113
「他に知りたい事はありませんか」
朱い胴鎧の子の消息が絶望的で気落ちしていたが、斉藤さんの声にハッとする。
ああ、私にはもう一つ任務があるではないか。
「あ、はい。あります。知りたい事というか確認なんですけど、時の政府は神様たちを雑に使ったりしないですよね? 利用するだけして捨てたり、無茶な要請をしたり、審神者(わたし)を通して怪我させたり、苦しめたり……」
ピクリともしない男の様子を両の目で探りつつ、言葉を続ける。神々の不安や猜疑心を払拭するためにも、斉藤さんには──時の政府には誠意ある対応をして欲しい。
「すみません。すごく失礼なことを言ってるのは分かってます。ええっと、あそこの神様たち、私だけじゃなくて政府も警戒してるみたいで」
担当官に気を遣いながら事情を説明。内容が内容だけに前もって詫びを入れた。政府の役人たる斉藤さんが不快にならないかドキドキしていたけれど、彼は例の面様を保っている。
「存じていますよ。政府関係者もことごとく追い払われていましたからね。ご安心ください。我々は刀剣男士に損害を与えません」
「それ本当ですか。ないとは思いますけど、あの子たちにひどいことしないって約束してくれますか? 審神者が原因であれ、時の政府が原因であれ、あそこの神様にはもう大変な目に遭って欲しくないんです」
情け心、庇護欲──日、月、火のたった三日で膨らんだそれら。斉藤さんの励ましや、付喪神との交流が効いたのだろう。
ソファーに座る男を、固唾を呑んで凝視する。彼は大きく頷き「はい」と言った。
「斉藤さんだけじゃなくて、政府全体でですよ」
「ええ、当然です」
私の念押しに対して、もう一度首を縦に振る担当官。
「歴史を守るにあたり、刀剣男士は極めて重要な協力者です。我々は彼らに時間遡行軍との戦いを委任していますが、無謀な出陣を要請するつもりはありません。ただまあ、そこは彼らの『主』である審神者の判断によりますがね」
重要な協力者と聞いて胸を撫で下ろした。ほーら、やっぱり政府は付喪神たちのことを大事に思っているではないか。刀剣男士は勘ぐり過ぎなのだ。
──で、「審神者の判断による」というのは?
「審神者の……? じゃあ、政府の施策にそこまで従わなくてもいいってことですか」
「はい。我々『時の政府』はあくまで任務の告達をするのみ。実行するか否かは各本丸の審神者の裁量に任せてあります」
「……へえ」
「審神者もひとりの人間です。才も思考も千差万別。任務への取り組み方や刀剣男士との接し方等──個人の自由ですね、そこそこは」
「そうだったんですか」
なんと、時の政府はそこまで柔軟な体質をしていたのか。見上げたものだ。
心の中で密かに「いいね」のボタンを押す。ほっと気を緩めていた私だったが、一拍遅れで気がかりが生じた。胸へと差したある人物の影は濃い。
「前の審神者さんは、神様たちにかなり負担をかけてたんですよね。戦いを強制して、傷も治さず放置して……人としてどうかと思うようなこともさせて」
やっぱりトチ狂っている。血で血を洗う仲間同士の斬り合いを強いるなど。
……まさか、刀の主人となった人間(さにわ)がよしとすれば、そんな残虐非道も許されてしまうのだろうか。
「あれは目に余りました。納得と同意があればまだしも、彼は言霊で刀剣男士を縛り、操っていた。モラルに反します」
はあ、よかった。「一般人」とは言い難いけど、斉藤さんは正常だ。だが、だからこそ不可解に感じる。
刀に宿った付喪神を「重要な協力者」と位置づけ、まともな倫理観も持ち合わせているというのに、なぜ前任の汚行が野放しにされていたのだろう。連絡役であるこんのすけが身動き取れないようにされていたとは聞いていたが、その審神者の担当官は……?
