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一人と一匹で泥まみれになりながら枯れた作物を除去し、井戸水を含ませた手ぬぐいで互いの汚れを落とす。冷たい水に触れるのが嫌だ。こんな時、お湯の出る蛇口が恋しくなるが、ここには電気もガスもないので、湯が欲しいならいちいち沸かさなければならない。……温泉はあれど、冬を越せるか若干心配である。
昼食と休憩をはさみ、午後からは庭の手入れに取り掛かった。手製の竹垣に囲まれた離れの裏庭は和風で統一しているが、表の庭はそうでない。草木のない所へ気の向くままに花を植えているので、あっちに秋桜が咲き、こっちにサフランが咲き、そっちでは桔梗とパンジーが並び……なんとも、まとまりのない庭になっている。
花は離れ周辺だけでなく、結界を越えた先にもいくつか植えてあった。刀剣男士の手入れ前に、秋に咲くものを所構わず蒔付けておいたのだ。あちこちとはいっても、さすがに御殿の近くは避けてある。
咲いた花が荒らされないか気がかりだったが、現時点ではそんな事件は起きていない。神様たちは花を眺めはしても、ちぎったり切ろうとしたりはしなかった。午前中も何人かの神様がここいらに植えてある秋桜を見にきていたので、まあ、このままにしておいても良さそうだ。万が一にも散らすような真似をすれば、そこらじゅうの花に結界を張ってやる。
草引き、水遣り、虫取り……一連の作業が滞りなく進む中、こんのすけが思い出したかのように口を開いた。
「主様、手ぬぐいを土間に忘れておいででは」
言われて、首にかけてあるはずのタオルがない事に気付く。
「あ、ほんとだ」
今日は首元が冷えるなあ、気温が低いのかなあ、と思っていたら、なんだ、タオルがなかったからか。ああ、昼休憩の時に置いてきちゃったんだ。
「私、取って参ります」
「ん、ありがとー」
小さな狐はぴょいんぴょいんと軽やかに離れへ走っていった。庭には複数の付喪神がほっつき歩いていて、一人になるのは少し心細かったけど、こんのすけはさっと戻ってきてくれるはず。
そこらをうろつくあいつらの様子はまずまず落ち着いている。殺伐とした空気はないようなので、まあ大丈夫かなと。
ちらり。御殿周囲を散策? している神々へ目を走らせ、安全確認をする。遠くの彼らは私に気を留めることなく、思い思いの時間を過ごしているようだ。
うん、それでいい。
ほっと息をついてピンクの秋桜に目線を落とす。十月半ばから咲いていた秋桜の見頃ももう終わり。花びらを落としてしまっている株も多かった。細長い種に触れると、指先がちくちくする。
そろそろ、次に植える花を考えておかなければ。今夜はこんのすけとガーデニングの本や花の図鑑を見てみよう。
あー、何にするかなあ。冬に咲く花なら、色の濃いものがいい。緑のない侘しい景色に映えるだろう。春に咲く花でもいいなあ。チューリップ? 芝桜? 菜の花なんかも素朴で可愛いよねえ。食べられるし。
綺麗で食べられる花があれば、一石二鳥で嬉しいんだけど。そうだ、ハーブ園にも挑戦したい。ミントやレモングラスを栽培して、ほんのりオシャレな料理の飾りに──……。
「わっ」
突然背後から声がして、心臓が大きく跳ねる。聞き馴染みのない男の声は、こんのすけのものではない。
「うおっ」
ビクっとしたせいか、背筋が伸びる。本気でびっくりしたので、可愛らしい驚き方にはならなかった。
振り向けば、白銀の髪に白い衣装を身に纏った付喪神が真後ろに居た。この神様は……あっ、昨日吹き出してた人だ。こんのすけが選んだマントが誰の物かを知っていて、ずーっと笑っていた付喪神。そうそう、こいつ、いらん事も言ってマントの持ち主を煽り立てたよなあ。
……というか、近い!
