雪解け - なんとはなしに

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 日が沈んで夜になり、半纏を着込んで庭に出る。提灯を組み立てるのが面倒で、携帯のライト機能を使って行く先の小道を照らした。
 虫の声ひとつとない、時が止まったかのように静謐な暮夜。
 ディスプレイの時計が七時ぴったりになると、白い閃光が闇をつんざく。こんのすけのお戻りだ。
「おかえりこんちゃん! おいでー」
 目の眩んだまま両手を差し出せば、「ただいま帰参致しました」という言葉と共に、小さな狐が胸に飛び込んできた。少しごわごわした毛並みを体ごと抱き締め、大好きで大切な私の唯一を五感で確かめる。
 ひどく安心した。重い気分もモヤモヤも、どこかに置いてきてしまったかのように忘れられて。
「主様、お出迎えなど勿体のうございます」
 腕の中にすっぽり収まるこんのすけ。その身は温かだったけれど、肉球は若干冷たい。
「好きでやってるからいーの。お疲れ様」
 平たいおでこ、耳の付け根、滑らかな背──携帯を持ってない手で順々に撫でてやる。
 その時、ガラガラガラ、と音がした。咄嗟にそちらを向くも、暗くて可視できない。だが、音の質と距離からして、御殿の玄関が開いたであろうことを推察する。
 ……誰か出てきたのかな。
 暗闇に目を配れば、こんのすけが鼻をすんすんひくつかせた。
「ふうむ……物吉貞宗、ですか」
 匂いで判別しているのだろうか。彼の溢したそれは私の知らない名であった。
 草を踏みしめる足音が段々近寄ってくる。音は建物の影を抜け、「誰か」は幽かな星の明かりに晒された。そう高くない身長に華奢な体、すらりと伸びた手足──夜の庭に一つのシルエットが生まれる。
「こんばんは。こんのすけ、帰ってきたんですね。『おかえり』の声が縁側まで聞こえてきましたよ」
 ゆったりとした丸い声に言われ、俄然きまりが悪くなる。そこまで届いていたなんて思いもしなかった。こっ恥ずかしい。
「え、嘘。そんなにおっきい声出したつもりはなかったんだけどな」
 顔に集まる熱を感じつつ返事をすると、結界の手前に立つその神様は、ふっと息を吐くような笑いを漏らす。
「すごく嬉しそうな声でした」
「んー、うー……まあ、嬉しいは嬉しいからねえ」
 含羞でもごもごしている私の首筋に、小さな狐がそっと頭を擦り付けてきた。考えるより先に手が動いて、柔らかな顎の下をこちょこちょとくすぐる。こんのすけとのスキンシップは条件反射みたいなものだ。
「本当に仲が良いんですね」
 彼は再度笑い、私に背を向ける。言葉を返す間はなかった。もとい、返答など求めていないかのようだった。
「……少し、羨ましいです」
 密やかな晩秋の夜、冷たい空気に触れた朧げなそれは、煙のように消えてゆく。
 付喪神は振り向かない。何も言わない。来た時と同じ速さで御殿へ戻って行った彼の表情は、最後まで分からなかった。

