10

 
 ブルーム病発症0日目。
 結局ナマエは、完治後のリスクを考えて期間限定メロリンサンジにメロつくのはやめた。正しく言えば、ポーカーフェイスを決め込むことにしたのだ。胸の内側がどんなに春色になっていても、顔を覆ってしゃがみ込みたくなるほど喜んでいても、表面上はいつも通りの振る舞いに徹すると決めたのである。

「本日のスイーツはりんごのタタン風パウンドケーキです。どうぞマイプリンセス♡」
「……………………ありがとう」

 こんな風にお姫様扱いをしてもらおうと、だ。
 ナマエは左斜め後ろから完璧な角度でサーブされたおやつの皿をただただ見つめた。キャラメリゼされたりんごがつややかで美しい。パウンドケーキにはハート型に飾り切りされた生のりんごが添えられていた。
 チラと横を見る。同じように甘い言葉とともに置かれたナミの皿には風車の形、ロビンの皿には花の形の飾り切りが。
 ナマエは再び自分の皿に視線を落としてハート型を見つめる。可愛らしい飾り切りは自分だけではない。しかし、“自分にもあること”自体が、十二分にイレギュラーなのだ。彼女がサーブされる側で、キッチン内でなくダイニングテーブル側にいることも。
 なお、発症後1食目となる昼食を作って以降、ナマエはキッチンに入らせてもらっていない。作って以降とは、作って以降である。つまり彼女は、皿を洗ったりゴミの処理したりという後片付けの作業をしていないのだ。
 それはなぜか。

「ナマエちゃん。これ、チョッパーに届けてやってくれないか?」
「ココア?」
「ああ」

 昼食もそろそろ終わるという頃、片付けに入ろうと腰を上げたナマエにサンジはマシュマロ入りココアのマグカップを渡した。サンドイッチを大急ぎで食べて再び医務室に篭ってしまったドクターへ、だそうだ。サンジはカウンターの向こう側、キッチンの内側に立って「お願い」と笑った。
 それならば…とナマエがその任を引き受けてチョッパーにココアを届け、労いの言葉を二、三かけて帰ってくるまでのほんの数分の間に、ダイニングテーブルはきれいさっぱり片付いていた。ダイニングテーブルどころか、シンクの中も。
 サンジはちょうど最後の皿を洗い上げ、「おかえり、ナマエちゃんありがとう」と手についた水をエプロンの端でぱたぱた拭っているところだった。エプロンの胸あたりにはDOSKOIの文字とともに、モストマスキュラーポーズのぽってりしたパンダが描かれている。

「か。片付けは……」
「ん? 終わってるぜ。ナマエちゃんも食後のお茶はどうだい? なにかリクエストがあれば……」
「サンジさん……私のコックの仕事を奪う気!?」
「! まさかそんな。ナマエちゃんと厨房に立つのはクソ楽しいよ! 料理人で良かったとこれほど強く思ったことはない! ……でもね、」
「ひ、」
「君のこの柔らかで美しい手が冷たい水に晒されて荒れてしまうことがあれば、きっとおれは自分が許せねェ……もちろんディナーはまた一緒に作ろう。だけど水仕事はおれに任せて」
「て、手、」
「そう。ナマエちゃんのこの可愛らしい白魚の手を、他でもないおれに、大事にさせてほしいんだ」
「……ッ、」

