雪解け - なんとはなしに

117


 胸裏に巣食うわだかまりを押さえ付けながら神様たちと関わる毎日。そこへ、新たな刺激が追加される。
 十一月第四週の火曜──とうとう、初陣に挑む時がやってきたのだ。
 前夜は早めに就寝し、胃もたれしないようご飯は腹八分。服装もいつもの作務衣ではなく、箪笥の奥で眠っていたジャージを選択した。前職場をリストラされた後、実家で部屋着に使っていたものである。
 こんのすけにも服を着ることを勧めたのだが、戦場で汚れたり破れたりするのが嫌だと頑なに拒まれた。汚れたら洗えばいいし、破れたら繕えばいいだけなのに。まあでも、突貫工事でぱぱっと作ったお守りを首にかけてもらったからいいか。
 こないだ仕立てた服の端切れでできたそれには、私の力をたんまりと込めてある。いざという急場でこの子を守ってくれるだろう。
 腹ごしらえよし、着替えよし、おさらいよし。
 急く心を鎮めようと精神集中を試み、徐々に刻限が迫ってくる。今までであれば十分前にはゲート付近で待機するようにしていた。けれど、今回は事が事だ。出陣を嗅ぎ取られたり、首を突っ込まれたりされたくないので、付喪神らと顔を合わせる時間はゼロにしたい。
 午後一時半。そそくさと家を出た私は、定刻ぴったりにゲート開閉地点へ着くことができた。庭に何口かの刀剣男士は居たが、幸運にもこちらまでやって来るものはおらず、煌々と光るゲートへこんのすけと共に駆け込んだ。
 ──時は幕末、地は函館。
 あの施設は介さない。その時代に直行する手筈である。
「だーいじょうぶ。うまくいくよ」
 転送中の真っ暗闇で、側にいるであろうこんのすけへ明るく笑いかける。だらけているつもりはない。だが、奇妙にも緊迫感は希薄になっていた。楽観的な元来の自分がお出ましになったようだ。
 こういう時は苦労せず前向きになれるんだけどなあ。……ううむ。

