雪解け - なんとはなしに

77


 離れに逃げ帰り、気を取り直してお夕飯。独りぼっちの昼とは違う。こんのすけの居る食卓が嬉しくて、行儀悪くもついべらべらと舌を回してしまった。いつもの倍はしゃべったぞ。
 あったかいシチューを頬張りながら今日一日の出来事を伝えれば、小さな狐は相槌をうち、目を丸め、笑い──私のまとまりのない話を興味深そうに聞いてくれた。
 赤目の神様とマニキュアのくだりになると、彼は一度大きく瞬きをしたのち、「それはようございます」と柔らかく微笑んだ。「お届けの際、一緒に御殿について来て欲しい」というお願いに対して快い返事をもらえ、ほっとする。非常にありがたい。
 おいしいご飯に可愛い相棒、他愛のない話──正に素敵な一家団欒である。この子は私の第二の家族だ。ずっと一緒にいられたらいいな。
 夕飯を食べて、食器の片付けを済ませた私は、昼間の用件に着手することにした。斉藤さんに確認をとると、マニキュアやその他小道具も支給品扱いでいけるとのこと。ただ、選べるのは色だけで、メーカーは政府指定の物になるようだった。まあ、赤色でさえあれば問題ない。私はね。……あの子、化粧品にこだわりとかなかったいいんだけど。
 そういや、昼間のあの神様はなんと沖田総司の愛刀だったらしい。そりゃあすごいと驚く私へ、こんのすけは他の刀の過去の持ち主も教えてくれた。豊臣や細川、土方歳三、源氏に平氏などなど……日本史に詳しくない私でも知っているビッグネームがぽんぽん出てくる。
 後世に名を残す偉人の刀。ここの付喪神に色々話を聞けば、歴史を紐解く新たな鍵を得られそうだが……それはきっと、タブーなのだろう。その時代に生きていない私が知ってはいけないことだ。いやまあ、知ったところでどうこうしようとは思ってないんだけどね。探究心はちょっと疼く。
「んー、こんなもんかな」
 四次元葛籠から取り出したお届け物は、赤いマニキュア、小筆、除光液、コットンの四点。トップコートに光沢のある透明のマニキュアはいらないか、爪磨きや爪切りはいらないかと悩んだが、見合わせることにした。世話焼きおばちゃんさながらあれこれ贈りたい気はするにしろ、余計なことはしないに限る。必要そうであればまた言ってもらうように伝えよう。
 提灯を組み立て、取り付けた蝋燭へ着火。こなれたもんだ。今ではすっかり火打石も手に馴染んでいる。火おこしなら任せてほしい。
 手下げ提灯を咥えたこんのすけと連れ立って外へ出れば、寒さで体が強張った。空は雲に覆われたままだ。辺りは真っ暗で、どこに刀剣男士が潜んでいるかも分からない。それでも、不安はあまりなかった。小さな相棒が居てくれるだけで心強くて、びくびくせずに御殿へ行ける(気乗りはしないけど)。やっぱり私、この子がいないとだめだなあ。情けない。
 淡いオレンジ色の明かりに先導されて、お向かいさんを訪問する。さあどうだろう。あの神様は居るかな。待ってるとか──それはないよねえ。
 御殿の中からちらほらと微かな話し声が聞こえるが、軒下は静かだった。赤目の神様、もしくはマニキュアもろもろを託せる神様が近くにいないか周囲を見渡していると、縁側に提灯を置いたこんのすけが「おや」、と呟く。同時に衣擦れの音がして、何かの気配を感じた。……誰かがいる。
「加州清光に、大和守安定ですか」
 とっ、とっ、と一定のリズムで迫り来る足音。そちらを見据え、小さな狐は付喪神の名らしき単語を二つ、口にした。
「ねえ、どっちかあの神様だったりする? 私が昼間に会った──」
 二人いるうちのどちらかが例の刀剣男士であれば都合よい。小声でこっそり問うと、小さな狐はくすりと笑った。
「ええ。主様の話されていた『赤目の神様』は、そこを歩む加州清光にございますよ」
「おっ、そうなんだ。ラッキー」
 これはツイてる。受取人、いや受取神を探す手間が省けてよかった。さっと渡してぱっと帰れそうだ。
「……『らっきー』とは?」
 予期せぬ幸運に声を弾ませた私の傍らで、こんのすけが訝しげに首を傾げる。そうか、古風な言葉遣いのこの子には「ラッキー」が分からないのか。英語だもんねえ。
「運が良い、って意味だよ」
「なるほど。届け物をすべき相手と思いがけず居合わせることができ、『らっきー』、というわけですね」
 さすがこんちゃん。理解が早い。
「そうそう。そういうこと」
「ふむ、であれば──『夕餉に油揚げを使った品があって、らっきーだ』。主様、合っておりますでしょうか」
「なにそれ」
