空想バスルーム

の森に舞い降りて

 ガタゴト、ガタゴト、揺られながら。乗り継ぎの時間を含めると、四時間はかかる長旅だ。関東地方の中を移動しているだけなのに、些か不便なところに居を構えてしまったものだ。

 茨城から箱根まで、いくつか電車を乗り換えて、最後には赤い車体のローカル線に乗って、そこからさらに本数の少ないバスに乗って、そうしてようやく私たちの地元に到着する。なんてことはない、ただの大学生の帰省だ。

 夏休みは九月まであるため、八月の終わりにゆるりと帰ることにした。大学二年生はなかなかに忙しいもので、なんだかんだとお盆頃まで追加の講義やセミナーがあったのだ。隣でうつらうつらと船を漕ぐ彼だって、部活の休みがなかなかなくて、隙間を縫ってやっと時間が作れたのだ。

「東堂くん、もうすぐだよ」

 幼い頃から慣れ親しんだ景色だ。せっかく地元が一緒なのだから、どうせなら一緒に帰ろう、とせっついてなんとか日程を合わせた。ここに住んでいた頃は、彼の隣を並んで歩くことなどないと思っていたのに、人生はわからないものだ。狭いバスの中は観光客ばかりで、みな温泉地で下車していく。まあ、私たちの実家も温泉旅館街にあるのだから、傍目には同じように見えるかもしれないけれど。

 バスが大きくカーブを曲がると、『東堂庵』と書かれた貫禄のある旅館が見えてくる。彼の実家だ。かなりの老舗旅館で、箱根の中でも有名な一軒。最寄りのバス停は彼の家を少し過ぎたところにあって、引き返す形だ。私の実家はバス停を挟んで反対側なので、バスを降りたらそこでお別れすることになる。食堂付きの小さな商店を営んでいるだけの我が家と比べると、やはり東堂くんちはご立派な家庭だ。観光客はもちろん地元でも名の知れた旅館だから、いつも彼の家は賑わっている。最近は不景気で、なかなか最盛期に比べると見劣りしてしまうが、それでも都心住まいの若者が週末のリフレッシュに訪れたり、昔からの馴染みの客が家族旅行に来てくれたりと、ここらの旅館では群を抜いて盛況だ。お陰様で、比較的に近所にある我が家も恩恵を受けていられるのだろうけど。

 山道を更に進むとようやくバス停が見えてきた。降車ボタンは観光客らしきグループが少し前に押したので、バス停に着いたら荷物を抱えて一緒に降りるだけだ。手荷物を確認しようと体の向きを変えようとしたら、横から腕を掴まれた。

「なまえ、もう少し、先まで行かないか」
「え?」

 そうこうしているうちにバスは停車する。二組くらいが下車し、運転手のアナウンスと共に、扉がまた閉まった。

「お、降り損ねちゃったよ」
「たまにはいいだろう?」
「行きたい場所でもあるの?」
「まあ、それは着いてのお楽しみだよ」

 そう言うと、彼はにこにこしながら外の景色を眺め始めた。先ほどまで転た寝をしていたくせに。

 バスはぐんぐん上へと登っていく。山の木々をかき分けて、木漏れ日の中を進んでいく。

 やがて、視界が開けて、大きな湖が見えた。

「……芦ノ湖だぁ」

 遊覧船で渡ることもできる、観光地のひとつ。この歳になると、わざわざ地元の観光地になんて行かないが、久しぶりに見ると少し心が踊った。

「久しぶりに、こういうところに来るのもいいかと思ってな」
「……うん、そうだね」

 桃源台、と電光掲示板と車内アナウンスが告げる。終点だ。今度こそ、荷物をまとめて降りる準備をする。

「海賊船に乗って元箱根まで行って、そこからまたバスだな。遠回りにはなるが」
「せっかくだから途中、箱根神社に行ってお参りしてこようよ」
「……そうだな、せっかくの寄り道だもんな」

 あはは、と小さく笑って、そっと手を繋いで、久しぶりに地元を散策する。ここは地元だから、もしかしたら周りに同級生だったり、親の知り合いだったりがいるかもしれないけれど。別にいいよね、だって、付き合ってるんだもん。

 そう言い聞かせて、緑生い茂るこの街に、降り立った。両手いっぱいの荷物の重みは、幸せの重みだった。

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