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どれくらいの時間、物思いに沈んでいただろうか。
「そないなとこに突っ立って、どないしたん?」
やにわに背後から声がして、意識が浮上する。長靴の中の足先が冷たい。厚めの靴下に包まれているにもかかわらず、指の一本一本はじんと痺れていた。
藤巻きを握り直して踵を巡らせば、だだっ広いに原っぱに一口の付喪神。小降りとはいえ雨なのに、どうして外に出てきているのだろう。珍しい。
「や、別に? 散歩中」
疑問に思いつつも口を開く。ひやりとした空気が舌に触れた。秋雨はこの地の気温を随分と下げたらしい。ああ、普段より寒かったから足が悴んでいたのか。
新たな訪問者は腰に下げた刀の柄頭に片手を置き、じりじり近付いてくる。彼の顔に笑みはない。眼鏡の奥の垂れ目は若草色をしていて、気怠げな、けれど穏やかならぬ視線を私へ送っていた。
──この神様、こんのすけと嫌味の言い合いをしてた刀剣男士だ。
記憶の引き出しからあるシーンが飛び出してくる。御殿で包丁の手入れをした日、神々へ着替えを渡す前のこと。
「そないに褒められましてもなあ」
「おやおや、賞賛に聞こえましたか。重傷で永きを過ごす間に、耳が腐り落ちてしまったようで」
「耳ならここに付いてますやろ。見えまへん? そっちこそ、目えが腐り落ちたんと違いますか」
「哀れ。お飾りの眼鏡では視力も矯正できないのですね。この眼のどこが腐り落ちていると?」
「はあ……大した力もない癖に、口ばっかりは達者やなあ」
薄ら寒い微笑を互いに含み、彼とこんのすけは皮肉のドッジボールをしていて。あれは確か、動きやすい服がいるかどうかの話になった時だったな。
ギスギスしたあの応酬を見ていたせいか、この神様に好感は抱けなかった。関わると面倒くさそう。というのが私の所感である。
……もしや適当な口実作って難癖つけに来たのではあるまいな。
注意を払い、対峙する。彼は私から二メートルほど離れた地点で歩みをやめ、じっとこちらを凝視した。殺気立った眼差しではないが、柔らかでもない。
用心するに越したことはないと考え、出方を探るべく、目の前の付喪神を上から下まで眺めてみる。
ズボンからはみ出した白いシャツ──だらしない。
ボタンが外れ大きく開いた胸元──寒々しい。
まあ、気になるのはあそこだな。刀の柄に乗ってる手。ちょっときな臭いよね。
「傘、まだいります? もう雨は止んでますけど」
観察対象は毛先の跳ねた前髪をいじりながらそんなことを言ってきた。黒と紫の間をとったような色の髪は、左側だけヘアピンでまとめられている。
「えっ、ん?」
頭の上をまあるく覆う番傘をどければ、薄く伸びた雲が目に映った。所々に晴れ間も見え、肌を濡らす雫もない。
「ほんとだ。気付かなかった」
天を仰いだまま赤い番傘を下ろし、窄める。太陽が透け、薄雲りの空が明るむ風景は美しかった。
「秋は天気が変わりやすいね」
彼に目線を戻して話しかける。無難な話題を振ったつもりだったが、そこの刀剣男士はうんともすんとも言わない。真顔で黙りこくり、じろじろと見つめられ──居心地が悪くなってきた。
……何。なんなの? 言いたいことがあるならさっさと言えばいいのに。
めげずに話を続けようかと考えるも、彼の態度には違和感があり、単刀直入に尋ねることにした。もう気を遣ったお喋りを継続するだけの気力はない。用事があるならさくっと済ませてくれ。
午前も午後も色々あって、まだもう少し独りになりたいのだ。今の私はらしくもなくナーバスなのである。
「なんか用?」
疲れを隠し、努めて軽いトーンで問うと、彼は髪を触っていた手をぶらつかせる。
「ちょっと聞かせてもらいますけど」
これだよ。待ってましたと言わんばかりの食いつき。
「あんた、蛍に何したん」
藪から棒に、責め口調。何一つさっぱりで、頭にクエスチョンマークが浮かぶ。
「え?」
台詞の構成的に、「私が誰かに何かをしたのか」という質問なのだろうけど──。
「……ごめん、誰それ?」
まず名前が分からない。ほた、ほたる? 虫じゃないよね?
