雪解け - なんとはなしに

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「あった! 印鑑ケース! うわー良かったー!」
 心の荒ぶりに呑まれた私の知的活動は弾け飛び、碌に言葉も考えられないまま声を出す。
「投げて投げて、それ私の!」
 両手を出してせがめば、煤色の髪の刀剣男士は困ったような顔をした。
 ん? んん? 受け渡し拒否か? 何か縛りをつけてくるのか? 嫌がらせか?
 猜疑心が燃え上がる。しかし、私が瞬時に抱いた不審は即座に掻き消されることとなった。
「いえ、ですが、大切な物なのでしょう? 投げるなど──」
「へ? あー……」
 おおっ、そういう理由でその表情だったのね。投げる事に戸惑ってたんだ。なーんだ。てっきり「返してやるには条件がある」とか言われるのかと思っちゃった。ふう。
「や、大丈夫。投げても大丈夫だから! ほら、ちゃんと受け取るし」
 カモン! 手先をちょいちょいっと動かし、ここに投げてよアピールをする。我ながら必死だ。いやいや、そりゃあ必死にもなるでしょうよ。だって銀行印だもの。
「壊れてしまっては」
 ちょっと投げたくらいで印鑑が壊れるか! ケースも入ってるのに! いいからはよよこせ!
「こーわーれーない! 投げても大丈夫!」
 私の猛烈な勢いになかなか流されてくれない神様は、尚も困惑したような目つきでこちらを見ている。普通だったら絶対投げるだろうに、こう躊躇するって……やっぱり印鑑とか印鑑ケースとか知らないのかな。お豆腐とは違うんだよー。投げてもいいんだよー。
「保証する。絶対壊れないから。だいたいねえ、結界あるし直接受け取れないんだって。はい、早く早く!」
 早口で畳み掛け、ようやっと付喪神が動く。恐る恐るといった様子でふんわり投げてくれたそれは、宙でゆるやかな円を描き私の手中に綺麗に収まった。
 っしゃー! 銀行印が戻って来たー!
 喜びで気の高ぶりが最高潮に達する。嬉しい嬉しい。見つからなかったらどうしようかと……ヒヤヒヤしたよー! うわー本当に良かった!
 昔から使っている兎柄の印鑑ケース。留め具を開けて中を確認すれば、象牙色の判子がちゃんとあった。うん、紛れもなく私の銀行印だ。名字も間違いない。良かった。戻ってきた! 見つかった!
 紛失しちゃって人生終わり、なんてことはないけど、おニューの印鑑を作るのも印鑑登録手続きに銀行に行くのもめんどくさいでしょ? 私の時代には月一でしか帰れないし。何より、この印鑑もケースも割りと気に入ってたりするんだよねー。
 銀行印の無事を確かめ、もう二度と離すものかと心に誓う。感動の再会にじーんと胸を熱くしていたが、ひと時過ぎて段々気持ちが落ち着いてきた。そうだ。お礼を言わないと。
「ありがとう。ほんっとにありがとう。助かった!」
 銀行印を返してくれて、本心から感謝してる。こいつらのことはまだ苦手でも、助けられたら「ありがとう」迷惑かけたら「ごめんなさい」と、そこはきちんとしておきたい。
「……いえ、このくらい。容易いものですよ」
 煤色の髪の刀剣男士ははにかんだような笑みを浮かべ、うっすらと頬を赤らめた。怖そうな神様だと思っていたが、そうでもないのかもしれない。
「お手柄だなっ」
 和やかなムードの中、槍の付喪神がバシン! と煤色の髪の神様の背を叩く。うわ、いい音。痛そう。
「加減しろ、御手杵……」
「お、悪い」
 やはり痛かったのか、煤色の髪の刀剣男士が微笑みを消し、顔を歪ませた。背も高いしガタイも良いし、腕力ありそうだよねえ。あれでバシン! は辛いわ。まあ、槍の神様に悪気はなかったみたいで、素直に謝っていたんだけど。
「ねえねえ、これどこにあったの? 庭に落ちてた? この辺?」
 付喪神たちのやり取りの合間に口を挟む。ちょろっと気になってたんだ。私だって結構探してたのに、見つけられなかったんだもん。どこに落ちてたってーのさ。
「はい、そちらの小石の陰に」