昨夜、紺色の髪の神様とも割りと近くで話したが、ここまでではなかった。今手を伸ばせば、眼前に居る白銀の髪の刀剣男士に届いてしまうだろう。
私を包む結界に触れるか触れないか。この距離は、居心地が悪い。
即座にざざっと後ずさりをすれば、勢い余って秋桜の茂みに体が半分入ってしまった。目の前の付喪神はニンマリと微笑んでいて、刀を抜くような動作はなかったにしろ、急な超接近に警戒心がぐんと尖る。
「はっはっは、奇襲成功」
付喪神は声を上げて笑い、満足そうにうんうんと頷いた。
「奇襲?」
物騒な単語を聞き返す。冷や汗は引いたが、まだ心臓はバクバクしていた。今ので何日か寿命縮んだな。
次に植える花を考えるあまり、注意力散漫となっていたのだろう。こんなに、こーんなに近くに来られても、声が聞こえるまで気づかなかったなんて。……私も気配を読む修行とかした方がいいのかなあ。
「ああ。後ろから忍び寄って、『わっ!』だ。驚いただろう?」
ふうむ、そういう『奇襲』か。モノホンの奇襲でなくて何よりなんだけど、心臓にはよろしくない。
「そりゃあびっくりするよ。後ろから突然『わっ』てされたら」
未だ波打つ胸を落ち着けるようになでつけ、大きく一息つく。放った声にほんのりと批判の色を混ぜてみれば、彼はまた「ははは」と笑い、ニヤついた表情でじろじろ私を眺め始めた。
なんだ、こいつ。わざわざ御殿から出張してきて、驚かしてくるとか。子供の悪戯には思えないし、何が目的なんだろう。私が驚いた隙を突いて、攻撃してくるつもりだったとか?
なんて、心の中で考察していると、草地を蹴る音が聞こえてきた。タッタッタッタッと、一つ一つが短く軽いそれは、小さな狐の足音である。
──こんのすけだ。良かった、助けが来た。
管狐は白と黄色の尻尾を揺らしながら庭を駆け、一直線に私の側へ戻ってくる。足元まで来た彼は、口に咥えていたタオルを放し、「ただいま戻りました」と一礼した。そして、私と付喪神の間にずずいっと割り込む。
「して、鶴丸国永。ここで我が主と何をしておいでで?」
穏やかながらもキリッとした声音。凛と胸を張るこんのすけは、私を守るべく立ちはだかっているように見え、その勇姿に頼もしさを感じた。
「いや、ちょっとな」
責められていると感じたのかどうなのか、白銀の髪の神様は言葉を濁す。そこは濁さなくていいと思うんだけどなあ。刀で斬りかかったならともかく、驚かしたくらいなら隠すようなことでもないし。さすがにこんのすけもそんなことでいちいち怒らんでしょう。
「もしや、主様に悪さを働いたのではないでしょうね」
神の不埒を疑い声を低くする小さな狐へ、「大丈夫」と声をかける。やっと動悸が治まってきた。
「酷い事はされてないよ」
そう、奇妙な奇襲を受けただけで、斬られたり罵倒されたりなんかはなかった。冷たい視線や白眼視も今のところない。
「そうだな。『酷い事』はしてないな」
意味ありげな物言いをし、いたずらっぽく口角を上げる付喪神。小さな狐は「ふむ」と小首を傾げる。
「さーて、お守りも来たことだ。俺は退散するとしよう」
お守り!?
聞き捨てならない単語にモヤッとするも、態度に出ないよう努める。
奇襲を仕掛けてきた付喪神は、縁側の方へ向き直り、何事もなかったかのように歩き出した。このままあっちに行くのかと思っていたが、そうではなく。彼は数歩進んだのち、ゆっくりとこちらを振り向いた。
「君は驚かせがいがある」
白銀の眉の下、金の瞳が光る。
驚かせがいがあると言われて、どう反応すればいいものか。面食らっている間に、白銀の髪の付喪神は遠ざかっていってしまった。
「主様、いったい何があったのですか?」
彼の後ろ姿が見えなくなったところで、小さな狐が尋ねてくる。
「んー、あのね、秋桜見てたらさあ、後ろから『わっ!』てされた。あの神様、私のことを驚かせたかったみたい」
「なんと」
「すっごくびっくりして、秋桜の中に入っちゃったよ。ほら」
「おやおや」
秋桜の茂みに体の半分を埋めたまま、肩を竦めてみせる。すると、管狐はころころと明るく笑った。
「からかわれたのでしょうね。主様は」
「えっ、おもちゃ扱いされたってこと!?」
非常に心外である。
もしや、あの神様にとっての「私」は、刀を向けるべき相手から遊べる玩具になった、とか? そ、それはランクアップというかランクダウンというか……微妙過ぎるんだけど。
愉快そうにニコニコしているこんのすけとは対照的に、私はひたすら頭を悩ませるのであった。