雪解け - なんとはなしに

104


「もお、いち兄。何って隠れ鬼でしょっ! あーあ、見つかっちゃったあ」
「……そこで何をしていたのですか」
「隠れてただけだって。なあ厚?」
「そうそう、最初に包丁がここに隠れてて、良い場所だったから後藤と乱となだれ込んだんだよ」
 トイレの中の神様たちは、此度の接触を内緒にすべく、小鳥がちいちい騒ぐように演技をしてくれている。そんな彼らのやり取りを耳にしながら、私は自分の存在を悟られぬよう、浅く、そして長い呼吸をするばかり。
 ……ああ、生きた心地がしない。きっとあの冷ややかな声は水色の髪の刀剣男士のものだ。探していた弟たちを見つけて怪しんでいるんだ。悪い事をしていないかって。
 で、その「悪い事」っていうのは──無論、私と会い、話をしたことだろう。
「ね、もうみんな見つかっちゃったの? 次の鬼はだれ?」
「毛利だ。あいつ、始まってすぐ見つかってたぞ。『そこはやめとけ』って俺っちは言ったんだがなあ」
「へえ、毛利か。……あー、なんかそんな気はしてた」
 やや声が遠くなる。小さな子たちはトイレの外に出たらしい。そのまま行ってしまうのだろうか。であれば御の字なんだけど。
 屋内の状況を察知できるよう、尖らせた神経を使ってアンテナを張り巡らせた。距離ができたせいで若干聞こえの悪い音を拾い、逃げるタイミングを今か今かと推し量る。
 慎重に、慎重に。下手に動いて物音を立てたくない。
 日の当たらない軒下だからか、私の足元に草はほとんど生えておらず、雨で湿った土には運の悪いことに小石が混じっていた。靴と石が擦れてしまったら、音を出して気付かれてしまったら、と思うとヒヤヒヤする。
「ほーら、行こういち兄!」
「鯰尾兄さん、骨喰兄さん、戻りましょう? 虎くんたちも」
 ──ぱたん。
 戸の閉まる音がして、ほっとしたのも束の間。
「乱、何か隠しているね?」
 疑いを孕んだ鋭い語気が、微かな雨音を打ち消した。
「えっ、そん──あっ、いち兄!」
 キイ、と、木の軋む音がする。開けられてしまった。トイレの入り口が。誰かが回れ右して戻ってきたのだ。
 ……どうしよう。怖くて体が動かない。
「いち兄、そこは他に誰も居なかっただろ! 早く戻ろうぜ」
「そうだぞ! みんな探し終わったんだろー!」
 一歩、二歩──……。
 小さな子らよりも重量のある足音は、波乱へのカウントダウン。
 やばい。これは完全に退散するべきだ。私は彼に見つかってはいけない。
 動け、動け、逃げなくてどうすんの!
 弾けた焦りが恐れを上回る。だが遅かった。逃走のための方向転換をしようとしたところで、格子窓からすっと顔が覗く。
 柔らかな緑を交えた水色の髪に、金色の目。弟を前の審神者に消された神様。この本丸で一番、私に敵意を向ける付喪神。
「……骨喰、鯰尾。みんなを奥の座敷へ」
 身も凍りつきそうな表情で私を見下ろす刀剣男士が淡々と言えば、彼の後方から「わかった」「うん」と、二つの返事が聞こえた。
「いち兄、これは……っ!」
「厚、戻りなさい」
「待ってくれいち兄、俺たち」
「薬研もです」
 ぴしゃり。弁明をけんもほろろに撥ね飛ばすそれは、単調なのに凄みがあり──丁寧な話し方だからか、余計にぞっとする。
 彼の登場とオーラのおっかなさに気を呑まれ、微動だにできなかった私であるが、どうにか対応せねばという思いでやっと脳が働き始めた。
 怒ってるよねえ、怒ってるよなあ。
 考えろ。何をどうすれば収まりをつけることができるのか。
「あー、ごめん。散歩でぶらぶらしてたらあの子たちに呼ばれて、……聞きたい事があったみたい。話してただけだから何もしてないよ。痛めつけるとか触るとか、なんにも」
 初手謝罪。私に非があろうとなかろうと、謝っておけば少しは怒気が緩和するのではないかと思って。
 ただ、「私は巻き込まれた側なのだ」ということをさり気なく混ぜておいた。「誘いに乗ったお前が悪い」と言われてしまえばそれまでであるが。
「いち兄! その人、秋田がどこかにいないか時の政府に聞いてくれるって! ボクたちのことだって、仲間同士で戦わせたりしないって……!」
 綺麗な金の髪を持つ、お人形さんのような付喪神の甲高い叫び。しかし、それは無情にも一蹴された。
「乱。戻りなさい」
「っ、その人はあの男とは違うよ!」
「……『戻れ』と言っているのです」
 語勢が強まる。小さな子たちの兄君は、聞く耳を持たないようだ。……私と前の審神者は違うと、あの子が言ってくれたのに。
「いち兄、話を聞いて! 聞いてったら!」
「骨喰、乱を」
「……了解した」
 初めて私に「はじめまして」をくれた神様が、捕獲されそうになっている。あの子は反発しているみたいだけど、水色の髪の刀剣男士は、兄として守ろうとしているだけなんだろうな。大事な大事な弟を。……我ながら難しい場面に出くわしたもんだ。
