39

 
 所属を決めようとエースと話した翌朝、私はエースが大の字で気持ちよさそうに眠るベッドからそっと抜け出し、食堂へ向かった。カウンター越しに今日も景気の良い笑顔で挨拶をしてくれたサッチさんに私も元気よく挨拶を返した。
 いざ言うとなるとちょっと緊張する。でもサッチさんがカウンターの奥に引っ込んでしまう前に言わなければ。

「あの、サッチさん! もしご迷惑でなければ、私を正式に4番隊に置いてもらえませんか?」

 その途端。ジョズさんが手に持っていたプレートをガシャァンと落とした。マルコさんが淹れたてのコーヒーをマグカップごとサッチさんに投げつけた。イゾウさんが発砲し、銃弾はサッチさんの頭の横数ミリのところを通過して壁に焦げ跡を作った。スムージーを飲んでいたクロエさんは、太いストローから口を離すと、細かい彫刻がなされた重たい銀のジッポを鳴らして煙草に火をつけた。それから天井に向かってふー…と細く煙を吐いて、胸元から取り出した子電伝虫を一切見ぬまま「今日中に成人男性の新鮮な臓器が手に入るけど、いくらで買う?」と回線の向こうの誰かへ持ちかけた。
 それらの物騒な諸々には1ミリも反応せず、サッチさんは目をまん丸にして固まっていた。サッチさんのリーゼントに突き刺さったフォークやナイフを取ってあげるべきか迷っていると、サッチさんはスッと拳を突き上げて。

「4番隊!!!!!! 船にある酒、全ッッッ部開けろ!!!!!!!!!」

 と叫んだ。
 それは4番隊vsそれ以外のクルーの大喧嘩のゴングだった。





「ンな馬鹿げた話があるかよい!!!」
「そうだそうだー!! どんな手を使いやがった!!??」
「4番隊じゃ宝の持ち腐れだろーーーーがッッ!!!!!」
「もういいアンタの血全部輸血パックに詰めてやるからこっち来なさい」
「あーーーきらめろ!!! アッハッハッハ〜〜ッ!!!!」

 甲板、青空の下で緊急会議が開かれていた。
 各隊の隊長、並びに医療班、航海士チーム、整備組のトップたちが額を合わせて喧々囂々の議論がかれこれ2時間以上続いている。みな熱が一向に下がらないのもすごいが、その怒声を一身に浴びてなお痛くも痒くもないという顔でむしろ煽り返しているサッチさんもすごいなと思う。海賊たるもの、これくらいタフでなければならないようだ。
 私はといえば、そんなに悪いこと言ったかな……とオヤジさんの膝の上でちまこくなりながら事の成り行きを見守っていた、というかみんなの剣幕に気圧され何もできず、オヤジさんに手招きされるがまま一番の安全地帯にチョンと居座ったのだ。
 オヤジさんは朝から半狂乱の息子たちにぼふぼふぼふぼふ文字通り叩き起こされ、半分寝ぼけた状態で甲板のいつもの座席に引っ張ってこられた。おもちゃの取り合いを真剣にやっている息子たちを「………」と半ば呆れた目で眺めている。この船ではオヤジさんが駄目と言えばどんな決定も簡単に覆るのでみんなはそれを狙っているらしい。
 それからエース。議論の輪から離れたオヤジさんの席のすぐ横の階段に腰掛けており、右膝に左の足首を引っ掛けてりんごをしゃくしゃくと丸齧りしている。その顔はオヤジさんと似たようなもので、付けっ放しのテレビに映るプロレス番組を惰性で眺めている感じである。
 一向に進まない議論に痺れを切らしたラクヨウさんが「ッ、エース!!」とくわっと目を向いて怒鳴った。

「お前いいのか!? ナマエちゃん4番隊に取られちまって!!!」
「あンだよ、ナマエが4番隊が良いっつってんだから良いだろうが」
「はーーァーー!!?? 潔すぎだろ!!!???」
「無理やり引っ張ってきて自分ンとこに収めたってしゃーねェし」
「お前が一番の反対勢力になると思ってたのに……!!!」
「アイアイ、すんませんネ」

 裏切られた! という空気でラクヨウさんは憤然とサッチさんに睨み直る。エースが投げたりんごの芯がラクヨウさんの頭にスコンと当たって甲板に転がった。
 オヤジさんは腕を組み、鼻から深く息を吐きながら身体を折り曲げ。

