04
斉藤さんからの返信は早かった。
答えとしては、「こんのすけは絶対に審神者を裏切らない。裏切れない」そうだ。詳細は不明だが、こんのすけは未来の政府によって現世に降ろされ、契約を結んだ式神。命に背いて審神者(わたし)を害すようなことがないよう、縛りがかけられているのだとか。
「本当に本当ですね?」と、疑り深く訊ね直したが、答えはやはり同じで。
疑念は拭い切れないが、こんのすけについてはとりあえず白に近いグレーとして扱うことに決めた。我ながら自分勝手である。でも、私だって自分が可愛いのだ。長生きするためにも、作戦は「いのちだいじに」でありたい。
「はあ」
音のない静かな空間に、自分の吐息が響く。
さて、次はどうしようか。
ぐるりと屋内を見渡せば、丸いちゃぶ台、桐箪笥、古風な鏡台──どれも埃をかぶっている。「汚いな」と率直な感想が漏れた。
「掃除、してもいい?」
土間でじっと、ただじっと佇んでいるこんのすけに問う。
「……ご随意に」
相変わらず素っ気ないこと。まあいいさ。
「よっこらしょっ……と」
年寄り臭い声かけと共に立ち上がり、はたと気付く。掃除用具はどこだ?
ざっと探してみたが、土間に立てかけてある竹箒くらいしか見つけられなかった。台所の水場に雑巾らしき布が数枚あったが、どれも腐っていてとても使えるような状態ではない。臭いし汚い。かぴかぴ。うえー。
「あー……まずは道具から調達しないとけないんだね」
一人を肩を竦めていると、こんのすけが後ろから話しかけてくる。
「政府からの支給品に含まれているはずです」
「へー、それはありがたい。あ、もうそろそろ支給品が届く時間じゃない?」
確か、斉藤さんとの打ち合わせでは一時に支給品が届く手はずになっていたはず。でも、どこに、どうやって?
携帯で時間を確認すれば、ちょうど秒針が一時きっかりに──。
ドサッ。
「え、なに、何!?」
急に聞こえた物音は外からで、私の脳裏に傷だらけの男の子が浮かぶ。まさか彼らが結界に入り込んだのではないだろうな?
険しい顔をしている私をよそに、こんのすけが事も無げに「支給品が転送されてきたようです」と戸の向こう側を見据える。なんだよそれ早く言ってよ! 驚くじゃん!
「えー、なんだ、そっか。びっくりしたー。心臓に悪いなもー」
くっ、詰めが甘かったなー。斉藤さんに支給品の配送方法も聞いとけばよかった。
独り言ちながら戸を少し開け、外の様子を窺ってみる。はあ、なるほど、あるわ。あれが支給品か。
一応あの男の子たちが待ちぶせとかしていないか目を走らせてみたけど、うん、どうやらいないようだ。良かった。いやこんのすけは結界あるから大丈夫って言うけどさあ、やっぱりちょっと不安じゃん? いまいち結界の性能が分かんないし。
安全を確かめたのち、外にでる。離れの上だけ、空の色の赤が薄れていた。ははあ、これが浄化の効果なのか? 離れの片付けが済んだら、ちゃちゃっと他の場所も浄化しちゃおう。赤い空とか気持ち悪いもん。ずっと曇りなのも嫌だし。
「あれ、これだけなんだ」
緑の剥げた地べたには、葛籠が二つ。先ほどまではなかったものだ。ふむ、政府からの支給品はこれだけなのか?
「んー?」
一つ手に持ってぶんぶん振ってみる。両手で抱えられるほどの大きさのそれはとても軽くて、中からはなんの音もしない。中身入ってないんじゃ?
