04

 
 
「バラティエの頃から二人は仲良かったの?」

 みかん畑の手入れをしながらナミはナマエに声をかけた。

「んー、ケンカばっかりだったよ。毎日毎秒ケンカして、オーナーにまとめて怒られて、みたいな。そんな感じ」
「サンジが女の子とケンカするなんてあんまり想像できないわ」
「そう?」

 ロビンはジョウロを花壇へ傾ける。ナマエは大量のインゲンの筋を取っている。
 各々自由に作業をしながらお喋りに興じるのどかな昼下がりのこと。

「私もあちこち転々としてきたけど、やっぱりバラティエが一番うるさくて物騒で楽しかったな」
「いつか私も行ってみたいわね、バラティエに」
「そうね、今度はみんなでゆっくり、私も食べに行きたいわ」
「ぜひ! 見た目は汚い野郎どもばっかりだけど、超一流の料理は保障するよ」

 ——と、そこにバラティエの元副料理長がやってくる。

「ンナミすわ〜〜ん! ロビンちゃ〜ん!! そろそろティータイムはいかがっ? リクエストがあれば、この愛のしもべ・サンジが応えまァッす!!」

 測量室側からやってきた彼は、みかんの木の影から元気いっぱいにデレッととろけた顔を覗かせた。

「あらそう? 私スッキリしたものがいいわー」
「私はベリー系のドリンクがいいかしら」
「じゃあ果肉入れて炭酸でシュワシュワさせたやつお願いー」
「おめェはこっち側だろうが」

 途端にとろけた顔がチンピラに戻る。
 バラティエでよく見たやつで、ナマエが見慣れている方の顔。酸味と塩気たっぷりの顔。

「私、愛のしもべじゃない」
「ちげェよ、“コック側”だ。寝ぼけんな」

 ナマエが唇を尖らせて反論すれば、い! とサンジも歯を見せて言い返す。
 と、そこにティータイムの声を聞きつけたチョッパーが甲板から「おれも飲みたい!」と声を上げた。一緒にいたウソップもその声に混ざった。
 耳ざとい連中だ……とぶつくさ言いながらも、サンジは手すりに肘を引っ掛けて甲板を見下ろし「あいよォー」と粗野な声で返す。承諾の返答に2人はさらに盛り上がりをみせた。
 心の芯から料理人なのだから、自分の料理を求められて悪い気はしないのである。後ろ姿しか見えなくても機嫌が良いのは声で何となく分かった。

「おれミックスジュース!」
「おれはバナナオレ!」
「おれ様はスーパーアガるコーラアレンジで頼むぜ!」
「私はメロンソーダにしましょうかね。アイスとさくらんぼ、乗っけて下さいねヨホホ」
「ずりィぞおめェら! おれは肉! 肉肉ゥ〜!」
「酒」
「論外二名は黙ってろ」

 甲板の盛り上がりを聞きつけて芋づる式に増えたリクエストにサンジが一喝。

「ったくコイツらはよォ〜……嗚呼麗しのレディたち、すぐにスペシャルドリンクをお持ちしますので、しばしの間ご歓談を……サ行くぞー」
「あーーん! ナミ、ロビン〜!」
「いってらっしゃーい」
「待ってるわ」

 サンジはインゲンの籠を小脇にかかえ、ナマエの首根っこを掴んで連行した。
 キッチンへ直接繋がる梯子へたどり着く頃には彼女の切り替えも終わって、オーダーのドリンクに必要な材料の目星をつけていた。
 ミックスベリー、みかん、パイン、バナナ……桃、はあったかなどうかな……メロンシロップだけじゃ味気ないからアイスにトッピングを……ゾロは甘いのよりさっぱり系? トレーニングしてたんだろうしクエン酸……梅シロップいいな、今度作り置きしておこうかしら。