 淡い青紫の目線を辿ると、山茶花の向こう、結界を越えた先に何の変哲もない石ころが一つあった。
 む、そんな所に? そりゃ私に見つけられないわけだ。結界の内側だけしか探してなかったからなあ。ああー、もっと範囲広げとけばよかった。惜しい。
「はー、そっか。そこかあ」
 ほうほうと頷きつつ、草に半分隠れた石をしげしげ見つめる。結界抜けてあそこまで飛んでっちゃっていたとは、どんな勢いでバッグをぶちまけたんだ私は。
 自分の行いにほとほと呆れていると、槍の刀剣男士が「まあ」と開口した。
「見つかって良かったな」
 そう言って笑った彼があまりにも朗らかで。邪さだとか、嫌悪感だとか、敵意だとか、そんなもの一切感じなくて。
 一緒になって喜んでくれているということが、すっかり捻くれてしまった私にもすぐ分かった。
「……うん。ほんとにね」
「もう失くすなよ」
「失くさないよ。たぶん、一年くらいは」
「おいおい、大事な物なんだろ?」
「冗談だって。ちゃーんと保管しとく」
「なんだ、冗談か」
「冗談です。なんてったって大事な物だし」
「はは、そうだな。大事な物だもんな」
「そうそう、大事な物だもん」
 短い笑い声をあげた槍の付喪神に釣られそうになり、ふと気付く。
 自然な会話だった。相手の裏を考えながらでもなく、相手の機嫌を取ろうとするわけでもなく──本当に気取らない会話だった。こんのすけと話す時のように、僅かな楽しさすらあった。
 ──毎回、こういう風にできたらいいのにな。
 ぽつりと思い、目の前の神様たちをぼうっと眺める。……二人とも、私を殺そうとしているようには見えなかった。嫌っているようにも見えなかった。「あの日」とは違って。
 苦い記憶が映像となり、脳裏にチラつく。
「……体調はもう、いいんですか?」
 忘れたいのに忘れられない、流したいのに流せられない過去の出来事に気を取られていた私へ、どことなく遠慮がちな声がかけられる。ぱっと視点を定めれば、煤色の髪の刀剣男士が眉尻を下げていた。
「え?」
「昨夜、足元がとても不安定だったので……意識も朦朧としていたようでしたし」
 ん? なんで昨日のでろでろ状態を知ってるんだろ。あ、こんちゃんと話してた神様かな。
「ああ、あれね。大丈夫大丈夫。恥ずかしいとこ見せちゃったなあ」
「いや、恥ずかしいなど。……その、何か持病でも?」
 じ、持病!? そうきたか! 確かにあの眠気とだるさはヤバかった。でも、病人に思われるとは。
「えっないない。疲れがひどかっただけ。寝たら元気になった」
 疲れの理由は燃費の悪い種類の力を使ったからなんだけど……それ言っちゃうと面倒臭くなりそうだよねー。出陣うんぬんの話に触れるかもだし、疲労ってことにしとこう。嘘はついてない、うん。
「ただの疲れにしては」
「ううん、『ただの疲れ』じゃなくて、『すーっごい疲れ』。人間ってのはね、過労で倒れちゃうこともあるんだなこれが」
 訝しそうにしている付喪神の台詞を割り、自身の発言に信憑性を持たせるべく口を動かした。
「ま、フラフラしてても疲れは疲れだから休めば体力全回復するよ。病気とは別物。病気だったら昨日の今日でこんなに元気になるわけないでしょ?」
 言って、刀剣男士を正視する。煤色の髪の彼は納得がいかないというように顔を顰めたが、ボロが出てもいけないので追加説明はしなかった。ここらで退散だ。
「じゃ、私、そろそろあっちに戻るね。これ仕舞ってこなきゃ」
 手のひらにある印鑑ケースをぐっと握り締め、離れに帰ります宣言。
「拾ってくれてありがとね。探してもないままだったらどうしようって思ってたから、本当に助かった」
 最後にもう一度、銀行印を見つけてくれた刀剣男士にお礼を言う。返事も待たずに回れ右をしたもんだから、煤色の髪の神様が拳を静かに震わせていることなど気付きもしなかったし、その後、ちょっとしたストーカー騒動が巻き起こるなんて、夢にも思っていなかった。

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