雪解け - なんとはなしに

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「人妻ってのは、結婚してるかってこと?」
 いきなり人妻ってどないやねん。
 突飛で変てこなお尋ねに、私の聞き違いかもしれないと念のため問い返してみる。丸いおでこの彼は、白い額を格子に押し当てぶんぶんと頷いた。
 人妻。……人妻ねえ。結婚以前に彼氏すらいないんだよなあこれが。
 ちくしょう、愛だの恋だのとはけっこう前からご無沙汰してますよっ。で、でもねえ、その気になれば職場内恋愛でも……ってここ人間いないわ。気軽に合コンやら飲み会やらに行ける場所でもないし。今は結婚願望が薄いからいいけど、後々困りそう。むむ、ちょいと将来について再考せねばならんか。今のうちにお見合いサイトに登録しとく?
「未婚だよ。ついでに彼氏もいない」
 嘘をついてもしょうがない。ので、寂しい事実、悲しい情報を告げれば、あの子は眉尻を垂らし、「人妻じゃないのか……」とあからさまにがっかりした。おい、そこでなぜ肩を落とす。「やーい非モテ不細工ー!」って空気じゃないが、既婚者でないとまずい理由があるのかい? 刀剣男士の思考が本当に分かりません。
「包丁、代われ」
「……ほーい」
 ツッコもうかどうしようかと判断に迷う私は放置で、トイレ内に動き有り。どうやら神様チェンジがなされるようだ。次はどんな子と対話することになるのだろう。
「踏み台も交代してー! ボク疲れた」
 彼らの中で一際高い声が押しつぶされた悲鳴をあげる。足場の子も大変そうだ。
 うーん、狭いトイレで大丈夫かな? 何かの弾みでボットンしなきゃいいんだけど。そこ、和式だし。糞尿は溜まってないにしろ、落ちないように気をつけてくれ。
「代わるぜ乱。厚は包丁より重いしな」
「後藤、ありがとっ」
「おい早くしろ。いち兄たちがいつこっちに来てもおかしくないんだ。包丁、外は?」
「──静かだぞ。足音もしない」
「よし。他の兄弟を探してるうちに終わらせねえと」
「隠れ鬼じゃ誤魔化せなくなっちゃう」
 ふうむ、協力的というか仲が良いというか──「仲間」だなーって感じ。水色の髪の神様の弟だとしたら、そこに居る子たちはみんな兄弟ってことだよね。全部で何人兄弟になるんだろ? それより、「いちにい」ってどっかで聞いたことあるような……。
 取るに足らない気がかりを脳内でこねくり回していると、つるつるおでこの子が引っ込んで、別の付喪神が現れる。つんつんとした短い黒い髪に、吊り気味の目。顔立ちは先ほどの子よりも少しだけ大人びていた。それでも子供の部類に入るのだろうが。
 黒い短髪の彼は鋭い眼差しを私に注ぎ、硬い表情のまま口火を切る。
「……お前が新しい審神者か」
 低めのトーンで発されたそれは、唸り声にも似ていた。威嚇、まではいかずとも、警戒されていることは明確である。
「うん」
 黒髪の彼に触発され、私もほんのちょっと気を引き締める。格子の間から刀でも投げつけられたら、屋根から誰かが襲撃してきたら……と、悪い流れを思い描いてしまった。結界があるにしろ、切った張ったの騒ぎになるのは嫌だ。
「今年の春からここで働いてるよ」
 ん? ──いや、働けては。
 口を出てしまったものは戻せないが、急に訂正したくなる。
 働いてる? 私が? 高給で雇われているにもかかわらず、肝心の審神者業は不十分じゃないか。農作業ばっかり得意になって、「働いてる」なんて堂々と言えたもんじゃない。「ここで生活してるよ」くらいにしておけばよかった。あー、後ろめたい。
 疚しさが背筋を吹き抜け、胸の奥底に潜む自己嫌悪が鎌首をもたげた。雨にも負けないじっとりとしたそれは、私の心にずっと住み着いている。
「オレたちの手入れをしてどうする気だ。オレたちをどう使う気なんだ」
 厳しい口調で詰問してきた黒髪の子によって、淀んだものが退いた。
「どう使う気」ねえ。ふーん、それを聞いてくるか。式神ちゃんに包丁を直してもらった日、薙刀の刀剣男士に言ったんだけどな。他の神様もまあまあ居たはずだから、私の意向はみんなに伝わってると思ってたのに。
 ……この子は、この小さな子たちは知っているのか、知らないのか。彼らはあの場に姿を見せていなかったが、兄や仲間に聞かされていないのだろうか。
「どうもしないし、使わないけど」
 あっさりとした短い返答をするも、黒髪の彼は岩をも貫いてしまいそうな視線を私へ浴びせ続けている。
「……本当に? 嘘じゃないのか」
