85
「……っ、とと」
まばゆい光が消え、浮いた体に重力が戻る。全身の倦怠感で片足がぐらついてしまい、華麗な着地にはならなかった。不格好だが、転倒を免れただけよしとしよう。
瞼が重い。肩も足も腕もだるい。これはいかん。
敵を倒す……なんだっけ、破魔の属性? あれってすっごく力を食うんだなあ。斉藤さんに言われた通り、今日はご飯とお風呂を済ませたらとっとと寝よう。
「お帰りなさいませ、主様。足元にお気をつけください」
「あ、こんちゃんただいまー。大丈夫、ありがと」
可愛い相棒に出迎えられ、「おかえり」と「ただいま」を交わす。「ただいま」にも「おかえり」にも違和感なんてなく、ここはすっかり第二の実家になっていた。身内のいる家とこの空間と、どちらのほうが居心地良いか聞かれると悩ましい。今のところは僅差で実家、かな。
十一月ももう中旬。七時を過ぎ、夜の帳は下りていたけれど、今日は晴れていて星明かりがある。日没からそれほど時間が経っているわけでもなかったので、薄闇とはいえ誰がどこに居るかは分かった。
私の真ん前におすわりをしているこんのすけ。それと、結界の向こうに人の形のシルエットが二つ。……どうやら今日のお出迎えは神様付きのようだ。
「おお、やっともんたか!」
小さな狐のものではない、男の声。急に話しかけられ、瞼にこびりついていた眠気がひゅんと引っ込む。
げっ刀剣男士だ。最低限の会話を──と反射的に思い、ハッと再考する。いやいや、私は今日、斉藤さんに「頑張ってみる」と言ったばかりじゃないか。あの決意表明はなんだったんだ。
避けてはいけない。逃げてもいけない。こんのすけと話すように、自然に自然に……。
「え? ああ、うん」
返事をしつつも、方言がよく分からずちょっと困る。あの口振りと状況的に、「やっと帰ったか」みたいなもんだよね?
「げに遅い帰りぜよ」
あ、これ──昨日「土産が欲しい」って見送ってくれた神様かな。顔はよく見えないけど、たぶん声が同じだし、土佐弁だし。ぴんぴん跳ねた髪の毛の影もそうっぽい。
「んー? いっつも外泊の時はこのくらいなんだけど」
私は大抵昼前にここを出て、翌日の夜七時には戻ってくるようにしている。帰りが遅いなどと、今までに言われたことはなかった。
今回の外泊もいつも通りなのに、なんで……あ、もしかして、季節が巡って日暮れが早くなってるからかな? 御殿には時計がないから、あっちでは時間が分かんないんだろうね。あー、時計、なんとかしないとなあ。
「ほうじゃったか?」
「うん。もうすぐ冬だし、暗くなるのが早くなったせいでそう感じたんじゃない?」
「おー、それもそうかもしれんのお」
特徴的なイントネーションで喋り、うんうんと頷く付喪神。よし、普通に会話ができておる。この調子この調子……気負わずにいけばいいんだよ。やればできる。
心の中で自分を激励していると、少しの間口を噤んでいた土佐弁の刀剣男士が短く息を吸った。
「おんしがおらん本丸はちっくと静かじゃった。観察するもんがないっちゅうのも、つまらん」
明るかった口調が一変、トーンが僅かに下がる。しおらしいというか大人しいというか、とにかくちょっと、静かで。
朧げな揺らぎに気付くもなんと返していいか分からず、「うーん?」と首を傾げてしまう。今の言葉、超ポジティブに受け取ると「私が居なくてつまらなかった」ってことになるんじゃ。ええっ、もしかして寂しかったとか? や、だめだ、そんな自意識過剰は……んー……ど、どうなんだろう。こんな時、相手がこんちゃんだったら「ふーん、寂しかったんだ? ほーれ私が帰ってきたよー」ってからかえるんだけど。
発言の本意について悶々とすることしばらく。周囲を漂うしんみりとした空気がころりと変わった。
