05


でっっっか。


 首が痛くなる角度で巨大な船を見上げる。
 遠方に影が見えた頃から思っていたが、モビーディック号は白鯨を模したデザインに恥じぬほど立派な海賊船だった。

「おーい!!戻ったぞ!」

 ストライカーの上で手を振りながらエースさんが声を張り上げると、船縁から何人か顔を出しておー、エース!!お帰りー!!と手を振り返した。投げ降ろされたロープにストライカーの船体を手際よくくくりつける。食糧の詰まったリュックを背負ったエースさんはこちらに向き直ると、

「暴れんなよ」
「へぁっ!?」

 私を米俵のように担いだ。
 そしてそのまま力強くストライカーを蹴った。全身を襲う浮遊感に思わずエースさんの身体にしがみつく。とても人が飛びうつって登れる船には見えなかったが、エースさんは驚きの脚力と身軽さでひょいひょいと船体を伝っていき、ついには自力で甲板にたどり着いてしまった。この人の規格外っぷりは燃えるだけではないらしい。
 甲板にはすでにエースさんの帰りを待っていたクルーたちが集まっていた。身体に大きな傷があったり、物騒な武器をたずさえたり、3mは優にありそうな巨体だったり。そんな骨肉隆々の男たちは、エースさんの肩に担がれた私を見て固まった。ただならぬ空気につられて私も固まる。

「悪ィな。少しばかり帰りが遅くなっちまっ――……」


「「「「エースが女を連れて帰ってきた!!!!!」」」」


 エースさんが言い終わる前にクルーたちは口を揃えてわっと騒ぎだした。

「おいおいおいどういうことだエースゥ〜?」
「食糧買いに行ったのになァんで女なんて買ってんだ?ああん?」
「うるせェな!別に買ってねェよ!」
「こりゃまた若い子に手出しやがったな!!お嬢ちゃん可愛いね、名前はなんてェんだ?」
「え、あ、ナマエ、です……」
「てめェら寄ってくんな!!暑苦しい!!」

 驚きと好奇に満ちた様子のクルーたちがエースさんと私をわちゃわちゃと取り囲む。エースさんは私が押し潰されないように私を背中で庇いながら、鬱陶しそうにクルーたちに吠えている。
 年齢こそバラバラに見えるが、このフランクなやり取りは彼らの仲の良さを物語っていた。

「お、エース戻ったか。ちゃんとお使いできたかァ〜?」

 人垣の向こうに見えたふよんと揺れる見事なリーゼントに思わず釘付けになった。

「あ!サッチ!!ちょっとこいつらどけてくれ!!」
「あ〜?お前らそんなにエースが恋しかったのか?野郎相手にキモいことしていやおい待てエースこれは一体どういうことだコラァ!!!女の子いるじゃん!!!!」
「お前もうるせェな!!」

 私の姿を捉えるや否やエースさんに詰め寄ったリーゼントのサッチさん。勢いのある応酬に思わずエースさんの背中にすすっと隠れた。
 脇に置かれたリュックを見て、サッチさんは更に声を上げる。

「頼んだ量よりだいぶ少ねェ気がするんだがどーーいうことだ?」
「あー、その……メシ代に消えて予定より買えなかった……」
「……メシ代?払ったのか?食い逃げ常習犯のエースが?」

あぁ……このひと常習犯なのか……。

「あ、あの、」
「ん?」
「私が払えって言いました……」

 本当は言ってはないんだけど、ほとんどそんなもんだ。私が咎めたからエースさんは踏み倒す気だった食事代を支払った。
 おずおずとエースさんの背中から顔を覗かせて白状すると、サッチさんを含むクルーたちはまたも固まった。

「女の子に叱られたから、ちゃんと払ったのか?」

 そうエースさんに尋ねたサッチさんが堪えきれずブフッと吹き出したのを合図にクルーたちは一斉に笑い出す。

「おまっ……なに、可愛いとこあんじゃん……!!」
「いい加減そのリーゼント燃やすぞサッチ!!」
「ひー、腹いってェわ……エースにメシ代払わせるなんてただ者じゃねェなお嬢ちゃん」
「ナマエ!!相手にすんな!オヤジんとこ行くぞ!!」
「えっ、あ、ちょっと!!」

