06
「あ」
「ん? なぁに、どうしたのよ」
「今日おしりあんまり痛くない。筋肉痛きてない!」
「あらー、効果出てきたんじゃなーい?」
「えへへ、ご指導の賜物です」
「頑張ってるものね。それで決行日はいつなの?」
「はい?」
「色仕掛け」
「しませんよおロビンせんせ!」
「アラアラ」
手っ取り早いのに、とロビンは本に目を落としたまま微笑んだ。
薔薇に、と思い立ったはいいものの。
コックをやりながらのオシャレには限界がある。常に衛生管理が必須の調理の場では、ネイル・指輪・ブレスレットといった類は御法度だ。調理中の繊細な香りを嗅ぎ分けるために香水はつけたくないし、装飾の多い服は可愛いけれど水や油が跳ねることを考えれば余計な懸念は持ち込みたくない。髪だってキュッと結い上げている方が動きやすい。……
どれもナマエがコックである限り、妥協したくない点ばかりだ。妥協したくないので妥協しない。よって、彼女はシェイプアップと美容に重きを置いた生活習慣の改善くらいしかやれることがなかった。
とはいえ、その師匠が我が船の二大美女であるため甘くはない。甘くないがゆえ、成果は少しずつでも順調に現れていた。
「んっ?」
朝食後、みかん畑の横に設置したビーチチェアで新聞を読んでいたナミは潮風の変化を敏感に察して、双眼鏡を手に取った。水平線にジィ…と照準を合わせたのち、アタシ天才、と爽やかに笑う。
そして、パンパンと手を叩いて甲板で転がって遊んでいた男たちの注目を集め「島見えてきたわよー」と簡素に言いつける。
船長がいの一番に、文字通りすっ飛んできて騒ぎ始めた。
「サンジくーん!」
「ンハァイッナミすわん! なあに〜っ?」
「この調子ならお昼前には次の島に着くわ」
「しーまっ! しーまっ! しーまっ!」
「しーまっ! しーまっ!」
「しーまっ!」
「ゴム鼻毛玉うるっせェぞ! 麗しのナミさんが喋ってんだろうが!」
「サンジくんは島に着いたらナマエと買出しに行ってちょうだい。あとで買出し用の財布を渡すわ」
「はぁいナミさん」
「じゃあそういうことで。よろしくね」
ヒラ、と手を振って号令から戻ってきたナミが真っ直ぐナマエの前に来る。ドンと彼女の肩に両手を置き。
「ちょっといいかしら?」
と、にっこり笑った。
島に着くなりルフィたちはさっさと船を飛び出して街へ向かった。
サンジは船番で残るフランキーとゾロに昼食を作ってやっており、ナマエはそんな彼の手伝いもせず何をしているかといえば。
「わ、かわいい……」
「はいじっとして。髪も巻く?」
「いいの?」
「いいわよ〜とことんやんなさ〜い」
ナミとロビン監修のもと、おめかしをしていた。
特別やりすぎている感じも頑張りすぎている雰囲気もない。まるきりの非日常ではなく、あくまで普段の彼女に効果的かつ的確に華やかさを足した形だ。この塩梅は一流の美女である2人でないとできないだろう。
1番のお気に入りはネイルだった。「今日くらい店で済ませなさいよ」と爪を綺麗なはちみつ色に塗りながらナミはそう言ってくれた。彩度の低いグリーンとシルバーラメのアクセントが指の先から大人っぽい雰囲気にする。
「いい? ただの買出しにするんじゃないわよ。デートよ! デートにしてきなさい!」
「いや買出しでしょ」
「時間に名前をつけるのは男の役目。あなたとの外出をデートと呼びたいと思わせればいいのよ」
「難易度たか……」
ナマエ一人ならサンジは気にせず女部屋の扉を叩いてまだかと催促しにきただろうが、今はナミやロビンも一緒だったため、彼は忠犬のように甲板で大人しく時間を潰して待っていた。
女部屋の扉が開くなり、パッとご機嫌にこちらを振り返ったサンジには犬の尻尾と耳の幻すら見えるようだった。
「おっ……、……」
「?」
「えっ、と、あロビンちゃんナミさん下降りるよな? お連れしましょうか?」
「いいえ結構よ」
「間に合ってまーす。じゃ二人とも、買出しよろしく」
「アンつれない……そんなお二人も素敵だ……」
