雪解け - なんとはなしに

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 きつく閉じた瞼の外側で光の氾濫が収まる。足が宙に遊ぶ感覚が消え、靴越しに硬く平らな台が触れた。
「すみません遅れました!」
 目を開けるより先に頭を下げる。この装置を操作するスペースに居るであろう、担当官へ向けて。
「いえ、構いませんよ。あなたが遅刻するのは初めてですかねえ。およそ十分ですが」
 地下室に響く温和な声。そこに怒りや呆れは含まれてなさそうであり、ほっとする。折り曲げていた体を真っ直ぐにすれば、お馴染みの男が姿勢良く立っていた。
「本っ当にすみません」
 視線を交えてすぐ、重ねて謝る。感情の色が見えない糸目は相変わらずだ。口元にこびり付いた薄い笑いも。
「気にしないでください。何かトラブルでも?」
「ないです。あの、お別れが少し長引いてしまって」
「おや……そうでしたか。お別れというのは、こんのすけとの?」
「あー、いや、神様たち……ですかね」
 といっても「お別れ」ではなく、「お願い」だったり「尋問」だったりなんだけど。
「それはそれは。刀剣男士も見送りをしていたのですね」
「え? うーん……たぶん、一応?」
 あれを見送りと言ってよいのだろうか。いや、違う気がする。
「ふふふ、奥歯に物が挟まったような言い方をして。着実に打ち解けているようで何よりですよ。さあ、行きましょうか」
 コツ、コツと小気味良い靴音を鳴らし、こちらまで来た斉藤さん。自然な動作で差し伸べられた手には、白い手袋がはめられている。
「どうぞ」
 一人で降りられないことはないが、私の立つメタリックな台座は少々高い。移動しやすいように配慮してくれているのだろう。
 掴みどころのない男のくせに、全くもって紳士である。