 おーおー、疑われてるねえ。なんだか周りにトゲが見える。最近柔らかくなった付喪神は増えたけど、この子たちはそうじゃないのかな。明るい灰色の髪の子(大太刀の神様だっけ)以外の小さい子たちとは全く関わってないもんで、移り変わりが分かんない。私に対する初期評価も不明だ。
「嘘じゃないよ。私、『そっちには干渉しない』って刀剣男士と約束してんの。ちゃんと守る」
 はっきりと否定したが、薄墨の瞳にはありありと狐疑の色が浮かんでいて。……簡単には信じてくれないようである。
「嘘じゃないって。これが嘘なら毎日お屋敷に通ってお願いしまくってるよ。『後生だから敵と戦いに行ってー。仲良くしてー協力してー』ってさあ。だって」
 政府から出陣要請が来てるんだもん。
 そう声に出しそうになり、唇を結ぶ。おっと、うっかり口を滑らすところだった。あの事は自然にバレるまで隠しておかないと。
「とにかく、本気でほんとになんにもしないから。あんたたちはなんにもしなくていいから」
 しかしまあ、約束うんぬんを抜きさえすれば、私は彼らに願い出ることもできたんだよなあ。斉藤さんに出陣の話を持ち掛けられた時だって、「刀剣男士にお願いしてみます」って言えないことはなかった。でも、やっぱり約束を破りたくはなかったし、今更あいつらを頼るのはちょーっと癪だし、自分にできない仕事じゃないし。
 ……あーもう、過ぎたことをうだうだ考えてもどうにもなんない。やめやめ。
「本当に戦わなくてもいいのか」
「うん」
「遠征は?」
「えんせい? んー、いいよ」
「内番は」
「いい、いい。しなくていい」
 えんせい、うちばん。審神者マニュアルで読んだ覚えはあるが、何分だいぶ前のことで詳細は忘れている。
 なんだっけな。遠征は「刀剣男士をどこかに派遣して何か持って帰ってきてもらう」、内番は「本丸での日常的な作業をしてもらう」みたいなやつだったよね? いや違うかも。くっ、審神者として赴任してるくせになんだこの体たらく。近々マニュアルを読み直そう。本業に関する職務内容がきっちり頭に入ってないとは、たるんどる。
 知識の薄れへの危機感を密かに抱いていると、格子の向こうで口を噤んでいた彼がぐっと眉を顰めた。
「──仲間同士の斬り合いは?」
「は?」
 何を聞かれたのか理解できなかった。
 しかし、瞬きを一つか二つしたあたりでぎょっとする。この子の台詞が言葉通りの意味であれば──。
「え!? そんなのしなくていいよ。何それ」
 彼は「手合わせ」や「試合」ではなく、「斬り合い」と言った。それも時間遡行軍(敵)相手ではなく、仲間同士での。……不穏過ぎる。
 だんまりになってしまった刀剣男士。雨が番傘を打つ音ばかりが耳に響く。
 言葉選びを誤ったのかとも考えた。何かの拍子で「手合わせ」や「試合」を言い違え、「斬り合い」になってしまったのかとも。
 だが、黒い短髪の付喪神は辛そうな面持ちで黙りこくっていて、灰色の世界はどんどん重くなるばかり。
 そして、ぴんときた。もとい、胸騒ぎがした。この子たち、まさか。
「……えっ、ちょっと、そんなことさせられてたの!? 訓練とか試合とか練習とかじゃなくて、斬り合いを? あんたたちの刀で?」
 問いながらも、私は確信していた。
 おそらく、前の審神者にさせられていたのだ。やらされていたのだ。「仲間同士の斬り合い」を。
 だから聞いてきたのか。だからこんな雰囲気なのか。
 私の推測通り、彼は格子窓の向こうで重々しく首を縦に振る。驚きと同時に、強い拒否反応が出てしまった。
「うっそ……ない、ないない! ない! うわ、ひっど」
 ドン引き。ドン引きでしかない。ここに前の審神者が居たら、めっちゃ白い目で見てしまいそう。「なんでそんなことしたの」と問いただしてしまいそう。「馬鹿なんじゃないの」と罵ってしまいそう。仲間同士で斬り合いって、訓練とかじゃなくて斬り合いって。それはだめでしょう。クソですわ。
 一人でぶつぶつと呟く私へ、黒髪の子は暗い顔して淡々と告げてゆく。
「自分の本体を使った真剣勝負」
 うわあ。
「兄弟で刀を交えることもあった」
 うわああああ。
「斬り合いの終わりは、どっちかが立てなくなるまで」
 うわああああああああ。
「手入れはもちろんされない」
 うわああああああああああああああああああ。
「あれが終わった後は悲惨だった。血溜まりの中、自分が切った相手に泣きながら謝って、必死でできる限りの手当てをして……」
 うっわああああああああああああああああああああああああああああ!
