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斉藤さんが手帳を捲り、今後の予定をぺらぺらと読み上げていく。後味の悪い休憩は切り上げられ、場所は応接間のまま、スケジュールの再確認が行われた。
当初の日程に変更はない。明後日の木曜に最終調整をし、来週火曜の初陣に備え、週末は体調を整える。いよいよだと思うと身が引き締まった。
ああ、木曜日はこんのすけも連れてきて欲しいそうだ。仕事の一環ではあれど、相棒と共に行動できるのは純粋に嬉しい。
巻き込んでしまったことへの心苦しさはある。大事なあの子を物騒なお勤めに付き合わせるなんて。
危なくなった時を考えると不安になるが……今更こんのすけに「やっぱりお留守番してて」と頼んでも、取り合ってはくれないだろう。十中八九、怒る。
……まあ、こんのすけは私が守ればいいもんね。あの子、「主様に守って頂くなどとんでもございません」って言いそうだけど。
うん、お互いを守り合えばいいんだ。どっちも怪我をしないように。
話を済ませた担当官がティーセットを片付ける間、私はシンプルな壁掛けカレンダーを眺め、人知れず決意を改めた。
*
「では明後日、同じ時間に」
上の階よりも気温の低い、ひんやりとした地下室。次元を越える謎めいた装置に乗った私へ、斉藤さんがにこやかに言う。
「はい。明後日の木曜、十三時ですよね。次は遅れずに来ます。すみませんでした」
今日の遅刻を再び謝罪するも、彼は作り物のような微笑みを絶やさない。
「お気になさらず。ですが、遅くなる際は連絡をください。審神者は時の政府の宝。貴重な人材に何かあったのではないかと思うと、私も心配になりますから」
「う、すみません……そうします。本当に申し訳ないです」
「ふふ、謝り過ぎですよ。あちらに戻った後は、食事と睡眠をしっかりとってくださいね。力の回復にはそれが一番です」
平謝りしかできない私に気を回してか、斉藤さんが別の話題を振ってくれた。配慮させてばっかりでいかんなあ。
「あ……分かりました。たくさん食べてたくさん寝ます」
そう答えると、私のミステリアスな担当官は「その意気です」と低く掠れた笑いを漏らす。罪悪感がちょっぴり薄れ、私もつられて頬を緩めてしまった。
「さて、帰り支度といきましょう」
私の乗るメタリックな台座から離れた斉藤さんは、革靴の音を響かせながら機械のひしめく一角へと歩いてゆく。キーを打ったり、スイッチを押したり、レバーを引いたり──いくつかの操作がなされ、私はそれを何気なく見つめていた。
「──お戻りになる前に一つ」
突然男が話し出し、少しびくっとしてしまう。作動の用意が整ったのか、機器をいじっていた手はもう動いていない。
「『彼女』の話ですが、できればご内密に。刀剣男士はもちろん、こんのすけですら知らぬ事ですので。まあ、彼らとの和解にどうしても必要とあらば、どうぞ」
ぬっと上げられた顔は、生気のないいつもの仮面。
「えっ。……はい」
胸間が渦を巻く。真実を告げたい気持ちと、告げてしまってよいのだろうかという気持ち。
政府の非を隠さずに伝え、組織に与(くみ)する者として、また「人」として謝りたい。だが、伝えたことで神様やこんのすけが人間嫌いを再燃させたら──? 恋にうつつを抜かし罪を犯した「彼女」を、精神異常者を起用した時の政府を、彼らは怨むだろうか。
「転送を始めてもよろしいですか」
「あ、大丈夫です。お願いします」
生まれたての煩雑な悩みを一時中止し、台座の上でスタンバイする。空間転移で重力が崩れても、バランスを取るコツがあるのだ。肝になるのは体幹と足先ね。
「あまりもたもたしていては、こんのすけが気を揉んでしまいます。あなたの管狐の首が伸び切ってはいけません」
軽口を叩いた斉藤さんの手元が動く。パチ、と、キレの良い音が静かな地下室に鳴った。
「斉藤さん、約束ですよ。あそこの神様たちを傷付けないってこと」
白光に包まれる間際に釘を刺せば、担当官は頷いた。眩む視界の中心で。
「ええ。確かに」
その音を聞き届けた途端、地盤が抜けたかのような浮遊感に五体が支配される。眼の中が白でぎゅうぎゅうになり、追って暗転。
──そろそろ「あっち」だろうな。
下半身に力を入れると、重さの戻った体が地に吸い寄せられた。
柔らかな草と逞しい大地への着地。うむ、タイミングばっちりである。
「おかえりなさいませ」
世界が秋色の本丸に切り替わった。始めに耳が拾ったのは、可愛い可愛い相棒の声だ。
「ただいま、こんちゃん」
白から黒、そして白。急激な明暗の変化に二回ほど瞬いて目を慣らす。見知った景色をぐるりと眺め、こんのすけと何振りかの──いや何十振りかの神様が近辺に居ることを視認した。
瞬刻フラッシュバックしたあの日の光景。白眼視してきた無数の神、隠そうともしない嫌悪、打ちのめされた自分……嫌な汗が吹き出そうになるが、すんでのところでまるごと封じ込める。
って、おいおい、これまさか出迎え? 多くない? 行きの四振りを優に越えてるんだけど。しかも御殿の玄関前にも刀剣男士の塊が見えるし、縁側の端の軒下と池の側にも団体さんが一つずつある。んー、大人とか中高生くらいの付喪神だけかな? 小さい子たちはいなさそう。
……な、何事?
