04
色んなことがありすぎてハイになっていた。
しかし、アルバイトが終わった夜から数えれば、稼働時間的にも運動量的にも身体はすでにキャパオーバーだったのだ。
昨夜、エースさんが「ちょっと出掛けてくる」とだけ言い残して部屋を出た間、私はシャワーを浴びて、ベッドに寝転がって――……そこで記憶はぷっつりと途切れている。
そして今、目の前にあるのは気持ち良さそうに眠る癖毛の黒髪。すぐ隣に感じるのは昨日路地裏で味わったあの熱だった。
「……っ!!??」
それがエースさんだと分かるのにそう時間はかからなかった。
慌てて布団を抜け出し、ベッドでもぞもぞと寝返りを打つエースさんを凝視する。隣にいた熱源が急に消えたことを不思議に思ってか、エースさんは寝ぼけ眼のまま私が寝ていた場所をばふばふと探るように叩いている。
そして、ぱちりと目が合った。
「んあ……? なんでそんなとこにいんだナマエ…………」
「えっ、あ……その……っ、むしろ、なんで……!」
寝起きで少し掠れた男のひとの声。
顔が赤くなっているのが分かる。言葉はつっかえて上手く出てこない。
私の様子を見て何かを察したエースさんは眠たげな目をいたずらっぽく細めた。
「"なんで一緒に寝てるのか"、って?」
図星を当てられさらに熱が上がった。
エースさんは肘枕へと体勢を変え、余裕綽々の笑みを浮かべている。布団から露になっている上半身は昨日に引き続き一糸纏わぬ姿。
うそ、あれ下は穿いてるよね?
エースさんから視線は外さないまま自分の衣服に乱れがないか確認すると、エースさんは堪えかねたようにゲラゲラと笑い出した。
なに笑ってるんだ!?
こちとら事によっては乙女の一大事だぞ!?
恥ずかしさと混乱でいっぱいいっぱいになりながらも、エースさん!!と語気を強めて諌める。
「くくっ……変なことしてねェから安心しろって」
「…………」
「ほんとほんと、もう少し出るとこ出たら考える」
「なっ……!?」
今さらりと失礼なことを言われた!!
あー笑ったァと大きく伸びをしてベッドから出ようとするエースさんへ向かって、腹いせにベッドサイドにあった備え付けのメモ帳を投げつけた。
当たったと思ったが、メモ帳は炎になったエースさんの身体に呑まれて一瞬で灰に変わってしまった。
「悪ィが"自然系"なもんで、そういう類いは当たらねェんだ」
くつくつと笑われ、自分が子供扱いに加えおもちゃ代わりにされているのがよく分かった。
完全にエースさんのペースだ。めちゃくちゃ悔しいがどうにも敵わない。
「……エースさん、ちょっと意地悪ですよね」
「そう怒るなよ。ベッドが1台しかないんだから仕方ねェだろ?」
むすっとした私へ宥めるような返答。
そりゃこの部屋はエースさんがとった部屋なんだから、勝手にベッドで寝こけてた私が悪いですけども!
だからって、慌てふためく私をからかったり、"出るとこ出たら"なんてセクハラ発言をかますのはどーなんでしょうか!!
私のじとっとした視線など気にもかけず、エースさんはてきぱきと出掛ける準備をしている。
「準備ができたら出航だ。ナマエも早く用意しろよ」
「……え?出航?」
私はこの島に残るつもりでいたし、一緒に島を出るなんて話もしていない。
「昨日の夜、念のため島の動向を確認したらやっぱり海軍が嗅ぎ付けてきてやがった」
「海軍……」
そういえばエースさんは"賞金首"なんだっけ。
昨夜出掛けていたのはその為だったのか。やはり海賊として生きていくのは大変なんだなぁ……。
「……それで、どうして私も島を出るんですか?」
きょとんと聞き返せば、それまで私には目もくれずに準備をしていたエースさんの手がぴたりと止まる。そして、まるで不可思議な生き物でも見るように眉をひそめて「…………は?」と返された。
なにか変なことを言った、のだろうか?