 サンジは両手でナマエの手をしっとりと包み込み、真っ直ぐに目を見て彼女を説得した。これを断られたら明日の朝日も拝めない、という痛切さが声に滲んでいて、芝居がかった台詞なのにとても芝居には聞こえない。何をしたらここまで女に甘い思考回路になれるのだろうか。
 ナマエは極限まで肩を上げ、眉間にぐっと力を込め、唇もへの字に結んで……困っていた。
 ここで表情を崩すわけにはいかない。ポーカーフェイスを誓ったのだから。て、照れてなるものか! と心の中をすでにめちゃくちゃにされながらも、表情ばかりは険しくしていた。
 というか、もはや外側しか虚勢を張れていない。黙りこくって大人しく手を握られている時点で、彼女の心中はもうナミやロビンにはお察しである。事実、「ここからどうすんのかしらね〜」とナミは隣に座るロビンにだけ聞こえる声量でコショコショ話して成り行きを見守っている。二人ともサンジに淹れてもらった食後の紅茶やコーヒーを片手にまだ食堂にいたのだ。
 というか、チョッパーを除く他のクルーたちもまだ全員いる。全員、このメロドラマのようなやり取りをお茶の間のテレビみたいにぼーっと眺めている。
 強烈な恋の渦中にいるサンジはこれらのギャラリーの目など気にも留めず、目の前のナマエのことに一生懸命だ。サンジは彼女のこの険しい表情を怒っているものと当たり前に思い、それでも彼女を気遣う許しを乞うていた。
 普段のサンジなら、彼女のコックとしてのプライドを尊重してそもそも仕事は対等に分担するのに。どうしても水仕事を避けさせたいときには「あ? 知らん。お前の仕事がおせェのが悪い」と喧嘩上等の口調で強気に押し通すところだというのに。
 普段を知っているからこそ、この落差は劇物だった。

「も、もういい、しらない!」
「あっ、ナマエちゃん…」

 衆人環視でこれ以上のポーカーフェイスは無理と判断し、ナマエはサンジの手を振り解いてその場から逃げた。
 サンジはナマエが去った扉に力無く手を伸ばしてただただ寂しげな目をしていた。彼が追いかけてこなかったのは、この直後にゾロが「エロコックがザマねェな」と、この場にいるみんなを代表した素直な感想を述べて喧嘩が勃発したせいである。
 女部屋の自分のベッドの上で、足をばたつかせて枕に顔を埋めてワァワァ叫んでいた彼女には好都合だった。



 とまあ、そんな感じで女部屋に引きこもることで数時間は凌いだのだが。
 ディナーの仕込みの時間も近づいてきてどうしよう…と女部屋でもじもじハラハラしていたナマエは、ナミに首根っこを掴まれておやつタイムに引っ張りだされたわけである。

 座らされたのはナミたちと同じダイニングテーブルの席。差し出されたのはハート型の飾り切りが添えられたりんごのタタン風パウンドケーキ。紅茶も間もなく出てくるだろう。香りからしてアールグレイ。
 皿を見つめて沈黙するナマエにナミは「この子、本当に1ミリも耐性がないのね……」ともはや感心していたのだが、ナマエの頭の中は意外にも徐々に静かになっていた。


 ひとつ前の島でりんごを大量に仕入れた。
 大安売りしていたのでサンジと二人でニコニコ荷車を引いて帰ったのである。何を作ろうかと思いつくメニューを片っ端から言い合い、しばらくはりんご三昧だと笑った記憶も新しい。

「だいぶ作り尽くしてきちまったなあ……初心にかえって、明日はアップルパイでも作ろうぜ。それでも余ったらジャムにして…、コンポートなら今度は紅茶にしたい。海獣肉と合わせても美味かったよなァ」

 シンクに寄りかかって目を伏せて、サンジは昨夜楽しげにそう言った。きっと彼の瞼の裏側にはそれらが鮮やかに浮かんでいたことだろう。ナマエはその横顔を覚えていた。
 なにもナマエはアップルパイの約束を破られたと怒っているわけじゃない。記憶が曖昧になるのは病のせいだし、責める気持ちはこれっぽちもない。このパウンドケーキを作ってくれたサンジだって、サンジであることには変わりない。
 ただ、今のサンジが昨日まで一緒に過ごしていたサンジと地続きではないことを、はっきり認識しただけだ。


「りんご、好きじゃなかった?」

 サンジは心配げに、どこまでも優しい声色で訊ねた。口をつぐんでしまったナマエの隣に長い足をたたんでしゃがみこみ、そっと彼女を見上げている。サンジは上背があるが、しゃがんでくれたおかげで威圧感はどこにもない。食の管理者である自分がクルーのアレルギー食品を船に持ち込んでいるわけがないと断言できるが、もしかしたら嫌いな食べ物だったのかも…とサンジは彼女の小さな心のささくれさえも案じていた。

