雪解け - なんとはなしに

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 短い会話の後、お坊さんみたいな格好の付喪神は静かに御殿へ帰っていった。
「私は、戦いを好みません。……和睦の道があれば、あなたとも歩み寄ることができればいい、と思っています」
 去り際に言われた言葉は、私へ深い戸惑いを与える。「嬉しい、でも、今更何を」……もやもやとした心の動きはひどく煩雑で、面倒なもので──私はそれを胸の奥へそっと仕舞った。
 御殿に乗り出したこんのすけは、まだ帰ってこない。屋内はざわざわとしているようだが、怒鳴り声や言い争う声は聞こえなかった。
 小さな狐の無事を信じて大人しく待っているものの、どうしても手持ち無沙汰になってしまい、縁側と池の間をあてどなく歩く。
 庭や御殿の軒下には、数人の付喪神がちらほらと居た。私との距離はバラバラで、一番近いものでも五、六メートルは離れている。こちらに近寄ってくる気配はなさそうなので、この辺を少しうろつくくらいならば問題ないだろう。ちなみに、一番近くに居るのは座布団を欲しがっていた紺色の髪の付喪神だ。
 池の淵まで歩き、静かな水面を覗き込む。暗くて底は見えないが、鯉たちの姿はない。きっと橋の下で眠っているのだろう。手を叩いて呼べば、ご飯目当てにやってくるかもしれないが。
 寒さを凌ぐために半纏の前をぎゅっと合わせ、袖の中に指先まで隠す。十一月の夜の外気は、触れているだけで冷たい。
 もっと着込めばよかったなあと思い、何気なく上空を仰ぐと、星の散りばめられた空が目に入った。日中の快晴に引き続き、雲はない。先刻も思ったが、やはりこの眺めは最高だ。
 赤い星、青い星、よく光る星、ゆらゆらと瞬く星──目移りしながら夜空を仰ぐ。分かる星座はないかと目を凝らし、星と星とを当てずっぽうに繋いでみるが、あまりよい形にはならなかった。
 西の空の下方には、沈みかけの月が輝いている。先月のお月見で見た満月ではなく、綺麗な円弧状の──。
 ……あれは。
「三日月、か」
 ぽつりと溢したそれは、誰に言うでもない独り言。
 の、はずだったのだけれど。
「呼んだか?」
 草を踏みしめる音と一緒に、たわやかな低い声が右から飛んでくる。
 そちらを向くと、星明かりに照らされた一人の付喪神がじわじわと近付いてきていた。私の一番近くに居た、紺色の髪の神様である。
 彼の視線はどうもこっちに向いていて、真っ直ぐな歩みの先には私しかいない。今しがたの声は私に当てられたものなのだろうと推察する。
 徐々に寄ってくる神様に警戒心を持つも、彼にトゲトゲしたオーラはなさそうだったので、逃げずにその場へ留まった。抜刀体勢もなく、顔に浮かべた柔らかそうな微笑み(作り笑いかもしれないけど)だけを見ると、差し当たり彼に敵対心や悪意はないように思える。
 それにしても、「呼んだか?」と問いかけられるとは。解せない。
 甚だ不可解である。自分にこの付喪神を呼んだつもりなどなかった。ただ、空を見上げて月の名を呟いただけだ。
「え、私? ううん、呼んでないけど……」
 返事をして、ふと閃く。もしかするとこの神様は、月に関連した名前を持っているのかもしれない。私の漏らした「三日月」を聞き違え、呼名されたと勘違いしたのか。それなら説明がつく。
「ん? そうか」
 紺色の髪の神様は、私の隣まで来て立ち止まった。彼と私の間にある隔たりは、一メートルあたり。なかなかの近距離に落ち着かなさが生じるが、ここであからさまに間合いを取り、付喪神を刺激するようなことはしたくない。出来る限り平常心、普段通りにいこう。ただし、刀を抜かれたり、怒ったりするようであればすぐ逃げる。よし。
 幸い、ここは池の側。私のテリトリーに近いため、ちょっと走れば結界内に逃げ込められるだろう。
「……俺の聞き違いだったか」
 隣に立つ付喪神の口から出てきた「俺」、という一人称に意外性を感じる。彼は平安時代の貴族のような格好をしていて、物腰が穏やかだったこともあり、一人称は「私」や「我」かなあ、となんとなく想像していたから。
 横に並ぶ彼を見上げ、「うん、たぶん」と返事をした。新品の衣装に着替えたせいか、この神様の佇まいに有り余る気品を見受ける。身なりが綺麗になった分、美形度が増した気がした。うらやましい。
 めかし込めば私も美人になれるだろうか。……ああ、いくら洗練された服に袖を通しても、顔の構造は変わらないか。残念。
「ちと寒いが、良い夜だな」
 聞き違いだと判ればすぐに去るだろう、と踏んでいたのに、紺色の髪の付喪神はそのまま自然に話しかけてくる。独り言かと思ったけれど、彼はしっかり私の顔を見つめていた。これはおそらく、答えを……会話を求めている。
 人嫌いの癖に、コミュニケーション? へんてこだなー。
「そうだねえ。寒いけど、空気も澄んでていい夜だね」
 ほとんどオウム返しな肯定をして息を大きく吸い込めば、鼻の奥が冷たい夜気でキンと冷えた。こう寒いと、そろそろ鼻水が出てきそう。
「ああ。……お主はここで何を?」
 えっ、まだ話すの? なんで会話を続けようとするんだろう。人、嫌いなんでしょ?