 *

 離れに帰って夕食を摂り、炭を焚べた火鉢にあたりながら今日起きた事をこんのすけに話す。トピックスは多彩で、私は休みなく口を動かした。
 あれやこれやと手伝いの志願をしてきた神様のこと、トイレの中から話しかけてきた小さな神様たちのこと、その子らのお兄さんのこと──そして、消された子のこと。
「本当にその子は消えたのか」「探せばどこかに居るのではないか」「私に何かできる事はないか」と、間断なく相談する。さすれば、こんのすけは難しそうな顔をした。
「当本丸に、秋田藤四郎の反応は……残念ながらございません」
 頭を垂れ、苦しげに声を絞り出す小さな狐。彼の説明によると、政府の式神たる「管狐」には刀剣男士の気配を感知する能力があるんだとか。そんな力を持つこんのすけが何も感じないということは──。
 この閉ざされた空間のどこにも、例の神様は居ない。
 こんのすけの回答にがっかりはしたが、それでも希望を断ち切れなくて、「気配がないだけだよね? 斉藤さんにだってまだ確認してないし、探してみようよ。やれる事はやりたい」と、前のめりに力説する。
「……そう、ですね」
 やがて顔を上げたこんのすけは、弱々しい笑みを浮かべて頷いた。
「ですが主様、先ほども申しましたが、秋田藤四郎の気配は皆無です。望みはかなり薄いでしょう。……見つからなくとも、あまり悲観なさらぬように」
「うん……分かった」
 こんのすけは「捜索は無駄だ」と言いたいのだろう。でも、私の主張に付き合ってくれようとしている。優しい狐だ。探し出せなかった時のことを考えた念押しは、私が凹んでしまわないためのもの。
 明日から始める人探しならぬ神探し。畑仕事の合間、ご飯を炊いてる間、洗濯物を干した後──ちょっとした時間にあらゆる所を当たってみよう。
 刻は足早に過ぎてゆき、長い話が一段落した。熱い茶を啜ってふと思い出したのは、土日で完成させた小さな狐に贈る服。
 せっかく作ったというのに、銀行印を失くしたり疲れて寝ちゃったりで、作りっぱなしにしてしまっていたそれ。
「こんちゃん、ちょっと」
 そのままなんてもったいないではないか。あの服を着たこんのすけをぜひ見たい。サイズ合わせはしっかりやったつもりだけど、着心地が気になるし。
「はい。どうなさいました?」
 座布団の上に行儀良く座っている管狐は耳をぴくぴくさせ、立ち上がった私を見た。
「服、服。待ってね……」
 ええと、どこに閉まったっけ。
 逸る気持ちを抑え、お泊り用バッグや箪笥を漁る。見つけ出したのは小さな服だ。ローズレッドの生地に白い小花が散る柄のそれは、ミシン縫いなので縫い目自体は綺麗。しかし、糸の列が少々歪んでいる箇所もある。手作り故の味だと胸を張りたいが、こんのすけは気にするだろうか。
「これ、着てみてよ」
 言って、こんのすけに服を差し出す。彼は破顔し、尻尾を振って喜んでくれた。ワンポイントで入れた「こんのすけ」の名前の刺繍も気に入ったようで、私もとても嬉しくなる。慣れないことで大変だったけど、作って良かった。よっしゃ、次は手編みのマフラーか腹巻きだな。
 初めて服を着るため、着用方法が分からないという小さな狐。手取り足取り着方を教える途中、なんの流れか尻を叩けとせがんできた刀剣男士と、露出狂疑いのある付喪神の話になる。したらば、こんのすけはご機嫌一転、目をまん丸にし、その後眉根に般若面顔負けの皺を刻んだ。
「そのような無礼を……なんたること!」
 まだボタンを留め終えてないというのに、こんのすけは私の腕からぴょいんと脱する。
「ちょっ、こんちゃ」
「止めてくださいますな、主様。きつく戒飭していたにもかかわらず、亀甲貞宗ときたら……千子村正まで……!」
「こんちゃん、だっ大丈夫。びっくりしたけど害はなかったから。ほらおいで、おいでー!」
 今すぐにでもお説教に行ってしまいそうなこんのすけを押しとどめ、どうにか宥めすかしながら風呂場へ連れ込む。服の試着は一瞬で終わってしまった。撮影会したかったんだけどなあ。ま、明日着てもらえばいいや。
 ぷりぷり怒っていたこんのすけも、温泉に浸かれば大人しくなる。お風呂は心の洗浄だ。湯船に体を沈めて息を吐ききれば、一日がリセットされる。
 私は髪の毛を、こんのすけは体毛をよく乾かし、雑に敷いた布団へ寝転んだ。一人と一匹で植物図鑑を眺め、眠気の訪れを待って行灯の火を消す。夜は十分深まった。
「おやすみ」
「はい。おやすみなさいませ。良い夢を」
「こんちゃんもね」
「主様の腕の中で見る夢は、どれも良いものばかりですよ」
「ええ? そりゃーよかった。今日も私に潰されないように上手に寝てよ」
「もちろん」
 二人で笑って、瞼を閉じる。
 私の住んでいた世界とは違うこの地。車の音もしない。酔っぱらい親父の怒鳴り声もしない。猫の喧嘩も聞こえない。
 しんとした部屋で目を瞑った状態でいると、大抵沈吟してしまうもので。
 私はいつ、あの日のアレを消化できるんだろう。いつになったら神様たちを信頼できるんだろう。……この先、ちゃんとやっていけるのかな。
 寝しなにそんな事を考え、胸の奥底で蠢くもやもやにそっと蓋をする。山々に囲まれた本丸の夜は、どこまでも閑寂としていた。

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