「えっ、あ、どうも」
差し当たって神様の群れに会釈をしてみる。気が動転するあまり、ややおたおたとしてしまった。おまけにそっけない。
もう少し親しげな方が良かったかな。「たっだいまー! みんなお揃いでお迎えありがとう。良い子にしてた?」……いやこれはちょっと馴れ馴れし過ぎる。却下。普通に「ただいまー。帰りましたー」とか、そんなのを言えてたらねえ。はあ。
若干の後悔をしていると、こんのすけがとてとてと歩み寄ってきた。
わあー、こんちゃんだー。ぽてぽて動く足とゆらゆら尻尾に癒されるー──なんて、現実逃避でぽやんとしそうになったその瞬間。
「おっ、帰ったな。おかえり」
無造作ヘアーの槍の付喪神がフレンドリーな笑顔をお見舞いしてきて。
「おっかえりー! 政府に行ってたってほんと?」
亀吉の友人である付喪神は活き活きと声を張り。
「おかえりなさいませ。……ご無事で何よりです」
煤色の髪の付喪神は恭しく礼をする。
「よっ、おかえり。急に政府に行ったって聞いて驚いたぜ」
片手を上げて気さくな身振りを見せたのは、奇襲好きな白銀の髪の付喪神だ。
「おかえりなさい。あなたを待ってました。兼さんと」
土方歳三の刀のうちの一振り、短い黒髪の付喪神は穏やかな微笑を送ってくる。
他にもちらほら「おかえり」の声が発射され、挨拶の爆撃を浴びた私は思わず硬直した。
……距離、縮まっとるがな!
心臓が止まりそうだった。彼らに「おかえり」付きで出迎えられたのは初めてである。前回の帰還時、ダンシングフラワーのお土産を喜んでくれた土佐弁の刀剣男士も、「おかえり」とは言っていない。
人間嫌いで人間不信な神様たち。誰も彼もというわけではないけれど、一部に融和の兆しがあることをひしひしと感じる。
「たー……ただいまー」
自失しかけの間抜けな顔で腑抜けた「ただいま」を返し、ひらひらと手を振ってみた私。込み上げてきたむずむずを逃がすべく、視線をこんのすけへ向ける。小さな狐は通常より三割、いや五割増しで笑って──ううん、にまにましていた。
もしや、これはこんのすけが仕組んだことなのか? 実際距離はそこまで縮まってなくて、政府に行ってた私の動向が気になったから大勢で押しかけてるだけで、こんのすけに「愛想良くしろ」とか「挨拶はきちんとしろ」とか言われてこんなことになってる……。うん、そうだ。それなら合点がいく。
そうそう、そうに違いない。こんのすけ絡みで友好度に色がついてるんだよ。
平常心に戻るために頭の中で繰り返し、恵比須顔のこんのすけを抱き上げる。アニマルセラピー、アニマルセラピー……鎮まれ……鎮まれー……。
「主様、くすぐっとうございます」
もふもふな首元に顔面を埋め、深呼吸。こそばゆいのか、小さな狐は鳥が囀るように笑う。獣臭さとシャンプーの香りが混ざった臭いで胸がいっぱいになった。……よし。
くんくんするのを止め、こんのすけを抱き直すと、肩に亀吉を乗せた神様が「ねえねえ」と前に出てきた。
「政府に行ってたの?」
あ、そっか。この子は「おかえり」プラス質問をしてきてたっけ。一回目はスルーしちゃってたなー。フリーズしてたとはいえ、申し訳ない。
「うん、行ってたよ」
こんのすけの背をさすりながら答えれば、結界の外がどよめき出す。私が政府所有の施設を訪問するのは危うい事なのだろうか。あー……人間不信の政府不信だから、「審神者と政府が悪巧みしてきた」とでも思ってたり?
