雪解け - なんとはなしに

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 にわかに轟いたそれは、辺りに満ちる張り詰めた空気をひと薙ぎした。場を支配していた重圧感に裂け目が生じる。彼も私も完全に気を取られていた。
 タッタッタッタ──……。
 乱れのないリズムで刻まれる軽快な足音。そちらに目線を移せば、御殿の方から逸散に駆けてきている付喪神の姿があった。私を攻撃しようとしていた刀剣男士も、首を回して後ろを見ている。
 噂をすればなんとやら。突然現れ出たのは、明るい灰色の髪の子だった。
「国行、なんで──っ、やめろよ」
 それなりの距離を休みなく走ってきたその子は、息を切らせ、荒い呼吸をしながら私と彼の真ん中に割って入る。大きな刀のぶら下がる小さな背中が、私の正面にあった。
「……蛍」
 思いがけない来訪に仰天しているのか、眼鏡の奥の垂れ目を瞠る付喪神。しかしそれは一瞬で、彼は跳ねた毛先をいじり、気怠げに肩を竦める。どことなく鬱陶しそうな──バツが悪そうな雰囲気だ。
 私の方は未だに驚きが収まらない。この子、どうして私に後姿を見せてるの? 仲間の応援に来たんじゃないの? 「やめろよ」って何? 相対すべきは私のはず。なんであの神様の前に立ちはだかるような事を。
 ──これって、なんだか。
「何してたの?」
 大太刀の小柄な神様が咎めるように問い質す。眼鏡をかけた刀剣男士は「何にもしてまへん」と返した。鞘を握り締めていた手は今や顔付近にあり、摘んだ髪の毛を指の腹で擦っている。
 どのタイミングで刀から手を外したのだろう。抜刀せんと下げられていた腰の高さだって元に戻っている。まるで最初から自分は何もしていないとでもいうような、見事な転身だ。「やるなあこいつ」と感心する反面、「カーッ、『何にもしてない』ってなにさ。さっきあんた、ぶちかまそうとしてたじゃん。上手に誤魔化しちゃって、むむ、この嘘つきめ!」という不快感がむわっと出てきた。
「国行」
 迫るような低い声。どうやらこの子は先ほどの「何もしていない」発言を疑っているらしい。鋭い子である。いや、どこかで事の流れを見ていたのかもしれないな。
「ほんまやって。少ーし話をしとっただけや」
 眼鏡をかけた神様は両手をぶらぶらさせ、飄々とした素振りでしらばっくれた──が。
「嘘」
 即座にこの子は見抜いた。看破された付喪神の表情が真剣なものに変わる。
「……抜こうとしてたでしょ」
 言い当てられた事実。双方口を閉ざし、ぴくりとも動かなくなった。彼らは目と目で何かを話しているのではないかと思うくらい、じーっと見つめ合っているようで。
 雨音もなく、風や鳥の声もなく、とても静かだった。
「国行」
 暫時の後、明るい灰色の髪の子が沈黙を破る。空言は許さないと言わんばかりの威圧的な声音に、眼鏡をかけた刀剣男士が降参の姿勢を見せた。
「あーあー、わかった。参りました。ただの脅しやって。実際に斬る気なんかありまへん」
 おどけたように胸の前で両手を広げた彼は徐ろに首を振る。半笑いで。
 ……脅し。脅しねえ? コンマ一秒遅かったらザクッと殺られてた気がするんだけどなあ、私には。いや絶対マジだったでしょあんた。
 のらりくらりとした仕草にややイラッとしてしまう。
 道化みたいに振る舞ってあやふやにしようとしてるんじゃないの? もう隠さず言っ──。
「この人にひどいことしないで」
 ──……え?
 心の内でぶちぶちぼやいていた私を襲う、第二の驚き。弾みで「えっ」と漏らしてしまった。
 今この子、なんて言った?