ロビンが風を撫でるように腕を動かせば、桃色の花びらがどこからともなく舞った。そして、無数の柔らかい女の腕でできた階段があらわれ、船べりから岸までを繋ぐ。二人はその階段を軽やかにくだっていった。
ナマエは船から遠ざかる美女二人の艶やかな後ろ姿を見送り、「さて」と気持ちを切り替えた。
きれいな格好をするとそれだけで気分が上を向く。サンジどうこうを抜きにしても、着飾るのは心が浮き足立って楽しい。白いミュール、はちみつ色の爪、シアー素材のフリルが肌に落とす薄い影。視界に映る自分の切れ端はどれも彼女にとっては久方ぶりなかわいさなのだ。
潮風に乱されないよう、編み込んでもらった髪を軽くおさえて振り返る。
サンジはぼけっと彼女を見ていた。タバコを指に挟んだ手は胸の前あたりで中途半端に持ち上げられている。
タバコの先端にぶら下がっていた1、2センチの灰が風で落とされたのを皮切りに、サンジは「あ、」と小さく身じろぎをしてようやく口を開いた。
「知り合いでもいんのか?」
「え?」
「この島」
「し、知り合い……?」
「何か用事があるなら、おれひとりで……いくけど」
「なっ、ないない!」
「でも、ひとに会うような格好してる」
「あ。え、」
塊のまま甲板の芝生に落ちた灰を軽く蹴散らしながらサンジが言う。
俯いて垂れた前髪の隙間から目だけがナマエを向けられた。
「今日はおれと買出しでいいのか?」
「……うん」
「あそ」
雑にも聞こえる短くて簡単な返事とともにサンジは船内につながる扉へ歩き出す。んじゃ荷車取ってくる、とタバコをふかしながら。
「食糧庫のチェックは?」
「した。買いたいもんは大体頭に入れた」
「そう。私、荷袋取ってくるね」
「おー」
サンジは荷車がある荷物倉庫へ。ナマエは買出し用の荷袋がある食糧庫へ向かってそれぞれ消えた。
なんか反応薄かったな、と頭の隅でちょっとだけ拗ねるけど。
「……ふふ、かわいい」
身を翻して広がったAラインのスカートを見れば、まあいいやと思う。ひとに会う約束をしてるのかってことは、少しはいつもと違って見えたんだろうし。
とにかく今日の彼女は、彼女好みのレディなのだ。
***
「右」
「左だろ」
「右、絶対右」
「え〜〜左だって、お前見る目ねェよ」
「はあ〜!? おばちゃんこっちちょうだい!」
「あっ! テメッ!」
ナマエはサンジの右手首を掴んで八百屋のおばちゃんにズイと突き出す。おばちゃんはハイハイと笑ってサンジの右手にあった大きなかぼちゃに受け取った。量りに乗せて勘定が進む光景を見て「ばあさん、これも!」と結局左手にあったかぼちゃも量りに追加される。
結局どっちも買うの。こんなもん2個も3個も変わんねェよ。……こんな調子で買出しは進んでいった。二人の間には料理人然としたいつもの空気があった。
どれが新鮮か食材を目利きし、こんな料理を作りたいと意見を交わし合う。一緒に試食をしたり郷土料理のレシピを聞いたり。
二人してはふはふと目を輝かせながら島の市場をめぐり、昼をとうに過ぎた頃にベンチで休憩を入れた。
背もたれにだらっともたれて空を仰ぐサンジと膝に肘をついてくたっと項垂れるナマエ。荷車は山盛りだった。
「っあ゛ーーー……楽しい……」
「楽しいね……やば……」
「ナマエはあれだろ…レストラン勤めの時なんかは同僚がいたんだし、こういう買出しもあっただろ……」
「質が、質が違う……話の噛み合いというか、レシピの解像度とか自由度とかが……こ、こんなの、楽しすぎるって……」
「同感だ……バラティエのバカどもとは血みどろの喧嘩にしかならねェもん……」
「目に浮かぶ…」
「はは、だろ。仲良く買出しできた記憶がねェ」
「あはは」
はー……と息をつき、サンジは体をのっそり起こして「腹減ったな」と呟く。
「なにか食べてくる? 私、ここで荷物見てるよ」
「あー…? おれだけ行くのもなんかなァ……テイクアウトできそうなもんにすっか……ナマエは? なんか食うか?」
