雪解け - なんとはなしに

79


 赤目の神様とポニーテールの付喪神が去って、こんのすけと共に別の場所へ移る。本日予定していた全ての植え替えが済み、水遣り作業に進んでしばらく──。
「わっ」
「わあ!?」
 バシャッ。
 突然背後から隙を突かれ、思いっ切りびっくりした私はじょうろを派手に落としてしまう。スニーカーが少し濡れた。冷たくはなかったので、水は靴下まで染み込んでいないようだ。
 振り向けば、白銀の髪の刀剣男士。こいつにまた驚かされたのか。それもお決まりの手で。悔しい。
「奇襲成功。……おっと」
 ニヤついている神様にイラッとし、わざと乱暴にじょうろを拾い上げ、残っていた数滴の水を白い衣装に散らしてやった。ちょっとした仕返しである。これでおあいこじゃ!
「あっ、ごめーん」なんて、ドジっ子めいたお芝居を混ぜて謝ると、「なかなかやるな」と不適な笑みを返されて。たぶん、彼は私の演技を見抜いている。故意に水を跳ねさせたことも分かっていそうだ。
 金の瞳を眇め、一歩、また一歩と迫ってくる付喪神。堂々と足を踏み出す様はやけに迫力があり、緊張感が高まる。
 怒っているのだろうか。私をからかおうとしているのだろうか。彼の感情と先の行動を読みたいのに、妖しく光る金の双眸がそうさせてはくれない。
「面白い。やるか?」
 距離の近さに警戒し、後ずさる。白銀の髪の神は、また一つ笑った。
 真剣とじょうろで何をどう「やる」というのだろう。殺し合いにしろ殴り合いにしろ、私に勝ち目はないというのに。
 ただ、少々気が立ち、場の雰囲気にすっかり呑まれていた私は、馬鹿なことにじょうろで応戦する気になってしまっていた。「来るならこいや」の心意気である。こんな所で気の強さを出してどうするんだ。
 ぐっとじょうろの取っ手を握り、息を詰めて付喪神の動静を見守る。折が悪いことに、こんのすけは離れまで水筒を取りに行っていた。私がまた忘れ物をしてしまったせいだ。こんなことなら一緒に取りに行っておけばよかった。そもそも、忘れ物をしないようにもっと注意すべきだった。
 助けを呼ぶか、逃げるか、立ち向かうか。逡巡する間にも目の前の神様は接近してきていて、やや骨張った男らしい手が音もなく伸びてくる。
「あ、ちょっ、ちょっと」
 掴まれたのは、じょうろのノズル。私を守る結界からはみ出ていた部位だ。ああ、やばい。
 じょうろを生贄にして退避すべきなのか? それともじょうろで抵抗すべきなのか?
「どうした。来ないのか?」
 曇天の下、白銀の髪の付喪神は不気味に微笑む。脅されているような、挑発されているような、そんな気がした。いや、単に面白がっているだけなのかもしれない。
 こっ、これは……やるしかないのか──。
 戦端の幕が切って落とされるのかと思いきや、そうはならなくて。
「夏でもないのに水遊びか」
 不意に聞こえた、斜め後ろからの声。
 どこからともなく現れた褐色の肌の刀剣男士が白けた目をして言い放ち、その瞬間、奇襲好きな神様の周りを漂っていた気迫が消える。じょうろのノズルを捕らえていた手が、ゆっくりと離れていった。
「よう、伽羅坊。晩秋の水遊び、意外性があって良いとは思わないか?」
 先程の笑みとは違う爽やかな笑顔。褐色の肌の神様からは返答がなかったが、白銀の髪の刀剣男士に気を悪くする様子は見られない。
「どうだ、一緒に」
「やらん。馴れ合うつもりはない」
 お誘いを一蹴され、肩を竦める付喪神。対照的に、褐色の肌の神様はクールなまでにすたすたと私達の側を通り過ぎてゆく。
 すれ違いざま、彼は私の方へ顔を向け、小さく息を吐いた。狼のような鋭い眼に心臓がキュッと縮む。この刀剣男士の瞳の色は、白銀の髪の神様の金よりも濃い、小麦畑の黄金(こがね)色。
「……あんたも、悪ふざけに一々付き合わなくていい」
 言って、褐色の肌の付喪神はどこかへ歩いて行ってしまった。私はというと碌な返事もできず、「え、あ」と口をパクパクさせるだけ。
「おーおー、相変わらずツレないなあ」
 白銀の髪の刀剣男士は先程まで居た神様の消えた方向に目をやりながら、頭の後ろで手を組んだ。笑みの失せたその表情は、大人におもちゃを取り上げられた子供のよう。
 見るからに退屈そうだった。けれど、次にこちらへ視線を寄越した彼の口角はニンマリと上がっており。興が醒めてしまったのかと思いきや、そうでもないらしい。
「さて、君が住んでる離れの裏には竹林がある。材料は豊富だ。いっちょ、水鉄砲でも作って水合戦を──」
「しない」
 つい即答してしまった。このクソ寒いのに水の掛け合いとか絶対嫌だ。刀とじょうろの真剣勝負でなくてほっとしたが。
「……」
「しないよ」
 金の眼を見張らせ、口を半開きにした付喪神に再度告げれば、彼は大きく溜息を吐いた。
「なんだ、つまらん」
「冬も近いっていうのに水遊びなんかしたら、風邪引いちゃうでしょ」
「ははっ、風邪引き上等」
 神様が笑うと同時に、遠くから小さな足音が聞こえてきた。白と黄色のシルエットがすごい勢いで駆け寄ってきている。こんのすけのお戻りだ。
「おっ、お守りが来たな。撤収するか」
 奇襲好きな刀剣男士は振り返るなり走り出す。とんずらこく気か。
「驚かすのはさっきので最後にしてよー!」
 後姿に投げかけてみるも、返事はいつもの如く。
「それは約束できないなあ」
 これだよ。どうせまた明後日には奇襲と称したドッキリを仕掛けられるのだろう。白いフードの跳ねる背中をひと睨みして、こんのすけを待ち受ける。今のですっごく疲れた。あの緊迫感で擦り減らした私の神経を返せ。
 それにしてもあの神様、こんのすけがちょっと離れた合間を上手に狙ってきやがる。何か対策を考えなければ。忘れ物をないようにするとして、ああ、もう、背中にも目がついていればいいのに。

前へ  次へ

114