雪解け - なんとはなしに

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 手下げ提灯の灯りに誘(いざな)われ、本日何度目かの敵地侵入。
 ゴミ捨て用葛籠の回収に来たのだが、まだ着替えが終わっていない神様がいるというので、御殿の軒下で少し待つことになった。
「ふむ。見違えましたね、大般若長光」
「おっ、そうかい? そりゃあ嬉しいな」
 スーツらしき服に防具を装着した仮面の付喪神は、こんのすけに褒められ嬉しそうに頬を緩めている。けれど、私と目が合えばすーっと笑みが消えて。途端にバツが悪そうな顔ですよ。はい、人間嫌いの効果発動ってわけですね。ありがとうございます。
 もやっとしつつも、無表情を保つ。私が見るからいけないんだ。付喪神は見ない見ない……視界に入れない……。
 心の中で自分に言い聞かせ、奴から顔を背ける。庭の桜、池の淵、遠くの山や夜空へと視線を移ろわせれば、たちまち気分は晴れた。
 大自然に囲まれたこの地の風景は、夜は夜で美しい。特に空だ。現代での私の家では、こんなに綺麗な星空はお目にかかれない。
 たくさんの星がキラキラと瞬く。大気が澄んでいるせいか、その煌めきはとても明瞭に見えた。
 ガタンッ!
 吸い込まれそうな夜空を見上げていた私の耳に、突如音が飛び込んでくる。咄嗟に顔を向けた先には、本丸御殿。どうも屋内で発生したもののようだ。
 何かが壁にぶつかった音? いや少し軽めだったような……では、壁でなくて襖? 何やら言い争うような声も微かに聞こえる。
「様子を見て参ります」
 耳をピンと立てた狐が一目散に駆け出した。微笑みを浮かべていた柔らかな表情が一変、きりりと凛々しくなっている。
「えっ、こんちゃん?」
 引き止める間もなく、管狐は縁側から御殿に上がり込んでしまう。開け放たれていた襖障子の間を飛び抜けるように越え、あっという間に姿が見えなくなった。
「ちょっと、こんちゃ──」
 一歩踏み出すと、周囲の付喪神に静かに睨まれる。無言の圧力、いや牽制だ。私がこんのすけを追いかけて、御殿内部に入るとでも思ったのだろうか。
 後を追うのは止めておいた方がいいかもしれない。可愛いあの子に何か起きたら嫌なので、本当は守れるように側に居たいんだけど……うーん。
 神様たちが、こんのすけを襲ったりするだろうか。
 今のあいつらはこんのすけにあんまり敵意を持っていないみたいだから、襲われる心配はない、のかなあ。いやでも万が一の事があったら……。
「気をつけてねー!」
 こんのすけは既に御殿の中。ついて行くことのできない私は、「気をつけて」と叫ぶしかなかった。ああ、やきもきする。
 片眼に仮面を付けた付喪神を含め、数人の神様が座敷の奥に消えていった。こんのすけ同様、音の原因を確認しに行ったのだろう。
 あー気になる。あー気になる。
 大きく開いた襖障子の間を凝視しても、闇が濃くて向こうまでは見えなかった。何が起こっているのか、何か起こりやしないか気が気でない。軒下に入るか入らないかの位置で、ほんのちょっとそわそわしながら小さな狐を待つ。
「少しくらいいいだろー!」
「ケチー!」
「こら、お前たち……! 早く奥に戻りなさい」
 断片的に聞こえる声。言葉と語勢で、口争いが生じているのではないかと推し量る。
 まさか、トラブル?
「こんちゃーん。大丈夫ー?」
「ええ、案ずるには及びません」
 声を張り上げると、すぐさま応答がかえってきた。問題なさそうな返事だったが、本当だろうか。ああ、心配だ。向こうで暴力沙汰──いや抜刀沙汰になってなきゃいいんだけど。
 うーっ、気になる。物騒な事にはなっていませんように。こんちゃんが無事でいますように。
「そのように思い煩わなくとも、心配は要りません」
 落ち着かなくて右往左往している私に、淡々とした声がかけられた。うわついていた足を止めてそちらを見ると、縁側の真ん中、そう遠くない距離に一つのシルエットが見える。それはゆっくり、しずしずと私の方へ近付いてきていた。
 歩く動作に合わせ、長い直毛がさらさらと揺れている。縁側に置かれた手提げ提灯の光が、彼の姿を徐々に暴いていった。
 寒色の着物に袴、そして袈裟。お坊さんのような服装の、ほっそりとした神様だった。
「え、あー……」
 心配要らぬと言われても、はいそうですか、と頷けない。
 管狐の古き仲間はあの子を斬ったりしなさそうだが、それでも「もしも」の可能性が全くないわけではないと思う。些細なキッカケであいつらがこんのすけに刀を振りやしないかと思うと──やっぱり、怖い。
 迷い始めて間もなく、袈裟で身を覆った付喪神が、私の斜め前で立ち止まった。
「安心してください。私たちはこんのすけを斬りません。あの管狐が害を成さない限りは」
 感情のなさそうな、薄い瞳。どこかじとっとした目つきに、冷たそうな印象を受ける。
「こんのすけを斬らない」という言葉は、信じられるものなのだろうか。
 疑心がふつふつと湧き上がる。しかし、心を鎮めてこれまでのことを思い返せば、先程とは違ってなぜかすんなり受け入れられた。
 だって、私はこれまでに見てきていたじゃないか。
 刀剣男士と嬉しそうに話すこんのすけを。こんのすけの毒舌に苦笑いする神様を。双方の間に流れる、私の立ち入れない空気を。
 逆に、私は神々が管狐を傷付けようとする場面を一度も見たことがなかった。小さな狐に嫌味を言ったり、喧嘩腰でかかったりする神様は居ても、きっとあの子を根本から憎んでいるのではない。
「……本当に?」
 光のない双眸をじっと見据えて尋ねれば、私を見下ろす付喪神は「はい」と即座に答えてくれた。
 第六感が、「この神様は嘘をついていない」と私に告げる。彼の発言を、信じようと思った。
「……そっか。わかった」
 独特の雰囲気を持つ、表情の乏しい静かな付喪神。冷たく無愛想に見える容貌をしているが、内面はそうじゃないのだろう。わざわざ私を安心させるような事を言いに来るくらいだ。おそらく、親切な部類に入る。
 この神様と話し終えた私の心は、不思議と穏やかになっていた。
 彼は相変わらずじとっとした目つきで、凍りついたような面持ちをしていたけれど、不機嫌さは感じない。それどころか、一種の物柔らかさすら憶える。先刻受けた冷たい印象は、知らない間に褪せていた。

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