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「……あの、ごめん。なんて?」
パニックに陥りかけている自分を奮い立たせ、あえて冷静に尋ねてみる。
うん、そうだ。聞き間違いかもしれないじゃないか。だってごく平凡な挨拶の返事が叩きがいのある尻やらなんやらって、そんな、そんなの……。
「やだなあ。恥ずかしいことを何回も言わせないでよ」
て、照れた。こいつ照れやがった。いやいやいや恥ずかしいも何もさっき自分で言ってたじゃん!
「あー、内容がちょっと分からなかったっていうか、私の聞き違いかな? って思って」
「聞き違い? どんな?」
ん? ええ? わ、私に言わせるの? 言えっての? だめだ、せっかく柔らかい表情を作ってたのに、死んだ魚みたいなツラになりそう。顔面筋のフリーズを解かなければ。
「えー……っと」
怯んで目線を彷徨わせた私を、眼鏡の彼はやけにニコニコ──いやニヤニヤして見つめている。そして、「ん?」などと、催促するように首を傾けた。
だーっ、もう、言えばいいんでしょ言えば! 尻くらい何さ! どうってことないもん。言ったれ私。
「お尻がどうとか、叩きがいがある、とか」
ぐっと唇を結んで気合を入れ、何食わぬ顔で例の台詞を口にした。心の内の荒ぶりは極力出したくない。おそらく、出してしまうと止まらなくなる。素で「あんた不審者?」と聞いてしまいかねない。
「ふふふ……!」
!?
えっその笑い何? なんなの!? こんちゃん助けて、今すぐここに瞬間移動してきて。わりと真面目に逃げ出したい。
「大丈夫。間違ってない。合ってるよ」
ひええええええええ頬が薔薇色ですぞ! 素晴らしい笑顔だけど、なんか色っぽいような……こ、興奮してる? 違うよね?
「んー、そっか。急にそんなこと言われると思ってなかったから、びっくりしちゃった」
現在進行形でびっくりしてるし、むしろびっくりどころじゃないし、表面上落ち着いて対処できてる自分を褒めてあげたい。
「ああ、驚かせてしまったんだね」
「うん、そうだね。すごく」
引いてますよアピールでちょっと語気を強めてみる。ところがどっこい、眼鏡の神様に臆した様子はこれっぽっちもなかった。
「で、どうかな?」
私のささやかな抑圧を気にすることなく、彼は腰をくねらせこちらへ臀部を向ける。女性のものとは異なる薄い尻がすっと撫で上げられ、誘うような手付きに鳥肌が立ちそうになった。
……あのさあ。ほんと、これどういう状況? 私は一種の拷問にかけられてるの?
沈黙を挟むと同時に奴のお尻から目を背け、右見て、左見て、後ろを見る。付近に他の刀剣男士はおらず、ずっと遠くの縁側で二人の見張り役がたむろしているだけだった。
ここら一帯で隠れられる場所といえばそこの松の木くらいであり、眼鏡の神様を囮にして隙だらけの私に痛撃を加える、という奇襲は実現性が低そうだ。もとより、殺伐とした企て自体がないのかもしれない。死ぬか生きるか大ピンチ! といった局面にあたらずにいられるのは良いことである。
が、単独でコレの相手をするのはキッツい。彼に殺意や敵対心がないにしろ、クセが強すぎて扱えません。この際こんのすけじゃなくていいから、誰かなんとかしてくれないかなー。付喪神の中にストッパー役はいないの?
「ねえ、ほら」
うわっ。や、やや、やめて! これ以上こっちに来ないで!
「え、いやあ……どうって言われても」
曖昧な受け答えで時間を稼ぐ。というより、返す反応がまるで分からない。そもそもこの付喪神、何を聞いてきてたんだっけ。お尻の事だったよね。んんー、「狐のお尻と神様のお尻、どちらが叩きがいがあるか」、が問いでいいのか? で、狐っていうのは──。
「よく見て。こんのすけよりぼくの尻の方が大きいし、しっかりしてるじゃないか」
はい、こんのすけでいいんだね。不本意にもあんたのお尻は結構見たのでもういいです。お願いだから私を痴女にしないでくれ。
「そりゃ、狐の体と男の体は違うしねえ」
あー、うー、どうしたものか。眼鏡の神様のご機嫌取りをするなら彼だと答えるべき、ヒートアップしそうな情勢に冷水を浴びせるならこんのすけだと答えるべきで……それはそうと、この質問の先には何があるの? どっちの尻が上か決まれば満足なわけ?
「もう、じらさないでよ」
そうじゃなくて戸惑ってるんだって! 空気読んでください。
「じらしてないよ。……うーん」
んんんんん、なんて答えよう。波風立てずにこの話題を終わらせられ──あっ、これはどうだ?
「そんな躍起にならなくてもいいんじゃない? こんちゃんにはこんちゃんの、あんたにはあんたの良さがあるんだから」
……お尻の。
「叩きがいがああだこうだは知らないけどね、どっちもきっと素敵だよ」
……お尻が。
説き伏せるように言い、感慨深げに何度か頷いてみせる。どうよ、我ながら良い回答でしょ? 優劣つけずに上手に中間取れたわ。叩きがいのくだりも流せたし。
さあ、あとは頃合いをみて話のすり替えをして、すすすーっとさよならできれば──。
「だったら叩きなよ! ぼくの尻を!」
おい待て、なんでそうなるんじゃい!