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え? 何? 反応が現れた?
誰の。刀剣男士? 消失していたはず、の、……?
あきたって、嘘。その子は、その子は──。
「前の人に消された子ですか」
喉と口とがひとりでに動いた。言い方だとか言葉選びだとか、そんなの考えられなくて、所懐がそのまま声になる。かろうじて付いた「ですか」が、自分がまだパニックまでは起こしていないことを証していた。
『本丸に反応が現れた。消失していたはずの刀剣男士。あきたとうしろう』
先程男が言ったそれを、何人かの自分が好き勝手に反芻している。一驚を喫し、私の思考体系は一時的に秩序を欠いていた。
「はい」
一言。五十音のうちのたった二つが、脳にがあんと強打をぶち込んだ。
政府の役人が舌に乗せた肯定で精神が爆発する。一瞬頭が真っ白になった。胸の昂ぶりで耳や頬が熱くなるのが分かり、武者震うように体がぴくぴくしている。
反応が出た。ここに、この本丸に。朱い胴鎧の子の反応が。
──じゃあ、居るんだ。あの子。
あの子は死んでなんかなくて、消えてなんかなくて、生きてるんだ!
私の理性は本領を発揮することなく消し飛ばされ、弾丸のように感情が飛散する。
「どこですか、その子」
担当官の発言を疑う気は起こらなかった。なぜ反応が現れたかなどどうでもよかった。細かな話を聞こうという気にもならなかった。
ただただ、「見つけないと」と思った。それしかなかった。
「探します。教えてください、どこですか」
携帯を握る手に力が入る。指が痛みを感じるほどに。
「詳しい座標までは──。ですが、あなたからそう遠く離れていないようです」
聞いて、頭蓋の中で火花が弾けた。難解な数式が解けたかのようだった。
私が池に力を流し、何かの気配がし始め、直後、斉藤さんから「消されたはずの神の反応が現れた」という連絡がきて──。
牢乎たる根拠があったわけではないが、漠然と思い做す。偶然などではない。これらは全て繋がっているのだと。そして、とても意義深く、運命めいたものであると。
四季の移ろう冬隣。雨上がりにしては温かな風が素肌をなぞった。草木はまるで揺れておらず、超常的なそれは私にだけ付きまとっている。
一心に凝望した。「何か」の気配がする方角を。
あそこだ。あそこに違いない。きっとそう。そうとしか言えない。
「私、ちょっと探してきます。分かるかもしれないです」
話し終わらぬうちに橋を渡る。ぬるま湯みたいな空気もそよぐようにしてついて来た。
「心当たりが?」
「はい。あっ、すみません。言い忘れてたんですけど、変な感じがするんです。たぶん、そこに何かあります」
「そうですか……わかりました。気をつけて、無理はしないでくださいね。危険はないかと思いますが、電話はそのままでお願いします。今日はこんのすけが居ません。何かあればすぐ私へ」
テキパキと指示を出した担当官へ「はい」と返し、携帯をポケットへ落とす。池を囲繞する縁石に沿い走って進むと、鯉たちが跳ねながら着いて来た。よく跳ねる子は決まっているのに、今はみんながみんな水沫を立てている。こんなことは初めてだ。
じんじんする己の外皮。「そこ」へ近付けば近付くほど、全身が痺れるような感覚が強くなった。
「……ここ? この辺?」
誰ともなしに独りごちる。気配は澱んだ池の中からしていて、私の側で跳ねていた鯉たちが、いきなり向こうへ泳いでいった。まるで私の独り言を聞き、「ここだよ、こっち」と誘導してくれているかのようだった。
「そこ?」
駆け巡る血潮のせいで心臓は高鳴りっぱなし。動悸すらする。
「そこなの?」
呼びかけるみたいにして声を張り上げれば、ある一点で水面に円を描いていた錦鯉らは、一斉に水音をさせ始めた。それが声なき彼らの、言語を持たぬ彼らの答えだった。
ああ、そこか。そこなんだ。そこにあの子がいるんだね。
「わかった、ありがと!」
はっきりと確信する。そこでしかないと。あの子はあそこにいるんだと。
では行かなければ。見つけ出さなければ。そう思い、足を一歩前へ出そうとしたところで、躊躇が産まれた。
どうやって行けばいいんだろう。この先は水の満ちた池だ。鯉の集う場所までの距離は、ここから十メートルそこらある。
決して深い池ではない。春の中頃、錦鯉を飼う下調べにと池を調べたことがあるが、確か私の太腿が半分浸るぐらいの水深だった。だからといって、すぐさま池に入れるかというと……。
今の私の装備は、下着、長袖のヒートテック、あったかレギンス、作務衣、もこもこ靴下、かわいくない長靴。水着でも短パンでもサンダルでもなく、水中で探しものをするには適していない装いである。
寒さを増した秋の末。水はきっと冷たい。足も服も濡れる。長靴では水が溜まって動きづらくなるだろう。嵐の後でこんなに濁った水だ。汚れるし、臭くもなりそう。
縁石に片足を乗せ逡巡し、けれど、「あー、もういいや!」と吹っ切れた。悩む時間は短かった。
濡れたら乾かせばいい。泥が染みたら洗えばいい。着替えればどうってことない。汚れや臭いがなんだ。寒いのだって耐えりゃあいい。早くあの子を見つけないと!
離れで支度を整えるという選択肢をかなぐり捨て、底の見えない池へそろりと脚を下ろしていく。氷のように冷たい水が、服や長靴へ瞬く間に潜り込んできた。痛みにも似た冷たさで手足の筋がぐっと強張る。
水の抵抗に逆らいつつ、一足一足前進した。水と泥で長靴が重い。踝に岩の錘をつけられているみたいだ。
寒いし、水は汚いし、歩きにくい。靴下も作務衣のパンツも濡れ、気持ちが悪かった。けれど、遮二無二前へと突き進む。
──あと少し。四歩、三歩、二歩……。
息があがる。呼吸は浅い。下肢は凍えているというのに、体力を使ったためか上肢は汗ばんでいた。
ようやく「そこ」へ到達すると、騒いでいた鯉は再び静かになり、私から少し離れて揺蕩いだす。保護者よろしく見守ってくれているのか、この気配が気になるだけなのか……訊けば教えてくれるだろうか。
乱れた息が安定せぬまま、腕の一本を池へ沈めていく。指先、手のひら、手首、肘……水底に沈殿している泥はぬめっとしていて不快だったが、なにクソと掻き回した。
文字通りの「手さぐり」。慎重に、時に大胆に腕を動かしその子を探す。片腕だけでは焦れったくなって、もう一方の手も動員した。爪先や指の腹の神経を研ぎ澄まし、無我夢中で泥を浚う。
幾度も幾度も硬い物が触れた。そうっと掴んで引き上げるも、どれも小石や朽ちた枝の残骸だった。だが諦めはせず、ひたすらに探し続け──。
そうしてまた、何かが中指に当たる。時を同じくして、私の肢体に電撃が走った。