06


 お昼時だというのに食堂はガラガラだった。空っぽの座席の合間を歩きながらエースはおかしいなァと独りごちて、厨房を覗き込む。座席に対して厨房はお昼時らしく忙しそうにコックたちが動き回っていた。ご飯の良いにおい。あ、オムライス美味しそう。

「なァ、みんなどこ行ったんだ?」
「お!エースじゃねェか!てことは噂の女も一緒か?」
「噂?」

 もしやそれは私のこと?
 近くにいたコックがおたまを片手にひょっこりと顔を出し、私とばっちり目が合うなり、おお!と声をあげた。

「あんたがエースを黙らす肝っ玉の女か!!頭があがらねェって聞いてんぞ〜?」
「ばっ……!!サッチだな!?テキトーなこと言いやがって……!」
「ダハハ、なんでみんなが食堂にいないのかは甲板出てみりゃわかる」

 コックは豪快に笑って甲板に続くであろう扉を顎でしゃくった。
 肝っ玉だのエースが私に頭があがらないだの、少し船長さんのところへ挨拶に行っていた間に私の情報が随分と間違った方向で拡散されている。下手に口を挟んでも誤解が解けるどころか余計ややこしくなりそうなのでひとまず黙っておく。
 そんなんじゃねェからな!とコックに釘を刺して、エースは勢いよく扉を開けた。

 甲板の扉近くにいたクルーたちの視線がこちらに集まる。
私とエースを視界に捉えた途端、各々手に持った骨付き肉やら酒瓶やらグラスやらを掲げて歓喜の声をあげた。
 呆気に取られる私をよそにエースは「おお、なんだこりゃ」となんだかわくわくした顔だ。

 そう、甲板ではランチ兼プチ宴会が始まっていたのだ。

 料理が乗った皿を両手いっぱいに持って甲板を歩いていたサッチさんが「お、ナマエちゃーん!」と駆け寄ってきた。

「なにって宴だよ宴!ナマエちゃん船乗るんだろ?」
「えと、一応そういうことになりました。宴って…えと、なんの……?」
「ナマエちゃんの歓迎会に決まってんだろ!」
「……え、私の?」
「本格的な宴は日が暮れてからだが、まァメシが出たらみんな酒も飲み出すよな」

 仕方ねェや、とからから笑うサッチさん。
 こんな盛大に、しかもフライング気味に自分の歓迎会が開かれるとは露程も思っていなかったので困惑する。助けを求めて隣のエースを見れば早速サッチさんの手から皿とフォークを奪って、豪快にお肉を頬張っていた。
 先程までサッチさんに一言物申してやろうと怒気を孕んだ雰囲気を醸し出していたはずなのに。ご飯が最優先事項らしい。

「そうだサッチ、てめェあること無いこと言いふらしてんじゃねェよ」
「え?ちげーの?」

 ご飯に気を取られていたエースが思い出したようにサッチさんを詰る。サッチさんはとぼけた口調で首を傾げた。

「ナマエはおれの恩人だ。妙な噂たててナマエを困らせんな!」
「いや、恩人って……それは言い過ぎだよ……」
「え〜なに?どういうことだ?詳しく聞かせろよ」

 適当な場所にサッチさんは料理を広げ、そこに3人腰を据える。こちらに注目していたクルーたちもそれぞれの輪に戻って宴会を再開したようだ。
 エースは別の皿を掻き込みながら船長さんの前で話したような内容をもう一度サッチさんに話した。どんどん食べな、というサッチさんの勧めに応じて私も食事に手をつける。すごく美味しい、どれもボリュームがあって全部は食べきれないが目移りしてしまうほど美味しい。

 エースの話を一通り聞き終えたサッチさんは樽ジョッキを片手に「はァーん、なるほどねェ」と私をまじまじと見た。

「うちの弟分が世話になったな」
「ほんとに大袈裟ですし、助けられてばっかりなのは私の方ですから……」

 海で拾ってもらったり、ご飯を奢ってもらったり、チンピラから助けてもらったり、宿を提供してもらったり、船へ乗せてもらえるよう口利きしてもらったり。

「むしろエースには本当に……」

 感謝してる、そう続けようとした矢先、ばたん!!とエースが食べていた皿に顔を突っ込んで動かなくなった。口に運ぼうとしていたフォークを握る腕は硬直したように上を向いている。
 何事かと慌ててエースを揺り起こそうとすると、ほっといていーぜ、とサッチさんは呆れたように言った。