「ほんで、土産、土産はあるが?」
活きの良い声が宙に弾む。ついさっきの、どこかしめやかだった音は跡形もなく消えていた。この温度差に微かに驚いてしまった私は、即答できずに二度瞬く。
「おい陸奥守、土産の催促などしては」
「がっはっは! 堅いこと言うなや、へし切」
「……長谷部と呼べ」
お土産をねだる付喪神を後方の影が制す。しかし、彼はお構いなしのよう。ゲート周辺の結界にギリギリまで近寄り、顔を私の方へ向けたまま動かない。私の返事を待っているのだろう。いや、正しくはお土産を。
どうしてここにこんのすけとスタンバっていたのか不思議だったが、もしやお土産待ちだったのか。……お古のおもちゃで申し訳ないけれど、ダンシングフラワー、用意しといて良かった。
「あるよ」
言えば、土佐弁の神様は私の張った透明な壁にへばりつく。弾く対象が結界に触れたことで、ぞわりとした感覚が肌を伝った。
「おお! ほんまかよ!」
す、すごい食いつきだ。これ、お土産なかったらどうなってたんだろう……不機嫌コースで打ち首? ま、まさかね。
「うん。あれっ、どこに入れたっけ……」
首をはねられる妄想を振り切り、さっそく例のブツを彼に渡そうとバッグの中をごそごそと漁る。だが、なかなか見つからない。自分で仕舞ったはずなのに、すぐに取り出せないなんて、みっともないにも程がある。
ありとあらゆるチャックを開け、物をかき分け、暗がりに目を凝らして──。
「あ、あった! あ、わ、あらららら」
焦って引っ張り出そうとしたせいか手元が狂ってしまい、事もあろうにバッグの中身を地面にぶちまけてしまった。もうね、チャックやらボタンやら開けまくっていたもんで、小物という小物が飛び出て大惨事。
「だ、大丈夫……ですか」
土佐弁の神様の背後に居る刀剣男士に言われ、ずり落ちたバッグを膝頭に押さえ付けながら「うん」と答える。
「大丈夫大丈夫。あーあー、やらかした」
「派手に落とされましたね」
ハンカチ、漬物、ペン、財布、リップクリーム……散乱したそれらを素早く拾い上げ、乱雑にバックへ放り込む。こんのすけの手伝いもあり、そう時間はかからなかった。ひとまず落ちた物を確保できればいい。整理整頓は離れに戻ってにしよう。
「はい、これ。投げるよ」
気を取り直して、手のひらサイズのダンシングフラワーを土佐弁の付喪神へ向かって放る。結界って便利で安心な反面、相手との接触が完全に遮断されちゃうから、手渡しとかできないんだよねえ。いや、解けばいいだけの話なんだけど、さすがにちょっと……まだ怖い。結界解いたぞこいつ! 殺れ! みたいな事態になりやしないか、どうしても心配で。
「……こりゃあ、なんじゃ?」
ナイスキャッチ。彼は掴んだ物の形を確かめるように手をベタベタと動かす。私は訝しげな声を出した神様にダンシングフラワーの使い方(スイッチのオンオフだけだけど)を口頭で教え、「じゃあね」と別れを切り出した。ふと、「じゃあね」だけじゃあ素っ気ないかな、と考え、「分からない事があったら聞いてね」と付け足してみる。土佐弁の刀剣男士は豪快に笑った後、「おう!」と言った。
「だんしんぐふらわあ……まっこと珍妙な機械やのお。うっへへ、おんしゃの名前は、今日から『花子』ぜよ!」
小さな狐と帰路に着くなり、後ろで響くはしゃぎ声。
は、花子。まさかあれに名前が付くとは思わなかったけど、どうやらけっこう気に入ってくれたみたい。役に立つ珍しい機械をよこせと言われなくて一安心だ。だって、観賞以外に用途のないダンシングフラワーだもん。「こんな物いらん!」って突き返されたら悲しいよね。
……まあ、なんだ。ああも喜んでもらえると悪い気はしない。あげて良かった、のかなあ。