訝しみつつ二つの葛籠を離れまで運び、上がり框に置いてみる。
「これをどうしろって言うのかな」
独り言のつもりだったのだが、こんのすけが横から説明してくれた。ほおほお、必要な物を思い浮かべながら手を突っ込むと、それが葛籠から取り出せるのか。大小問わずって、はー、すごいなあ。葛籠の中どうなってんの? 小規模な異空間? うわー想像つかない。
はいはい、もう一つの葛籠は不要な物を送るためにあるのね。ゴミとか? ゴミとか送っちゃっていいの? ふーん、いいんだ。向こう側の人ドン引きしないかな? 家庭ゴミって結構汚いのに。……まあいっか。
ええと、つまり、この二つの葛籠はドラえもんの四次元ポケット的なもんなのね。便利だなー。斉藤さんが言ってた「便利なものもあります」って、これのことだったのか。ほへー。未来すごい。二千二百五年すごい。
「普通の葛籠にしか見えないのに」
試しに、雑巾を頭に描きながら葛籠に手を入れてみる。と、何もなかったはずなのに、指先にゴワゴワした感触が生まれた。
「わ、すっごー!」
雑巾だ。まごうことなき雑巾である。
「もう一枚もう一枚」
興奮して再度葛籠に手を入れると、これが非常に面白い。
「すごー! 出てくるー!」
とにかく感嘆して、仕組みは不明だけど面白くて、つい一枚、もう一枚と雑巾を取り出してしまう。
「うわー、すっご! すっごーい!」
雑巾、雑巾、雑巾、雑巾……葛籠の中には何もないのに、「雑巾」と心で呼べば次々と現れる。
「……それほど多く、必要でございますか」
「え」
後方から聞こえた声にハッと我に返る。気づけば辺りは雑巾まみれで、誰がどう見ても「有り過ぎ」な状態であった。
うわ、調子に乗った。やらかした。あ、あ、遊んでたわけじゃないんだからね、珍しくてついついはしゃいじゃっただけなんだからね。お願い政府に「こいつ無駄遣いしやがりました」とか報告しないでー!
土間にちょんと座っているこんのすけに謝ろうとした瞬間、小さな狐の体が震えた。
「申し訳ありません。出過ぎたことを」
怯えたように揺れる声。俯いた顔。恐れを孕んだ瞳。それはまるで──罰を受ける前の、子供のよう。
「え? いや別に、謝るのはこっちの方……ってか、どうしたの、大丈夫?」
小さな体がチワワのように震えている。
あ、そうか。この狐は前の審神者に虐待されてたんだっけ。ツッコミ入れて私に怒られるとでも思ったのかな? これっぽっちのことで怒ったりなんかしないのに。前の審神者さん、だいぶ厳しかったんだなー。
「私、怖い? 怒ってるように見える? うーん、怒ってないんだけどな。むしろ、ツッコんでくれて助かったくらいなのに。雑巾の海にならなくてよかったー」
こんのすけは未だ身を竦めていて、視線を彷徨わせている。これは……中々に深い傷を負っているようだ。人間がトラウマか。
斉藤さんよ、なぜこの狐を審神者初心者の私に付けたのかい。嫌がらせ? 嫌がらせなの? こんのすけだってさあ、ひどい目に遭わされたんだったらちょっと休ませてやりなよ。可哀想だよー。
「あーあ……雑巾、どうしよ」
人間不信なお狐さんとの距離のとり方にも悩めど、周囲に散らばる雑巾たちの処理にも悩む。使い切るには無理があるし、どこかに仕舞うにもそんな収納スペースはなさそうで。
真新しい雑巾を握り締め、「あー」とか「うーん」とか唸っていると、いつの間にか平静に戻ったこんのすけが良い助言をしてくれた。なんだ、葛籠の中にストックできるのか。あー良かった。
早速、竹で編まれたそれに雑巾を入れてみる。おお、すごい。消えた。葛籠の底に置いた瞬間消えていくよ。どーなってんの。
「うはあ、すごいなー」
一枚、また一枚と雑巾を放り込むが、葛籠は空っぽのまま。もし私がここに入ったら、どうなるのだろう。どこに行き着くのだろう。二千二百五年の世界? SFだなあ。
未来の日本を想像しながらぽいぽいと雑巾を入れてゆき、ふと、違和感を覚える。あれ、もう入れるものがない。……んん? なんか違うよね?