止めるでしょ? 普通なら。
「斉藤さん、前の審神者に担当官っていたんですか?」
不審に思って問う。
あの地に住まう神々の、不幸で凄惨な過去。前任の非道を暴き、正すような誰かがいれば、彼らは。
「……ええ、いましたよ」
斉藤さんは眠るように瞼を下ろし、深い息を漏らした。ほんの僅かに応接間の空気が揺らぐ。
「じゃあどうして……どうして早くに分からなかったんですか? あそこの神様たちがあんなことになる前に、なんとかならなかったんですか?」
責めたって仕方がない。それでも声を昂じてしまった。
不躾に詮索する私を叱りもせず、政府の役人は悠々と目を瞬かせる。束の間降った沈黙で室内がしんとした。カチコチ喋り立てているのは、壁にくっつく丸い時計だけ。
何かを惟るような黙り方をしていた斉藤さんだったが、一つ二つと時が流れたのち、喉から音を発し始めた。
「気立ての良い利発な方でしたねえ、彼女は」
いとも優しい声遣い。安っぽかった笑みには奥行きが出ている。
質問の返事はもらえなかった。けれど、これは大切な話だと直感で悟った私は、彼の声に耳を傾ける。頓珍漢なことを言ってはぐらかしているのではなく、最後はきちんと答えに繋がるはずだ。おそらくは。
「前任の審神者には──強大な力を有していたあの男には、もともと人格や精神面に問題がありました。ですが、歴史修正主義者の猛攻によって大打撃を与えられ、苦境に立たされていた当時の政府は、それを承知で彼を引き入れた。何しろ曰く付きの男でしたからね。担当官には頭脳明晰で経験豊富な、つまり優秀な『彼女』が選ばれたのです」
私の知らない話がすらすらと物語られる。神経を集中させていたせいか、斉藤さんの小さな息継ぎでさえ鮮明に聞こえた。
「『彼女』は忠誠心も厚く、厄介事を託されたというのに嫌な顔ひとつしなかった。ひたむきに職務に当たっていましたよ。彼女の担当したあの男は次々に刀剣男士を顕現し、怒涛の躍進を遂げました。危惧していたアクシデントの報せもなく、我々は辛くも窮地を脱した。これには上役たちも小躍りして喜んでいました」
所々についたイントネーションの強弱。昔を懐かしんでいるみたいな言い様で、きっと今、彼の目には「その頃」の情景がまざまざと浮かんでいるのだろう。
「しかし──予期せぬ事態は水面下で産まれていた。我々のたった一つの誤算でした」
台詞を切り、ソファーで手を組む斉藤さんは糸のように細い双眸を微かに広げた。
「彼女は、あの男に恋をしてしまったのです」
「……恋、を?」
驚いて復唱する。担当官が審神者に恋。未来人との恋愛など毛ほども頭になかった私からすると、強烈だった。
「ええ。生きる時代の異なる者同士は何があっても結ばれてはならない。彼女も重々分かっていたはずなのですがね」
白い手袋に包まれた指がもぞりと蠢く。
「『恋は盲目』、というでしょう? 『優秀』だった担当官は、内部データの改竄、虚偽の報告を行い、惨事を首尾良く隠しました。好いた男を政府に取り上げられたくなかったのでしょう。上が彼女を信頼し切っていたこともあり、情けなくも我々は異変を見抜けなかった。四六時中の出陣、極端に少ない手入れ、公徳心の欠如した行為──刀剣男士の憎悪に染まった血と神気によって、あの地はどんどん穢れていったのです」
先の審神者の所業が早期発見されなかったのには、そんな訳が……。
裏事情に驚愕し、口腔内の唾を飲み込んだ。仄かな紅茶の味がしたが、乱れた気持ちは落ち着きそうもない。
「そして、秋田藤四郎がロストした」
暖房のきいた温かな応接室。だのに、背筋がぞくぞくする。
「刀剣破壊。刀解でないそれは、本来戦場で起こるもの。位低くも『神』たる彼らが消滅に至る深手を負うのは、時間遡行軍の痛撃でしか有り得ない。されど、ロスト反応があったのは、合戦場ではなく本丸内でした。幸いなことに、彼女が工作する前にデータが飛んできたのです。我々はようやく異状を疑い始め、やっと調査が入ります。あの男の担当官である彼女も審問され……後はあっという間ですよ」
過酷な日々は永かったわりにあっけなく終わったらしい。発覚してからの対処は迅速だったのか。
「男は審神者の任を解かれた。担当官は──ああ、よしましょう。我々は穢れに穢れた本丸の浄化に乗り出しましたが、殺気溢れる刀剣男士に門前払いを食わされるばかり。時間だけが虚しく過ぎ、やがてあなたが送り込まれる。そこから先はあなたも知る所でしょう」
「あ……はい」
気の抜けた声しか出なかった。驚きは後を引いていたし、今の話で半ば混乱していて──。
「その、女の担当官さんは……誰にも相談せず、なんで」
懸命に働かせている頭の中はごちゃごちゃしており、訊きたいことがまとまっていない。美味な紅茶で潤っていた口は、からからに乾いていた。
「自分が更生させるつもりでいたようです。愛の力とやらでね。叶いませんでしたが」
言って、斉藤さんは両肩をくいっと上げる。おどけたようでも呆れたようでもなく、どことなく物悲しそうだった。もしかすると、斉藤さんと「彼女」は親しい仲だったのかもしれない。
……それにしても、時の政府は大丈夫なんだろうか。神様を虐待するほど精神を病んだ人間を雇用するのはどうかと思うし、色恋沙汰で失敗しているというのに、なぜ私についている担当官は異性なの。
いや、斉藤さんが私に惚れてしまうと言っているのではなく、担当官の割り振りの見直しとか、担当官を主と副に分けて二人にするとか、そういったことはきちんとしてあるのだろうかと。対策、練ったの? って。
腹の内で政府の首脳部を訝しむなり、斉藤さんが声をあげる。
「ご心配は要りません。私は人を愛せないので」
恐ろしく淡々とした声音だった。瞼の間にうっすら覗く黒眼が怖い。微笑んで口にするような台詞ではないだろう。
この男は「あなたを好きになりません」ではなく、「人を愛せない」と言った。
背を這うぞわぞわ感がより一層強くなる。「時の政府」という機関の闇というか、得体の知れなさが見えた気がした。