雪解け - なんとはなしに

83


「あそこで過ごすには、頭の中が春爛漫くらいでちょうどいいのですよ」
 改めて思い知らされた自身の変わり様に呆然としている私へ、斉藤さんがにっこり笑いかけてくる。
「なんですか、それ」
「言葉通りです」
「……春爛漫」
「はい。春爛漫」
「馬鹿になれってことですか」
「いえ、とんでもない。馬鹿ではなく、春爛漫ですよ」
「同じような気がしますけど……難しいですね」
 短絡的にポジティブ思考でやっていけ、ということなのだろうが、できるかどうかわからない。元の自分に戻れるかもわからないのに。とても不安だ。
 嫌悪感がそこら中を這いずり回るせいで、ひどく胸がもやもやとしていた。己の変貌っぷりが気持ち悪い。自分が自分じゃないみたい。
 いたたまれなくなって温かい紅茶を啜る。銘柄は知らないが、芳しい香りを放つそれはおいしくて、いくらか気持ちがマシになった。さすが斉藤さん。毎回毎回良い紅茶を淹れてくれる。
「こちらをご覧ください」
 ソーサーへカップを置くと、斉藤さんがファイルに挟まれてあった何かを抜き取り、私へ差し出してきた。はがきサイズのそれは……。
「写真、ですか?」
「ええ。詳しくはお伝えできませんが、とある本丸の刀剣男士や審神者の写真ですよ」
 どうぞ、と言われ、受け取ってみる。五枚のカラー写真には、なんとなく見覚えのある顔が写っていた。たぶん、みんな付喪神だ。
「分からないようにされてあるのは審神者です。さすがに個人情報ですので」
「ああ、はい」
 頭から爪先までを黒のマジックで塗りつぶされている誰か。その周囲には、笑いが溢れていた。きっと写真の中のこの審神者も、微笑んでいるか穏やかな顔をしているに違いない。
「みんな笑ってますね。……楽しそう。仲も良さそうですし、うちとは大違い」
 一枚、二枚とめくって、溜息が出た。どの写真も笑顔、笑顔、笑顔──すごく幸せそうで、賑やかさが伝わってくる。
 最後の一枚は、おそらく集合写真。バックには満開の桜があり、薄桃色の花びらがたくさん写り込んでいる。季節は春なのだろう。花見の時にでも撮ったのかもしれない。こんのすけを抱き上げている審神者を何十もの神様が囲み──この世の幸福をめいいっぱい詰め込んだような写真だった。
「彼らは本来、気のよい神なのです。あなたの本丸では過去に色々ありましたので、その影響を受けていますが……ゆくゆく、元に戻るでしょう。いえ、既に戻り始めているはずです」
 言葉を切った斉藤さんは、真っ直ぐに私を見つめる。細く吊り気味の双眸は、珍しく見開かれていた。
 ……「気の良い神」。そう聞いて、数人の刀剣男士の姿が自然と脳裏に浮かぶ。
 こんのすけを斬ることはないと言いにきてくれた神様。
 月夜の晩、一緒に三日月の話をした神様。
 待たせてしまったのに「待ってない」と言った神様。
 人懐っこくお土産をねだってきた神様。
 付喪神嫌いになった私は批判的な見方しかできていなかったけれど、よくよく思い出してみれば、……どの刀剣男士も決して悪辣ではなかった。
 初対面の時とは異なり、攻撃的でも忌避的でもなく、じわじわと態度が柔らかくなってきていて──それを私は、解っていたのに。解っていたのに、まだ自分は許せないからと、逃げていた。逃げ続けていた。
「どうか、彼らを嫌わないでください。必ず心は通じ合います」
 斉藤さんにしてはやけに重い声音。そこに想いの強さを感じる。この人もこんのすけと同じで、私と神々の和解を望んでいるようだ。
 手元にある、幸せを撮った写真。こんな風に、みんなで笑い合える日が来るのだろうか。彼らが私を受け入れ、また、私も彼らを受け入れられる時が、……来るのだろうか。
 不安が払拭されたわけではない。だが、どこかで道が生まれた気がした。見失っていた目指すべき未来、目標となるものが、また見えてきたような──真っ暗闇の森の中で、明かりの灯る家を見つけたような気分だった。
「……はい」
 許す許さないは一時休憩。あの日のことは置いといて、少しずつ向き合っていかないとな。私がずっと塞ぎ込んでちゃいけないんだ。
 とりあえず、いつまでも避けてないでこんのすけが居ない日も普段どおりに外へ出てみよう。
「っし、頑張ってみます」
 歩幅の狭い一歩でも、きちんと歩けばそのうち長い距離になる。そして、きっと、いつかは──。

前へ  次へ

118