 *

 初めての戦いは障害もなくさっくりと終わった。模擬戦通り、シミュレーション通りである。
 政府の指定した座標に飛ばされ、こんのすけが偵察し、戦闘突入。こちらへ刀ごと体当たりしてくる時間遡行軍に耐えれば、異形の敵はざあっと消える。その反復だ。
 時折、こんのすけを通して斉藤さんから状態確認の連絡が入るも、全て「大丈夫です」「いけてます」と返せた。取り立てて言うことはなく、すこぶる円滑であった。
 短刀丙を二体倒し、少し進んで短刀丙と脇差丙の部隊に当たる。上半身が人の身、下半身が角の生えた蜘蛛。それがこの地に布陣せし敵方の親玉だった。
 衝突の力は強い。しかし、ぐっと持ち堪えて結界で跳ね飛ばす。すると、化け蜘蛛は起き上がる間もないまま、骨も血も残さず霧散した。
 本掃討をもって本日の出陣は終了。疲労度はまずまずなもんで、まだもう一周かもう二周はいけるかな、と、体感では思う。いのちだいじに雇い主に貢献するためにも、丁度良いラインで頑張りたい。
 初陣を飾り、その勝利に酔った私はテンション高く歓呼の声をあげた。こんのすけを両手で抱えて踊るようにくるくる回り、「だからうまくいくって言ったでしょ!?」なんて、ドヤ顔を決めてみせる。
「今夜はご馳走! お酒も飲もう!」
 高揚の収まらぬ中、現れたゲートをくぐる。転移先は政府の施設だ。怪我がなくとも、念のため帰りは斉藤さんと会うようになっていた。
 喜びいっぱいに勝ちを伝え、小さな狐と共に受けたのは、簡単なメディカルチェック。私もこんのすけも異常無しとのことだった。
 斉藤さんと次回の出陣について話し合ったのち、本丸行きのゲートへ一歩足を踏み出す。刹那、あちらにおわす付喪神の面々が脳内に喚び起こされ──滾る熱気がしゅーっと萎えていった。
 今は会いたくないなあ。勘付かれたくないなあ。あー、嫌だな、バレたらどうしよう。
 秒で興奮が収まる。頭から冷水を引っ掛けられたみたいだ。帰宅後何も起こりませんように、と願いつつ、斉藤さんにさよならをした。
「こんちゃん、早足ね」
 地に足が付くなりこんのすけへ合図。走るとかえって不自然かなーと思っての早足である。獲物を探す鷹の如く目線を旋回させると、まばらに散らばる刀剣男士の姿があった。帰ってきた私を見つけたらしい神様が手を振って駆けつけようとしているが、ごめん、止まれない。
 空笑いと小振りなジェスチャーで粗っぽい返事をする間も足は動かし、安全地帯への退避を続ける。
 お家は目の前、お家は目の前……。
「おかえり」
 ひえっ。ど、どこから!? うわ、死角だっ。
 幹の太い立派な桜木。その裏側から、長い前髪で右眼の隠れた男がするりと出てきた。池を越えればもう我が家だってのに。
「ただいまー」
 なるべく慌てず言って、「私、急いでますよー。長居できませんよー」的なオーラを醸し出す。止まる気などさらさらなかった。
 ──が。
「待ちなよ。どこに行っていたんだい?」
「えっ」
 いっちばん訊かれたくない事をどストレートにぶん投げられ、泡を食った私はあろうことか停止してしまった。いや、デッドボールの直撃で身動き取れなくされたのだ。
 私に合わせて立ち止まったこんのすけが、半歩後ろで「にっかり青江」と小さく呟く。
 さく、さく、と音が鳴り、付喪神はゆるゆる歩いてこちらに近付いてきた。見過ごしてくれそうな気配はない。というか、「一連の質疑が終わらないと帰さない」──そんな圧力が窺えて。
「ちょっと政府にね。担当官と話があって」
 動揺を圧殺し、取り澄まして答える。斉藤さんと話をしたのは事実だ。
「へえ……本当に?」
 彼は不敵に片側の口角を上げ、私を洞察するかのように首を傾げた。暗い青みがかった緑の──天鵞絨色のポニーテールがさらりと揺れる。
「んー、そうだけど」
 とっとと解放してくれ。
 顔には出さずもどかしがる私とは正反対に、その神様は余裕綽々で「ふふふ」と笑った。
「政府に、ねえ」
 胸がざわざわする。秘密を剔抉せんとしている金の瞳はくすんでいて、「何もかもとっくに知っているんだよ」と語りかけられている気がした。
 ──これ、バレてるんじゃなかろうか。
 ざわつきはひどくなる一方。表情筋がカチコチになりそうだ。
「うん」
 それでも私は取り乱さず、平静を装って頷く。したらば彼はにいっと笑みを深め、もっと私へ接近してきた。小さな狐が「それ以上はなりません」と忠告してくれるも、付喪神はくすりと息を漏らすだけ。
 足音が一つ生まれる毎に、私と彼の間が詰まってゆく。
 こんのすけが私の前に跳んで出たが、威嚇をする小さな狐なぞ、刀剣男士の眼中には入っていないようだった。