「なんや、名前も覚えてへんの。このくらいの背えで、ちっこいくせにえろうでっかい刀背負うてる刀剣男士ですわ」
小難しい顔をした私へ、神様は手振りを付けて説明してくれる。
小さな背丈で大きい刀。おお、思い当たる子が一振いる。
「あー! 髪の色が明るい灰色で、前髪の両端がピンってしてる子? 帽子とマント、短パン!」
連想した付喪神の特徴を次々に挙げれば、彼はのったりと頷いた。うん、アタリのようだ。
んで、私があの子に何かしたって? ええー? 嘘、いつ、何を? 身に覚えがないんだけど。
「え、私何かやらかした?」
明るい灰色の髪の刀剣男士に意地悪をした記憶はない。というか、ここのところあの子とは会ってないと思う。
それでもドキッとしてしまった。彼が睨むような目つきになったから。
「この前、あんたがこんのすけとこっちに来た日の夜」
それは……錆びた包丁を直してもらって、神様方に新品の衣装を提供した日のこと? 結構前だなー。
眼光炯々とした付喪神は、一拍置いたのちに切り出してくる。
「池の畔で蛍と会いましたやろ?」
──池の畔、会う。
糸を手繰るように過去の出来事を思い起こす。ああ、確かに会った。宵の口の池の畔、桜の下で、あの子と。
「あ……うん」
こんのすけが刀剣男士とやいのやいの口争いをしてたんだよね。「褌一丁」やら「政府の犬」やら。私は気疲れの連続で精神力がゴリゴリに削れてて、ついでに手持ち無沙汰で──なんとなーく静かな方に……桜に向けて足が進んだんだっけ。
来年はお花見がしたい。だから、「次の春には咲きますように」って、祈りを込めて桜に力を送ってた。
そんな時だ。あの子が私に声をかけてきたのは。
「蛍、あんたと話してからすっかり気が塞いでるみたいなんですわ」
「え?」
脳の中身がこんがらがる。
なんで?
惑う心には疑念しかない。
彼の言う通り、私はあの夜、大きな刀の小さな付喪神と間違いなく話をした。しかし、明るい灰色の髪の神様がそうなった契機はちっとも分からない。私はあの子に暴言を吐いてもなければ、冷たくあしらったりもしていないはず。
「いやー……? 私は何もしてないよ? あの子と会いはしたけど、悪口とか言ってもないし、普通に話しただけ」
──ああ、でも。おかしいなーとは思った。ちょびっと。
あの子、自分から話しかけてきた割には「別に」「なんでもない」って素っ気なかったし、無言が多いし……そのくせ、他の神様に呼ばれるまで私の側を離れなかった。去り際には心なしか悲しそうな顔をして、何度も何度も振り返ってきて──。
……そうだ、いつもと様子が違っていた。だけども理由は知らないし、私は傷つけるようなことを言ってない。傷つけようともしていない。「何してるの」、って聞かれたから「桜に力を送ってるよ」って答えて、「来年はお花見をしたいな」って言って。
「それ、ほんまですか?」
「ほんとだよ」
「キツイこと言うたんと違いますか?」
「言ってない! 私は──」
見当もつかぬ嫌疑をかけられ、若干ムキになってしまう。感情的になり過ぎないよう気をつけながら、私は彼にあの夜の一コマをできるだけ細かく伝えた。潔白を示すために。
──が。
「面倒やから手荒いことはしたないんやけど、そないに隠すなら」
鋭利さを増す眼鏡の奥の瞳。神は私を信じなかった。
柄頭に添えられていた手がゆっくりと鞘へ移り、明確な意思を持ってそれを握り締める。鯉口の切られる音がした。
危ない。爆発的に上昇した緊迫感のその裏で、もう一人の私が「久方ぶりに抜刀体勢をとられたな」、なんて呑気な感想を抱く。
ここは御殿の裏手であり、敷地の隅っこでもあった。離れは遠く、安全圏に駆け込むことはまず不可能である。相棒のこんのすけもいない今、頼れるのはポケットの中の携帯のみ。
「ちょっ……なんにも隠してないし、嘘もついてない」
無実を主張しつつ一歩後ずさる。彼は返事をすることなく腰を低く落とした。白い鞘から覗く銀に光る刃は──この付喪神の本体か。
あー、このままだとアレが結界にぶちかまされるのかな、と、脳内にいる第三者な私が冷静に予測する。
刹那。
「国行!」
ずっと向こうで、声がした。