「……ううん、好きだよ」

 ナマエはゆるく首を振って、パウンドケーキにフォークを入れた。一口食べて「ん、美味しい」とサンジを安心させるように微笑みかける。
 病を発症してから初めてナマエに笑いかけてもらったサンジは、ぽけ……と3秒ほど呆けてから、

「…………ッ!!」

 と、顔を輝かせた。背景には大輪の花が咲き乱れ、効果音は教会の鐘の音。瞳孔にハートを浮かべ、人体の理を超えて融解した四肢でメロリン♡と喜びを表した。

 ——はちみつみたいに甘くて、酸味なんか一滴もない。
 ナマエはハート型の飾り切りをしゃくしゃく食べつつ、自分のすぐ横で体全部を使って愛を噴き出している男について、そんなことを思ったのだった。


***


「よしサンジ、なにか体調面で変わったことや気になることはないか?」
「純白の砂糖菓子のように甘く可憐な乙女…ッ、張り裂けそうなほどのこの胸の高鳴り……ッ、ああ! おれの心は病に犯されている……そう、恋という名の病に……ッ!!」
「うえええんおれがすぐに治してやるからなァア〜〜ッ」
「うわ。泣くなってチョッパー。大丈夫だぞ〜。この通りおれはピンピンしてるぞ〜。同じ船に麗しのレディが3人もいるんだから元気に決まってんだろ?」
「ウオオオオオオオ」
「ドラム出た時より泣くじゃねェか」

 ブルーム病発症1日目の朝、サンジはチョッパーの医療室で診察を受けていた。胸や背中にコテコテ聴診器を当てられ、喉の奥や瞳孔などを散々観察されてから、自覚症状の有無について答えたら。この通り、チョッパーは涙と鼻水ですっかり使い物にならなくなってしまった。

「あー、ココア。ココア淹れてきてやる、今日はミルクをたっぷり入れような」
「う、グス……ま、ましまろ……」
「だーもう仕方ねェな、一個だけだぞ」
「う゛ん……」

 ただのツノ付き茶色毛布になってしまった船医をわしわし撫でてサンジは医務室を出た。参ったなーと後頭部をかきかき、約束通りミルクたっぷり・マシュマロ入りのホットココアを作ってやる。
 朝といっても時刻は早朝5時半。サンジとブルックはすでに起きている時間だが、チョッパーがこの時間に起きているのはなかなかに珍しい。
 徹夜でブルーム病の解明に当たっていたのだろうとサンジも察しはついていた。だからこそ、胃の中を温めてさっさと寝かそうという腹づもりである。

「おらよ。ヤケドすんなよ」
「ありがとう……」
「色々気にしてくれてるみてーだけどよ、おれは本当に元気だぜ? この世のすべてのレディに愛を注ぐのはおれの宿命だ! この信念は昨日今日で始まったもんなんかじゃねェ」
「それはそれで心配だ……」
「お前につらい経験があって、それがクソでかい不安の原因になってるっつーのも分かってるよ。でも、この一味は平気だろ? そんなくだらねェトラブルは起きやしねェよ」

 悲しい迫害はここでは起こりっこない。やさしく落ち着いたサンジの声にはそう確信めいたものがあった。
 チョッパーはサンジの言葉に胸を打たれ、ちびちび飲んでいたマグカップから顔をあげた。やわこく微笑むサンジを見て安堵して、「サンジ……」とにへ…と顔を綻ばせる。

「あのレディたちと付き合ってる野郎がこの一味にいたとしたら、おれはもうソイツを殺してる」
「おおおお……! 絶対にやめてくれ……!!」
「ま、大丈夫ってことさ」
「やっぱり一刻も早く治療法を見つけるよおれ……!」
「用心深いやつだなァ……それ飲んだらいい加減寝ろよな」

 最悪のアンサーを残して、サンジは朝食を作りに今度こそ医療室を去った。

「おはよう。あんまりチョッパーを泣かさないでよ」
「ナマエちゃんおはよ〜♡ 君は朝日に輝く真珠のようだね♡ここ、寝癖ついてて可愛い♡」
「う、うるさいなぁ……」

 サンジがチョッパーへココアを運ぶのと入れ違いで食堂に入ったナマエは、やかんを火にかけていて、朝の飲み物の準備をしていた。ナチュラルに髪に伸ばされたサンジの手をぺしぺしと退ける。
 簡単な身支度はしたものの、ナマエはまだ眠気を拭いきれていない。ぽやぽやとゆるい瞬きを繰り返す彼女に、サンジは「朝食はなにがいい?」と早速声をかけた。

