03
「"奢る"って!!!エースさん言ってましたよね!!!????」
「いやァー良い店だったな!」
「話聞いてくださいよ!!」
背後から店主の怒号が聞こえる。ぶつかる人たちにごめんなさい!すみません!と謝りつつ、人波を掻き分けて通りを疾走する。
この人は確かに"奢る"と言ったのだ!
それなのに!それなのに!!
「食い逃げの片棒担がされるなんて嫌です!!」
「まともに支払ってたら頼まれた買い出しができなくなるだろ?」
「端から払う気もないのにあんなに食べてたんですか!?」
「どうにもメシが美味くてよォ」
エースさんは悪びれる様子もなく、からからと笑う。飛んでいきそうになるテンガロンハットを押さえて口の端についたソースをぺろりと舐めた。
遡ること約1時間。
エースさんの船であるストライカーを港から離れた岩影に停め、我々は街へ向かった。
ある程度覚悟はしていたがやはり日本とはまったく違う街並みで私は小さく肩を落とした。エースさんはさァメシだ!と意気揚々と手近な店に入り、次々に空の皿を山積みにした。その勢いに呆気にとられる私と店主と他の客。
「ん? ナマエも好きなもん食えよ、奢るから」
「見てるだけでお腹いっぱいになりますよ…」
「そうか?」
少食なんだな、ともぐもぐとご飯を頬張る姿はさながらリス。そばかすも相まってなんだか少年のような可愛さすら感じる。
私は注文したパスタを一口頬張り、食事に誘ってくれたエースさんの気遣いを噛み締めた。満たされていくお腹に比例するように少しずつ気持ちが前を向いてきた、その矢先。
私がご馳走様でしたと手を合わせたのを見届け、エースさんはむんずと私の腕をつかんだ。
「ナマエ、行くぞ!」
「え?」
にっと笑ったエースさんは弾かれたように店を飛び出した。あろうことか、代金も支払わずに。
案の定、食い逃げだ!と店主が叫び声をあげた。
そして冒頭に戻る。
「っ、私やっぱりちゃんと謝ってきま……」
「おーーっと待て待て」
「きゃっ!?」
罪悪感に堪えきれず踵を返そうとした時、エースさんが私をがばりと抱えて細い路地裏に入った。何するんですか!と抗議の声をあげようとしたが、大きな手で口を塞がれた上、暴れる身体は後ろから抱きすくめられる始末。
エースさんの筋肉質な硬い腕が身体に巻き付いている。全力疾走したせいか、エースさんが炎人間のせいか、くっついた場所全てが熱い。なんとか離れようと身をよじれば更に腕に力が入った。
あああなんでこの人は上の服着てないのよ……!!
当のエースさんは壁に背を預け、怒り狂う店主が行き過ぎるのをじっと息を潜めて待っている。真剣な顔で通りの様子を伺うエースさんを精一杯睨んだが微塵も気付いてもらえなかった。
店主の足音が遠ざかった頃、ようやく解放された。
もとの喧騒に包まれた通りに立ち尽くす私と、危なかったなーと何事もなかったような様子のエースさん。キッと睨むと今度こそ気付いてもらえた。
「……海の上で助けてもらったことには感謝します。でもやっぱりこんなのいけません」
「おれも海賊だ。食い逃げなんかで妙な騒ぎになるのは困るんだよ」
海賊と名乗るほどのエースさんにとっては食い逃げ"なんか"なのかもしれない。
それでも、平和な島国日本で暮らしてきた私には看過しがたい"悪いこと"だった。
「じゃあここでお別れです!本当に色々ありがとうございました!!」
「あっ、おい!ナマエ!!」
私はばっと頭を下げて、行き先も分からぬまま怒りに任せて駆け出した。
「参ったな……」
背後からエースさんのそんな声が聞こえたような聞こえなかったような。
駆け出した勢いのまま、街を見て回ることにした。幸い言葉は通じるし、物資も豊富そうな街だ。それでも冷静に状況を考えれば考えるほど不安はむくむくと膨らむ。
家もない、知り合いもいない、金もない。
ないない尽くしの小娘がどうやって生きる?