キョロキョロと見回す。おかしなことに、これから活躍してもらうはずの雑巾が、あれほどあった雑巾が、一枚もない。
「あれ、雑巾は?」
「あなたが全てお仕舞いになられました」
な、ん、だ、と。
「え、はあ? ちょっと、なんで言ってくれなかったの!?」
いや悪いのは私なんだけどね、面白くてぽいぽい雑巾入れてった私なんだけどね? どうして教えてくれなかったんだこんのすけよ。ずっと見てたんでしょ?
「も、申し訳ありません」
私が声を荒らげたせいか、こんのすけはまたもや身を強張らせ、ぎゅうと固く目を瞑る。いかん、怖がらせた。
「あー、ごめんごめん。声でかかったね。怒ってないよ。でもさあ、これからは私が変なことしてたらすぐに言って欲しいな。後々面倒くさいことになったら嫌だし。こんな風に」
両肩を竦めてこんのすけにアイコンタクトを送るが、無反応。おいおい、ビクビクするにしても、返事くらいはしてよねえ。
「私、未来の便利グッズなんて初めてだから、ついはっちゃけちゃうんだよね。多分、またこんな事が起こると思うよー。その時はちゃんと止めて。ほら、さっき雑巾出し過ぎた時みたいにさ」
ははっ、と軽く笑うと、ようやくこんのすけが顔を上げた。
「分かった?」
「……ですが」
「分かった?」
瞳を揺らして反論してきた小さな狐に、強い口調で同じ言葉を告げる。ふふふ、有無は言わせないぞ。私の奇行はきちんと止めてくれ。じゃないと後々恥ずかしくなるし、二度手間になったりするのだ。
「……承りました」
「ん、お願いね」
渋々、といった様子で諾ったこんのすけに、笑顔を贈る。お返しの笑顔はないけどな。いいんだいいんだ、どうせ私は人間ですよ。
気を取り直して雑巾、ハタキ、タワシと、掃除道具を葛籠から取り出していく。その辺によくあるプラスチックの青いバケツをイメージしたのに、時代めいた木製のバケツが出てきたのには驚いた。こんなのおばあちゃんちでも見たことないんだけど。
いやそれよりも。どうして掃除機が、一番重要な掃除機が出てこないんですかね。
大量の埃を手っ取り早くなんとかしたくて掃除機を所望したが、残念なことに調達できなかった。
「景観を損ねる物、本丸にそぐわぬ物は基本的に支給されません」
「ええええそんなのアリ!?」
なんでー!? 「景観を損ねる」ってそんな理由でNGなんかーい! 斉藤様、雇い主様、そんなんで私にここで仕事させる気か? ここに住まわせるつもりか?
「ふ、ふざけてる。正気の沙汰じゃない」
葛籠に向かって恨み言をぶつける私に、こんのすけから衝撃の一言。
「……差し出がましながらついでに申しますと、この地には『電気』というものが通っておりません」
「うっわひどい!」
そんなの微塵も知らされてない。知らされてないぞ斉藤! どういうことだ! 携帯の充電どうすればいいのさ!
現代っ子の私に電気のない場所で暮らせとな? 暮らせとな? ちょいと無理があるんじゃない? 文明の差で適応障害起こすんじゃない? 順応しきれないよこれ!
いや待て。待てよ。
「で、電気に代わる未来の素敵なエネルギーがあるんだよね。だって二千二百五年だもん。うん、そうだよね、そのはず。夜だって未来パワーで勝手に明るく……」
「なりません。夜の明かりは主に蝋燭です。ここ本丸では『電気』ではなく、『火』に頼った生活になります」
「……」
あれっ文明の利器に代わる便利品があるんじゃなかった?
しばらく愕然としたのち、私が斉藤さんに抗議メールを送りつけたのは、言うまでもない。