「蛍……」
 眼鏡の彼も愕然としているようだ。そりゃそうだよね、だってあれ──。
「国行、戻って。あっち行って」
 その子は呆気にとられている付喪神の袖を引っ張り、半ば強引に私から遠ざける。
「おーい! 蛍、国行ー!」
 ここで別の刀剣男士が登場。溌剌とした声で彼らの名らしき単語を張り上げながら参上したのは、赤く短い髪の小さな神様。これまで色んな付喪神を見てきたけれど、この子は初めてお目にかかる。へえ、赤毛か。
 ぜいはあと肩で息をする彼の片手には、鞘付きの刀が握られていた。眼鏡をかけた神様の物よりも小さい。刀の大きさ的に「短刀」の刀剣男士なのかな。
 放心しかけの頭で考え、ほけーっと三振りを見渡した。激震直後の精神は今尚ふわふわしている。
「この人にひどいことしないで」という言葉が、揺るぎない声が、どうしようもなく耳から離れないのだ。
「国俊、ちょうど良かった。国行連れて帰っといて。んっ」
 眼鏡をかけた付喪神の腕が差し出され、赤髪の子は目をパチクリさせた。
「はあ!? どういうことなんだよ!?」
 到着するが否や「こいつを連れて帰れ」と言われ、訳が分からないのだろう。素っ頓狂な声をあげるのも無理はない。何が何やら分からないという感じか。
「いいから早く。ほら!」
 赤髪の子が事態を把握できていないのもおかまいなく、大太刀の付喪神は眼鏡をかけた神様の腕を押し付ける。
「はい。連れて帰っといて」
 その勢いに呑まれたのか、赤髪の子は袖から覗く白い手首をそろりと掴んだ。
「蛍も帰るんやろ?」
「……俺は後で戻る」
「そんなん、あきま」
「ちゃんと戻るから」
 眼鏡をかけた神様の台詞を、確固たる語気で阻んだその子。意志は固そうである。
「けどお前、大丈夫なのかよ」
 託された腕を捕らえたまま、赤髪の子が私を一瞥した。警戒心を含む尖った視線。明るい灰色の髪の子を心配しているに違いない。
 私と二人きりにさせたくないのか、二人きりにさせたら何か起こると思っているのか。……私はどうもこうもしないのになあ。赤髪の子はまだ私を危険人物と思ってるのかねえ。それとも、眼鏡の刀剣男士と同じく「大太刀の神様を塞ぎ込ませた原因」だって目の敵にしてるとか。
 何ともいえない気持ちにもやっとしたところで、明るい灰色の髪の子が深く頷き、口を開く。
「大丈夫」
 はっきりとした返答はどこか不安げで、けれど引かぬ強さがあった。赤髪の子はしばらく大太刀の神様を凝視し、やがて諦めたのか納得したのか、吐息とともに「そうか」と呟く。
「わかった。早く帰ってこいよな」
「うん」
 短く首を縦に振る、大きな刀の付喪神。気がかりの残る顔で彼を眺めていた赤髪の子だったが、程なく物言いたげな眼鏡の神様を引き連れ、御殿への帰路につく。
 十歩もいかないうちに「なんもないうちに戻ってくるんやで」と見返ったのは、もちろん眼鏡をかけた刀剣男士だ。
「大丈夫だってば」
 突っぱねるように言ったその子は、去りゆく二振りを見張るように目で追跡している。垣間見た横顔は少々険しい。赤髪の子と眼鏡の神様が建物の影に消えるまで、それは続いた。
 私の眼前にある、大きな刀を担いだ背中。私よりも身長は低くて、子供のような体つきをしているというのに、不思議と彼の背が広く見える。
「この人にひどいことしないで」
 不意に再生された音が、じんわりと胸に染み渡る。
 ──この子は私に背を向けていた。私ではなく仲間の前に立ち塞がり、私を責めず、仲間を止めた。仲間に加勢することなく、逆に批難めいた態度を取って。
 あの子が。……あの子が、だ。
「帰れ」だの「審神者は不要」だの散々吠え、挨拶しようとしただけで斬りつけてきて、声をかける度に嫌悪を露わにしていたあの子が。
 ……なんだ、さっきの。
 喧嘩腰だった神様を制止し、「ひどいことしないで」と戒め──あたかも私を守ってくれたかのようではないか。
 そう、いつもこんのすけがしてくれているみたいに。

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