「ん? こんちゃんが戻ってくるまで暇だなーって……空を見てた。星とか月とか」
 怪訝に思いながらも、間を空けることなく返事をかえす。この距離にも、この接触にも、彼の態度にも困惑していたが、表面上のそつない会話はそれなりにできる。二十うん年の人生で得た対人スキル……思惑や感情を隠した対話は役に立つものだ。
「ほう」
 紺色の髪の神様がゆっくりと上を向く。私に倣って、夜空を鑑賞し始めたようだ。真上から始まり、北、南──彼は夜空をぐるっと眺め、西の空を見上げたまま口を開いた。
「……今宵の月も見事だが、望月には劣る。そう思うだろう?」
「え?」
 問われて、沈みゆく三日月に目線をやる。美しく、滑らかな弧を描いているあれが満月に引けを取るかと言われれば……いいや、そうは思わない。三日月には三日月の魅力がある。
「んー……ううん、あれはあれで素敵だよ。まんまるもいいけど、あのシュッとした形も綺麗」
 しばらく三日月に見入り、ゆくりなく隣の付喪神へ視線を落とす。彼はこちらを見ていて、思いの外、笑みを深くしていた。
「三日月は好きか?」
 一瞬、彼の瞳の中に黄色い弧が閃いた気がして、どきりとする。
「──そうだね。好きだよ」
 意のままに答える間に、神の双眸から弧が消えた。錯覚だったか。刹那の事であったけれど、瞳の中のあれは、小さな三日月に見えた。
「……そうか」
 破顔一笑。紺色の髪の付喪神は、「にっこり」という表現がぴったりなくらいに、笑っている。人間嫌いの神にこんな顔を見せられ、僅かに驚いた。心までは読めないが、以前と違って嫌な感じはしない。笑っておいて胸の内では毒づいてる、なんてこともあるかもしれないけれど。
 やがて彼は再び三日月を見上げ、「ふうむ」と息を漏らす。
「──……も、良いかもしれないなあ」
 次いで出された朧なそれは、音が細くて聞き取れない。
「え? なんて?」
「主様ー!」
 聞き返すと同時に、小さな狐の大きな声が庭に響く。見れば、こんのすけが縁側を飛び降り、私の方へ軽やかに走ってきていた。
「あっ、こんちゃん」
 軽快に庭を駆ける管狐は、私の足元でぴたりと立ち止まる。見たところ傷はなさそうだ。刀剣男士が「斬らない」と言っていてくれたにしろ、無事でよかった。
「主様、遅くなってしまい申し訳ありません。只今戻りました。粟田口の短刀が騒ぎを起こしていたようで」
「騒ぎ?」
「ご安心ください。密かに縁側へ出てこようとしていた信濃藤四郎や厚藤四郎が、襖を倒してしまっただけにございます」
「ああ、襖の音だったんだ。……なんか言い合ってるっぽい声もしてたけど、大丈夫だったの?」
「はい。一期一振が弟たちを諭した際、少々反発がありまして──されど、可愛らしい兄弟喧嘩のようなものです。今は収まっております故、心配ご無用」
「そうなの? 兄弟喧嘩かー……収まってるならいいんだけど」
 腰を折ってこんのすけの頭をぐしぐし撫でる。御殿で何かしらはあったようだが、まあ、解決したならそれでいい。口喧嘩程度であれば、こんのすけの言う通り可愛らしいものだ。
「ではな」
 小さな狐の顎をくすぐっていると、隣からさよならの声がかかる。
「え? ああ、うん」
 私の間抜けな返事を聞いて、紺色の髪の付喪神は再度微笑んだ。
 なんか今までと違って噛み付いてくる感じじゃないし、こんな風に普通に話したのって、変な感じ。ひとまず、これで会話終了のようなので、微妙な心模様ながらもほっとする。
 紺色の髪の付喪神は優雅に回れ右をし、御殿の陰へと緩慢に歩いて行った。
「何かお話をされていたのですか?」
 付喪神の背を見送る私へ、小さな狐が問うてくる。
「ん? んー、そうだね……三日月が綺麗だねって話をしてた」
 神と交わしたなんてことない会話が夢現の出来事のようで、未だに実感がわかない。
「おや、そうでしたか」
「うん」
 人間不信で人嫌いなのに、それを感じさせないほのぼのとした神様だったなあ。
 そんな感想を胸に、私はもう一度、夜空の三日月を見上げるのだった。

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