 兄と弟の衝突。壁一枚を隔てたあちら側がピリピリしていて、自分の事よりも兄弟仲が心配になってきた。「彼らの絆はとても固い」とこんのすけから聞いていたこともあり、尚更。
 ──しまった。「あの子たちに呼ばれて」とか言わなきゃよかった。彼らの間に亀裂を入れてしまうようなことを。……私が保身に走ったせいだ。
「乱、来るんだ」
「やめてよ! 放して!」
 衣擦れの音、何かがぶつかる音、床を強く踏む音──そんなのがいっしょくたになって私の鼓膜を震わせる。あの子、トイレの前で他の付喪神と揉み合いになっているのかもしれない。……大丈夫だろうか。
「いち兄の分からず屋! ばかばか、ばかっ!」
 格子窓の手前に佇む神へ投げつけられる稚拙な罵倒が、どんどん小さくなってゆく。あの子は誰かに捕まり、どこかへ避難させられたのだろう。数分もしないうちに、私と彼の周りは静かになった。絶えず音を鳴らしているのは、天より落つる雨粒のみ。
 彼は何も言わない。私も何も言えない。けれど、どちらもその場から動かない。気詰まりした時が流れ、圧迫感が呼吸を蝕んだ。
 私さえいなければ喧嘩なんぞにならなかったはずである。あの子たちとの会話は有意義(人妻確認してきた子はともかく)だったが、兄弟間にいざこざを巻き起こしてしまった。……火種は私だ。なんだかすごく、申し訳ない。
「あー……ごめんね、兄弟喧嘩させちゃって」
 鉛のように重い雰囲気に耐えかねた私は、居辛さを凌ごうと声を出す。真一文字に結ばれていた彼の唇の端が、引き攣るようにぴくりとした。
「……ごめん。私のせいで」
 負い目を胸に、もう一度謝る。急に悲しくなってきた。私から進んで関わりに行ったわけではないが、無性に後ろめたい。いやもう、自分は仲良し兄弟を引き裂く悪者でしかない気がする。
 ──兄弟喧嘩なんかして欲しくないのに。争いの元になんかなりたくないのに。
「ほんとごめんね。弟さんを想ってやってることなのに、あんな感じで反抗されたらきついよね。でも、あの子たちも悪気があるわけじゃないと思うし、そのうちちゃんと分かってくれるよ。お兄さんが自分たちを守るためにやってるってさ」
 こんな慰め、どの口がほざくのか。
 自責の念で目が泳いだ。格子の間に立つ神様の反応を時折見るが、彼は小揺るぎもせず静止していた。
「早く仲直りできるといいね。……喧嘩の原因な私が言うなって話なんだけど」
 冷たい仮面のような顔して黙り込んでいる付喪神へ、思いのままに話し続ける。伝えたいことはたくさんあるのに、うまくまとまらない。
「えーっと……私、あんたにも弟さんにも他の神様にも酷いことしないよ。前の審神者みたいに味方同士で戦わせ──あ、ごめん、辛いこと掘り返した。もう痛かったりしんどかったりはなしだから、そこは安心して。ね、そっちで困ってることない? もし誰かが怪我したら言ってね。一応私審神者だし、すぐ治」
「やめてください」
 脈絡のない私の話が遮られる。
 無表情だった面持ちが苦しげに歪んだ。整った眉は額の中央に寄り、形の良い唇は食い縛られて──。
「……やめてください」
 顔を片手で覆い、下を向いてしまった彼は、音を喉から絞り出すように訴えてきた。
「そのような事を、言わないでください」
 耳を澄ませていないと聞こえないくらいの、掠れた声。
「──優しくしないでください」
 か細く震える言葉に胸が締め付けられる。
「あなたを、憎みきれなくなってしまう」
 ゆるゆると上げられた見目の良い顔貌は……今にも泣き出してしまいそうなものだった。
 それを見た瞬間、頭のてっぺんから爪先まで電流が駆け抜ける。波のない泉に大岩が落とされたみたいな衝撃を受けた。
 ……見えたのだ。彼の弱さが。心に抱える重苦の片鱗が。複雑な胸中が。
「私たちのことは、どうかそっとしておいてください」
 切々と言い残し、水色の髪の刀剣男士は去っていく。軒下に一人となった私はのろのろと御殿を離れ、しばらくぼうっと黙想していた。
 ──「憎みきれなくなる」、か。
 あの付喪神は私に極悪人であって欲しいのかもしれない。憎む理由ができるから。
 だって、楽だよね。一方的に嫌って怨むのって。私もそうだもん。仕事がどうとか事情がどうとか考えず、神様たちの良いところなんか知らないまま、彼らを「嫌い」でいたかった。それができないから度々悩むし、苦しくなる。
 お兄さん、しんどいんだろうなあ。守ろうとしている弟の反感買うわ、「悪者」にしたい相手が「悪者」っぽくなくて慰めてくるわ──。
 ……どうしてあげたらいいのかな。
 足取り鈍く散歩コースに戻ってみても、冴えない色した長靴はすぐに止まる。敷地の隅にある草地と森の境目で、灰色の世界に埋もれるよう、私はぼんやりと立ち尽くした。

前へ  次へ

139