもそもそ探し、結果、エースの心臓の上あたりに頭を預けて落ち着く。

「……もっと気持ちいいキスがあンだけど」

 エースは耳元に顔を寄せて次へ誘う。顔が見たいなと思って指の背で頬を撫で、仕草で返事を乞うた。
 どんな小さな声も聞き漏らすまいと耳を澄まして、気付いた。

「…………………あ?」

 この女、寝てやがる。
 すうすうと気持ちよさそうに寝息を立てていやがる。

 エースは呆然と口を開けたまま、顔を逸らし、天井を眺め、首をさすって深く俯き、全ての動作に5秒くらいずつ時間をかけて、最後になんとか唇を引き結んで顔を上げ、穏やかに寝こけるつむじを見つめた。

「………ッダァ!!!!!」

 彼は首飾りや腕輪、ログポースをぽいぽい床へ投げ捨て、ベッドの足元でぐちゃぐちゃになっていたブランケットを引っつかむ。ベッドサイドのランプを吹き消し、ブランケットで丸ごとくるんで芋虫みたいにしたナマエをぎゅうと抱きしめ、無理やり目を閉じて横になった。
 寝る。寝るのだ。だってセックスは一人でできないから。
 スン、と鼻をすする音が虚しく響いた。

分かってる。無理して起きてたんだ、こいつ。
いつもなら寝てる時間だろうに、おれが部屋に来ると思って待っててくれてた。
じゃなきゃノック一発でナマエが出てくるわけがねェ。

 分かるから、怒るに怒れない。

「……覚えてろよ」

 寝息を盗むように唇を重ね、頬をみょんと抓るのが精いっぱいの仕返しだった。