雪解け - なんとはなしに

03


「あれ、って」
 情けないことに、乾いた声が出た。心臓を冷たい手で掴まれているような、そんな感覚。
 結界の外、遠くに居た二人は怒りと憎しみに打ち震えた表情をしていて──……鬼の形相、とでも言えばよいのか。私はそれに、気圧された。
「刀剣男士です。彼処に居りますは、鯰尾藤四郎に、小夜左文字」
 恐怖を露わにする私と違い、こんのすけは冷静だ。おそらく、刀剣男士の名前を言ったのだろうが、今の私にそれらを覚える余裕なんてない。
 ──にげなきゃ。
 真っ直ぐ私に向けられている刃の切っ先が、私に対する明確な殺意と敵意を表している。あれは本気だ。
 じり、と、己が地を踏みしめた音がした。体は既に退避の姿勢をとっている。
「こん、のすけ……逃げ」
「二口とも手負いですので、結界を破る力はありません。結界の中にいれば、安全にございます」
 すっかり動揺した私のカラカラ声を遮り、こんのすけは「安全」だと断言する。ただし、結界の中にいれば、ということだが。
「え、そう……なんだ? でもほんとに大丈夫なの? 逃げた方がいいんじゃ」
 確かに、見る限りあの二人はボロボロで、傷だらけだ。だが、安全だと言われても、「はいそうですか」と飲み込めない。
 だって、あんなにもしっかりと、刀を握り締めているのに。あんなにも迷いなく、私に刃を向けているのに。
 鬼でも討とうといわんばかりの顔をして。
「問題ありません」
 私の方を見ず、きっぱりと言い切るこんのすけに、薄ら寒さを得る。
 まさか、この狐──私を嵌める気ではないだろうな?
「安全」というのが嘘八百であれば?
 実はあの険悪な二人と結託していて、この場で私が斬り捨てられるように仕向けている、という線はないのか?
 前の主人に酷いことをされ、人間に恨み辛みを抱いていて、私に憎悪や怨嗟をぶつける気では?
 初めて、こんのすけに疑惑の眼を向ける。政府と契約した式神、斉藤さんに紹介された狐。私はコレが補助者であると、サポート役であると、信頼に足る存在であると思っていたが、もしそうでなかったら?
 ──ああ、なんて恐ろしい。
「人間は出て行け! 審神者なんて必要ない!」
 背筋を凍らせていた私の時を動かしたのは、若さの残る声が発した怒号。そちらを見やれば、二人の男の子がジリリジリリとにじり寄ってきていた。まだまだ距離はあるが、これはよろしくない。
 しっかりしろ、私。自分の命は自分で守らないと。
 何をすればいい? どう動く?
 大きく息を吸って、吐く。
「……離れに戻るよ」
 不思議なことに、私は落ち着きを取り戻しつつあった。あの怒鳴り声で我に返ったというか、頭が回り始めたというか──とにかく、自分を守るために成す最善を探そうと、気味が悪いほどに沈着していた。あまりの危機感に、生存本能が発揮されたのかもしれない。
 まずは、離れに戻って結界の強化。絶対にあの二人の接近を許してはいけない。
 次に、斉藤さんにメール。こんのすけの裏切りが有り得るかどうかの確認をしよう。
 二人の男の子とこんのすけに背を向け、早足で歩く。後ろから小さな足音が聞こえるので、こんのすけは着いて来ているのだろう。後ろを向いて確認する気にはなれなかったが。
「早く失せろ! こっちに来たら、斬る!」
 先程と同じ声が、非常に物騒な事を喚いている。そうか、やっぱり殺すか。殺す気マンマンなのか。欠片も友好さはないのか。
「すごい言われ様だねえ」
 呆れたような、冷めた声が自然と漏れた。もう口は乾いていない。
 私の中で、仕分けが済んだのだ。今のところ、あの二人は相容れぬものである。敵対、という言葉が相応しいか。前任の審神者に手酷く扱われ、人間不信という事情はあろうけれども、同情して隙を見せるべきではなさそうだ。近寄らない方がいいし、関わり合わない方がいい。ああ、仕事となれば話は別だ。審神者業務の中には、刀剣の修繕も入っているから。
「……はあ」
 戸をピシリと立て、溜息をつく。
 歴史修正主義者を退け、歴史を守るは審神者と刀剣男士。いわば、私と彼らは本来、同じ目的を、目標を持つ仲間であるはずなのに。
 事情が事情だから難しいだろうとは思っていたが、それでも、ちょっぴり期待していた。もしかすると仲良くなれるかも、なんて。まあ、ご覧のとおり……到底無理そうである。残念というか、ガッカリというか、淋しいというか──精神的ダメージが少々。
 のろのろと畳間に上がり、埃の積もった灰色の畳へだらしなく座り込む。何度か深呼吸をして、自分の内に沸く力を外へ外へと押し出した。今しがた張った結界を、もっと頑丈にしておくのだ。どのくらいまでそうすればよいのかは分からないが、とりあえず、できるところまで力を充満させてみた。
「そこまでしなくとも」
 固く閉じられた戸の傍らで、こんのすけがポツリと呟く。
「念のためだよ、念のため」
 軽い口調で返し、土間へ向かって手をひらひら振る。家に上がり込んだ私からは、黄色い頭の先しか見えない。こんのすけよ、お前に謀反の疑惑があるうちは、優しくなんてできないぞ。
 今度は携帯を取り出し、ポチポチと手早くメールを打つ。内容は短い。「こんのすけは私を裏切ったりしませんか?」だ。画面に表示されている受信感度バーに、異空間でも電波は飛んでるんだなあと、妙な感心をしてしまった。

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