「最っ低! 最悪、無理! 仲間なのに、そんなの……」
 あまりの胸糞悪さに身の毛がよだつかと思った。ひどいなんてもんじゃない。そりゃ人間不信にもなる。
 ……知らなかった。よもやそこまで非道な扱いを受けていたなんて。使うだけ使われ、手負いの状態でほったらかされていた、というのは存じていたが……それだけでなく、蛮行の根は深いようだ。もっと掘り下げれば、世にもおぞましい話がポンポン出てきそうである。
「反抗できなかったの?」
 人とは違うのに。人間にはない力を持つ神様なのに。前の審神者の悪逆から逃れる術はなかったのか。
「オレたちみんな、言霊で縛られてたから……あいつの霊力はすごかった」
 痛ましげに目を伏せる、黒髪の子。「あいつ」とは、言わずもがな前任者を指しているのだろう。
 にしても、「言霊」とは。前にも聞いたことがあるけど、そこまで凄まじいって怖いなあ。神様でも太刀打ちできない前の審神者、悪い意味ですごい。その力を善い方向に使えてたらよかったのに。
「あ──ごめん、どうにもならなかったのか」
 黒い短髪の付喪神は無言だった。辛かった昔の記憶に沈んでしまっているのかもしれない。仲間で、兄弟で傷付け合った悲しい過去に。
 ……なんと声を掛ければ、どう慰めればいいのか悩む。部外者かつ、彼らの憎む人間のうちの一人である私なんぞが、何を──。
 ひとしきり考えるも、良き言葉は思いつかない。ひとまず私の意志を伝えておくことにしよう。人に痛い目に遭わされた彼らにとって、新しい審神者である私の方針は気になるところだろう。これで僅かでも安心してくれればいいのだが。
「えーっと、私はさ、痛くて無駄で倫理的におかしいことをあんたたちにやれって言わないよ。誓える。仲間同士で斬り合うとか、傷付け合うような事はしなくていい。して欲しくない」
 薄墨色の双眸が動き、私を見据える。
「前の審神者のせいで人間が嫌いなのも、信じられないのもしょうがないけど……私はあんたたちが嫌がること、絶対にしないから」
 つい声量が大きくなってしまう。ぶっちゃけ刀剣男士は未だに苦手だ。されど、トラウマ持ちの彼らを痛がらせたり、苦しめたりはしたくなくて。
 もしこの先、神様たちと手を取り合って働ける日が来るのなら、必ずホワイトな職場にしたい。身内での傷付け合いなど、もってのほか。
「……そうか」
 しばしの沈黙ののち、彼が放ったのはただ一言、それだけだった。それだけだったが、強張った顔に込められていた力がふっと抜ける。眉間の濃い皺も消え、張り詰めていた糸が切れたかのように、その子はもう一度「そうか」と囁いた。
「ねえ、厚。次、ボクいい?」
 どこかぼんやりとした様子の彼の後ろで、交代を急かす声がする。
 そうして、黒い短髪の刀剣男士とバトンタッチで現れたのは、澄んだ青い瞳に金の髪の、お姫様みたいな付喪神だった。

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