「クロックムッシュ、フレンチトースト、チーズ入りオムレツ……体が温まるスープはどう? 昨日の魚の余りをつみれにしてあるんだ。あ、もしかして米派? お茶漬けとかそういう系でも……」
「サンジさんはなにがいい?」
「へ? おれ?」
「作ったげる」

 ナマエはコポポ…と沸かした湯をティーポットとカップに注ぎながら言った。
 作ってあげる、という言葉にサンジはキョトン…と目を丸くして、新鮮に驚いていた。ナマエはこのリアクションに「あ、そうか……」と彼の欠落した記憶のことをようやく思い出す。
 ここ最近はお互いに作ったり作ってもらったりが自然になっていたけれど、本来のサンジは作る側が当たり前と思っている。コックとは、仲間が食べたいとリクエストしてくれたものを作り、自分も同じものを食べるのが基本なのだ。副料理長という彼女の存在の記憶自体が曖昧な今、特別な理由もなく作られる側に回されるのは意外だったらしい。
 初めてこのような反応をされたのは、おやつのドリンク作りの時だ。その時はピンと来ていなかったナマエも、今ではサンジの思考回路が分かる。呆れ返るほどのレディファーストと猛烈な女尊男卑を掲げていながら、彼はいつだって腹を空かした人間に等しく尽くそうとする男なのだ。
 実を言えば、狭いキッチン内でメロメロされるくらいなら大人しく座っててくれという気持ちで言っただけだったが……まあいいか。

「紅茶淹れ終わるまでに考えておいてね。はい、そっち。向こう座ってて」
「つ、作ってくれるのかい? 本当に? ナマエちゃんに作ってもらえるなんてクソ嬉しいけど、…えと。いいの?」
「いいよ。私、副料理長だから」
「……向こうじゃなくてこっちでいい?」
「お好きに」

 サンジはえへえへ照れながらカウンター席に座った。感激だ、嬉しすぎる、今日が最高の1日になることが約束された! など、にこにこ騒いでいた。が、すべてを聞き流すナマエを見て、料理に集中してる君も素敵だ…♡と勝手に解釈して大人しくなった。
 ナマエは物理的に近づかれたり触られたりするとてんでダメだが、言葉でメロつかれる分には頬の内側を噛んで黙すればよいと、昨日一日かけて学んだのだ。

「紅茶の淹れ方、完璧だな」
「海の一流料理人がうるさいもので」
「それ、まさかおれ?」
「どうかな」

 軽口を叩いてクスクス笑う。
 早朝のキッチンは静かで、やかんで湯が沸く音、紅茶缶を開ける音、カップとソーサーがぶつかる僅かな金属音くらいしか音がない。サニー号では貴重な静けさだ。
 ナマエの手元を眺めていたサンジがふと口を開く。

「ナマエちゃんは本当に料理が好きなんだね」
「……うん、好き」
「昨日も思ったけど……下ごしらえとか隠し味とか、どの工程も手間暇惜しまず丁寧でさ。真摯に向き合ってんだなって、料理を見るだけで分かるよ」
「……」
「愛情たっぷりって言葉が似合う。いいコックだなァ」

 独り言みたいにしみじみと呟かれた言葉に、ナマエは本当に黙り込んでしまった。眠気も吹き飛ぶほど嬉しい言葉だった。その言葉、そっくりそのまま返してやりたい、とも思った。
 サンジは例によって聞き流されたと思って、それ以上はなにも言わなかった。ナマエが淹れてくれる紅茶をお利口に待っていた。

「はい、どうぞ」
「ありがとう! 早速いただきます……、……うん、思った通り、いやそれ以上に美味しいよ!」
「食べたいものは決まった?」
「そうだな、じゃあ……」

