07
ひっっっろ。
食堂の椅子に腰かけてようやく一息ついた。エースに連れられて船を一回りしたかと思ったら、ナースのお姉様に「次は男子禁制エリアのご案内よ」と拉致されて今に至る。
モビーディック号の広さは想像以上だった。
食堂、雑魚寝部屋、大浴場、トイレ、洗面所、武器庫、宝物庫、食糧庫、医務室、各隊長の個室、男子禁制エリアもとい女部屋、その他諸々。頭の中で位置関係を整理して船内図を描こうとするが、上下左右に広がる通路は当分の間はいとも容易く私を迷子にするのだろう。細かい部屋は後にして、食堂やトイレといった主要な場所を先に覚えた方が良いかなぁ。
「しばらくはおれが付いてるから安心しろよ」
「トイレまで付いてこられるのは嫌〜……」
「じゃあ頑張って覚えるこったな」
うぅ、と呻く私にエースは明るく笑う。
ちなみに女部屋は華やかな女の園そのものだった。内装は可愛らしく清潔、お花なんかも活けてあったし、部屋に入ったらあなたがナマエね?と色んなお姉様に一斉に囲まれた。かわいーだのちっちゃーいだの言いながら頭をぽふぽふ、お手てをにぎにぎ散々好きなように弄ばれたが。
極めつけは、みんな美人で気さくで優しくて脚が長くてお肌すべすべで良い香りがしてボンキュッボン……!!
こんな完璧なお姉様たちと船上ライフを過ごしていれば、そりゃエースは私を子供扱いするよ!私、ちんちくりんですわ!とぐうの音も出ないほど納得した。
「はぁ〜〜〜……ここが天国かぁ……!?」と思わずこぼれた本音はお姉様たちの笑い声に消された。
「ぼちぼちいい時間だろ。甲板行こうぜ」
「もうそんな時間……」
そう促されて表に出れば、辺りは黄昏に包まれていた。西の空に夕陽が燃えてきれいだ。潮風が私の髪を優しく撫でていく。
日が暮れてからが本格的な宴だというサッチさんの言った通り、甲板は昼間よりも賑やかだった。
「お、やっときたな!」
「あ、サッチさん……ってなになに、なんですか」
「主役はこっちだ!」
私の姿を見つけたサッチさんが意気揚々に樽ジョッキを私に半ば無理矢理持たせる。腕を引かれるがまま歩けば甲板が見渡せるデッキにたどりついた。不思議とサッチさんからお酒の匂いはしないからおそらくデフォルトでこのテンションなんだろう。なんとも陽気なおじさまだ。
「みんな待たせたな!乾杯すんぞ!!」
「「「「おぉぉーーー!!!」」」」
「ナマエちゃん、なんか一言!」
「へっ!?」
サッチさんに背を叩かれ、よろめきながら一歩前へ。甲板にいたクルーたちの目が私に向いている。これは乾杯の音頭ってやつ?なに言えばいいんだろ!?
混乱しつつも私は渡された樽ジョッキを勢いよく掲げた。
「っ、初めまして!ナマエと申します!!しばらくの間お世話になりますのでっ、以後お見知り置きをーー!!かんぱーーーい!!!」
「「「「乾杯!!!!!!」」」」
野太い声とグラスやジョッキがかち合う音が甲板に溢れた。
勢いに任せて樽ジョッキに口をつけると飲んだことのない味わいにむせた。待ってこれお酒だ……!!喉がかぁっと熱くなってむせる私に「あれ、酒だめだった?」とサッチさんが水の入ったグラスを呑気に差し出した。
「だめも何も未成年です…」
「未成年でも飲むだろ!」
「飲みませんよ!!」
「飲まねェの?じゃあもったいねェからくれ」
自分の樽ジョッキを軽く飲み干したエースが手を出すので大人しく渡す。エースは躊躇なくそれをぐいっと煽った。
……それ間接キスじゃない?
「あっ、間接キッスだァ〜」
「ガタガタ言うようなことじゃねェだろ、ガキじゃあるまいし」
「…………」
私が動揺を表に出す前にサッチさんが小学生のようなノリで囃し立てたが、エースは事も無げにさらりと流す。
……ガキ。でっすよねぇ〜、これしきの事で狼狽えてちゃいけませんよねぇ〜〜。
動揺した自分が恥ずかしく思えて新しく受け取った水にちびちびと口をつけて拗ねれば、エースが私の様子に気付いて顔を覗きこむように身を屈めてきた。
「ん〜?なに、意識しちまった?」
「しません!してませんから!!」
「はは、わっかりやす」
出たよ、その余裕綽々な目!