「ナマエ、変なことナミさんたちに吹き込んでねェだろうな」

 数段飛ばしで先に梯子を降りたサンジがカツコツ歩き、籠をテーブルに置いて振り返る。じとっとした目線を彼女へ送る。
 ナマエは「変なこと」と二度ほど目を瞬かせたがすぐに思い当たり、いたずら心をムクムクと膨らませた。

「……えー、たとえば? フランベの練習で船燃やしかけたこと? 見慣れない魚捌いたらお腹から生きたピラニア出てきて噛まれたこと? それとも綺麗なお姉さんに緊張してトンチンカンなワインの説明したこと?」
「……! それバラしてねェだろうな!?」
「あはは〜まだね〜」
「くそ……油断も隙もありゃしねェ……」

 ポケットに手を突っ込み、ぐぐっと忌々しげに肩をいからせて冷蔵庫へ向かうサンジの背中にナマエはまたひとつ笑う。
 ナミやロビンの前で恥を掻きたくないのだろうし、ほかの男子たちにからかいの種も与えたくないのだろう。
 言われずとも誰にも言うもんか。この船で自分だけが知るサンジの姿だと思えば、下らないことでも黙っておきたい。胸の内に隠して、内緒の宝物にしていたい。
 ナマエは胸の内でこんなことを思い、それこそサンジには絶対言えないけれど、と最後に付け足す。

「それで?」
「あん?」
「サンジのオーダーは?」
「……おれ?」

 何がそんなに意外なのか、サンジは振り返って眉を上げて目をまん丸にする。ナマエもつられてちょっと目が丸くなる。

「? うん、まだサンジのリクエストだけ聞いてない」
「…………そう、か」
「?」

 ふいっと顔を背けられた。冷たい感じではない。泳いだ視線に首までゆらゆらついていってしまったような。右を向いた顔は長い前髪に目元を隠され表情が読みにくい。
 咥えたタバコが上下にぷらぷら揺れている。「んーー〜〜……」と小さく長く唸る声。唸りながらサンジは袖を捲ってシンクで手を洗う。ナマエはその後ろで冷蔵庫のロックを解除してフルーツとコーラの在庫を確認する。

「……よし」
「決まった?」
「果肉入りの炭酸ドリンク」
「……私のと一緒ってこと?」
「ナマエのはおれが作る。おれのはお前が作れ。どっちが美味いの作れるか勝負だ」

 サンジがにひっと笑う。
 それはアッ……、と声を詰まらせてしまうほど嬉しい誘いだった。

 サンジは腕前を競いたがるコックじゃない。料理人としての喜びをプッチの一番街で自分の店を持つことや名高い評論家からの賞賛を得ること、三ツ星・ミシュランといったものに求めない。貴賤を決める料理にとことん興味がない。
 誰かの体と心を満たす、そういう命まるごとを愛するような術がサンジにとっての料理だからだ。
 そんな彼が唯一、積極的に勝負らしい勝負を持ちかけるのは、“まかない”の味くらべをするときだけだ。

「絶対負かす!」
「じょーとォ」

 フタを開ければこれはただの試作会であり、アイデアの出し合いとレシピ改良に向けた作戦会議なのだが。賞味期限切れの近い食材だけでどこまでお互いを唸らせられるか。額を合わせてああでもないこうでもないとレシピノートを埋めたものだ。毎日毎秒ケンカをするような子供二人が素直にそれを持ちかけられるわけもなく、勝負の名のもとそういうことをしていた。
 幼さゆえの拙い逃げ口上である。

 今は幼くない二人がそれをしている。数年越しで再会したお互いの心の形を確かめ合っているようだ。
 変わっていない場所を見つけ、確かな足場としたい。そんな意図が、サンジはどうか分からないけど、彼女にはあった。