「試食でお腹いっぱい」
「お上品なこった」
「お上品なんですう」
「へえへえ。んじゃお言葉に甘えてちょっと見てくる」
サンジがベンチから立ち上がる。ナマエはその脚の長さに改めて感心しつつ、ポケットに両手を突っ込んで歩いていく背中にひらひらと手を振った。
両手の爪を眺めていたら紙袋を片手に携えたサンジが帰ってくるのはあっという間だった。再び同じ位置に座ったサンジは早速袋を開けて、Lサイズのドリンクをふたつ、二人の間に並べる。袋入りのストローをノールックで「ん」と当然のように差し出されたので彼女は大人しくプスとドリンクの蓋に刺した。
そして、サンジは包み紙をガサガサ開き、ガッと大きく口を開けてクラブサンドにかじりつく。
香ばしく焼けた厚みのあるパンがザクッといい音を立てる。見たところ中身はレタスにスライスオニオン、トマト、ローストチキン、ソースは…スイートチリ、だろうか。……だめだ、見てると食べたくなってくる。自分まだやれますと先ほどまで眠っていたはずの食欲が訴えてかけてくる。
アイスティーのストローをくわえて思わずじっとパンを見つめるナマエを横目で見下ろし、サンジはにっと目を細めた。
「だと思った」
「わ」
紙袋からもうひとつ包みが取り出される。それはぽんと彼女の手元へやってきた。
「えっ、いいの?」
「おう。クソうめェぞ」
「わー! ありがとう!」
「さっき通りがかった時に気になってたんだ、この店」
「そうなんだ、気づかなかった。ではありがたくいただきます」
「あ、待て待て」
包み紙を除けていざ、というところで。
ぱさっとサンジがナマエの膝にハンカチを掛けた。驚いて固まっていると「汚したら困るだろ」と事もなげに言う。
ずいぶん紳士的だ。でも、なんだか……これは、これは……、……ええと?
「私が食べこぼすと思ってる……?」
「まァ……念のためだよ。それ、ナミさんかロビンちゃんの借り物なんじゃねェのか?」
「…………」
サンジはスカートを顎でさして肩をすくめた。
彼の行動の先には美女二人がいた。その事実にスー…と彼女の背中の真ん中あたりが冷えていく。
ナマエはサンジの問いには答えずクラブサンドを食べ始めた。女性らしい口のサイズでサクサクと、難なく3分の1ほど食べ進める。
口の端と指先についたささやかなパン屑を払い、具材ひとつ、ソース一滴垂れていない綺麗なハンカチをサンジに突き返す。
彼女の食べ姿をなぜだかボサッと見ていたサンジは、目の前に差し戻されたハンカチに「え」「あ」と戸惑っている。
「10やそこらの子どもじゃないんだから食べこぼしもしない。確かにネイルやメイクアップは手伝ってもらったけど、服は全部自前です」
「…あ、そうか……そうなのか……」
「……サンジの方がハンカチいるんじゃない? スラックスにソースついてるよ」
「えっ…、あ!? クソッ、マジだ」
「早く拭きなね、染みになっちゃうよ」
拭こうとした拍子に傾いた手元からボタッとチキンもスラックスに落ちてサンジはさらに慌てた。その慌て様を横目で見て、ナマエはドリンクカップをもってストローをくわえる。
船上では生活と仕事が同一軸にあるけれど、陸で働いていればそれらは分離される。私服で出勤して、職場でコックスーツに着替えるのが一般的だ。だから彼女がこの手の厨房向きではない私服を持っていたって不思議ではないのに。
……私の持ち物には見えなかったか、そうか。本当に、一緒にバラティエで働いていたイメージしかないんだな。
アイスティーの冷たさが骨に染みていくようだった。
「つーことはよ、」
スラックスの汚れを一生懸命拭いながらサンジが口を開く。
「せっかく持ってんのにずっと着てなかったのか? そういう服」
「……うん。厨房では動きにくいし…調理のたびに着替えるのも手間でしょ」
「なんだよ、もったいねェ」
「え」
「もっと着りゃいいだろ。似合うんだから」
「はい?」
「ア〜ッ、クソ……これ落ちねェな……」
——似合う?