……そもそも、あそこに私がお邪魔するのって、今日が初回じゃないんだよなあ。むしろ、実家への行き来には必ずあの施設を中継しないといけないし、その度に斉藤さん(政府関係者)にも会ってるし。神様たちは知らないのかな。まあ、そういった話をしたことないもんね。
刀剣男士の間では、ゲートに入ればすぐ私の実家に着く、って認識なのかも。
「で、どうだったんだ?」
一振りの刀がずずいと一歩前進してきた。出発前に私に突っかかってきた黒髪の刀剣男士だ。
彼はむすっとしたような、挑発的なような、ともかく可愛くない面で腕組みをしている。「どうだった」というのは、ゲートに飛び込む寸前に放った私の発言についてだろう。
「うん。ちゃーんと約束してくれたよ。時の政府はあんたたちのこと大切な協力者って思ってるし、苦しめるつもりもないってさ」
「口ではどうとでも言えるだろ。念書でも取ったのか」
「や、そこまではしてないけど……」
「へっ、話にならねえ。お前はうまく丸め込まれたんだよ。どうせそのうち、政府に上手く乗せられて俺たちを扱き使うようになる。主面(あるじづら)してな」
……あのさあ。
食って掛かられ、嫌味も言われ、カッチーンときた。カッチーンのブッチーンだ。
「はあ? しないし。前も言ったじゃん。あんたたちは戦わなくていい、私は神様になーんにも望んでないって。無干渉の約束もあるでしょ。私も政府もぜっっったいに酷い事しないから、そっちはそっちで自由にのんびりしてて」
怒り狂いはせずとも、多少キツめの抗弁になってしまう。ここに就職して今に至るまで、付喪神相手にこうも不愉快さを声に含ませることはなかった。
そんな私の反論に、長い黒髪の彼はぐっとたじろぐ。しかし、切り返しは早かった。
「お前が俺たちを扱き使わないとしても、向こうは違うかもしれないだろ。いいか、時の政府は神(おれたち)をここに縛り付けるだけの力を持ったとんでもない奴らだ。裏で何をしでかしてやがるか分かったもんじゃねえ。お前一人が口約束を立てさせたところで、政府が直接俺たちに何か仕掛けてく──」
「それは私が許さない」
話の最中に口を挟むのは褒められたことではないが、黙ってはいられなくて。
「ないとは思うけど……もしこの先、政府がひっどいことやらかそうとしたら、私が止める。私がなんとかする。あんたたちのこと、守るから」
だから黙って諒解しろ。さすがにそうは言えなかったが、感情任せにまあまあな啖呵を切ってしまった。
私は彼らが好きではない。苦手意識は今も残っているし、許せないことだってある。だけど、ここの神様たちがボロボロになったりだとか、惨苦を強いられたりだとか、そんなのはもう起こって欲しくないのだ。
たとえ、雇用主が不合理な命令を下してきたとしても。
「……お前」
瞠若として浅葱の瞳を凝らす土方歳三の刀。私は目を背けることなく、彼と対峙した。眼力で負ける気はなかった。そのくらい、この想いは貫きたいものだった。
口を半開きにさせていた付喪神は、肺の中の空気を出し切ってしまうような長い溜息を吐いて、顎が胸に付くほど項垂れる。
「そう糞真面目に大きく出られちゃなあ……」
疲れや諦めが染みた声色。高圧的に組まれていた腕を解き、黒い長髪の刀剣男士はガシガシと頭を掻いた。
「言い返せないよね、兼さん」
ふふ、と、短い黒髪の子が笑い、俯く神の顔を覗き込む。不意に目線を左右へずらせば、なんとまあ、いつの間にやら四方で付喪神がごった返していた。玄関先や庭の方々に群れていた神々もゲート周辺に集まっており、さっきの小生意気な言明を大群衆に聞かれていたかと思うと恥ずかしい。
「……今の言葉、信じて良いんだな?」
のそりと頭を上げた彼は、仏頂面でも憤激とした表情でもなく、ただただ凛然としていた。一点の曇りもない、キリリとした顔だった。
「──」
信じていいか、だなんて、とてつもなく重い問いかけをされたもんだ。いや、「問い」というより、見定めているのだろう。
重責に戸惑い、己を顧みる。
彼らに傷付いて欲しくないことも、雇い主にでさえ彼らを傷付けられたくないことも、政府が何かしようものなら阻止したいということも、嘘偽りなき私の心。私の意志。
「うん」
切れ長の瞳を見据えたまま、時間をかけて頷く。されば、閉ざされていた唇が綺麗な弧を描いた。
「……分かった。なら、もう何も言わねえさ」
にっと笑いかけられ、また一つ「うん」と言う。周りの雰囲気が弛緩した。私と彼のやり取りを、他の神様はハラハラしつつ見守っていたらしい。
……ん?
腕の中の毛玉が揺れている。見ると、私に抱かれているこんのすけが、二つの瞼を二つの肉球で覆ってふるふると震えていた。
「えっ何こんちゃんどうしたの」
「申し訳ありません。私、感銘を受けまして……主様、ご立派にございます」
ええ!? な、泣いておるぞこの子!