雪解け - なんとはなしに

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 蝉取りに失敗した木。
 カタツムリを帰した紫陽花の茂み。
 たんぽぽの綿毛を飛ばした草っぱら。
 四つ葉のクローバーを見つけた場所。
 懐かしい散歩コースを辿る中、印象の残っている物が目に入ると、度々側で立ち止まってしまう。あっちこっちに散りばめられているなんてことない思い出は、全部が全部良い事ばかりじゃなかった。けれど、楽しい事もいっぱいあって──思い返せば感慨深い。
 寄り道、道草お手の物。時間をかけながらのんびり歩く。番傘に当たる雨粒がぱらぱらと鳴らす音は、耳障りが良かった。
「──……い」
 ……なんだろう。
「おー……い」
 雨音に混じって別の音が聞こえてくる。空耳かな、と、考えるも、声のようなその音は止まなくて。
「おーい」
 今度ははっきりと耳に届く。体ごと後ろを向くと、御殿の角の格子窓に人の顔が見え隠れしていた。遠くてよく分からないが、大きさ的に子供の顔のようだ。目を凝らしてもっと──って、ものすごい小刻みに手招きされとるがな。なんだ、私は呼ばれてるのか?
 ちらちらっと周囲を見渡すが、御殿の裏には私しか居ない。
「おーい、こっちこっち」
 続く呼び声。口の動きは大きいのに音量が伴っておらず、訝しむ。あの子は私に声をかけているとみて良さそうであるが、誰かに内緒でやっているのかもしれない。
 なんだろう。何か用かな。まあ、用がないと呼ばないよねえ。……何事だ?
 幼い容姿の刀剣男士を使い、油断を誘ってからの奇襲は──ある? ない? いや、近くには人っ子一人(神様だけど)いないし、この辺は開けてて見通しが良いから死角はないし……大丈夫かな? 今のところは。
「……面倒事じゃありませんように」
 独りごちて傘を回す。何やら必死に呼ばれているが、午前中の事件もあって正直腰は重かった。今日はもうおなかいっぱいなのだ。満腹。ついでに胃もたれあり。
「おーい……!」
 またまた呼ばれ、逡巡する。行くか行かないか、行くか行かないか──いくら厄介事が嫌でも、一生懸命来い来いされてるのに無視するのはなー。あれがゴタゴタの種になるかまだ決まったわけじゃないし、シカトこいて後々問題になっても困る。行くだけ行ってみるか。ヤバそうな話、トラブりそうな流れなら退散な。
 悩む間もおーいおーいと手をばたつかせる幼い神様。とりあえず応じてみることにしたので、御殿の外壁へ進路をとる。しとしとと降る秋雨が、私の視界をぼわぼわと暈していた。
 あそこの格子窓は位置的にトイレだったはず。そうそう、御殿に三つか四つあるぼっとん便所。割りとキレイで夏の大掃除の時もそんなに手が掛からなかったんだよねえ。使われた形跡がなかったというか。
 ん? えっ、何故にトイレ? なんで私はトイレから呼ばれてるの?
 ……神が、じゃない紙がないから持ってきてくれとか? けど、こんちゃんは「今の刀剣男士は食事排泄睡眠しない」って言ってたよね? んんー?
 どうしてまたトイレから。でもって何の用?
 疑問に思いつつも足を進める。御殿が近付くにつれ見えるのものが多くなった。土壁の表面、格子の数、軒先を落ちる雨だれ、濡れている箇所、濡れていない箇所、格子窓を挟んだあの子の──あれ、この付喪神……昼前に縁側を走っていた子じゃなかろうか。記憶違いかもだけど、見覚えがある。
 色素の薄い茶系統の髪と、同じ色の瞳。ピンクのパッチンどめで前髪を寄せ、つるつるのおでこを出した刀剣男士。
 その子は興奮しているようで、「こっち来てる、こっち来てる」と頬を上気させており。幼げな顔が上下する動きは忙しなく、壊れかけの首振り人形みたいだった。
「今どの辺りだ? どこまで来てる?」
「んーっ、重いよ。ねえまだ?」
「おい動くな乱、包丁が落ちる!」
 男らしい声、女らしい声。いくつか聞こえたそれらが、他の神様もトイレ内に居るであろうことを教えてくれる。
 ほうほう。話によると、この子は誰かの上に立ってるのかな? あの子、縁側走ってるのを見た限りでは、けっこうちっこかったもんね。トイレの格子窓も高い所にあった気がする。あそこの窓から外を覗くにゃ、一人じゃできないはずだ。
「あーん、重いーっ」
「踏ん張れ。もう少ししたら足場代わってやるから」
「しっ! みんな静かに」
「見つかっちゃうだろ」
「しーっ!」
 壁の向こうの会話で察する。彼らはやはり隠密行動中らしい。ふむ、誰に隠れて……あー、水色の髪の神様かな。昼前も捕まえられてたし。
 あの刀剣男士はちっちゃい子たちのお兄さんなんだっけ。前の審神者に弟をひどい目に遭わされて、人間への──私への警戒心がすごく強い神様。
 ──これ、見つかったらドえらい事になりそうだなー。この子たちがあの付喪神の弟だったら、だけど。あー……そうっぽいよね。そうっぽくない? だって縁側で一悶着してたもんね。関連性バリバリありそう。うわあ嫌な予感。
 やっぱり来るんじゃなかったかも。と、後悔の念がこみ上げてきたが時既に遅し。私は到着してしまっている。軒下に。
 引き返したい。でも、ここまで来ておいてそれはどうなの。じゃあさっさと用件を済ませてもらって、バイバイできるようにしないと。お兄さまに見つからないうちにね。
「何? どうしたの?」
 番傘を傾け、格子窓越しに尋ねる。彼らのお忍びモードに合わせて声の大きさは抑えておいた。
「っ、あ……う──」
 私を呼びつけたくせに、いざ声をかけると返事がない。子供の姿の付喪神は数回口を大きく開け閉めし、おでこを格子にくっつけた。
 冷たい体に緊張が走る。すぐには言えないようなことを言い渡されるのだろうか。この子、眉の間に皺を寄せてるし、よほど重大な──。 
「ひ、人妻か?」
「え」
 いかに重大な内容を告げられるのかとはらはらしていたのに。
「人妻か!?」
「はあ?」
 私が呆気にとられてしまったのは、無理もない。

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