雪解け - なんとはなしに

09


 風呂あがりの心地良い疲労感。気だるさに身を任せて布団にダイブし、夢の世界におさらばしたいところであったが、一つやることがあった。
 そう、斉藤さんへの──ひいては、政府への──報告である。
 政府から支給されたノートパソコン(未来仕様。コードレス、充電不要)と向かい合い、カタカタとキーボードを打つ。報告内容や記載すべき点はテンプレート化されていたので、割りとやりやすかった。入力例までついてるんだもんな。何から何までありがたい。
 現在、この澱んだ本丸は全く機能していないため、「討伐数」だの「遠征成果」だの「会得資源」など、多くの項目はスキップするしかなかった。というか、テンプレ内に入力できるものがほとんどない。審神者(わたし)の健康状態くらいである。ひとまず、「良」と入力したが……精神的には「不良」だ。
 本日の私の活動は、残念ながらテンプレ内に入らない。仕方なく一番最後の「その他」の欄に箇条書きでつらつら綴る。入力例を見ながら文章を考え、簡潔に。
「離れ周囲の浄化及び離れ内の清掃を施行す」
「こんのすけとの関係不良。業務に差し障りなし」
「刀剣男士との関係非常に不良。業務に差し障り有り。手入れ可能な状態でなく、襲撃を受ける可能性大いに有り。まずは刀剣男士の警戒を解き、こちらに害なく接触できるよう努めていく」
「明日は敷地全体の浄化を行う予定とす。刀剣男士の修繕は未定である」
 小さな狐が相変わらず土間に座り込んでいるのをいいことに、こんのすけとのことも書いてみた。まあ、見られたとしても、片眉すら上げないかもしれないが。……あ、狐には眉毛なんてなかったか。眉毛っぽい模様はあるんだけど。
 何度か文章を読み直し、送信ボタンをクリック。その後、「へえ、インターネットもできるんだ」とネットサーフィンを楽しんでいると、斉藤さんから返信がきた。早いな。十分も経ってないんじゃないの?
 早速メール画面を開き、斉藤さんからのメールを確認する。それは私を労う文章から始まり、命の危険を感じたらすぐに連絡をよこせというきな臭い文章で締めくくられていた。特に質問や指示はなく、方向性も私の送ったものでよいとのことだった。刀剣の修繕は早いに越したことないが、安全第一で進めていっていいらしい。
「初日から疲れたなー」
 大きく背伸びし、肩を回す。ゴリゴリと関節が鳴った。私も歳だ。
 パソコンの右下に、「22:42」の表示。ああ、もう夜中だ。普段であればバラエティ番組を見ながらだらだら過ごしている時間であるが、ここにはテレビなんぞない。ならば引き続きネットサーフィンでもしようかと思ったけれど、どうもそんな気になれなかった。
 暗いのだ。部屋が。
 電気の通わぬここは、蝋燭の灯火だけでは十分に明るいとはいえず、仄暗い中でパソコンの画面だけが不自然に目立っていて、目に悪そうだった。実際、少しパソコンで作業しただけなのに、こめかみ辺りがずんと重い。目疲れである。
「もう寝よ」
 なんか、どっと疲れた気がする。静かな空間に自分の声が響き、ひどく心細くなった。
 周りは自分を好く思ってない、むしろ排除しようとしている連中ばかりで、補助役の狐は人間嫌いの愛想なし。「本丸」とかいう荒廃した地で、「審神者」とかいう妙ちくりんな仕事をたった一人でやっていくなんて、大丈夫なのだろうか。
 はあ。
 本日何度目になるか分からぬ溜息が、闇に消える。パソコンの電源をおとし、のろりと立ち上がって畳に布団を敷いた。
「こんのすけー。私もう寝るけど、あんたほんとにそこで寝るの?」
 夜闇でよく見えない土間に向かって声をかければ、「眠りませぬ」と硬い返事が飛んでくる。あー、「式神」って眠らなくていいんだっけか? すごいことで。私は眠らないとやっていけないけどなー。疲れで死ぬ。
「ふーん。まあいいけど、体調崩さないように適当に休んでね。そこ寒いでしょ。こっちに上がってもいいから」
「……いえ、私は、ここで」
「そっか」
 いい加減畳に上がればいいのに、何故そうも頑ななのか。こんのすけの中に譲れないものでもあるのだろうか。まあ、したいようにすればいいさ。……ぐうっ、寂しくなんかないもん。
 一つ、二つと蝋燭の火を消し、布団に体を半分入れて、枕元の行灯に息をふうっと吹きかける。
 視界が黒一色に染まり、文字通り辺りは「真っ暗」となった。急に不安になって、唇を動かす。音となって生まれた声は、独り言にしては大きく、語りかけるような口調だった。しょうもなくも、返事が欲しかったのだ。
「あの子たち、私を殺しに来るかな」
 しんとした室内。春先の冷たい空気に体の芯がぞくりと震える。
「……来るやもしれません」
「ええええー。私、すぐ死んじゃうじゃん」
 恐怖をかき消すように笑う。感情の伴わぬ、ただの空笑い。
「大丈夫です。これほど強固な結界なれば、まず打ち破られることはありますまい」
 濃い闇の中、私とこんのすけの声だけが鳴る。
「そうかなー。いまいち結界のすごさが分かんないんだよね」
「左様でございますか」
「うん」
 ……。
 ……。
 双方、口を閉じる。夜のしじまはひたすらに密やかで。
 音が無くなる。虫の声も、風の音すらも聞こえない。
 どうして、こんなにもここは。
 ……静かだなあ。
 自分以外の気配を感じないというのは、どうしてこう淋しくて、怖いものなのか。
「ねえ、こんのすけ。土間でもどこでもいいから、ちゃんと居てよ」
 一人が怖い。
 襲われるのも、殺されるのも怖いけれど。
 見知らぬ土地に居ることも、怖いけれど。
 今は何より、一人になるのが一番嫌で、怖かった。
「私の事嫌いでいいから、一人にしないで」
 一度「怖い」と、口にしてしまえば、堰を切ったように胸襟を開いてしまいそうで。
 だけど、弱音なんて吐きたくなくて。
 でも、やっぱり怖くて。
 たった一匹の小さな狐でも、たとえ私を嫌っていても、一晩一緒に居て欲しかった。
「……ええ」
 返事がくるまで、随分と間があいた。
 私はぎこちなげなそれを耳に溶かし、ゆっくりと瞼を落とす。
「ありがと。……おやすみ」
 嘘か真か分からない言葉。しかし、それでも多少は安心できた。
「……おやすみ、なさいませ」
 下手くそな「おやすみ」を聞いてすぐ、微睡みがやってくる。そのままうつらうつらして、すとんと落ちるように眠りについた。

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