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煤色の髪の神様の付き纏い事件が収束し、気分を切り替えて庭を回る。さっきまで晴れていたのに、なんだか空が曇ってきた。これは午後から降るかもな。秋は天気が変わりやすくてよろしくない。こんのすけが居ればあとどのくらいで雨が降るか教えてくれるんだけど……今は出張中だしね。よし、無難にいくか。今日は洗濯をやめて、これから撒く水も少なめにしておこう。
時刻は昼前。水遣りはこの場所で最後だ。終わる頃にはお昼時になるだろう。時間的にちょうどよい。お腹だって空いてきた。
ふんふんと鼻歌交じりにじょうろを揺らし、満足するまで地面を眺める。大地のゆりかごで眠る私の宝。まだ発芽もしてない、土の下の球根たち。
腐ってないかな、水は足りるかな、元気に芽を出してくれますように。
母親さながら成長を祈り、さあさあと水を散らす。ああ、じょうろが空になってしまった。面倒くさいが井戸で中身を補充しなければ。あと少しなので半分ほどあれば十分か。
……ん?
軽くなったじょうろをぷらぷらさせて振り返ると、太い松の幹に顔が生えていた。……いや、違う。誰かが木の裏に隠れ、首から上をひょこっと覗かせているようだ。
それは多分、数十といる刀剣男士の中の一人で、彼は私と視線がぶつかるなり満面の笑顔になった。そして、奇妙な動きをし始める。
──なんていうんだろう。お尻を目立たせるような、お尻に目がいってしまうような……とにかく変な仕草。対応に苦慮してひとまず目礼してみたのだが、挨拶は返されない。不思議な動きばかりがリピートされている。
あちらに刀を抜くような雰囲気はないし、一応笑ってはいるから攻撃的な態勢じゃないと思うけど……何分意図が不明で、構えば良いのか逃げれば良いのかさっぱりだ。最善手が判然としない。
束の間、松の木の下で自らの腰や尻に手を這わす神様の動向を窺うも、彼はずっと無言だった。何も言わずに艶めかしく体をくねらせている。
囮作戦の一環? ダンスの披露? 特殊効果発動の儀式? 皆目見当がつかないが、何であれ怪しい。
猜疑心とともに、不審の念がぐぐーんと上昇。あれはいかがわしいんじゃなかろうか。誰がどう見ても。
こちらから交流を図ろうにも動きが怪し過ぎて踏み切れず、頭の中に浮かんでいた選択肢が一つ二つと消えていく。最後に残ったのは、「穏便にスルー」という道だった。
私には「付喪神との溝を埋める」というミッションがある。けれど、どうか段階や順序というものを大事にさせて欲しい。あそこで謎の運動をしている彼は、序盤で相手にしていいレベルの神様ではない。攻略難易度は富士山級だと直感が告げている。私の対人能力じゃ処理できないかもしれん。まだ早い。まだ早いのだ。
とかなんとか思案していたら、奇行に富んだ付喪神は松の木を離れじりりじりりと近付いてきており。
うっ、しまった。出遅れた。ここで逃げたら印象悪くする。差し当たり迎え撃つしかない。できれば手短に。
平常心、平常心。二、三言話したら「あ、じょうろに水汲んでこなきゃ」ってフェードアウトしよう。……挨拶は? 挨拶はどうする。少しばかり(かなり)挙動が不審でも挨拶は大切だよなー。よし、こっちからしておくか。あの変な動きには突っ込まずにね。
意を決して視界の中心にお尻を──いや、刀剣男士を捉える。黒フレームの眼鏡に、薄ピンクのネクタイ。うーん、この付喪神、どこかで見たことあるぞ。今はシャツに隠れて分からないけど、首に赤紫の縄を巻いてた神様じゃなかったっけ。
マントを波立てて歩く姿には気品があり、白を基調とした洋装は高貴な紳士を連想させる。……が、腰からお尻にかけた所作がいかん。私の知ってる紳士はあんなことしない。
「あ、どうもー」
できるだけ下半身を見ないようにし、接近を続ける付喪神へ向かって声をかける。動揺のせいで弾けるスマイルは作れずとも、まずまずフランクにはできた。仲が良くも悪くもない顔見知りのご近所さんに挨拶する感じ。
ぺこっとお辞儀をして相手の応答を待つ。彼はモデルがポーズをとるように腰を捻らせ、もじもじとした笑みを湛えた。
ほどなく、艶美に弧を描いた唇がゆっくりと開き──。
「どうかな、ぼくの。狐の尻よりも叩きがいがあるとは思わないかい?」
第一声がそれだった。
「おはよう」でも「こんにちは」でもなく、第一声がそれだった。もうね、どんなリアクションを取ればいいのか分からないっていうか分かるわけない。私、挨拶しただけだよね? 何の脈絡があってさっきの返しになったの?
「あ、どうもー」の返事に「尻が叩きがいがあるうんぬん」って、それおかしい。おかしいよ。日常会話から外れてるし、言葉のキャッチボールができてない。暴投もいいとこだ。
思考も心も大混乱。プチストーカーの次は不審者? ほんまもんの不審者なの? えっこれどうすればいいのこんちゃん。