「まずはみんなのドリンク作ろう。残ったもので最高の一杯を作る」
「おうよ。おれはレディたちとルフィと、あー、マリモの分やる」
「オッケー。私がウソップ、チョッパー、ブルック、フランキーね」
「フルーツ、冷蔵室の右側に寄せてあるやつから使え」
「今までにやったコーラアレンジ教えて。それ以外のやつ作ってあげたい」
「確か……」



 クルーたちにドリンクを配り終え、小走りで舞い戻ってきたキッチンでいそいそとお互いのドリンクを作る。
 ナマエに差し出されたものは、レモンスカッシュ。コリンズグラスは底にいくほど円やかな黄色が濃ゆくなる美しいグラデーションである。レモン以外にもオレンジとパインの果肉が見える。
 対して彼女が差し出したのは、ミックスベリーのクリームソーダ。リンゴ酢を炭酸で割って、氷砂糖で甘みを。ベリーと酢の酸味は上に乗せたアイスで程よく柔らかくなる。
 同じ作業台で進めていたから完成品を見ても驚きはないが、飲むのはとても楽しみだった。

「乾杯」

 グラスをカツンと合わせて一口。
 サンジはパッと目を大きくしてまじまじとグラスを照明に透かす。ストローで少しかき混ぜてもう一口。今度は口角が上がる。いそいそとカトラリーの入った引き出しを引っ掻き回してスプーンを取り出し、果肉を一口。アイスと合わせてさらにもう一口。

「ンッ……めェなチクショウ!」
「そっちこそ!」

 キッチンの内側に立つサンジの向かい、カウンター席で同じようなことをしていたナマエもほぼ同じタイミングで目を輝かせた。
 それから二人でカウンターに肘をついて、これに合う軽食やアレンジを思いつくまま話す。

「これならクラッカーが合うよな」
「クリームチーズあったよね」
「はちみつ」
「シナモン」
「ペッパーもいいな」
「出そ出そ」

 あっという間にドリンクのお供が出来上がる。それをつまみながらまたダラダラと会話は続く。

「サングリア……」
「それ思った、作ろうよ」
「じゃあレモンチェッロも作ろうぜ」
「アそーだ、梅シロップ、梅シロップもぜひ」
「お、料理にもいけたよな、スペアリブだろ、照り焼きだろ……」
「疲労回復、ゾロのトレーニング終わりにいいかなって」
「あ? あいつはレモン丸齧りさせときゃいいだろ」
「はは、急に塩対応」

 飲み切るのがもったいないからどちらのグラスもチマチマとしか減っていかない。
 サンジは「これ美味い」とチーズクラッカーの上にスプーンで掬ったミックスベリーの果肉を乗っけて分けてくれた。確かに美味しかった。
 そこまではよかったのだが、おやつタイムをのんびり楽しんでいたせいで、空いたグラスを返しに来た他のクルーに見つかってしまった。
 扉を開けた途端、ルフィが「あーーー!!」と険しい顔をする。

「サンジ! ナマエ! お前らなァ、船長を差し置いておやつとは何事だ!」
「やべっ、食え食え食え!」
「んんっ!?」

 サンジは2枚重ねのクラッカーをナマエの口に突っ込み、自分も3枚重ねのクラッカーを口に放り込んで皿を空にした。そして急いでミックスベリーのグラスを煽って飲み干す。ナマエは単純に水分が欲しくてレモンスカッシュに飛びつく。
 その証拠隠滅作業にルフィが喚き、後ろにいたウソップとチョッパーが「おやつねェのか!?」と騒ぐ。

「全部食うなんてひでーぞサンジ!」
「ほっときゃいつでも全部食おうとするヤツがなに言ってんだ」
「なんかくれ!」
「わァかった、わかったから巻きつくなクソゴム」

 ウソップとチョッパーが船長とコックのコントに笑いながらナマエの隣へやってくる。みんなにもなにか出してあげようと彼女が席を立とうとしたとき、チョッパーがふんふん青い鼻を動かした。