賑やかな通りが途端に寂しいものに見えた。こんなに独りだと感じるのは祖母の葬儀以来だ。胸に落ちる影を振り払うように両手で頬をぴしゃりと叩き、かぶりを振り、私は街を練り歩いた。
***
日も翳りだした頃、さすがに歩き疲れた。
街の端から端まで歩いただろうか。住み込みで働かせてもらえるところがあればいいが、そう簡単に見つかるかな。中心街から少し離れた辺りでベンチに腰かけてこれからのことを悶々と考える。
「お嬢ちゃんちょっといいか?」
「はい?」
顔をあげるといかにも悪いことを考えていそうな男たちが3人。私が逃げ出せないように上手くベンチの回りを取り囲んでいた。
あ、これはやばいやつ。
頭の中で警鐘がうるさく鳴り響いた。
話があるんだよ、と腕を掴まれる。気持ち悪い、じっとりとした冷たい手。ナンパのような軽口を叩いてへらへらしているが、反射的に引いた腕はびくともしなかった。狼狽えている内に通りからはよく見えないところへ連れ込まれてしまった。
肩を押され、背中が塀にぶつかる。
「こっからが本題だが、おれたちゃ悪ゥーい海賊をこらしめる賞金稼ぎなんだ。二三聞きたいことがあんだよ。答えてくれるよな?――……お嬢ちゃん、エースの居場所はどこだ?」
どうやらエースさんは映画なんかでよく聞く"賞金首"というやつらしい。懲らしめるという言葉からして何やら穏和な話ではなさそうだ。
こんな目に遭うのは初めてだ。男のぎらついた視線に嫌な汗が浮かぶ。
「知りませんよ……ご飯食べたあとすぐに離れましたから……」
「ふゥん、じゃあやつの船はどこにある?一緒に街に入ってきたのを見たんだ、船の場所も知ってるだろ?」
どくりと心臓が鳴る。なるべく平静を装って言葉を返した。
「……それも知りません」
「おいおい、嘘はよくないぜお嬢ちゃん。痛い目見るのは嫌だろ?」
「……っ、知りませんったら!」
「おいおい逃げられるわけねーだろーがよォ!!」
しつこい問答に私が抵抗するといよいよ男も苛立ちを見せた。私の腕を掴む手に力が入り、痛みに思わず顔が歪む。振りかぶった男の手が私に影を落とした。平手打ちか拳か、私は身を固くした。
「男3人がかりで女1人をいたぶるなんざ、ちょいとカッコ悪すぎやしねェか?」
聞き覚えのある声が塀の上から聞こえた、と思った時には私に凄んでいた男は鈍い音と共に情けなく地面に伏していた。
颯爽と現れた人影は腕に炎を滾らせながら、残りの男たちも軽々蹴散らしていく。
エースさんだ。
途端に足の力が抜け、私はその場にぺたりと座り込んだ。
男たちがほうほうの体で逃げ出した後、ぴりっと殺気立ったエースさんがこちらへ振り向いた。つかつかと歩み寄り、座り込んだ私と目線を合わせるようにしゃがむ。
少し怒ったような、そんな目。
「……船の場所、なんで教えなかった?」
「え……、」
「あのまま殺されてもおかしくなかったんだぞ」
答えようと開いた唇が震える。本当は怖かった。すごく。でも。
「……だって、あの船がないとエースさんは大事な家族の元へ帰れなくなる。……私には家族はもういないけど、エースさんにはいるでしょ……家族は、大事にした方が、いいです……」
嘘でも強がりでもなく、本当に思ったことだったから、情けなく震えた声でも目を逸らさずに言えた。
私の心まで覗くようにじっと見つめてから、エースさんは大きな大きなため息をついた。
「お前、お人好しすぎんだよ!」
くしゃくしゃと乱暴に頭を撫で、立ち上がる。なにをするんだと顔をあげればエースさんが手を差し伸べていた。
この人は、こんなにも優しい目をするんだ。
そんなことを思いながらエースさんの手を借りて私もようやく立ち上がった。
温かい、心地のよい掌だった。
チンピラに絡まれた恐怖の余韻のせいもあり、すでに宿をとってあるというエースさんの言葉に甘えることにした。
部屋に入ってまず目についたのは、食糧がパンパンに入ったリュックだった。
「これが話してた買い出しのものですか……? すごい量の食べ物ですね……」
「これでも金が足りなくて予定の半分くらいしか買えなかったんだぞ」
「え?」
お金が足りないとは、なぜ?
「………ちゃんと、メシの代金払ってきたから……もう怒んなよ」
エースさんはばつが悪そう視線を逸らす。
驚きと一緒に胸にこみ上げたのは、なんとも言えないむず痒さだった。私の言葉など意にも介さないと思ってたのに。
あーあ!サッチにどやされる!とエースさんは自棄気味にベッドへダイブした。
「ふふ、もう食い逃げしちゃ駄目ですよ」
ちろりと目線を寄越してエースさんは「……へいへい」と枕に顔をうずめた。