「……で、なんでおめェ4番隊がいいんだ」

 とりあえず言い分でも聞いてみるかという感じで私の耳元でコソッと話した。身体が巨大なので潜めた声もそこそこ巨大で、何より彼の声は低くてシブくてよく通る。甲板の面々は揃ってピタと固まり、オヤジさんもとい私を見た。
 30余の瞳にジッと見つめられちょっとたじろぐ。エースが段差に片肘を引っ掛けて空を仰ぎながら次のりんごを齧り「言ったれー」と雑に後押ししてくれた。
 昨夜はあんなに拗ねた様子だったから、今日もやっぱり反対されるのではと思っていた。でもエースはちゃんと私の意見を尊重して、理解してくれていた。
 心が軽くなって、勇気が湧いた。
 エースに説明した話を、もっと丁寧に言葉を足してみんなに話した。みんな険しい顔をしながらも、最後まで聴いてくれた。

「みなさん、誘ってくれてありがとうございます。そのお気持ちだけで私は胸がいっぱいです」

 ズ、と誰かが鼻を啜った。オヤジさんが背もたれにゆったりと体重を預けてグララと笑った。

「どこに腰を据えるかは、自分で決めます。自分の人生の舵は、自分で取ります。……なので、私は4番隊に行きたいと思います!」

 いつかに聞いたオヤジさんの言葉を借りて、私は高らかに宣言したのだった。
 卒業式の答辞みたいだなと思って少し恥ずかしくなる。鼻を啜る音が大きくなり、「ェオッ」としゃくりあげるような声がちらほら聞こえ始めた。え、なに。

「ナマエが巣立ったよい……」
「実はずっと娘ができた気分だったんだよおれァ……」
「やめとけ犯罪者になる……」
「全員海一番の犯罪者なんだから大丈夫よ、もう遅い……」
「嫁に出す気分ってこんなんなのかーッ」
「ア"ーーーそれおれも思ってた!」
「嫁ぎ先がサッチんとこだなんてーーッ」
「それも思ってたーーー!!」

 大合唱でおいおいと泣く。圧巻の光景だ。大きなお兄さんお姉さんたちをこんなにたくさん泣かせてしまった。サッチさんはその姿をにこにこ眺めながら新しいボトルを開けた。
 ひとしきり泣いた後、目尻に残った涙を人差し指の第二関節で押さえるように拭い、クロエさんがハーッと息をはいた。気持ちを切り替えるように鼻からスンと空気を吸って顔を上げる。

「誓約書書かせよっと」

 その一言に「お、いいね」「絶対必要」「罰則何にすっかな」とぞろぞろ集まる。木箱をテーブルにし、速やかに紙とペンが用意され、マルコさんが「えーとまずは、サッチおれたちはお前を絶対に許さない、っと……」と書き出しを飾る。
 大の大人がこてこてと額を合わせて羊皮紙を埋めていく。オヤジさんを見上げると、肘掛けに頬杖をつきすでに目を閉じていた。段差の影からは、すっかり横になったエースの小さなイビキが聞こえる。昼寝の様相だ。止めないらしい。サッチさんは生ハムを切ってメロンに乗せて食べていた。

「マ、こんなもんか?」
「いんじゃね?」
「おーーいサッチサッチサッチ、ここに印押せ早くしろ内容は後で読め」
「え誓約書だろ読んでから押させろや」
「そう大したこと書いてないから」
「いや待ていま打首って見えた」
「爪剥ぎの間違いだろ」
「エッおかしくね?」
「?」

 きゅるんと擬音をつけた瞳はひとつの濁りもなく無垢を謳う。
 あれよあれよという間にサッチさんが羽交い締めにされた。署名より血判が選ばれ打ち合わせでもしていたかのようにスムーズにナイフが持ち出され、私は慌ててオヤジさんの膝から降りて誓約書なるものを引ったくる。
 みんな、なぜかサッチさんまできょとんとした目をする。なんとか思い出したという口調で「え……あ、読む?」とハルタさんが言った。足りないことあれば言えよな、と声をかけられる。
 とにかく頷き、目を通す。
 すっかり目を通し、私は階段で寝ていたエースを揺り起こした。涎を手の甲で拭いながら、終わったか? とエースが欠伸をする。