「ナマエのこれなんだ? レモネード?」
「お、美味そうだなァ」
「スカッシュ。シュワシュワで美味しいよ。一口飲む?」
「いいのか!?」

 ナマエは二人にグラスを差し出そうとしたが、ヒョイとグラスを取り上げられた。サンジに。右半身をルフィに寄生されながらも、素早い動きだった。
 思わず、といった感じで本人もジ……と言葉を無くして不思議な沈黙がほんの一瞬流れる。

「し……試作品、だから、だめだ」
「おれらは試作品でも構わねェぞ」
「だ、だめだ、おれは一流のコックだから半端なもんは出さん」
「ナマエは飲んでたじゃん」
「こいつはコックだからいーんだ!」

 ゴトン! と再びグラスが彼女の目の前に帰ってくる。ナマエが飲み切れということらしい。
 サンジは空いた左手でルフィの顎を限界まで押し退けて、右脚を振り回して引っぺがそうと躍起になっていた。が、さすがのルフィも根性焼きをされかけて離れる。

「なんの騒ぎー?」
「ドリンクご馳走さま。とっても美味しかったわ」
「あ、ナマエのそれなに? おいしそー」
「レモン……スカッシュかしら?」

 次に現れた美女二人がナマエのグラスに興味をもつ。その様子にナマエはほんの少し対応に迷う。
 あげていいかな、だめかな。さすがに美女のお願いならサンジも——……。

「あら」

 取り上げないまでも、なんとサンジはグラスに蓋をするように左手を乗せた。ナミとロビンでもNOということらしい。
 だが多少は悩んだらしく、口元を歪めて複雑な顔をしている。

「えと…ナミ、ロビン。ごめんね、これ試作品なの。手直ししたやつ、明日のおやつと一緒に出すから」
「う、うん、だからもう少し待っててねナミさん、ロビンちゃん……」
「そうなの? じゃあとびきり美味しいやつ待ってるわ」
「あらあら……ウフフ」

 美女二人は素直に引き下がってくれた。


***


「昼間のも美味しかったけどなぁ」

 完成品のレモンスカッシュを飲みながらレシピを書き起こし、ナマエは独りごちた。サンジもコンロのふちに腰を引っ掛けて同じ色のグラスを傾けている。
 夕飯のあと、クルーがはけたキッチンで本日二度目の試作会を開催。手直しを加えたレモンスカッシュは甘味をもう少し抑えた爽やかなフレーバーになった。追加で作ったレモンピールのほのかな苦味が大人向け。

「ったりめーだ。ありゃナマエ用に作ったんだ」

 サンジは左斜め上を向いてフーッと細く吐き出した。ナマエは手を止めてサンジを見やる。
 ワタシ用、とは。

「貸してみ」
「え……あぁ、ハイ」

 サンジはコンロの脇にグラスを置き、タバコを咥えて両手を空けた。促されるまま彼女はサンジに自分のグラスを渡す。
 はちみつひと匙と塩をほんの少し入れて、サンジはストローでぐるぐるかき混ぜた。人差し指と中指でタバコを挟んだ右手でストローを端に避け、グラスに直接口をつけて味見をする。

「ん」

 そしてグラスが差し戻される。
 顎をしゃくられ再び促されるままストローに口をつけ。

「……あ」

 この味好きだ。
 彼女の表情を正しく読み取ったサンジが「だろ」と口の端を上げて笑う。その顔にナマエは心臓をくすぐられた心地になる。いつの間にこんなかっこいい笑い方をするようになったんだろうか。

「お、お見事」

 この彼女にドンピシャな一杯は、レディたち用でもなく、野郎連中用でもなく、彼女用の一杯なのだ。
 そう思うと嬉しく・恥ずかしく・照れ臭くなってしまい、ナマエは少しも顔を上げられず、ストローをちまちま咥えるばかりになってしまった。
 口の中で炭酸が弾ける刺激が星みたく強く瞬いていた。