 見下ろすように注視され、身の置き所がない。私を覆う結界すれすれまでにじり寄ってきた彼は、くすんだ金の目を眇めた。そうして、すん、と、筋の通った鼻で息を吸い、唇を開く。
「ああ、合戦場か。あいつらの臭いがぷんぷんするよ」
 ……バレてる。
 氷でできた手に心臓が掴まれ、痛いくらいに脈動が弾んだ。
 鎌をかけるにしては当てずっぽうさがなかった。この付喪神は私の出先を了知してしまったらしい。臭気で分かってしまうものなのだろうか。
 うー、どうやって煙に巻こう。「えー? そう? やだなあ、何の臭いだろ」とでも白を切ってみて──。
「やはり、気取(けど)られましたか」
 あっれーこんちゃん!? 私、うやむやにしようと思ってたんだけど! 悪あがきにしかならなかったかもしれないけどさあ!
 頼れる相棒があっさりと認めてしまい、びっくりする。嘆息してこちらを振り返った小さな狐へ、「それはあかん」と目で訴えるが、彼は困ったように眉を曲げた。
「主様……往時、刀剣男士は数え切れぬほど多くの時間遡行軍と戦ってきました。故に、敵なる者共の臭い、そして戦場の臭いには敏感なのです」
 はあ? 初耳じゃい! なんで事前に教えてくれなかったんだ!
「ええー……」
 臭いに敏感。そ、そういうものなの? じゃあ隠蔽なんて元から望み薄だったんじゃ……そりゃないよー。
「ふうん。時間遡行軍のうようよしてる合戦場にねえ?」
 冷やかすように言って、私から顔を離す付喪神。そのモーションで長い前髪が傾き、寸刻、束になった毛の隙間に赤が見えた。この神様は左右で瞳の色が異なっているのかもしれない。私の目の錯覚でなければ。
「いやー、あー……うーん」
「っ、ふふ。面白いな。観念すればいいのに」
 こやつ、どうしたものかと唸る私を面白がっておる。んあー……なんかもう、致し方ないって感じ。
「はあ」
 降参の溜息が自ずと出た。
 もはやここまで。仰せのままに観念するとしよう。次の一手を考えなければ。──うん、口止めだ。いずれ刀剣男士たちに私の出陣が知れ渡るとしても、それはできるだけ遅い方がいい。
「そうだよ。戦場に行ってた」
 伏せていた事を明かせば、彼は満足そうにくすくす笑う。
「それで? 何をしに出かけてたのかな」
 何その微笑み。分かっているのに聞いてきているとしか思えんわ。いちいち癪に障る神様だなー。
「んー、野暮用があって」
 イラッとしたこともあり、ここで私は往生際の悪さを振るう。敵との交戦に関しては隠してやろうと企んで、煮え切らない言葉を吐いた。
「へえ、野暮用って?」
「それは」
 潔くなくあーだこーだのたまおうとすると、私のふくらはぎをこんのすけが肉球でそっと押してきた。
「……主様」
 力なき声と諦観の眼差し。「如何にしても欺けません」といった有様だ。自白を催促されている気分。
「主様」
 うっ、……ぐぬぬ。
「わかった、わかった。言う言う。……えーっとね、政府の依頼ですこーし敵と戦ってきました。それだけ!」
 めちゃくちゃ簡潔に言い表した私へ、間髪を入れず発問が降ってくる。
「──僕たちの代わりにかい?」
 きた。やっぱりそこに気を留めるか。
「違うよ。代わりじゃない。これは審神者の私が政府に頼まれた仕事」
「ああ、そう。……どうかな。先週、君は僕たちを守るって言ってただろう」
 おー、そこと繋げちゃうのね。この付喪神も「守るから」宣言を聞いてたのか。あれと関連付けられたらめんどいなあ。
「それとこれとは話が別。今回は『私に』政府がお願いしてきたの。ね、こんちゃん」
「……はい」
 援護を期待して相棒の名を呼んだのだが、この子ってばこういう時に限って覇気を無くしてて。……まあ、こんのすけは私の出陣に乗り気じゃなかったもんね。たぶん、今でも賛成してないはず。私ではなく刀剣男士に戦って欲しいんだろう。
「あのさあ」
 活力なさげなこんのすけはさておき、私はすべき事を為さんと声帯を振動させる。箝口令を敷くのだ。
「この事、他の神様には言わないでね。気い遣わせたくないんだー」
 どうか此度の件は胸に秘め、密かに働く私なんぞ知らんぷりしてくれ。
「うーん、それは約束できないな」
「えっ!?」
「くっ、ふふふ……」
 愉しそうに、ほんっとうに愉しそうにくつくつと喉を震わせる付喪神。くーっ、小憎たらしい!
「なんで、お願い!」
 後生ですから内緒にしておいてくださいよっ!
 顔の前で両手を合わせ、「この通り!」と頭を下げた。哀訴嘆願。「マジでお願い」「本気で言わないで欲しい」と、幾重にも頼み込む。
 ところがどっこい。
「無理だね。君がどこで何をしてるか、みんな興味津々なのさ」

前へ  次へ

152