 サンジの言葉を遮ったのは、甲板側の扉の向こうから聞こえてきた盛大な腹の音だった。音がした方へギョッと目を向けると、控えめに扉が開き……ブルックがおずおずと顔を覗かせる。

「き、貴様……おれとナマエちゃんの優雅な朝のひとときを……!!」
「ワーーーッすみません! いい雰囲気だったので外で入るタイミングを見計ってたんですがっ! もうお腹の虫が限界でっ!! あ、私胃袋ないんですけど」
「許さん!!」
「ああっ、無慈悲!! おや、お紅茶美味しそう。私も一杯よろしいですか」
「ダメだ! これはナマエちゃんがおれのために淹れてくれたんだ!!」
「ああもうサンジさんケチくさいこと言わないでくださいよ! ねっ、ナマエさん」
「はいはい。ブルックは朝ごはんなにがいい?」
「ヨホ! では、オムレツとベーコンのチーズトーストをお願いします」
「はーい。サンジさんは?」
「くっ……オーダーの種類を増やしてナマエちゃんの手を煩わせるわけにはいかねェ…おれも、同じので……」
「別に気にしないよ」
「おれが許せん……」
「アハハ。じゃあまた明日作ったげる」
「ほっ、本当に!? ッッシャァオラ見たかコラァ!!」
「良かったですねえ。明日は7時まで起きてこないと誓います」
「おう誓え!!」

 やはりあの静けさは貴重だった。カウンター席の騒がしいやり取りに笑みをこぼしながら、ナマエは早速調理に取り掛かった。
 サンジはその後しばらくガッツポーズから腕の形が戻らず、結局紅茶を冷まして落ち込んでいた。




「くーーっ、デートしてえーーー!!」
「ダメだ、サンジは下船禁止だ」
「かたいこと言うなよチョッパー。こんなに気持ちのいい陽気の島なんだぜ? 少しの散歩くらいバチ当たんねェって」
「ダメだ」
「あー。そのなんだっけ? エス……なんとかフラワー? が生えてる場所は分かったんだろ? そこには近づかねェようにするからさァ……」
「サンジは神経がイカれてるんだから、少しの吸引も良くない。本当は甲板にも出てほしくないくらいだし、常に鼻栓をして過ごしてほしいくらいだ。昨日説明しただろ」
「ケッ! 鼻栓? レディたちの前でそんな無様な顔さらせるか!」
「じゃあ絶対ダメだ」
「ギイイイ」

 昼前、仮眠から目覚めたチョッパーは、駄々をこねるサンジを叱っていた。医者である彼は患者の単なるワガママには殊更厳しい。
 昨日のチョッパーの注意の通り、女性陣と男子の大半は大人しく船で各々時間を過ごしている。ルフィとウソップだけはマスクとギチギチ鼻栓で本日は魚釣りに出ている。サンジとゾロが上陸しない分、食料調達の任を託されているのである。

 いつもより気持ち人口密度が高い船内、本日もサンジは女にくっついて回っていた。甲斐甲斐しく世話を焼き、貢ぎ物のように賛美の言葉と飲食物を振る舞い、どんな些細な要望も叶えてやりたいと願っていることが一目で分かる態度で実際に願いを叶えている。
 ブルーム病に罹ったサンジの時間の使い方は、女を構っているか、料理を作っているかのどちらかとなった。普段なら男仲間との雑談や喧嘩、自分のロッカーに保管しているエロ本の鑑賞、レシピの整理、チョッパーのブラッシングなどが多少なり入るのだが、いやもう、本当に、バカになっちゃったので。
 しかしそんなサンジも女部屋や女子トイレなど、入ってはいけない場所にはもちろん勝手に入らない。ナミの仕事場である測量室に彼女が篭れば極力近づかないし、読書に集中しているロビンのそばでは靴音ひとつも立てない。
 真摯に愛を注いでいるからこそ、尊重していることはたくさんあった。

「とにかく諦めろ。サンジ、お前はいま病気なんだ」
「おれとしてはまったくの健康体だがなァ……クソ、仕方ねェ……ナマエちゃん、悪いが船上デートだ。次の島についたら陸でデートしようねーっ♡」
「次の島に着く頃には治ってるよ」
「治ってもしようねーっ♡」
「うーん……」

