雪解け - なんとはなしに

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 初出陣を控えた今節。付喪神たちはというと、心静かに過ごしていた。平和も平和、私の暮らす職場は別世界の如く安寧としている。
 どうやら、先日陳じた「あんたたちのこと守るから」という表明が、思いの外神々の胸に響いているようだ。
 好意的な刀剣男士は更に増え、庭に出れば高確率で誰かが声をかけてくる。「おはよう」「こんにちは」「こんばんは」「今日は寒いね」「風邪引くなよ」「畑仕事?」「何育ててるんだ」──どれも他愛のない話。冗談を言われたり、手伝いを申し出られたり、お喋りやひなたぼっこに誘われたりすることもしばしばあった。
 また、話したことのなかった付喪神も「初めまして」と接触を図ってきて。
「やあ。私は石切丸という。石をも斬る神刀、とは言われるけれど、もっぱら腫れ物や病魔を霊的に斬ることが多いな」
「俺は大般若長光。長光の代表作として知られている。趣味は、そうだなあ……あんたみたいなのを口説くことかな。ははは」
「天下五剣の一振り。数珠丸恒次と申します」
 たわやかに、お茶目に、折り目正しく。他にも十何振りかが自己紹介をしてくれたのだが、みんな人当たりが良かった。悪感情や敵愾心など微塵も感じない。私と刀剣男士の関係性は、確実に良くなっていっているのであろう。
 ……ただ、水色の髪の神様や、彼の兄弟である二振りの脇差はいつも苦い顔をしている。彼らと同派の狐を連れた付喪神はそうでもないけれど、遠巻きにこちらを観察するのみで、近寄っては来なかった。ここだけの話、個人的にあの狐にはすごく興味があったりする。いつかこんのすけとダブルでもふもふしたい。両手に花ならぬ両手に狐……パラダイスだ。
 そういえば、よく私に突っかかってきていた黒い長髪の神様も、つっけんどんながらに挨拶してくれるようになった。どこか気まずげに「よお。……元気か?」って、思春期の娘に手を焼く不器用なお父さんみたい。その時ついプッと笑っちゃった私は怒られたのだけど、顔を真っ赤にして「わ、笑うなよ!」とあたふたされてもあまり怖くはなく──鬼の副長の愛刀だった彼は、こんのすけに鼻で笑われていた。
 遷り変わる人と神との間柄。私たちの仲を取り持とうとしている小さな狐は喜んでいるようで、ここ数日ずっと上機嫌である。
 ──私は表面上うまくやれているのだろう。汚い淀みを誰にも悟られず。
 未熟な心の奥底はチリチリと疼いていて、正直な所、紛糾していた。そして、困っていた。
 私にあんなことをしておいて、謝りもせず仲良しムードになるって何? なんで思ってたより早く溝が埋まってきてるの? 当面の目標は、「こんのすけがいなくても普段通りに活動できること」だったのに。挨拶から始めて、よもやま話をするくらいになって、って、こんな風に順を追いたかったのに。その過程であの出来事を風化させたかったのに。
 夏休みの宿題を三日で終わらせてしまった感覚だ。一教科(自分の心)だけを残して。
 早々に宿題が済んで良かったではないかと言われそうだが、「計画的」でないことが私の中での問題だった。想定外のスピードが恐ろしかったし、私ではない誰かが宿題を完成させてしまったようで気味が悪い。
 態度を軟化させた神様たちへ平然と接しつつ、内心私は焦っていた。
 ちぐはぐな理想と予定と現実。どこにどれを合わせていいか分からなった。去年までの私であれば楽天的にしていただろう。「なるようになれー!」「気楽にいけばなんとかなるー!」……そう思いたくても、今はどうしてもできない。
 予想だにしていなかったのだ。まさか、勢いで出た一言がこんなに彼らへ影響を齎すとは。
 あの発言は嘘ではない。仮に、政府がここの刀剣男士に理不尽な要求や過酷な労働をふっかけてきたとしても、私は頑として斉藤さんに断りを入れる。文句も言う。法律に就業規則、約束、その他利用できそうなものは何でも持ち出し、神様たちが傷付けられないよう動くつもりでいる。彼らには痛い思いや辛い思いはして欲しくない。
 正真正銘の志だった。神々に好かれようとしたつもりも、取り入ろうとしたつもりもなく、ましてやおべっかでも。
 他意などなかった。下心などなかった。単純に真意を声にしただけなのだ。
 それなのに、こうも距離を縮めてしまったなんてなあ。ある意味でしくじった。
「貴方、人間の分際で僕らを守るそうですね。ふふ、正気ですか?」
「よもや、人の子に守護されることになろうとはなあ。この父も肝を潰しそうになったぞ」
「お嬢ちゃんみてえな人間に守られるなんざ、正三位の名が泣くぜ」
 斯くして、あれからちょくちょく話を蒸し返される。呆れたように、驚いたように、面白がるように──口付きは様々だったが、私が一つ二つ応答すればみんな決まって頬を緩めた。そして、面映い笑いだったり、嬉しさ全開の笑いだったり、からかいを含んだ笑いだったり、様々な笑顔を見せてくれる。そこには、僅少ながらもくっきりとした信頼が見え隠れしていた。
 刀剣男士が心を開こうとしてくれているのは間違いなく良いことだ。嬉しくもある。……しかし、寄せられる好意が、狭まる距離が、プレッシャーだった。歩きだした彼らに応えてあげたい、背中を押してあげないといけないと思うと、いやが上にも負荷が膨らむ。
「君、僕らを守ってくれるそうだけど、いったいどうやってだい?」
 暖かな日曜、源氏の重宝だという刀の付喪神にそう聞かれた際、私は「人間には人間のやり方があるの」と答え、万が一にと考えていた手の内をずらずら並べた。その中でふと自分に自信がなくなり、また、プレッシャーから逃げたくなって、「まあ、力及ばずで守り切れないかもしれないけどね。そうなったらごめん」と弱腰に言い足してしまった。
「無責任だ」と一喝されてもしょうがない。「これだから人間は」と幻滅されてもしょうがない。
 忸怩たる思いで覚悟していた。のだが──。
 温厚に微笑む彼は、「君が僕らを守れなかったとしても、僕は君を恨まないと思うよ」と、「結果どうこうじゃなくて、僕も他の刀も、守ろうとしてくれてる君の気持ちが嬉しいんじゃないかなあ」と。……とても長閑に、それこそ波のない真昼の海みたいな顔して言うのだ。
 私はそんな神様へ「ありがとね」と曖昧に笑うことしかできなくて。
「絶対守るよ、任せておいて!」
 こう言えていたらどんなに良かっただろう。
 根は優しいトラウマ持ちの付喪神を、私は大事にできていない。なんて醜く、意地悪なんだ。器が小さいにも程がある。
 私は、「私」という人間を、みみっちい自分を、また一つ嫌いになった。

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