「ナマエ……今度は海軍に尋問されたいのか?変な趣味だな」
「尋問……!?」
「大方、あのチンピラ共が腹いせに海軍に通報したってとこだろ。食い逃げ未遂くらいでわざわざ海軍が来るわけねェ。女の連れがいたってことも伝わってるだろうさ」
「えぇー……」
「とにかく、ナマエがこの島で平穏に暮らすのは無理だろうからこのまま連れてくことにした」
「……まじすか…………」
道理にかなった話ではあるが、ちょっと私への説明をはしょって決めすぎではないか?当の私が話の展開についていけていない。
自分の準備が整ったらしいエースさんは再びベッドに寝転がった。準備ができたら声かけてくれ、とテンガロンハットを顔に被せて本格的に寝始めた。
私がエースさんと一緒に行くのはもう決定事項らしい。
自由奔放、マイペース。
でも、この人は決して私を見捨てたり置いていったりしない。
それだけはよく理解していた。
私は顔を洗いにバスルームへ向かった。
***
船は海を走りだし、もう見ることはないと思っていた360度青の景色と再会してしまった。グッバイ、名も知らぬそこそこ栄えた島。
エースさんはマストに手を掛けながら左手首につけた不思議なコンパスと小さな紙切れで航路を確認している。
船頭側に食糧リュックをなんとか積み、エースさんの炎で焦げないようなるべくリュックに寄り添って座った。ずっと気になっていた質問をしようとしたらナマエ、と先に声を掛けられた。
「飛ばせば数時間でモビーに帰れそうだ」
「モビー?」
「モビーディック号。白ひげの海賊船であり、おれの家だ」
そう嬉しそうに話すので私もつられて笑顔になった。昨日も思ったが、エースさんは本当に家族が好きで大事に思っているんだろう。この船がチンピラの手に渡らなくて良かったと改めて感じた。
「あの、本当に私、このまま乗ってていいんですか?」
「ああ、行くとこもねェんだろ?」
航路が決まったのか、エースさんはコンパスから視線を外し、マストに背を預けて船尾にどっかりと座った。何度も一人で船を出しているのだろう。旅慣れしているのがよく分かる。
確かに行くところはないが、このまま好意に甘えていいんだろうかと返事を躊躇っていると、エースさんが私の背をもう一押しした。
「ストライカーの礼だと思えばいいさ!もしナマエがストライカーの場所を教えてたら、おれはきっと家族のもとへ帰れなかったんだからよ」
屈託のない笑顔と人の好さ。
それを言うなら、エースさんが居なければそもそも私は昨日のうちに海の藻屑となっていたところなのに。やっぱり気になる。
「……ひとつ聞いてもいいですか?」
「なんだ?」
「エースさんはどうして海賊になったんですか?」
私が想像する"海賊"はもっと"悪い"ひとだ。
きょとんと瞬いたのち、エースさんは船の向こうにある水平線へ目を向けた。
そして、芯の通った強い声で笑って答えた。
「くいのねェよう自由に生きるためだ」
目が眩むほどの言葉。
心臓がドクリと熱を孕む。
エースさんの視線を追いかけるように私も青海を見遣った。
海はいいぞ、そう笑う父を思い出した。
この海原には道しるべも先人の足跡もない。どこに行くべきか途方に暮れるかもしれない、でもそれは違う。
いいか、ナマエ、どこに行ったっていいんだ。
海では自分が通る場所すべてが道になるんだから。
船乗りだった父はこの自由な海を大層愛していた。
私が一番思い出す父は、海を眩しそうに眺める姿だ。
拓けた世界を前に私は途方に暮れているのか、どこにでも行けると胸を高鳴らせているのか。
この胸のざわつきの理由はどちらだろう。
自由、という言葉を舌の上で転がしてみた。
「――私も、そんな風に生きられるかな」
「やってみりゃァいい」
私の呟きに、当たり前だろ?とでも続きそうな口調でエースさんは答えてくれた。
冷たい飛沫があがる度に胸が焦がれてゆく。
私はいま、どんな顔してる?
「ひとまずモビーに乗るってことでいいんだな?」
「――はい、よろしくお願いします」
エースさんと顔を見合わせて、私もようやく最初の航路を定めた。