さらっと飛び出た言葉に、一転彼女はひとりドギマギする。
サンジはスラックスの汚れに夢中で、今度はナマエがボサッと彼を見つめていることなど気づいていない。
「確かにうちの船じゃ常に厨房に立ってるみたいなとこあるから、機能性重視ってのは一理あるが……今日みたいに島に出る日とか、着る機会ならいくらでもあるだろ」
「まあ……」
「タンスの肥やしにしてると服だってカビるし虫に食われちまう」
「う、うん」
「うし、じゃあ決まりだ! 次の島も好きな格好してこい。ピンヒールだっていいぜ。荷物はおれが持ってやるよ」
顔を上げてサンジはにっと笑った。その屈託のない笑顔に拗ねていた気持ちが一気に晴れる。
「ふふ。なあに、サンジと行く前提?」
「えっ…」
悪気なく湧いた疑問を投げかけると、サンジは子どもみたいに無防備な声で言葉を詰まらせた。お散歩行かないよと飼い主に告げられたわんこのような愛らしい間抜けさがあった。
瞬き二回、まん丸だった目を慌てて逸らし、靴先に視線が落ちる。「あー、えーと、」と曖昧な言葉が沈黙を埋めるためだけに続く。
「……あー。あー…そうだな、別にナミさんたちと行ったって、いいけど……、………アいや、か。買出し…。お前には買出しの仕事があんだろ」
「あー、買出し。そうね、うん」
「買う量つったら毎回こんなもんだし、おれひとりじゃさすがにきついぜ。……毎回必ずとは言わねェけど、副料理長の仕事は果たせよな」
「もちろん。それがこの船での私の仕事だしね、料理長」
「……ダァッ、これ落ちねーな!」
ちまちま拭いていた汚れを諦め、サンジは手の甲でスラックスを払って仕舞いにした。
ナマエは包み紙の端をいじりながら、内心びくびくしながら、それでも訊ねてみる。
ウンって言わないで。そうだなって、頷かないで。そんな風に祈りながら。
「……船帰る? 買出しも大体終わったし、気になるなら早く洗った方がいいよ。……私は、もう少し回りたい、けど」
ぐりん! と金色の髪を散らして勢いよく彼女を向く。渦巻きの延長線上、眉間に皺を寄せて心外だとでも言いたげな目とまともにかち合う。
「やだね! あと2、3軒は回る。油染みが怖くてコックやってられっかよ!」
威勢よくそう言い切ると、サンジは不貞腐れたような、半ばやけっぱちな仕草で膝に肘をついて前屈みになり、食べかけのクラブサンドにかじりついた。
大きく頬張ったせいで丸く膨らんだ頬の形を斜め後ろからジ…と眺め…、ナマエは静かに背中をベンチにつけた。脚を気楽に伸ばし、ヒールを支点に浮いたつま先をゆらゆら揺らす。
白い雲が浮かぶ青空を見上げて、ナマエも食べかけのクラブサンドを一口かじる。緩み切った口元は前傾姿勢のサンジからは見えないのだから、隠す必要もない。
「同感」
そう答えた声に混じった上機嫌に、サンジは気づいただろうか。
***
「おかえり。デートはどうだった? 今回もたくさん買ったわね」
「ロビンちゅわ〜〜ん! ただいま〜! 君が好きそうなコーヒー豆も見つけてきたよーん!!」
「あらありがとう。あとで淹れてくれる?」
「喜んでエッ!」
荷車をルンルン引いてサンジは早速食堂へ向かう。先に船に戻っていたロビンへの態度は、ご覧のようにいつも通りのラブコックであった。
彼の宣言通り、追加で数軒店を回り、二人は船へ帰り着いた。結構歩いたし疲れた。動きやすいいつもの格好に着替えて買ってきた品々を片付けなければ。夕飯は何にすると言っていたっけな……。
頭の中で算段をつけていたナマエの隣にロビンがするりとやって来る。