「エース。これ燃やして」
「あ? いいのか?」
「うん」
「りょーかい」

 つまらなさそうに誓約書を指でパラパラとめくったあと、エースはそれを呆気なく燃えカスにした。背後でギャッ!! と悲鳴が上がる。
 くるりと振り返り、向き直った。

「誓約書を読んで、みなさんが私にやってほしくないことは分かりました」

 基本的に言い方は物騒だし、半ばサッチさんへの私怨のようなものも見受けられたけど、要は長時間労働させないとか、休憩を取らせるとか、21時以降は働かせないとか、セクハラしないとか、そういう内容であった。私はこれを兄と姉からの心配と愛情の形と受け取った。

「だから、嫌なことは嫌と言いますし、できないことはできないと言うので、安心してください。誓約書で守られなくても、ちゃんと自分の言葉で戦います」

 再び高らかに宣誓する。ワッと泣き出す大人たちを見て、思わず破顔した。

 これにて雑用係争奪戦は、4番隊に籍を置くという形で終息したのだった。


***


 23時半、エースの部屋の前。
 枕を胸の前で抱えて扉をじっと見つめる。緩く握った右手が扉の数センチ離れた場所で往生際悪くさまよう。ちょっと前まで足も部屋の前をうろうろとさまよっていた。なんとか扉の前に立ち止まってノックの寸前まで漕ぎ着けたところ。
 じぃっと立っていると足の裏から眠気が這い上ってくる。少し冷えた廊下の空気がそれを助長させる。早速今日から4番隊で張り切って働き始めたので、心地よい疲労感が全身を占めているのだ。

 ウザがらないって言ったし……!!

 えいやとノックをする。が、返答なし。寝てるのかもとためらいつつも、もう一度ノック。やはり無音。

「エース、さーん……」

 廊下を見回してなんとなく周囲の無人を確かめてから、扉を細く開けて室内を覗く。
 部屋はしんと暗く、人がいる気配はない。人がいた温度もない。無人だ。あるのは丸窓から差し込む青い月影だけ。
 エースがいなくてがっかりしたような、命拾いしたような、いややっぱりがっかりが強い。首を引っ込め、そっと閉めたドアノブにため息を落とした。
 いつエースが部屋に戻ってくるのかも分からないし、今日は出直そう。昨日はいつの間にか寝落ちしてしまったから、リベンジのつもりだったんだけど、仕方ない。一日の終わりに眠たくなるまで好きな人と喋るのは、密かな憧れだったのだ。ふやふやと寝ぼけた声で名残惜しくおやすみを言うのが。
 ひとつまみ分の悔しさを下唇と一緒に噛んで、いつもの女部屋に帰ろうとしたとき、廊下の角を曲がってやってきたクルーとがっつり目が合った。てんてんてん、とコントのような間のあと。

「アッ……ま、待て、待ってろ、エース。エースだよな? あいつ確か甲板でデュースと飲んでたから」
「え……?」
「ステイステイステイ、待ってろ動くな」
「あの、なにを」
「そうだそうだぞ、良い子だ」
「よ、呼ばなくていいんで! 私も今日は部屋に帰るので!」
「いーーからいーからいーから!!」
「あーっ」

 喋れたらいいなという程度で、先約を中断させてまで呼びつけたいわけじゃない!

 制止も虚しく駆け出した背中。己の腕に抱えた枕とゆるっとした部屋着を見下ろして一瞬ためらったが、その背中を追いかけるしかなかった。海賊を生業とするクルーとの運動能力の差は歴然で、廊下ではついぞ追いつけず、ヒィヒィ息を切らしてよろめくように甲板に続く扉を押し開ける。
 どこに行ったんだろ、早く止めなくては。
 キョロキョロ辺りを見回すが、夜更かしが当たり前で酒を飲むのが日常のこの船、酒盛りの車座など珍しくもなく、どれがエースとデュースさんか分からなくて結局枕を抱えて甲板をうろうろする。あちこちから投げかけられる「おやおやどうしたのかな」という妙に温かな視線がしんどい。恥ずかしい、枕なんか廊下に放り投げてくればよかった!
 半分涙目で探し回っていると、突然後ろからのしっと肩を組まれて反射的に短く悲鳴をあげる。

「くく、なんだどーしたよ、おばけが怖くて便所に行けねェってか?」
「は……エース…」
「付き添おうか?」
「け、結構です!」

 耳元でくつくつと笑うその声はやたら楽しげだ。少し離れたところに目を向けると甲板の隅に胡座をかいたデュースさんが酒瓶を傾けながら手を振っていた。デュースさんに会釈を返している間も、なあなあとエースが顔を近づける。