 *

 まずは敵の種類や能力、倒し方の復習。次に戦闘における立ち回りの講義。
 斉藤さんは分かり易く丁寧に、且つ根気よく教えてくれ、なんとか全部脳みそに叩き込めた。今日得た知識を忘れないようにしないとね。ノートもとったし、斉藤さんお手製の冊子ももらったし……本丸に戻っておさらいしよう。来週には初陣だ。
 座学が終わって間もなく、模擬戦へ移る。私が派遣される戦場の敵に合わせた強さの仮想部隊と何度かやり合い、政府の造った異形の化け物を消していった。「消した」なんてかっこいい事言っても、前と同じで私は立ってるだけ。
 注意すべきは、突進の衝撃で転ばないように踏ん張ることと、結界に亀裂が入らないよう力のコントロールをすることくらい。こんなに楽でいいのかなあと思ったが、ぶつかってきた敵が何体か霧散すると、脱力感やめまいが出てきた。
 燃費が悪い。まだ数えるほどしか倒せていないのに。
 やはり私の力はちっぽけで、大した戦力にはならないのだろう。斉藤さんの話によると、無尽蔵に力を使え、最難関の戦場にも単騎出陣し、毎回勝ち星をあげる(それも無傷で)審神者もいるというのだから、すごいもんだ。
「お疲れのようですね。休憩しませんか? あなたのお好きな紅茶を淹れましょう」
 不調の出てきた私の体を気にし、斉藤さんが応接間にお茶の準備をしてくれた。
 湯気の立つ香り高いそれ。彼の紅茶を飲めるのは嬉しい。何せすごく美味しいのである。
 我らが担当官に礼を言い、高級そうなティーカップをそっと持ち上げる。琥珀色の液体をちびちびと頂けば、温かさと甘い風味に気分がほぐれた。体全体から力を抜くように息をふーっと吐き、リラックス。全身のだるさが薄れたような気がした。
 ──今ならゆっくり話せるかな。一休みのこの時間を活用しよう。
「あの、少しいいですか? 聞きたいことがあるんです」
 程々にくつろいだところで、私は任務に取り掛かった。
 ソーサーへカップを置く。クッションに預けていた背はピシッと伸ばし、居住まいを正した。斉藤さんは眉一つ動かさない。
 心を映さぬ無機質な糸目、角度の変わらぬ唇の端。生きた人間なのかと疑ってしまいそうになるくらい、その男は静止していた。彼が時々見せる不気味さだ。
「ええ、どうぞどうぞ。私に答えられる範囲であれば、何でも」
 時が解凍されたかのように、斉藤さんの口や顔が動き出す。わざとらしく抑揚をつけた声が胡散臭い。縛りを設けやがったし。抜かりないよね、この人。たぶん、「答えられる範囲」以外は誤魔化すぞ。
「……日曜にもちょっとだけ話に出てきた、前の審神者に消された神様なんですけどね」
 二つある本日の任務。まず最初は、消された刀剣男士について。
「はい」
 真向かいのソファーに座る担当官が相槌をうつ。
「その子、本当に消えちゃってるんですか? 実は本丸のどこかに居るとか、こっそり政府で保護してるとか……は、ないですかね。その子が消された現場を誰も見てないそうなんです。だから、ひょっとすると……って」
 脳裏を過ぎったのは、天使の輪が輝く金の髪に、南国の空と海を閉じ込めたような瞳を持つ、お人形さんみたいな付喪神。しかと記憶に刻まれたあの子の悲しそうな面持ちが、私の声の調子を落とした。
「……」
 顔色を変えぬまま、斉藤さんは黙り込む。次いで、膝の上に乗せていた両手を組み、「残念ですが」と口を開いた。
「刀剣男士の気配を察知する能力がある管狐(こんのすけ)も、あなたの赴任地を間接的に管理している時の政府も──秋田藤四郎の反応を感取できません。すなわちそれは、あの本丸に秋田藤四郎が存在していないことを意味します。完全な消失です。かの刀剣男士の破壊は我々が介入する前に起こっていたため、救助も保護も行えなかった」
 平坦な声で紡がれる答酬に、胸がどんどん重たくなる。溶けた鉛を流し込まれているかのようだ。
「そう……ですか。あの、でも」
「シビアなことを言いますが、かつてあの本丸で顕現された秋田藤四郎はいません。どこにも」
 受け入れられなくて、希望を捨てたくなくて──そんな私を、斉藤さんはぺしゃんこにした。
 この男に悪気がないのは分かっている。現実を真摯に教えてくれているのも分かっている。消された子が生きている可能性は低いということも、こんのすけとの話で知っていた。
 それなのにショックで。
 朱い胴鎧の子はいないんだ。探しても見つからないんだ。彼らの仲間は欠けたままなんだ。
 そう思うと、ツンと目頭が熱くなる。突きつけられた「現実」があまりにも悲し過ぎて、言葉を失ってしまった。帰ってこれを伝えた時、お人形さんのような神様は、消された子の兄弟は、お兄さんは──。
「斉藤さん、その子が消えた場所って分かりますか?」
 何か残された物があれば。そして、もしも奇跡が起こるなら。
 諦め悪く聞いてみるも、担当官は静かに首を横に振り、「詳しい位置までは」と口を濁した。
「……辛そうな顔をしていますね。刀剣男士は嫌いなのではなかったのですか」
 どうにか気持ちを制御し、滲みそうな涙を引っ込めんとしていた私へ、斉藤さんが飄々と訊ねてくる。
 なんじゃこの男は。今それ聞く? んもー。
「前と違って別に嫌ってはないですよ。許せないことが何個かあったのと、少し苦手っていうだけで。あの神様たち、性格良さそうですし」
「それは良かった。以前伝えたでしょう? 彼らは気のよい神なのです」
 話題を逸らされたように思ったけれど、噛み付く元気も反論する理由もなく。
 だって──その通りだったのだ。神々との関わりのなかで、私は彼らの人間味、素直さ、苦悩に触れた。苦手意識は消えずとも、「本当はみんな良い子なんだろうなあ」くらいには思えるようになっている。
 とは言え、刀剣男士の本質や気性についてまだまだ知らない部分が多い。絶対に全員無害とは断定できないが、今の私は付喪神たちを心の底から嫌えなくなっていた。

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