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「こんな暗がりで、何を……」
消息不明の銀行印を探し始めて少し経ち、さほど遠くない所から男の声がした。見上げた先にはぼんやりとした人影が一つ、薄闇に浮かび上がっている。
ふむ、いつの間にか付喪神が近くに来ていたらしい。そういえば、ちょっと前から何かしらの足音が聞こえていたような。銀行印の捜索でいっぱいいっぱいだったので、意識は向かなかったけれど。
「主様の大切な物が──とても大切な物が忽然と姿を消したのです。それを探しております」
私の代わりにこんのすけが口を開く。話す間も惜しい今、神様の相手をしてくれるのはありがたい。状況説明はこの子に任せるとしよう。私は銀行印を見つけ出さねばならんのだ。
闇夜に立つ刀剣男士から目を離して失せ物探しに戻れば、サク、サク、と、草を踏む音が少しずつ近付いてきた。
ちょっとお兄さん、これ以上こっち来ると結界にぶち当たりますよー。適度な距離を取ってくださいよー。って、んなこと考えてる場合じゃない。印鑑ケース、印鑑ケース……ああああどこ行ったのマジで。あれがないと困る。困りまくる。
「時に、へし切長谷部。あなたは主様が鞄をひっくり返された際、こちらに居りましたね」
むっ、なんだと? この付喪神があの時ここに?
「ああ」
うーん、この声……。あ、もしや方言のキツイ刀剣男士の後ろにいた神様かな? ほーん、なるほど。
「でしたら、細長い入れ物を見かけはしませんでしたか。臙脂色の地に兎の柄が入っている……大きさはこのくらいにございます」
必死の探索を続ける中、小さな狐の問い掛けに耳をそばだてる。ひょっとすると、そこの付喪神は銀行印の行方を知っているかもしれない。だったらいいんだけど──。
ふつふつと湧く希望に自ずと首が動き、背後の一匹と一振りの神様が視界の端に入る。銀行印のサイズを伝えようとしているこんのすけは、揃えた両の前肢をちょこんと突き出していた。まるで小学生が体育の授業で前倣えをしているみたい。可愛らしい。
「臙脂色の地に、兎柄──」
呟いて、身じろぎをする刀剣男士。思い出そうとしてくれているのだろうか、しばし無言になった彼をじーっと凝視してしまう。神様仏様付喪神様、印鑑ケースの落ちた先をご存知であればぜひ教えてくれ。
望みを託すような思いで神様のご回答を待っていると。
「いや……見ていない」
私の勝手な期待に反し、刀剣男士の声が成したのは「否」。
あーそうだよね。物事、そんなに上手くいくもんじゃないよね。……はあ。
失意の底に真っ逆さま。膨らんでいた胸が萎むのと同じくして、いきなりずしんと頭が重くなる。それは身体中にどんどん広がり、あれよあれよという間に私は体を支えることができなくなった。
「んう」
ひどい倦怠感に声が漏れ、地面に両手をつく。足底の踏ん張りも利かず姿勢ががくんと崩れた。……完全なる四つん這いだ。草葉に触れた膝頭が冷たい。
体を押さえ付けるようなだるさ。奥歯を噛み締め抵抗する私へ追い打ちをかけたのは、急激に襲ってきた眠気だった。
「ね、ねむい」
聞こえた声は不明瞭で、きちんとした発語になっていない。
──重い。全身が重くて伏せてしまいそう。なんだ、この眠気は。
ふ、と息を吐けば、連動したかの如く瞼が落ちる。
「主様、お加減が……っ、こんなに冷たくなられて!」
手の甲にぺたりとした感触。温かくてぷにっとしたそれは、こんのすけの肉球だろう。
「だ、だいじょ」
「大丈夫ではありません! 今夜はもう引き上げましょう。すぐに床に就かねば」
「でも」
銀行印を探さなきゃ。
痛み始めた頭でそう思いつつも、睡魔の攻撃に首がかくんと船を漕ぐ。何を話しているのか徐々に分からなくなってきていた。
「ですから、それは明日です。私も共にお探し致します。必ず見つけてみせますので、どうか安心して離れにお戻りください。主様、お願いです」
「誰かに拾われたら」
「取り戻すまでにございます。仮に刀剣男士が拾ったとしても、皆はきっと、快く返してくださいますよ」
「嘘、でも、なんか悪い事に」
「そのような不義は私が許しません。このこんのすけにお任せを。万事、丸く収めましょう」
「ほんと?」
「ええ。堅く誓います」
「……うん」
「よろしゅうございます。さあさあ主様、離れへ。兎にも角にも全ては明日です」
「あした」
「はい。仕切り直して、明日です。今宵は十分にお休みになられて下さい」
「……わかった」
「日が昇ってからの方が探しやすいと思いますよ」
「それも、……そう、だね」
「では、戻りましょう。立てますか?」
「うう……んー」
頭がぐわんぐわんと揺れるが、どうにか立つことができた。あれ、膝がガクガクする。でも、歩けないことはない。一歩、二歩──進む進む。どっちに?
「主様、しっかり! こちらにおいで下さい。そう、こちらです。こちらですよ」
「う、んん」
「こっ、こんのすけ、俺に何か出来ることは」
「ありませぬ! 結界がある以上、あなたはこちらへ来ることすら叶いません」
「だが──」
「ああっ、主様! そちらではなくこちらです! へし切長谷部、申し訳ありませんが黙って頂けませんか。主様があなたの声に反応してしまいます故」
「こんちゃ、らいじょーぶ」
「何が大丈夫なものですか! おいたわしや、主様。私が人の姿であれば良かったものを」
しんどい。フラフラする。口も目もまともに開かない。
覚束ない自分の声、小さな狐の慌てきった声、おろおろとした男の声。色んな音が耳を通り過ぎたけれど、そこから先の記憶はほとんどなくて、気付いたら布団の中で清々しい朝を迎えていた。