 お祈りのポーズよろしく指を絡めた両手を頬に添え、サンジはメロリンとナマエにまなじりを下げる。治ったらデートなんかしないんだよなあ……とナマエは内心微妙な気持ちになって言葉を濁した。
 いま、サンジが構える女はナマエだけだった。ナミは「描きかけの地図を仕上げるわ」と言い、ロビンは起きてから片時も本を手放さず、分かりやすく口数が減るほど夢中になっていた。なにやら積読にしていた本で大当たりを引いたらしい。よって二人は食事を済ませるとさっさとダイニングを去り、午前も午後も測量室兼図書室に仲良く引きこもっている。
 ナマエも女部屋に引っ込むという手段はあったが、「禁断症状が出やすいんだ。情緒不安定になって何するか分からないから、悪いけどできればサンジの視界にいてほしい」とチョッパーに頼まれてしまってはどうしようもなかった。本当に厄介な病気だ。
 なお、またも昼食の片付けはさせてもらえず、ナマエは大人しくチョッパーと並んでダイニングテーブル側にいる。サンジは片付けを終えたあとも、なにやら作業をしていてちっともキッチンから離れなかった。おそらく今日のおやつでも作っているのだろう。ナマエも作業に入ろうとしたら、「明日の朝ごはんのお礼、先払いさせて♡」と腰を抱かれそうになって退散した。

「お、もうこんな時間か……ナミさん、そろそろ集中力切れる頃だな。おやつすぐ出せるようにしておくか」
「そうなの?」
「うん。ナミさんは熱が入るとぶっ続けで作業しちまうけど、いつもこのくらいが潮時なんだ。そろそろ降りてくる頃じゃないかな」
「へー。お詳しい……」
「フッ、レディのことならなんでもお任せさ。もちろん、君のこともね〜♡」
「アハハハハオモシロ〜イ……」
「あーーちょっと休憩! サンジ君、大至急糖分をちょうだい!」
「かっしこまりました、ナミさん!」

 サンジの予言通り、ナミは測量室から降りてきた。満足感のある疲労を滲ませ、ぐるりと首を回してダイニングテーブルにくったり座った。その後ろにはロビンもいた。

「ロビンちゃんはコーヒーでいいかな?」
「ええ、お願い」
「豆のブレンドを変えてみたんだ! この間のより、キリッとした苦味と爽やかな風味が出るようにしたんだよ」
「あら、嬉しい。じゃあそれをいただけるかしら」
「かしこまりました、ロビンちゃん」

 サンジは水を得た魚のようにイキイキと給仕に励む。それぞれの好みに合わせて澱みなく流麗に無駄なく働く2本の腕はアッパレなものだ。
 一流の仕事は見ているだけで楽しい。ナマエは観賞用の熱帯魚に向けるような目でサンジの仕事ぶりをぼけっと眺めていた。が、突然、手元へ落とされていたサンジの視線がナマエへ真っ直ぐ向く。

「見惚れてた?」
「っ、」
「だったら嬉しい」

 いたすらっぽく僅かに細まった右目に、サラリと一条の髪が垂れた。
 ナマエが言い訳を考える前にサンジはおやつをトレーに載せ、長い脚だからたった数歩ですぐそばまでやってくる。

「ご賞味あれ」

 最小限の物音でサーブされた皿には、ローズアップルパイが載っていた。ホイップクリームの小さな山のてっぺんにはミントが爽やかに添えられている。おやつを見たナミとロビンもその可愛らしさに嬉しそうな声をあげた。
 アップルパイ。作業の雰囲気や香りからそれはわかってはいたけど、重量感のあるオーソドックスなアミアミのやつじゃない。乙女ならば誰もが顔を綻ばせてしまいそうな、薔薇を模した華やかな見た目の小ぶりなタイプだ。ルフィなら一度に20個は食べられるサイズである。

「ドクターにも糖分が必要そうだ。喜べ、ホイップ多めだ」

 チョッパーも同じようにおやつを出されていたが、彼はパチパチと目を瞬かせて首を傾げていた。