雪解け - なんとはなしに

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 その子が現れた瞬間、小雨に煙る視界がぱっと鮮やかになった。
「……初めまして。ボクは乱藤四郎」
 光沢を帯びた金の髪、南国の海と空を閉じ込めたような双眸、透き通った高めの声。顔立ちは愛らしく、まるで外国のお人形さんのよう。
 ──女の子だと思った。ところが、一人称は「ボク」で。
 男か女か、どっちだろう。縁側で見かけた時、この子はスカートを穿いていた気がする。では女の子か? 安直な考えになるが、刀剣「男士」がいるなら刀剣「女士」がいてもおかしくはなさそうだ。しかし、政府の書類にはそんな記述一つもなかったはず。
 うーむ、女装をしている男の子、という線も否定できない。今日の見張りの付喪神だって女物っぽい和服を着てたし。あ、お化粧もしてたよね、あの神様。髪飾りなんか赤いリボンに花に金ピカの簪に──豪華だったなー。ガタイが良いのにあれが似合うってすごい。
 いやいやそれより。
 初対面の挨拶をされた、だと? 名乗り付きで? ……これ、初めてではなかろうか。三月から今日の今日まで、神様方に「はじめまして」なんて言われたことがない。ほへー、ちゃんと挨拶できる、いや挨拶してくれる子もいるんだなあ。男か女かはさておき、礼儀があるというかお行儀がよいというか……逆にちょっと困る。反応に。
「初めまして」
 面食らいながらも挨拶を返し、ぺこっと軽く頭を下げる。こちらも自己紹介をしておくべきかと思い寄ったものの、金髪のその子が「ねえ」と声をかけてきたため、実行はできなかった。
「あなた、秋田のこと何か知らない?」
「え?」
 折り目正しい挨拶に微かな感動と戸惑いを覚えていた私だったが、どこか早口に繰り出された質問で我に返る。
「あき──、んん?」
 あきた。……あきた。心の中で二、三呟けば、奇妙なもやもやが生じた。
 この子の出した名詞らしきものには聞き覚えがある。嫌な感覚に胸がざわつくのはなぜだろう。まだはっきりとは分からないが、「あきた」は私にとってあまり良い印象のない名前のようだ。なんだろう。もう少しで思い出せそうなんだけど──。
「粟田口吉光作、秋田藤四郎。ボクたちの兄弟で、前の審神者に消された刀剣男士」
 兄弟。審神者に消された刀剣男士。
 ああ、そうだ! その名前は!
 二つのワードが合わさってハッとする。こんのすけの話、朱い胴鎧、悲しそうな付喪神たち……点と点が繋がって、あっという間に答えは導き出された。
「あー! 赤いぽんぽこ鎧の子? こーんな」
 片手を使ったジェスチャーであの胴鎧を表現すると、金髪の彼(彼女?)は目を瞠る。
「そう!」
 感情が昂ぶったのか、結構な音量を出したその子。土壁の向こうで「しーっ」と諌める声がした。
「知ってるの!?」
 勢い良く顔が前に迫り出されたせいで、格子に当たった帽子が落ちる。顕になった頭頂には天使の輪が艶々と輝いていた。曇り空で太陽の光は少ないというのに、あんなにキラキラしているなんて。きっとキューティクルがべらぼうに整っているのだろう。潤んだ髪、羨ましい。
「や、知ってるっていうか、こんちゃんから聞いただけだけど……」
 私は自分がこんのすけに聞いた事柄を簡単に話してみた。けれど、この子は私の持つ情報なぞ全て把握していたようで、何度も何度も「他には?」と、朱い胴鎧の付喪神について追求してくる。
 どうもこの子は消された神様の件で新たな報せを欲しているみたいだった。そして、私がめぼしい情報を所有してないと知るや否や、どんどん悲しそうに表情を翳らせていく。その面差しから窺えたのは、鬱蒼とした落胆。
 私に話せる事がなくなり、嘆き顔の刀剣男士が訊ねてこなくなり、重い静寂が訪れる。力なく額を格子に預けるその子は、胸中の幽愁を吐き切るような大きい溜息をついて、ぽつぽつと語り始めた。
「秋田ね、急にいなくなっちゃって……夕方まではいたんだよ? いち兄たちの包帯を一緒に取り替えたもん。でも、夜が明けたらどこにもいなかった」
 雨音が遠い。この子の声に集中する私の耳を、周りの音がこそこそと通り抜ける。
「あの男は『消した』って言ってたけど、誰も秋田が消されたところを見てない。だからボク、本当に秋田が消えちゃったのか信じられなくて──。時の政府が保護してるのかも、とか、本丸のどこかにいるのかも、とか……」
 声の一つ一つが哀情に満ちていて、聞いているだけのこっちも辛くなってきた。
 ──可哀想に。
 同情心が湧き上がる。兄弟を想う気持ちがひしひしと伝わり、いたたまれない。
「色々、考えちゃうんだね」
「……うん」
 慰めも励ましもできず、気落ちした彼を見つめながら、私にできることはないかと知恵を絞る。これまでにもちょこちょこ思案してみてはいたが、良いアイデアは浮かば──……あっ!
「政府。政府なら何か知ってるかも。ね、政府の誰かに聞いたことある? 消された子のこと」
「えっ……」
 この子たちにも私にも、まず情報が少な過ぎるのだ。手がかりすらない。ならば調査から始めないと。
 あー、灯台下暗しだった。私には「あの人」がいるってのに。なんで情報収集を思い付かなかったんだろう。
「なかったと思うぜ。政府の人間とは碌に話してない。全員追い返してたからな」
 私の問いに答えたのは金髪の子ではない。この声、さっきの黒い短髪の神様かな?