 思わずぶふっと噴き出してしまった。うーむ、面白い例文だ。露わにされた可愛らしい欲望も良い。
「合ってるけど、油揚げ? ああ、最近食べてなかったね。先週炙ったやつが最後だっけ。明日のお味噌汁に入れようか?」
 話している間にも二つの足音は距離を詰めてきていて、けれど、特段緊張はしなかった。こんのすけが居ると心にゆとりができる。可笑しな会話で気が紛れているだけなのかもしれないが。
「おお、それはなんたる僥倖。よろしいので?」
「うん。楽しみにしといてね」
 縁側にちょこんと座る小さな狐をひと撫ですると、近くまで来た足音が止んだ。顔を上げれば、およそ一メートル先で立ち止まった付喪神が私を見下ろしている。
 ──あの子。
 手下げ提灯の明かりに照らされた二つの姿のうち一つには、見覚えがあった。マニキュアを進呈すべき、昼間に会った神様だ。
 地に立つ私と縁側に立つ彼。高低差によって目線の高さが変わり、黒いコートの裏地がよく見える。赤と黒の菱形が綺麗に整列している様に、少しだけ目を引かれてしまった。
 この神様だけでなく、刀剣男士はみんな個性的な服装をしている。赤目の彼の隣に居る付喪神もそう。陣羽織に袴といった出で立ちで、毛先の跳ねたポニーテールの束は太く、毛の量が多そうだ。
「どうも」
 二人へ向けちょろっと会釈をしてみるが、挨拶は返ってこない。
 ひょっとして待たせちゃった? ろくな待ち合わせもしてなかったし、それで気を悪くしてるとか。
「ごめん、私時間をちゃんと言ってなかった。『夜』ってざっくり過ぎだよね。もしかして待った?」
 自身の非を詫びたうえで尋ねると、赤目の付喪神が「別に」とそっけない声を出す。やばい、その「別に」はどんな「別に」なんだ。「別に待ってない」、「待ったけど別にいい」……うわーどっち? ちょっと怒ってる? もし長い時間待たせてたりしたら平謝りするしかないよなあ。そうじゃなかったらいいんだけど。
 ハラハラしながら様子を窺っていると、赤目の彼が顔を背けて口を開く。
「さっき出て来たところだし」
 おお、それは何より。待たせてなくてよかった。まじで。
「ほんと? 良かった。はいこれ、昼に言ってたやつね。これが除光液で、これが筆で──」
 さっそく本題へ移り、手に持っていた小物たちを縁側に一つ一つ置いていく。それらを無言で拾い上げた赤目の神様は、黒いコートを翻し、「どーもね」と言って早々と御殿に入って行った。あっさりしてるなー。
「ほう」
 彼が消え去った襖障子の隙間をあっけにとられて眺めている私の側で、こんのすけが目を細める。いったい、何が「ほう」なのだろうか。
 怪訝に思うが否や、場に残っていたポニーテールの刀剣男士が一歩進み出てきた。
「……清光、日が暮れた後、ずっとここで待ってたんだよ」
「えっ?」
 淡い橙色の光を受けた、穏やかな表情。潜められた声は責めるような口調ではなかったけれど、私はそれを聞いてまずびっくりし、罪悪感でいっぱいになった。だって、あの赤目の子は「さっき出て来たところ」って言ってたのに。だから、待たせていないと思ってたのに。
 日が暮れてからずっと、待ってた? 嘘でしょ。こんのすけの出迎えで外に行った時はいなかっ──いや、見つけられなかった。探そうともしなかった。
 二、三時間は待たせてしまっただろうか。この寒い中、縁側で。すごく、すごくすごく申し訳ない。私が時間を決めてなかったせいだ。もっと早くに届けてあげればよかった。
 驚きに喉を塞がれている私へ、ポニーテールの神様はうっすらとした微笑をよこす。
「嘘、ごめ」
 聞こえるかどうかは分からずとも、謝らずにはいられなくて。
 襖障子の隙間に向かって謝罪を叫ぼうとした私だったが、「しーっ」と人差し指を立てられてしまった。反射的にぱっと唇を閉じれば、ささやくような声が降ってくる。
「謝らなくていいから、清光が爪紅を塗ったら見てあげて」
 そんな言葉を残して、ポニーテールの神様も御殿の中へと消えていった。襖障子がトン、と小さく音を立てて閉ざされ、突然辺りが静かになる。
 あっという間だった。状況整理もできないままに、二人とも行ってしまうなんて。とりあえず、次赤目の神様と会ったらちゃんと謝ろう。ほんと、悪いことをした。もし、今後こういった機会がまたあるのなら、きちんと時間指定をしなければ。
 ──ん? あれ、御殿(あっち)に時計ってあったっけ? ……なかったよなあ。あー、何を置いても物品提供からか。

前へ  次へ

112