「彼、デートって否定しなかったわね」
「あ……」
「ナマエはデート、楽しかった?」
「…っ、た。たのしかった……」
「何よりね」
やさしい笑みを湛えた彼女は、最後にニコ! とかわゆく笑って去っていった。
……うん、楽しかった。
半日にも足らないたった数時間を反芻し、ナマエは足取り軽く女部屋へ向かった。
身支度を整えた彼女が食堂に訪れる頃にはサンジはとうに食材を片付け終え、夕飯の準備に取り掛かっていた。
街を歩きながら散々話したから今夜のメニューは分かっている。出遅れた分を巻き返そうと厨房に入ると、調理台に並んだバットに目がいった。
正しくはバットの中身。
「あれ、食材もう切ってくれたの?」
「おー」
「そ…? ありがとね」
いつもだったらメニューと使う食材の擦り合わせが終わったら、各々好きに食材を取り出して料理を作り上げていくのだけど。先に消費したい食材でもあったのかしら。
チャカチャカと作業するサンジの背中を見て、すでにバットに用意された食材を見て、フムと頷く。
「私、生簀から魚獲ってくるね。何がいいかなー」
「おうおうおう待てバカ」
袖をまくって生簀へ向かおうとしたナマエの腕をサンジが慌ててつかんで止める。
「なによ」
「生臭くなるだろうが」
「? 魚触るんだから当たり前でしょ」
「そらそうだが……いや、だからだよ!」
「ちょっと、なんなの?」
「爪!」
「つめ?」
「せっかくナミさんとロビンちゃんに綺麗にしてもらったっつーのに」
「……あ、ネイルのこと? もう落としたよ」
「は?」
「ほら。いつも通り。ね」
つかまれていない方の手を差し出す。手のひらを伏せて指を揃えて爪が見やすいようにしてやる。店で済ませなさいとネイルをしてくれたナミには申し訳ないが、この通りまっさらだ。
サンジは元通りのすっぴんの指先を見て「ん?」と眉をひそめる。おもむろにつかんだ方の手も見て「んん?」とさらに顔をしかめる。最後に釈然としない眼差しをナマエの顔に向ける。
彼女は彼のこのリアクション以前に、爪が変わってるの気づいてたことに驚いていた。
「……そんなすぐ落とすもんなのか? ナミさんとか、何日かは同じ色してるぞ」
「確かに普通はしばらくそのままだろうけど、私は厨房に立つ身だし……」
「…………」
「それが本職だしさ……」
「……だからたった半日で落としたと?」
「え…はい……そうですが……」
掴まれた腕がそっと下ろされる。襟足のあたりをポリポリ掻くサンジに長いため息をつかれる。「……オマエらしいわ」とぽつんと添えられて。
「……そのままが良かった?」
「ンン゛ッ、…お、おれのことはどうでもよくてよ、…ナマエがもしそういうオシャレをしてたいっつーなら、コック仕事は免除する。元からおれ一人で回してた厨房なんだし、ワンマンに戻ったところでさして困らねェし、だから遠慮なんかす……」
「え、やだ!」
「は?」
「私、一日もコック休みたくない!」
「……」
脊髄反射で答える。
サンジは大きく目を開き……ゆっくりと息を吸いながら斜め上に目玉を動かし、脱力するように息を吐いて目を伏せる。
口元は微かに笑っていた。
「…ンだよ、そんなにおれとお料理したいか?」
「うん。で、魚なににする? タラ? イワシ? あ、サバもいいなあ」
「…………え、…あ、タラで……」
「オッケー」
タラね、とナマエは改めて生簀に向かった。
「……否定しねーのかよ」
一人きりになった厨房で呟いたサンジの顔はなんとも言えないものだった。