「メシの途中で突然寝るのがそいつの悪癖だ」
「ええ……嘘でしょ……そんな悪癖あります……?」

 いびきが聞こえるから確かに寝ているだけみたいだが、つい疑念に満ちた目をエースに向けてしまう。
 サッチさんは構わず話を続けた。

「ま、大袈裟とかじゃなく本当にエースはナマエちゃんを恩人くらいに思ってると思うぜ」

 樽ジョッキを一口煽る。

「――おれたちは何よりも"家族"を大事にしてるからな、単純に嬉しかったんだろ。家族が待ってる船への帰り道を、自分の身を危険に晒してまで案じてくれたのがさ」

 自分が大事にしてるもんを大事にしてもらったら嬉しいだろ?
 そう話すサッチさんもきっとこの船のみんなが大好きなのだろう。目尻に皺を寄せて笑う顔を見て思った。

「……私も自分の家族が大好きだったので、そう思えば少し納得できました」
「……"だった"?」

 目敏く私の言葉を拾うサッチさんにどきりとする。明るい話ではないので口ごもっていると、エースがまたも突然むくりと身体を起こした。ぎょっとしてエースを見ると、案の定顔には米粒やお肉のソースが付いている。

「…………寝てた」
「はい、オハヨ」

 慣れた様子で答えるサッチさんといかんいかん、と頭を掻きながらけろりと食事を再開するエース。本当に寝てたらしいし、この悪癖は彼らには日常のひとコマらしい。私の心臓のためにも早急に直していただきたい悪癖堂々のNo.1である。

「ナマエ、食い終わったら船内を案内する」
「うん、分かった」
「サッチはおれらが戻ってくるまでにみんなの誤解解いとけよな」
「あ、そういえばちゃんと自己紹介してなかったな」
「おい聞けよサッチ」

 エースを無視してサッチさんは私に向き直った。

「おれは4番隊隊長のサッチってんだ。この船の台所係もやってっから腹減ったらおれに言いな」
「コックさんなんですか?」
「おう!ただし、戦うコックさんだ」

 サッチさんはにっと笑って、両手にフォークを握って構えてみせた。
 さすが海賊船、コックさんも戦うのか。戦うと言われても平和に暮らしてきた私には縁遠い言葉でいまいちピンとこない。でも、恐らくサッチさんもエースのように強いんだろう。

「私はナマエです。船に乗せてもらうからには何でもやります!よろしくお願いします!」

 サッチさんを真似て拳を構えて意気込むと、ぽかんと私を眺めたサッチさんは一呼吸置いてやれやれと苦笑いを浮かべた。

「ナマエちゃん、野郎だらけの船で"何でもやります"なんて危ういこと言っちゃダメだぜ?」
「はい?」
「男はみーんな狼なんだからよ」

 狼。
 その意味を理解してじわじわと顔が熱くなる。いやいやいやそんな目で見てくる人なんていない。はず。よく知らないけど。

「ナマエに変なちょっかい出す奴がいたら燃やしてやるから遠慮なく言えよな」
「い、いないでしょそんなの……てかエースが言うとシャレにならない」
「こいつはシャレじゃなく燃やすぞー」

 自業自得だろ、とエースは笑い、口いっぱいの食べ物を流し込むように樽ジョッキを飲み干した。ぐいっと雑に口許を拭って伸びをしながら立ち上がる。サッチさんに妙な注意を受けて固まっていた私も我に返った。

「そろそろ行くか!サッチ、ご馳走さまでした」
「サッチさんご馳走さまでした。すごく美味しかったです!」
「おー、また追加の料理作っとくわ」

 礼儀正しいご挨拶とは裏腹にエースはさっさと立ち上がる。船室へ向かって歩き出したエースの後ろ姿を目で追いつつ、お皿を片付けてから行くべきかと迷っていたら、サッチさんは「いいから行ってこい」とひらひらと手を振って見送ってくれた。
 サッチさんに改めてお辞儀をして私はエースの背中を追ったのだった。