「部屋の前で待ってたって?」
「待ってないです、ちょうど帰るとこだったので、デュースさんとお酒の続き、ドゾ」

 そそ、と手のひらを上に向けてデュースさんを指す。

「なんだよ、切り上げようと思ったのに」
「でもデュースさんとの約束が先なんだし」
「そろそろお開きにしようと思ってたとこだぜ」
「嘘だよ、いつももっと夜更かししてるでしょ。日付前に寝るのなんて美容に気を遣ってるナースくらいだってクロエさん言ってた」
「おれたち昼過ぎから飲んでっから」
「昼……!?」
「エースーーおれもう寝ていいかー!?」
「デュースもああ言ってるし」

 な? と親指で後方のデュースさんを指差す。
 そんな長時間でなに話すのと思ったけど、女子高生だってその気になればファストフード店やらカフェやらに行けばそれくらい潰せる。歳の近い2人には積もる話もあるのだろう。たぶん。
 2人はさっさと空の瓶や皿を片付けてトイレを済ませて歯磨きをして廊下でオヤスミと簡単に告げて別れた。
 本当にお開きになってしまった、と私は枕を抱えてエースの後ろに突っ立っていた。男の子ってずいぶんサッパリアッサリ別れるのね。別れ際まで名残惜しく話し込んでしまうのは女子だけの習性なのか、はたまた同じ船の上で暮らしていればそう名残惜しいこともないのか。
 エースは廊下の真ん中でぐっと伸びをしながら一際大きな欠伸をしたあと、ムニャムニャと唇を動かし。

「おれは有言実行でナマエが会いにきてくれて嬉しい」

 と満足げに言った。この調子で会いに来いよ、と頭にポンと乗った大きな手がするりと滑り降りてきて、ごくごく自然な動きで私の片手をさらった。
 歩き出した先が女部屋じゃないのが分かって、胸がムズムズと嬉しくなる。

「眠くないの?」
「寝るにははえーよ」
「不健全」
「大人はみんなそう」
「ふふ」
「あ、便所いくか?」
「ばか」

 部屋に入って枕元のランプを指で弾いた火種で灯すと、エースは首飾りや腕輪を机にぽいぽいと置いた。最後にベルトの金具が重たい音を立てて椅子の背に掛けられる。
 様々な装飾品が削がれたエースは、直視するのがためらわれるほど、その、ラフだ。衣服は黒のハーフパンツ一枚きり、およそプールサイドでしか見ない軽装具合。ベッドのへりに座ってエースがブーツを脱ぐ。ごとんごとんとブーツが床に投げ出される。露わになった筋張った足の甲から反射的に目を逸らし、抱き寄せた枕に俯いた口元を少し埋めた。悪いことなどひとつもしてないのに、なにか後ろめたい気分だ。
 エースはぱっぱとベッドに肘枕の体勢で横になり、自分の腰辺りまで掛けたブランケットをぺろんと捲った。

「こっち来い」
「え!」
「枕まで持ってきたくせにどこに座る気だよ。ほれ」
「あ、う、うん……」

 言われるがままベッドに座り、ちょっと迷ったけど靴を脱いで揃える。横になるのは図々しい気がして、ベッドボードに背中をつけて枕を抱っこしたまま三角座りをした。エースは逐一思案が入り混じったその一連の動きのぎこちなさを柔らかく笑い、立てた膝小僧を隠すようにぱさっとブランケットをかけてくれた。

「別に一緒のベッド入るの初めてじゃねーじゃん」
「うるさいなぁ……変なことしないでよね」
「えー……」
「なっ、なんかする気なの……!?」
「ぶはっ、うそうそ。ちゃんと大人しくするよ」

 そう言ってエースは頭の後ろで手を組んでごろんと仰向けに寝転がり、今日の4番隊での仕事の感想なんかを聞いてきた。
 あれやこれやと話している内に、肩の力が抜け、立てた膝はぺちゃんと伸ばしきりになった。抱えてた枕は背中側へ回して当初の予定通りクッション代わりにする。
 そのうち、お互いにあくびの回数が増える。瞼が重たそうになり、瞬きと会話が間伸びする。心地よい眠気の波打ち際にいる感覚。