 からかわれてご立腹のエースさんは私の腕を掴むとずんずんと人垣を割って進んでいった。
 後ろで「ナマエちゃんっつーの?また後でな〜」とサッチさんたちが手を振っていたので、空いていた方の手をなんとか振り返して応えた。

 この船の上ではエースさんは末っ子のようにいじられ、可愛がられているんだな、と思いながら私はエースさんの少しむすっとした横顔を盗み見た。


***


「オヤジ!船に置いてやってほしいやつがいるんだ!!」
「……あァん?」

 船もクルーも規格外なら、もちろん船長さんも規格外だった。
 エースがノックもせず開け放った扉の先には、この船の主が鎮座していた。身体に繋がれた無数の点滴チューブ、そびえるような巨体と立派な白いひげ。
 部屋に踏み入れた途端、びりりと身体に圧がかかった気がする。船長さんは突然の来訪に動じることもなく、じろりと目線だけこちらに向けた。

「なんだこの娘っ子は」
「ナマエだ。食糧調達で立ち寄った島で助けられた」
「ほぉ」

 エースさんが私との出会いから今に至るまでを大まかに話す。

横で聞いていて思うが、我ながら突拍子もない話だ。
こんな怪しい来歴の女を本当に置いてくれるのか?
家族と呼ぶほど大切な仲間が乗る船に。

 船長さんは口を挟むことなくエースさんの話を最後まで聞いてくれた。長い沈黙のあと、船長さんはよく響く低い声で話し始めた。

「まずは礼を言おう。うちのハナッタレを助けてくれて感謝する」
「そんな、私は別に……」
「それで、異世界から来たって言うのは本当か?」
「…………はい。私も信じがたいんですけど……」

 疑うよね、そりゃそうだよね。足元に落ちた影を見つめる。静かに息を吐いて意を決して顔を上げれば、こちらを見下ろす船長さんと目がばちりと合った。
 怯むな、もう道は選んだのだ。

「怪しいのは重々承知ですがっ、せめて、次の島まで乗せてほしいです…! 」

 グラララ、と船長さんは笑う。

「乗せねェなんて言ってねェだろうが。異世界ってのが本当にあるかは知らねェがこのグランドラインじゃどうでもいいことさ」
「船長さん……」
「ナマエ、モビーへの乗船を許可しよう」
「〜っ、ありがとうございます……!」
「オヤジありがとうな!!」

 エースさんと二人で頭を下げると鷹揚と頷いた。

「エース、面倒見てやれ。こんな男所帯で慣れねェだろうからな」
「おう!!」
「あら、エース隊長だけじゃ女の子のお世話は心配よ」
「がさつだもの」
「変なこと教えそう」
「ンなことねェよ……」

 船長さんの周りにいたナースさん達が口々に文句を垂れた。皆様見事なスタイルと美貌の持ち主だ。不服そうな顔をしながらも強く言い返さないところにエースさんとナースさん達の力関係が垣間見える。

「グラララ、そうだな。他に困ったことがあればナース連中に聞け」
「お手数おかけしますが、よろしくお願いします」

 ナースさん達に頭を下げれば、よろしくねと鈴の鳴るような可愛らしい声があちこちから返ってきた。
 船長室を出て扉を閉め、ようやく少し緊張の糸が緩んだ。私が大きくひとつ息をつくのと同時にエースさんのお腹がグゥと鳴った。

「腹減ったな。そろそろ昼飯の時間だし、食堂から案内する」
「あ、はい」
「それとよォ」

 歩き出したエースさんの背中について行こうと慌てて一歩踏み出したところで、エースさんはぴたりと立ち止まった。
 真剣な顔でぴっと私を指差す。言うこと聞けよ、と言わんばかりに。

「エース"さん"ってのと敬語、やめてくれ」
「へ?」
「むず痒い」

 ……左様でございますか。
 一歩近づくことを許された気がして私もちょっとむず痒くなる。
 私が返事をするまで動かない気なのか、エースはじっとこちらを見て私の出方を伺っている。

「エース」
「おう」
「私もお腹空いた」
「……だな!」

 お望み通りの呼び方と話し方にエースはくしゃっと笑って、食堂へ元気よく歩き出した。