「……厚が言った通りだよ。あの男がいなくなった後、ひっきりなしに人間が来てたけど……みんなすっごく警戒して、仲間を守るために取り合わないようにしてた。──人が怖くて、話なんか聞けなかった」
 なるほど、安全確保を優先したが故に(人間不信もあったであろうが)聞けずにいたのか。そりゃ、痛いまま放置されて、あんな酷い事をさせられたら……人が怖くもなるよねえ。おまけに言いなりになるしかないとか、地獄だ。本当、可哀想に。
 ここへ来た当初の記憶が呼び起こされる。青い髪の子も、黒髪を緩く縛った子も、明るめな灰色の髪の子も、毛を逆立てた猫みたいだったよね。「帰れ」だ「来るな」だ喚いて、ちょーっと近付いただけで物理アタックされて……懐かしいなあ。
「それにね、ボクたちぼろぼろで、段々人の形をとれなくなったり、穢れにやられて動けなくなったり──もともと重傷で気を失ってた仲間も多かったから、会話自体できる刀剣男士が少なかったんだよ」
 私の見上げるその子は、格子窓の向こうで俯いた。艶のある金色の髪が垂れ落ち、細い輪郭を隠す。
「そっか……分かった。じゃあ私、斉藤さ──私の担当官に確認してみる。政府の人だよ。ちょっと胡散くさ、いや、まあ大丈夫。うん。頼りにはなるもんね、うん」
「え? それって」
 私の担当官、斉藤。常に微笑みを貼り付けている彼は捉え所のない男ではあるけれど、不誠実ではない(と思う)。ので、私が真面目に聞けばある程度は教えてくれるんじゃあなかろうか。……たぶん。
 間が良いことに、明日はお馴染みのオフィスで出陣の打ち合わせと戦闘訓練だ。斉藤さんともバッチリ会える。んー、一時半にあっちに行って、一、二時間はあれこれやるとして──遅くても夕方までには帰れるよね。
「明日会う予定あるし、その子のこと聞いてくるよ」
「ほんと!?」
 一気に顔を上げた神様は、澄んだ瞳をこぼれ落ちてしまいそうなくらい見開いた。
「うん。あーでも、収穫ナシかもしれないし、悪い報せしかないかもしれない。それでもいい?」
 実りのない結果どころか、絶望しか残らない可能性があることを先に伝えておく。私だってそうなって欲しくはないが、ないとも言い切れないのが本音である。
「うん、うんっ!」
 海と空を混ぜたような眼がうるうると揺れた。繰り返し頷く姿は涙ぐましく、私の心を動かしてくる。
 ──力になってあげたい。もっと私に何かできない?
 母性なのか庇護欲なのか。衝動に駆られ、自ずと口が開く。
「その子のことで私にできることがあったらなんでも言ってね。やれる範囲で協力する。あ、こんちゃんと一緒にこっち側探してみるよ。審神者の不思議パワーで見つけられたりしないかな……裏の竹林とか山も見てこようか? もしかしたらどこかにその子が、ん? 刀が? いるかもしれないもんね。何か分かったらすぐ言うから」
 探索だったら近いうちに取り掛かれそう。こんのすけの帰りを待って相談だ。
「……どうしてそこまでしてくれるの?」
 涙の膜が乾いていない碧眼を瞬かせ、覚束ない声で尋ねてきた付喪神。
「え? だって、仲間とか家族ってみんな揃ってた方がよくない? 私も弟が消えたら……えーっと、私にも弟がいるんだけどね、いなくなったらすっごく悲しい。悲しいどころじゃない。絶対なんとかしたいもん」
 姉である私をからかい、馬鹿にし、おやつを奪う──あんな弟でもやはり大切な肉親である。欲を言うならもう少し姉を敬ってほしいが。
「その子、消えてないといいね」
 するりと喉から出た言葉は、無責任なものだったかもしれない。けれどそれは私の願望でもあった。
 心の底から思う。この子の兄弟が、刀剣男士の仲間の一人が、朱い胴鎧の子が──無事でありますように、と。
「あなたって、本当に……」
 幼さを残す顔がくしゃくしゃになる。
「……本当にあの男とは違うんだね」
 言って、その子は唇をうっすらと綻ばせ──。
 バタン!
 突如鳴り響いた音に心臓が跳ねる。格子窓の向こうでは長い金色の髪が宙に靡き、寸秒もしない間にあの子は後ろを振り返っていて。
 ──何かが起きた。
「おい、撤収だ。いち兄が来た」
「骨喰兄さんと鯰尾兄さんもです! わわ、虎くんは来ちゃだめです」
 初めて聞く声が重なるように流れ込んでくる。それらは切羽詰まっており、状況の変化──おそらく悪化したであろうことを私に予感させた。
「大変!」
「嗅ぎつけられたか」
「うえー、また説教されるよー」
「どうにか話はできたんだ。隠し通すぞ」
 空気を読むに、小さな子たちは見つかりそうになっているらしい。それであの、わ、私は? 私はどうしたらいいのさちょっと。
 騒然とするトイレ内。格子の間にあった金色の頭がすっと消える。お人形さんのような神様が、踏み台となっていた子の背から降りたのだろう。
 この子たち、私を突き出したりしないよね? 上手くやり過ごしてくれればいいんだけど、隙あらば私も逃げた方が──げっ足音近い。よし、逃げよう。土壁に沿って角を曲がれば隠れられる。
「──お前たち、何をしているのですか」
 下肢に力を入れ、逃げの一手でとんずらしようとしてたのに。
 冷たく、険しい男の声に気圧された私の体は、魔法に掛けられたかの如く動かなくなってしまった。

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