「なー」
「うん?」
「この部屋、いつでも使っていいぜ。鍵なんかもともとねェから」
「いいの?」
「ん」

 エースの瞼はすでに下りていて、放っておけば数分と経たず眠れるんだろう。ランプの炎がゆらめいて黒い髪がオレンジ色に照らされている。

「夜もベッドとか、おれいなくても勝手に使って寝てていいし、ナマエの荷物置きてェなら置いていい」
「そう……?」

 エースはぎゅっと一度目元に力を入れて、髪を掻きながらのそりと起き上がった。寝落ちしそうになったのをなんとか堪えたようなそんな動きで、ぎしっとベッドを軋ませて私の身体を跨ぐように手をつきランプの灯りを吹き消した。暗闇の中、いつもは首飾りの赤い珠で隠れがちな鎖骨が目の前で月明かりに白く浮かび上がっていた。
 再びベッドの軋む音がして、エースが元の場所に寝転んだのが分かった。灯り消されちゃったなと自分のつま先をもにもに擦り合わせながら思う。
 眠くなるまでお喋りをしたら女部屋に帰ろうと思っていた。でも部屋の主はこのまま居ていいというようなことを言う。むしろここに居つけと言わんばかりのことを。今夜の私の寝床は、一体。……

「……やっぱりまどろっこしいこたァやめだ」
「わ」

 またのそりと起き上がり、今度は私に向き直って座った。あぐらをかいて重なった足首のあたりに腕をまっすぐ下ろして少し俯いている。スウと鼻から息を吸う音がした。
 なにを言われるんだろう。暗闇に目を慣らそうと私は何度か瞬きをする。

「ナマエ」
「は、はい」
「女部屋じゃなくて、この部屋に帰ってきちゃくれねェか」

 怒ってるのかと思うほどの気迫ある声色とはちょっと合わない台詞に、しばしエースの言葉を咀嚼するのに時間を食う。

「日中は4番隊、そりゃ分かった、反対する気なんかねェ。……でもおれもナマエの時間が欲しい」

 少しの沈黙も居た堪れないのか、エースが畳み掛けるように続ける。

「昨日はお前勝手に寝ちまったけど、今日過ごしてみて、こう、良いなと思ったんだよ。一日の終わりに一緒に居られると落ち着くというか……いやムラムラもすっけど、ええとマァそらまた別の話で……」

 珍しく歯切れが悪く、余計なことも言って、誤魔化すように右手で左肩の辺りをさすったりと何となく落ち着きがない。夜目が効いてきた。泳ぐ視線も、少し突き出した唇も、そわそわと動く指の先もぼんやりと見えて、胸のよくわからないところがキュンとくすぐったくなる。
 かゆいわけでもないだろうに、人差し指で眉間の辺りをポリポリ掻いたエースが数度唸って「だからよォ」と無理くり要約に入る。
 黒の双眼がゆっくりと照準を合わせるように私を捉えた。


「今日も明日も、帰んなよ」


 こんな甘い声を誰が断れるだろうか!
 エースのその言葉はゼロ距離で心臓を撃ち抜くような威力で、私のハートを真っ赤に燃やした。少しの声も出せなくなる。
 私は胸の前でブランケットをギュッと握りしめ、こく……と頷く。

「! ほんとかっ」

 エースはパッと顔を綻ばせて飛びつく勢いで身体を前のめりにさせた。高い鼻と笑い皺にぴたりと月明かりが寄り添う。もう一度こくこくと頷けば、よっしゃあとダルマが揺れる要領でエースの身体が後ろに戻った。天井を仰いで前後にゆらゆらにこにこしている。白い犬歯が見えっぱなしだ。
 手放しで喜ぶその姿にぽぽぽと顔が熱くなる。こんなにストレートに喜ばれたら照れる。私は火照る頬を手で扇いで、私、本当に今日眠れるのかなとちまちま困った。
 確かに一緒のベッドで寝るのは初めてじゃない。でも、お互いの意識がちゃんとあるうちにサァ寝ましょうというのは初めてなのだ。

「わっ」

 そんな心配はお構いなしなのか、お見通しなのか、エースが私の腕を引いてベッドに一緒くたで倒れ込んだ。エースの胸板に私の鼻がぶつかり、私のつむじにエースの顎が当たっている。
 体勢が苦しくてもぞもぞもがいてぷはっと顔を上げると、エースの顔が近くにあった。目が合うと少し笑って乱れた髪を撫でながら梳いてくれた。その手は心地よく、やっと喋れるくらいに落ち着く。
 そのままゆるゆるとお喋りをして、再びまどろみが満ちる。会話もまばらになってきた頃。

「エース……」
「んー……」
「おやすみ……」
「ん……おやすみ……」

 念願の、でも明日からは毎日できる挨拶。
 まず持ってくるのは着替えとお化粧ポーチかな、なんて思ったところで意識は夢に落ちていった。