からかいの対象に甘んじる気はない!とそっぽを向けば余計子供っぽくなってサッチさんにまで笑われた。
背けた視線の先、夕闇に染まる空に燃えるような青を見つける。
「ん……? あれなに? 鳥……?」
「あ、マルコだ!ちょうど良いとこに帰ってきたな!!」
目を細めてじっと見つめていると近づいてくる姿はだんだん鮮明になっていく。その鳥が青い炎に包まれていたことも驚きだったが、さらに驚いたのはその鳥が人に姿を変えたことだ。両翼は腕に変わり、鉤爪は足に変わり、青い炎はほどけるように消えた。
「こいつは何の騒ぎだい?」
甲板に降り立ったその人は周囲の賑わいを見ながら足元に大きな荷物をどさりと降ろした。
「……パイナップル」
「あァ?」
「ヒッ」
のような髪。メンチきられた。慌てて頭部から視線を外すと今度は船長さんのひげを彷彿とさせる胸の刺青に目がいった。
「この嬢ちゃんは誰だ?オヤジの客かい?」
「そんな怖い顔すんなってマルコ」
敵意剥き出しで私を一瞥し、マルコと呼ばれたその人はエースとサッチさんに問う。
ふざけた第一声を発してしまったせいか、素直にめちゃこわい。ファーストコンタクトしくじった、ほんとごめんなさい。
「ええと、ナマエと申します。今日からしばらく船に乗せていただくことになりましたので、よろしくお願いします…!」
「船に乗るだと?」
「オヤジにはもう話はつけてある。おれはナマエに礼があるんだ。よろしく頼むよ」
「……そうかよい。おいサッチ、おれにも一杯くれ」
サッチさんが傍にあった酒瓶をほらよと無造作に放る。マルコさんはそれを受け取り、どっかりと座り込んで酒を煽った。船長さんの許可を得てると聞いても納得はいってないのか、マルコさんの探るような視線が痛い。こんな小娘が海賊船に何の用だ。そう言いたげな目。おそらくそんな意思を隠す気もない。
私の居心地の悪さも露知らず、エースとサッチさんは料理やお酒を楽しんでいる。
背後にぬっと影が増えた。
「よォ、マルコも帰ってたのか」
「買い出しお疲れ」
「追加の酒持ってきたぜ!」
振り返って見上げるとそこには、女顔負けのきれいな女形、中性的なお顔の王子様、ドレッドヘアの陽気なお髭さん。この船には個性的なひとがなんと多いことか。女形のお兄さんが私を見て「お!」と眉をあげた。
そしてとんでもない事を言う。
「アンタが噂のエースの嫁さんか」
「「………はい?」」
エースも私も目が点になった。
誰が、誰の、嫁さんだって?
「……なんだ、そういうことかよい」
「待てマルコ!!なんか勘違いしてるぞ!?」
「ちょっとサッチさん!誤解解いておいてって言ったじゃないですか!悪化してますけど!?!?」
「うーん、こりゃ噂に尾ひれがついてってヤツだなァ……」
「なに?エースは嫁さん連れてきたんじゃなかったの?」
「ちげェわ!!!!」
困ったことに私の噂はついに尾ひれ・腹びれ・背びれまでついて立派な魚となって悠々と白ひげの船を泳ぎだしていた。
マルコさんは全てを察したかのように先ほどまでの警戒を解いてるし、サッチさんは私に背中をぽかぽか叩かれながらまるで他人事のようにぼやいている。ありもしない関係図にさすがのエースも慌てて弁解に回る。
「突然エースが女連れ帰ってきて、真っ先にオヤジに会わせにいったって聞いたからおれらはてっきり……」
「ブフッ……確かにそこだけ聞きゃあ結婚のご挨拶だな」
「なに笑ってんだサッチ。リーゼントごと燃やしてやろうか?」
「目がこえーよ!!」
勘違いをしている3人とサッチさんにぎゃーぎゃー喚いている間に周りからも「なんだ、ちげェのか?」と言う声がちらほら聞こえだす。
そーだ!事実無根!!まったく違うのだ!!!
「でもさァ、ここにいるやつら、みんなそう思ってるよ?」
「「…………」」
甲板にぐるりと視線を配った王子様から発せられた言葉に絶句し、結局宴は挨拶がてら私とエースの誤解を解いて回る行脚と化した。